前科57:今日も愛を探して
冬の冷たい風が頬を切り裂くように吹いている。
その中を在原清春は目立たないよう、マフラーで顔を寒さと視線から守るようにして立っていた。高台から見下ろす視線の先には一人の女が歩いている。──ずっと昔に別れた清春の母親だった。子供の頃の母はやせ細っていたが、今は標準的な体型のようで少しだけ胸を撫でおろす。
「良かった」
口から感情が零れ出た。普通に暮らしていてなのか、生きていてなのかはわからない。
在原家の目を盗んでようやく居場所を突き止めたが、長居は出来ない。監視の目を誤魔化す時間にも限度がある。在原家に引き取られてから、家の権力の強大さは嫌という程わかっている。親元に帰して貰おうと反抗した、中学から高校の間で起こした全ての違法行為は表に出る事無く全て揉み消された。
(相手は強大。だから、逆に権力を利用して力を持とうって事に気づくのが遅すぎたんだよな)
清春の血継魔術の解析で在原家は更に力を増していった。
シェアを握っていた魔導力にその解析結果のノウハウを詰め込む事で更に企業は大きく成長している。その中で少しずつだが、己の優れた容姿を使って女から身内に取り込んでいくことに決めた。義理の姉や親戚とも嫌悪感を表に出さず行為に耽った。ある時は有力企業の令嬢。魔術貴族の未亡人。公安の女。ありとあらゆる女達の間を渡り歩いて、ようやく清春は居場所だけは突き止めたのだ。
(帰ろう……)
話す事なんかできない。記憶を消してと願ったのは自分だから。
母にも生活がある。それでも何時か、在原の実権を握ったらもう一度親子に戻りたいという願望があった。それだけを心の支えにして生きてきた。踵を返して立ち去ろうとすると、母が手を振っていた。──自分にではない。
視線の先には親子の姿があった。壮年の男性と小さな子供の姿だ。
「ママーーーー!」
子供が叫んで母へと駆け寄っていく。それを呆然と見つめていた。
嘘だろう。そんなわけがない。だが、心のどこかでわかっていた。まだ若かった母が、誰かと結婚して子供をまた作るという事は不自然ではないと。ずっと現実から目を背けていただけ。子供を抱き上げて幸せそうな母の顔が見える。自分が見ていた疲れた横顔とは違う。
本当の幸せを母が手にしたという事がこれ以上なく伝わってきた。
「そりゃ、そうだよな……」
もう二度と還る場所が無くなってしまった事に、どこか諦めと混じりの笑みと涙が零れて清春はそう呟いた。
●
対峙する二人の距離は十メートルを超えている。
一歩ではたどり着けない距離。動いているのは、清春の氷がじわりじわりと地面を侵食している事ぐらいだ。魔術科対血継魔術科の最終決戦は静寂に包まれている。空気は張り詰める程に重い、一旦颯太が魔闘術を解除しているからか睨み合いが続いているのだ。
(──って事はだ。時間制限があるって事だよな。アレは本来、嘉納先生だからこそ成り立つ技なんだから)
膨大な魔力を持とうとも、清春はあの魔力の圧縮は出来ない。血継魔術科で今の所成功しているのは梢子だけだ。それでもまだ実戦レベルには程遠いので梢子も使っていない。血継魔術とはまた別の才能がいるのだと清春は認識していた。それを血継魔術師でもない人間がやってくるのには驚いたが、こういった隠し玉とこちらの慢心を突かれて自分達は追いつめられたと状況を静かに判断する。
(マロ先輩もタイマンじゃ負けねぇって慢心を突かれた。──オレは食われねぇぞ!)
