前科47:赤ちゃんプレイにすら本気になれない奴は何をやってもダメ。
伊庭八代は悩んでいた。それはもう悩んでいた。
「はーい。八代くん。ごくごくしましょうね~」
「んまんま」
妹におしゃぶりを外され、哺乳瓶に入れられたオレンジジュースを飲み干す。
最初は記憶が曖昧だったが、昨晩には記憶を取り戻していた八代は周りの反応から己が幼児退行していた事に気づいた。梢子のおっぱいは見れなかった。その悔しさを晴らしたい八代はこの状況を利用して、何とかおっぱいにありつこうとしていた。一番近くに居てくれるのは妹の累だが、妹の発展途上国のようなおっぱいには一切の興味がない。目指すは先進国の大きなおっぱいだ。
「八代くん。私ご挨拶しなきゃならない方が来てるからちょっと抜けるね」
「まんまあー」
「はいはい。すぐ帰ってくるからね~」
再びおしゃぶりをはめ、手を振って去っていく完全に騙された状態の妹の姿を見て「累ちゃん頭大丈夫かな?」と流石に兄として心配になってきた。それとも己の赤ちゃんの演技が完璧すぎるのだろうか。挫折したAV男優の夢をもう一度目指す時が来たのかもしれないと考える。赤ちゃんプレイは全力でやるのが男の矜持だとかつてザビエル先輩が言っていた。だからこそ八代は全力で赤ちゃんを演じている。日頃の奇行と全身全霊の赤ちゃんっぷりのお陰で、八代の命と尊厳は守られている状態だった。
(さて、と……)
合法的におっぱいを吸う方法は一つしかない。授乳して貰うまで泣き止まない事だ。
さりとて、母乳が出る女性などこの限られた場には存在しないし、授乳プレイまでしてくれる可能性は限りなく低い。妥協案としてはおっぱいを触らせる事で己が泣き止む事を証明しなくてはならないのだ。
「ふぇっ……ふぇっ……ふええええええええええん!!!!!!!」
八代は全力で泣いた。心の底から涙を絞り出して泣いた。
二十代の男がおしゃぶりを口から吐き出しながら大泣きしているのはやはり会場中の注目を集める。八代の存在は忌避されているので周りの大人は黙殺するしかない。それをわかっていた八代の狙い通り、めんどくさそうな顔で梢子がやってきた。
「おいコラうるせーんだよ! 息の根止められてぇのか!」
「ちょっと。伊庭君は幼児退行してるのでしょう? 優しくしてあげなさいよ」
梢子が狙いだったが、桜子も釣れたのは予想以上の釣果だった。
累がこちらを気にしていたが相手は大物政治家だ。梢子が来てくれた事により会話に戻ったのを確認すると八代もほっと一息ついた。
「まんまあー」
手を差し出し抱き着くようなそぶりをすると梢子と桜子は警戒心を露わにして少し距離をとる。
「チッ」と八代は舌打ちしたいのを堪えて目をうるうるとさせた。情の無さそうな梢子はさておき、桜子へとターゲットを変えた。目を擦ってぐすぐすと下を向いて泣き続ける。すると、頭の上に優しい手の感触があった。桜子が優しく頭を撫でてくれていた。
「よしよし。男の子でしょ? 泣かないの」
「まま……」
素で出てしまった。これがバブみという奴かと八代は一人感動する。
年上のお姉さん最高!とテンションが一気に上がったが、八代は野生動物のように冷静だった。すぐにおっぱいを求める事はせず、そのまま赤ちゃんのフリをし続けた。獲物が完全に信頼するまで時間ギリギリまで粘るのが真の狩人なのだ。
「あら泣き止んだ。伊庭君もこうしてみると可愛げがあるものね」
「どこがだよ。頭イカれてんのか」
母性の欠片も存在しない女目掛けておしゃぶりを八代は投げつけた。
「このクソガキ」と怒りに震えた梢子が拳を振り上げたが桜子が止めに入る。この反応を見て桜子はあと一押しだと八代は判断した。全身全霊をかけて赤ちゃんっぷりを再現し、再度「おっぱい」を求めようとした時だった。
「桜子先輩。大丈夫っすか?」
山崎がこの場に乱入してきた。邪魔をするなとにこにこ八代は笑いながら殺意を込める。
山崎は八代の頭に手を置いて撫でているフリをすると、力を込めている事を悟らせずに万力のように八代を締め付けた。
(テメェ、人格戻ってやがんな!? 桜子先輩に触るんじゃねぇ!)
