前科73:JDハルは団地で娼婦になった
薄暗い団地の一室。裸電球の下で、在原清春は一人のホストを壁に押し付けていた。女の姿に体を変化させて潜入しているが、細い腕の力は鋼のようで、相手は身動きすら取れない。ザビエルの紹介で"風俗嬢"という扱いで戸山団地に潜入した清春は、その美貌を使って男を誘惑して連れ込んで締め上げていた。
「……夏目諭吉はどこにいる?」
女ではあるが低く、押し殺した声。清春のイライラは頂点に達していた。
「テメェは龍頭傘下のホストだろう。団地のどこにいる?」
ホストは喉を詰まらせ、かすれた声を漏らす。
「ぐっ……! か、簡単に会えるもんじゃねぇんだ……! 諭吉さんは最近店にすら顔を出さねぇ……」
清春は魔術で強化した拳で腹を殴り、男がうめき声をあげる。
「どこに潜んでいる?」
ホストは苦しげに言葉を吐き出した。
「……東側の二棟……だと思う。詳しい部屋までは俺たちも知らされてねぇ……! 最近仕事の指示は、必ず使いを通して来るんだ……! 直接会えるのは、ごく一部の姫だけ……!」
「二棟……か」
清春の目が鋭く光る。ホストは必死に続けた。
「諭吉さんは慎重なんだ……団地の中でも隠れるのが上手い。毎晩、居場所を変えてんだよ」
清春は手を離し、男を床に崩れ落とした。
腹に蹴りを入れて、冷たい視線を落としながら、低く呟く。
「そうか。じゃあ、もういいぜ」
男は返事をするまでもなく氷漬けになった。
元々後ろ盾のない清春を手籠めにしようと近づいてきた男だ。慈悲の心を向ける価値はない。そしてその後、氷が粒子まで細かく砕け散る。氷結魔術による現象だ。
(証拠隠滅、と)
一息ついて水を飲む。女体化すると氷結魔術を使うのも一苦労だ。
体がまるで別物になった感覚だ。二回目なのでまだマシだが、もう二度と女体化なんかしたくない。力は弱いし体捌きの感覚も男と大分違う。だが──
「コイツは予想外だったな」
時間を凍らせる魔術。何故か女体化した方が展開速度も領域指定も精度が高い。そして、魔力量の消費が男だった頃より全然少ない。自分でも理由はわからなかった。
「ハル? 大丈夫?」
ノックの音と共に外から声がかかった。
隣室の風俗嬢によるものだ。清春のここでの源氏名はザビエルが勝手につけた「ハル」という捻りの無い名前だ。清春は軽く息を吐いて、すぐに返事ができる声色を作った。
「ん……平気よ。ちょっと荒れたお客さんが来てただけ」
ドアの向こうで小さな笑い声がした。
上手な日本語だがトーンが外国人のものである。
「ふふ、慣れると楽だよ。最初は怖いけど、ここの連中、金はちゃんと払うし。外の店よりマシかもね」
返事に詰まる清春。彼女が言っている事はあまりに理解から遠い話だった。
(こんなトコのヤクザやホストのなにが"マシ"なんだよ)
だが女は楽しげに続けた。
「ここのルールは簡単。龍頭の人間とアイラの子たちには逆らわない。仕事の取り分をちょっと抜かれるけど、食うには困らないし、屋根もある」
「屋根ね……」
思わず清春の口から零れる。
そう言われてみれば、母と逃げていた時も屋根があると安心した思い出があった。
「そう。ここは"屋根"を与えてくれる場所なの。どこから来た子もにもね。だから皆、多少の無茶は笑って済ませるのよ。外にいた頃よりずっと安全なんだから」
その声音は、冗談でも皮肉でもない。
心底から"救い"のようなものだと信じている響きだった。
清春はドアに背を預けながら、無言で女の話を聞いていた。団地に満ちる灯り。笑い声。だがその裏にあるのは、裏社会の秩序に組み込まれた生活。母は裏社会を頼りはしなかった。だからこそ清春は、この街に強い違和感を覚えていた。
「ハル。あんたもそのうち慣れるよ」
女が柔らかい声でそう言うと、足音が遠ざかっていった。
清春はしばらく目を閉じ、静かに拳を握って呟いた。
「……こんなもん救いなんかじゃねェ、ただの檻だろ」
●
団地の一室。裸電球の光が煤けた壁を照らしている。
隅には古びたマットレスが積まれ、カビ臭と香水の甘ったるい匂いが混ざり合っていた。廊下からは笑い声に混じって、怒鳴り声、女の嬌声、そして幼い泣き声が断続的に響いてくる。何が正しいのか何が悪なのか、区別がつかない。美晴は作業をしているアイラの向かいに座らされていた。
さっきまで一緒にいた明珠と瑤は、部屋の外に控えている。案内役を終えた二人は「後はアイラさんの部屋に居て」とだけ言い残し、扉の近くに立ったままだ。ちゃんと見るアイラの姿は同年代と変わらない。異国の血が混じった顔つきであり、昨晩見た銀髪ではなく髪の色は黒い。
「……さっき見た景色、忘れられない」
美晴の声は震えていた。