冷気を身に纏う。この冷たさが、痛みが己を突き動かす。
自分達の居る選ばれた天才という領域に、中途半端な才能で踏み込んでくる颯太の存在は酷く不愉快だった。さりとてその強さは紛い物ではない。だから、全力で叩き潰す。魔力も大分消耗してしまったが、全身全霊を懸けて倒すと決めた。自分達の領域をこれ以上侵されない為に。
「マジかよ!」
清春が手を振った一瞬で視界が氷柱の嵐に染まった。颯太は退路も防御魔術もこの質量では意味を成さないと判断した。前に弾丸のように飛び出す。清春はふわりと氷の上を滑りながら後ろへと移動している。距離を取られては圧倒的に不利だというのは向こうもわかっている。清麻呂のように正面から殴り合ってくれないのは颯太にとって大分厳しい。
(俺を、倒すべき敵だと認識したって事だな)
血継魔術科にもう慢心はない。厳しい状況な筈なのに、颯太は笑った。
いつかお前達の視界に入ってやると、ずっと訓練を続けてきた。その努力が報われたように感じたからだ。氷を割るように強く踏み込み、身体強化魔術だけで肉薄する。魔闘術は近づいてからしか使えない。もう発動時間は数分も持たないのだ。だが、格闘術なら己の方が上だと颯太にも自負がある。ずっと鍛え続けてきた。遊んでいた奴らに負ける気がしなかった。
「早ぇな!」
清春が氷柱の剣を手に振ってくるが所詮素人剣術だ。
ピンポイント防御魔術と格闘術で簡単に対処できる。だが、その合間を縫って死角からくる氷柱が怖い。颯太が一瞬振り向いた先を氷柱が掠めて行った。そこで颯太が魔闘術を再び展開した。清春は後ろへと移動しようとしたが、その先には不死川の炎がまだ燃えている。清春の氷の地がそれ以上展開できない。距離を詰めて颯太が黒い魔力を纏った拳を、身体強化魔術を展開し大きく跳躍して回避する。
(殺った──っ!)
空中で回避は難しい。次のステップで追いついて勝ちを確信した颯太だが、清春はそのまま宙に浮いている。足元には氷の足場がある。空間への固定もできるのかと歯噛みする。正に選ばれし者のみのイカれた魔術だと口に笑みすら零れた。颯太自身が使える血継魔術と比べると雲泥の差がある。だが、颯太は絶望していない。まだ想定内である。
「行けッ──!」
黒の魔力の塊を上に打上げ、次の瞬間分裂し雨のように降り注いだ。
魔闘術の黒い魔力は純然たる破壊のエネルギーだ。これは嘉納も使っていない颯太オリジナルの技である。上からの雨のような攻撃。清春は氷で防御しようとするが躊躇ってしまう。嘉納の魔闘術の破壊力が脳裏によぎってしまうからだ。威力は未知数。わかっているのは当たったら負けという事。清春は氷の足場から飛び降りると颯太と魔術から距離を取るように再び逃げ始めた。
「そうなるよなっ!」
そう読んでいた颯太も加速し走り出す。もう時間がない。清春にここで致命傷でも与えない限り魔力切れで敗北だ。清春が氷柱を展開してくるがそれを気にせず拳で払い、再び近接戦へ。
「かかったな」
ニヤリと清春が笑った。清春の背後から氷が地面からせり出し、巨大な氷の巨人が顕現した。
清春の残りの魔力の8割近くを使った必殺の一撃。氷の巨人は片腕30メートルはありそうな巨大な拳を組み、叩き潰すようにして颯太へと振り下ろした。清春の必殺の一撃である。ここが勝負所であると颯太も判断した。動きを止めて拳を待ち構える。このまま圧殺されそうな勢いで氷が迫るが心は穏やかだった。少しの余力を残し、頭の中でイメージをする。何度も映像で見直した光景をトレースできるように。
「樋田先生。やってみますよ」
樋田が見せてくれた30年前の記録映像。嘉納が当時使っていた魔闘術データをそれこそ擦り切れる程見て来た。アダマンタイトですら粉々に吹き飛ばす魔闘術の極意。見様見真似で成功させるしか勝ち目はない。体の動き全てと魔力の放出を同時に突き出す必殺の一撃。強大な氷の拳目掛けて跳躍し、颯太の小さな拳が激突した瞬間。氷の巨人が粉々になって消し飛んでいった。同時に、颯太の右腕も血が噴き出し、変な方向へと嫌な音を立てて曲がった。憧れの一撃には少しだけ及ばなかった。嘉納はこれより巨大な物体を傷一つなく破壊していたから。それでも、颯太は満足していた。清春の驚愕に染まった顔を見る事ができたからだ。