(うるせぇバカ! 元はといえばお前らの所為でこんな事になったんだから楽しませろ! フラれた男はあっちいけ)
(させるかよクソボケ! お前みたいなバカに桜子先輩を任せられるか!)
(残念だったな! あのおっぱいは僕が今から頂く!)
目線だけで意志の疎通ができた二人は、表向きはきゃっきゃ遊びながらお互いを何時でも殺す気で居た。
「なんだ八代。高い高いしてほしいのか。しょうがねぇな……!」
全力で天井に叩きつけて殺害しよう決めた山崎が八代の体を掴む。それを悟った八代は「ふええええ」と泣き喚き抵抗をした。演技力は八代の方が上だった。桜子に「やめなさい」と窘められて力が抜けた。それ幸いにと八代が隙をついて桜子へ抱き着こうとする。このままでは好きな先輩の乳があんなゴミクズに触られてしまう。山崎の脳が人生最大にフル回転を始めた。
「あっ。姫先輩パンツ見えてる!」
山崎が言葉を絞り出した。──男という生き物は本能に抗えない生き物である。
パンツ見えてる、と声が聞こえたら例えそれが老婆だとわかっていてもそちらを向いてしまう悲しい習性があるのだ。八代もそれは例外ではない。桜子のおっぱいに飛びつこうとしていたが、体を急回転させ梢子の方を向いてしまった。その動きの俊敏さたるや赤ちゃんというよりは獣であった。
「あっ……」
梢子の方を向いた八代は己の作戦が失敗した事を悟った。
殺意が籠った視線を四方八方から感じる。正面に立っている梢子だけがニヤリと笑った。
「後ろ見てみな。テメェの死神が手ぐすね引いて待ってるぜ」
恐る恐る後ろを振り返ると、累が立っていた。何時もの優しい妹の表情ではなかった。
目は怒りに満ち溢れ、硬く握った拳の間からは血が流れていた。そして、ごとりと音がして巨大な剣が累の手に握られると、
「本気で心配してたのに…………。元に戻るまで面倒見なきゃって思ってたのに……」
言葉の後に、無慈悲な大剣が八代目掛けて振り下ろされた。
パーティーも中だるみのような雰囲気に変わってきていた。
粗方の挨拶回りも終わり、在原家一同は専用の観戦ブースへと案内されている。東魔大に数多くの援助を行っているので最高級の待遇だ。ずらりと在原会長御付の人間達に囲まれながら、清春はポケットに手を突っ込んだまま会長の前に立っていた。
「清春君。──随分と大変な事になっているみたいだね」
「別に……。アンタには関係ないでしょ」
「君のサポートが我々の責務だからね。関係ないってわけにはいかないのさ」
在原会長が首を振って周りの人間に合図をした。清春が動こうとした直後には既に捕縛魔術が発動していた。血継魔術を発動する間もなく体を拘束された清春に、男達が注射器を撃ち込む。再び清春の体が熱くなり、体が溶けるような感覚に陥っていく。
「ナノマシンと魔術を組み合わせる技術なんて村松君もとんでもないよね。刑務所にさえ入ってなければウチで使ってあげるのに」
ぼやくように在原会長は清春の方を一瞥すらせずに呟いた。
熱く痛みに苦しんだのは一分程だ。清春が再び己の体を見た時には胸はしぼみ股間にも感触がある。
体が元に戻ったようだった。ずっと感じていた胸の重さも体の倦怠感も全てなくなっている。
「どうかな清春君。これで戦えるよね。今度、君の血継魔術を応用した新商品がまた出るからね。その威力を来賓の方達にしっかり示してほしいんだ」
「……そらどーも。普通にやったって負けないけどさ」
声も元に戻った清春は何とか立ち上がってそう吐き捨てるように言った。
この男に情なんてものは存在しない。清春自身に利用価値があるから丁寧な対応をとっているだけなのはわかっている。在原家は使えるか、使えないかの二択しか存在しないのだ。その為、血縁はあっても暖かい家族の繋がりというものは存在しない。兄も姉も母も笑顔を浮かべて清春を見ているが、誰一人としてその体調を心配する人間なんかいなかった。
「私もそれは信じているよ。ただ、世の中には万が一という事もあるからね。君にはもう帰る場所なんか無いんだから、しっかり励みなさい」
「どういう意味だよ?」