胸の内にしまっておくにはあまりに辛いものだった。
「廊下に転がってた子供。腕に注射器刺したまま眠ってて……誰も止めない。隅の方じゃ、小学生くらいの女の子が化粧して、客に笑ってた。煙草吸って、酒瓶を回し飲みして……」
声が途切れる。胃の奥から吐き気がこみ上げてくる。
美晴が今までに体験した事のない日常だ。恵まれない子供たちが居る事ぐらい知っている。だが現実に見たものは、フィクションやドキュメンタリーよりずっと救いがなかった。
「こんなの……全部、間違ってる」
アイラは瞬きもせず、ただジっと黙って美晴を見つめているだけだ。
「でも明珠ちゃんも瑤ちゃんも、そんな中で笑ってた。あの子たちは当たり前みたいに"これが普通だ"って言ってた。……あなたは本気で、これを正しいって思ってるの?」
「正しい?」
アイラの声は静かに冷たく落ちた。
「ここに正しさなんてない。あるのは、生き残るか、死ぬか。それだけ」
「それじゃあ……生きていく希望がなにもないよ……」
美晴の言葉に、アイラの目がわずかに揺れる。
「希望? 屋根があって、冷たい水が出る。それで十分だった。真冬に凍え死なずに済む。それだけで奇跡だった。隣の部屋から声が聞こえるだけで、夜が少しだけ怖くなくなった。……それが、あの子達にとっての希望だった」
その声には、諦めにも似た重さがあった。
理解してもらえるとは思っていない。普通の世界の子だ。優しい家族に愛されて生きていたんだろうな、というのが発言からとてもよくわかる。美晴はそれでも噛みしめるように言葉を絞り出していく。
「でも……そんなの希望なんかじゃない。ただ、仕方なく笑ってるだけ。明珠ちゃんも瑤ちゃんも……子供なのに血の匂いに慣れて、死体を片付けて、それを仕事って呼ぶなんて……。生きていくって、こんなに辛いことじゃないはず……」
一瞬、アイラの表情にかすかな影が差した。
同情されるならまだ良かった。扱いやすくなるから。騙せるから。ただ、生き方にまで口を出されるのは違う。怒りを殺し、しかしすぐに硬く閉ざされた声で返す。
「それでも十分なの。明珠は誰よりも冷静に汚れ仕事をこなす。瑤は無邪気でいることで、ここを地獄だと気づかないようにしてる。……あの姉妹は泣かない。もう孤独じゃない。生きる術を覚えた。それ以上を望む権利なんて、"私達"にはなかった」
アイラの言葉の後、廊下の外で怒鳴り声が上がりすぐに殴打音と悲鳴が続いた。
美晴は思わず肩を震わせたが、アイラは微動だにしない。それがここの日常だからだ。
一旦会話が途切れる。アイラはこれでもう終わりだと言わんばかりに作業を再開し始めた。机の上には分解された装甲板が散らばり、油と焦げ跡に混じって導力石の欠片が青白く脈動していた。アイラは工具を握り直し、無言のまま焼け焦げた配線を剥ぎ取る。
「……それって着用型の魔導アーマー?」
アイラは答えない。だが手元の部品が何か、もう誤魔化しようはなかった。
廃絶されたはずの兵器。魔導力の黒歴史に近い。この世からどんどん消え去っていく技術。それをこの少女は当たり前のように纏い、そして修理までしている。
「それ、導力石の状態がひどい。回路もボロボロになってて、いつ誤作動起こしてもおかしくないよ……」
美晴の気遣うような言葉に、アイラは視線を上げずに答えた。
「……でも、動くよ?」
今までのアイラとは違い、あまりに無垢な声だった。それが余計に、美晴の胸を締め付ける。アイラのやっている事は、ただの模倣だった。正しい理屈も、設計図も、命を守る認識もない。使う理由も、危険の意味も、本当の意味で理解していない。ただ、目の前の壊れたものを動くようにするという事だけ。
「……誰に教わったの?」
「……前に使ってた人。殺されたけどね。その人がやってたの見てただけ。でも、たぶん……合ってる。動けばなんでもいいし」
その「合ってる」は、あまりに頼りない。
手順だけを模倣し、理屈も意味も置き去りにしたまま動かされる兵器。
それを当たり前にしてしまった環境。それを必要だと縋るしかない、この少女。
「違うよ……っ!」
思わず、美晴の声が強くなった。
それは、父から教えられてきた"魔導力は人の幸せの為に"という信念を、今も胸に抱いている者の声だった。
「代わって。私が修理する」
美晴はそれ以上何も言わなかった。おどおどとした感じが消え、部屋の隅にあった美晴自身のリュックへと手をかける。中から取り出したのはモバイル端末。工具。予備の導力石や端子。魔導具。常に持ち歩いているものだ。
そのまま黙って導力石の端子を調べ、回路の焦げた部分を丁寧に切除していく。アイラは、それを止めなかった。いや、止めれなかった。言葉もなく、ただ美晴が古びた兵器に触れる手の動きを見ていた。