「クソがあああああああああああ!」
半狂乱になった清春が氷柱の雨と共に突っ込んでくる。隙だらけだった。ステップで避けると、残った残滓のような魔闘術の黒いオーラをかき集め清春の腹に叩きこむ。腹が爆発したような衝撃に肋骨までもが砕けていく感覚があった。清春の口から血が溢れだし、ボールのように吹き飛んでいく。
「強ェ──!」
思わず口から本音が漏れる。意識だけは舌を噛んで保っていた。負けたくない。その一心だけで痛みに耐えている。肋骨も内蔵も滅茶苦茶だ。呼吸するたびに吐き気と共に血が奥から溢れてくる。清春は立ち上がって颯太を見据える。向こうも右腕が滅茶苦茶で、魔闘術はもう使えないようだった。魔力はまだ少しだけ余力がある。意識を断たれてはおしまいなので攻撃よりも防御に集中する事に決めた。
「なんなんだよこいつ……!」
会話する気なんかない。血を吐き出すと同時に言葉を漏らしているだけだ。
氷柱を地面から突き出すも颯太が前に出る方が早い。ステップでかわされ、そのまま飛んで膝蹴りを清春の胸に叩きつけた。あれだけの威力の後にそんなものをくらっては発狂する程の痛みが走るだろう。だが、清春は耐えた。吹き飛ばされながらも氷柱を展開し、颯太に叩きつける。流石に反撃を予想していなかった颯太の脇腹にフルスイングで氷柱が叩きこまれてはひとたまりもない。お互い呻き声と血を吐き出し、それでも意識は繋いでいた。
「バケモンかよ……!」
今度は颯太が驚きに目を見開く番だった。
血継魔術科で一番不真面目な生徒だから狙った筈であった。現に、この一年で全く成長していないのが清春だけだった。清春を見るも目が死んでいない。ぎらついていて、今にも己を殺すとばかりの殺意に満ち溢れていた。もう魔力も殆どないのかカッターナイフを取り出して迫ってきた。──直線的なカッターの突きを下から左手で弾き、ヘッドバット。清春の体がぐらりと揺れた所に、側頭部目掛けて右のハイキック。右腕が折れている分威力は半減しているが、それでも致命的な一撃だ。
「あっ……」
ぐわんと衝撃に世界が揺れて清春は後ろによろけながらも何とか踏ん張る。
何も音が聞こえない。視界が揺れて世界が認識できない中、カッターナイフが宙を舞っているのがスローモーションで見えた。
(母さん……)
かつて母がくれたお守り代わりのものだ。清春と母を繋ぐ唯一のものである。
肉体の限界値を精神力だけで繋ぎ、これ以上なく完全に集中した状態の清春は、カッターナイフに手を伸ばそうとした。視界の端では、颯太が自分にトドメをさそうと動き出したのが見える。それでも清春は手を伸ばした。
負けたくねぇ。
負けたら何も残らねぇ。
オレだって、人並みの温かい家族が欲しかった。真央が羨ましかった。
あいつが貰ってるような、無償の愛が欲しかった。
お前なんか要らなかった。
でも、お前以外何も残らなかったんだよ。
笑えるだろ。
本当に何も残らなかったんだ。
残ったのはお前だけなんだ。
これで負けちまったら、俺の人生なんだったんだってなっちまうんだ。
だからさ。
──こいつに、勝たせてくれよ
心の底からの純然たる願いに魔力が反応し、ある現象が起きた。清春はカッターナイフを掴んだ。颯太を迎え撃つために。 カッターに空気中の水分が纏わりつき氷の剣と化す。颯太はまだ迫ってきていない。──いや、止まっている。走っている態勢のまま何も動かない。そもそも、こんな状態で何故舞っていたカッターを掴めたのだ。疑問よりも先に、体が動いていた。
大きく振りかぶり、カッターに纏わりついた氷の剣で正面から颯太を重いきり叩きつけるように斬り伏せた。直後、残っていた魔力のほぼ全てがごっそりと消え失せ、氷の剣すらも維持できなくて霧散していく。颯太は大きく仰向けに血を流して倒れた。
「何が……」
状況が全く掴めない。敵を倒したがまだ戦いは終わっていないようだ。終了のゴングは鳴らない。
清春ももはや氷結魔術を維持できない状況まで追い込まれていた。周囲の全ての氷が溶けて水となって流れていく。全身が痛くてもう一歩も動けそうにない。このまま颯太が失血死するまで意識を繋いでおこうと舌を噛む。だが──
「、ま、、、まだ、だ……」
血を流しながらも鈴木颯太はゆっくりと立ち上がった。出血が酷い。
ああ、と薄ぼんやりとした意識の中で颯太は気づいた。数年ぶりに自身の血継魔術が発動していると。美鈴の狂化の下位互換。姿形は変わらない簡素な肉体強化の血継魔術。あの日、認められなかった時に捨てた魔術のお陰で今立っているのだと。
「嘘だろ……」
一方で清春の心は恐怖に染まっていた。致命傷の筈だ。普通だったら立ち上がれない筈だ。何をどうしたらまだ立ち上がれるのだ。颯太の目を見る。死んでいない。光がある。清春も認めざるを得なかった。──相手は、今までで最強の挑戦者であり、自分と同じような決意を持った同格の存在であると。
●
「それがお前の覚醒かっ!! 清春!!」
嘉納が興奮気味に言葉を吐きだした。見事な戦いだと拍手喝采を送りたい程だった。
横で戦況を見守っていた樋田も颯太が立った事に少しだけ目を赤くしている。気を取り直して一度咳ばらいをすると、嘉納に問うた。
「時間を止めた……? いや、凍らせた?」
「検証してみなきゃわからないが、颯太君の動きもカッターナイフも全て止まっていたね」
清春の氷結魔術が一段階上へと進んだ。血継魔術師とはいえ、東京魔術大学の生徒である。樋田も素直に嬉しい。この勝敗も気になる所だが、真央の覚醒も樋田は気になっていた。あの瞬間、嘉納が見た事のない表情をしていたのを覚えている。
「素晴らしい名勝負だった。君たちの狙いは清春だったみたいだが、そう上手くはいかんだろう」
「作戦ミスだったのは認めます。他の子ならこうはならなかったでしょうしね」
在原清春という生徒を見誤っていた。だが、それ以上に得るものが大きかった。血継魔術科の評価は散々だろうが、魔術科は違う。不可能と言われた血継魔術科への勝利にここまで肉薄しているのだ。桜子や颯太の進路も大きく広がるし、下級生達の評価も変わる。
後は、一撃入れるだけだ。ここまで来たら思いが強い方が勝つのは明白だ。
「冷静な方が勝つだろう。この見つめ合ってる時間に、どれだけ普段の自分を取り戻せるかだ」
「体力はうちの颯太。冷静さは在原君の方が余裕がありそうですね」
生半可な鍛え方はしていない。颯太が入学以来日々努力してきたのを樋田はずっと見て来た。
鍛えに鍛えた体だからこそあの状態でも立てる。何度も挫折して泣いて来たからこそ、心が折れずに立てているのだと樋田は感動すらしていた。嘉納もまた清春の勝利への執念に心震えていた。あまり本音を表に出さない子だが、清春の本音を初めて見れたような気がする。傍から見れば遊び惚けているようにしか見えないが、それでも彼なりに目的を持って毎日頑張っていた事は嘉納にもわかっていた。
「動くぞ──」
嘉納の言葉と共に先に動き出したのは颯太だ。リーチも体格も清春より大きい分、純粋な殴り合いなら圧倒的に分がある。三年間愚直に鍛え続けてきた成果だ。ほぼほぼ致命傷だがあそこまで動けてしまう。迎え撃つ清春は氷柱を展開しようとしたが上手く顕現できない。もはや魔力切れの状態に近い。空気中の水分を集めて凍らせる程の魔力もない。だが、清春はカッターナイフで自分の掌を肘まで大きく切り裂いた。
「あああああああああああああ!!!!!」
「おおおおおおおおおおおおお!!!!!」
獣のような雄たけびを上げ、2人が接近する。颯太は拳を大きく振りかぶり、清春もまた大きく振りかぶった。リーチの差は圧倒的に颯太に分がある。二人の拳が交錯する瞬間、清春の手から流れ出た血が暴れだし、氷の塊となって颯太の顔面目掛けて広がっていく。
「そこまでするか、清春──!」
周囲の水分を凍らせる事が出来ないのならば、己の血で。清春の最終的な判断は間違っていなかった。颯太の顔面に血の氷の塊が炸裂し、今度こそ意識が断たれて倒れた。「鈴木颯太:脱落」の表示が流れた瞬間、大量の血を流し過ぎた清春が失血死し「在原清春:脱落」の表示が流れる。一瞬の攻防だった。失血死しようとも試合には勝つ。在原清春の執念の勝利だ。
そして、通年よりずっと長い魔術科と血継魔術科の学科決戦に決着がつき、場内は一瞬疲れたようなため息の後、わっと巨大な歓声に包まれていった。
面白かったらブクマ評価等お願いします。
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