(早い……)
──その修理には、意味があった。
ただ動けばいい、ではない。壊れたものをどう直すかのプロセスを理解した動きだった。アイラはふと問いかけた。
「……なんで、直せるの?」
美晴は答えない。集中して、導力石の選定を行っていく。
どの役割があって。何がまだ使えて。どう繋がっているのか。どれがまだ使えるのか。アイラが今までやっていた動けばいいだけのものとは違い、その手つきが、意志を語っていた。
──貴女を救いたい、なんて口に出さない。
でもその"手の動き"が、美晴の真剣な気持ちをアイラに伝えていた。
「……シカトかよ。勝手にすれば」
アイラの吐き捨てるような声。
けれど、その奥には、確かに何かが揺れていた。
あまりにも小さな揺らぎ。けれど、そこに確かな心の動きがあった。
●
夕暮れの戸山団地。
中庭では、子供たちが遊んでいた。
ブランコのきしむ音。どこかから響く笑い声。
ボールを追いかけて、駆け回る子どもたちの影が、コンクリートの壁に伸びている。一見すれば、どこにでもある夕方の景色だった。
清春は煙草を吸いながら今日一日かけて調べた事を頭の中で纏めていた。
(美晴ちゃんの無事は確認。あのメイド姉妹と一緒だったな……)
アイラを慕っていたメイド姉妹と一緒に行動しているのが団地の上から見えた。
酷い目に遭ってはなさそうで安堵している。もし万が一が合ったら道征を雇い直してでも必ず落とし前はつけるつもりだ。その後、男達に襲われかけていたが、清春が助けに入る前に変な女によって助けられていた。
(相当な手練れだったな……。あのレベルの魔術師なんか滅多にお目にかかれねェ)
血継魔術師の可能性は低い
特殊な魔術印が見えたからだ。あの独創性。展開の速さ。威力まで含めて評価している。団地にあんなバケモノが居る。龍頭のボスだって一筋縄ではいかないのに不安要素は増えていくばかりだ。
(龍頭のボスね……)
清春自身で使っている情報屋から送られて来たファイルを読む。
龍頭のアジア地区のボスは白龍と黒龍と呼ばれる双子の兄弟。だが、黒龍は数年前から行方不明。今いる状況と照らし合わせると幾つかの謎が解けていく。
眼下に人の集まりがある。
そこに白い服の少女と、黒い服の青年が立っていた。
そして彼らの周囲を囲むように、子供たちが集まってそれぞれに過ごしている。
「ここに居たのか」
一人は、まるで煤けた影法師のような男。全身を覆う漆黒の装束。顔を覆い隠す髪。昨日見た白龍と瓜二つであり、色は対照的でもある。行方不明とされていた黒龍がそこに居た。
隣に立つ少女は、対照的だった。
透き通るような神々しさを覚える少女だ。光に濡れたように艶めく唇。
まだ幼くも見えるのに、その存在感だけは異常に濃く──まるで風景から浮き上がって見えた。景色の中で少女は何も語らない。だが、黒龍は、まるで神に祈るかのように、彼女の横顔に静かに言葉をかけ続けていた。
哀願するような眼差しで、何かを説いていた。
黒龍の声は届いているようには見えない。
少女は、何も答えない。けれど……それが自然なのだと、周囲の子供たちは思っているようだった。清春はその光景を見下ろしながら、口の中で言葉を呑み込んだ。
(まるで、神と信徒の儀式だな)
恋人ではもない。あれは組織でも、家族でもない。
教団に近い。いや、もっと原始的な――崇拝。
そのとき、階下から子供たちの話し声が耳に入った。
「昨日、またあっちの部屋、入れ替わってた」
「ほんと? でも……あそこ、特別な子しか入れないんでしょ?」
「うん……見られちゃダメって言われた」
声に怯えはない。ただ、当たり前のルールを守るような調子。
だが、その中に含まれた異常は、清春の耳には焼きついた。
(特別な子……?)
何かが隠されている。
どこかの部屋で、何かが行われている。
それを日常として受け入れているこの団地の子供たち。
そしてその“日常”の中心にいる、あの白い少女。
清春の視線が彼女に吸い寄せられる。
彼女は夕陽の中に立っていた。まるで神像のように、美しく、そして不気味なほど静かに。
(あの女……ヤバい)
冷や汗が、喉の奥を滑った。
それは魔術的な危機感ではない。もっと根源的な──
「見てはいけないものを見た」ときの、本能的な拒絶だった。
面白かったらブクマ評価等お願いします。
またも遅くなって申し訳ありません。
一週間の半分ぐらい鬱みたいになって過ごしています。
元気な時と元気じゃない時の差に悩んで生きてます。
少しずつですが投稿も再開していきます。よろしくお願いします。