「この前、産みの親に会いに行ったんだろう? 私に言ってくれれば、何時でも住所ぐらい教えてあげたのに」
清春の顔が驚愕に染まった。在原家に来て以降、母親への未練は断ち切ったように演じてきた。
会長の妻を母と慕ったふりをし、どんなに辛い事があっても泣く事はなかった。全ては、母に安心して人生を歩んで貰う為だ。自分の容姿は武器になると判断し、在原家内部で力をつける為に何人もの女と愛のないセックスを繰り返した。女から女へと人間関係を移動し、公安部の女とも寝た。身代わりや情報漏洩対策も何重にも策を張り巡らせ、姿を見れた時間なんて1時間も無かった筈だった。
「どうしてそれを……!?」
「私に言わせれば君はまだ甘い。女は疑似恋愛とセックスだけじゃ縛れないよ。本懐を遂げたいのであれば、優しさなんか捨ててしまいなさい」
「ッ……」
「幸いな事に、あの子は君とは違ったよ。──君にとってはそっちの方が辛いかもしれないけどね」
「黙れ……ッ!」
清春とてまだ20歳だ。在原グループの総帥まで登りつめた男とは人生経験の桁が違う。
ここまで見透かされてしまっては、何も言い返せない。母の件もバレているのであれば、清春は手綱を握られた状態にも等しい。雁字搦めにされたような錯覚に陥る。在原家は基本的に放任主義だ。何をやっても清春は怒られた事すらない。どれ程金を使おうとも、どれ程女と揉めても、事務的な報告が来るだけなのだ。上手く処理はした、と。無味乾燥な手応えのない人生を送ってきた。
「──では黙ろう。話はこれで終わりだ。清春君、一生懸命励みなさい」
その言葉で在原家の人間は全員清春への興味を失った。
何事もなかったかのよう、清春なんて居ないかのようにそれぞれの仕事をこなす。清春はとぼとぼと観戦ブースから出ると、行く場所も無いので力無い足取りでパーティー会場へと戻る事にした。
「ごめんなさあああああああああいっ!!」
「八代くんのバカッ! 最低!」
途中、廊下で八代が半泣きで巨大な剣を担いだ累から猛スピードで逃げて行くのとすれ違った。心がもやもやとする。あんな馬鹿を羨ましいと感じてしまう己の弱さに怒りが湧いてくる。会場に戻ってみると、パーティーはほぼ終了したのか人数が半分以下になっていた。それぞれのグループが幾つか固まっているぐらいか。その中にひと際楽しそうな集団があった。
「兄ちゃん頑張ってねー」
「絶対勝てるって!」
家族連れだった。その中心に居たのは魔術科三年の鈴木颯太である。
東魔大のレセプションパーティーに家族を連れてくるのは非常に珍しく、妹や弟といった家族に囲まれていた。颯太は部屋に戻ってきた清春の存在に気づくと、爽やかな笑みを浮かべて寄っていく。
「よぉ、二年の在原だよな。お前だけどっかいっちまって、挨拶できなかったんだよ」
「挨拶……?」
「この後戦うじゃんな。正々堂々頼むぜって事でよろしく」
そういうとにこやかな笑顔で手を差し出した。握手を求められているようだ。
仕方がないとばかりに、清春は手を握り返す。心の底からどうでもよかったからだ。
「今年こそ、魔術科が勝たせてもらうぜ」
怒りが再び沸々と湧いてきた。恵まれた家族。温かい仲間。そんな温室育ちが血継魔術師と肩を並べようだなんて烏滸がましい。清麻呂も梢子も真央も八代も血継魔術の所為で酷い人生を歩んできた事は清春にだってわかっている。
「俺達の領域に入ってこれると思ってんのか。めでたい奴らだな」
血継魔術師は至高の魔術。天才だけに許された魔術だ。
自分達の領域に幸せそうに暮らす凡人達が入ってこようとするのは清春にとって酷く不愉快な出来事だった。最愛の人間の為に全てを投げ捨てた清春に残ったのは、氷結魔術だけ。それ以外は何も残らなかったからだ。だからこそ、許せない。
「二度と立ち向かえないよう、すり潰してやる」
握手の手を放し、耳元で颯太に囁くと清春はその場を後にした。その顔には、徹底的にすり潰してやると嗜虐的な笑みが張り付いていた。
2022年も終わりですね。今年一年お世話になりました。
年内で下品な話を終えたので次回から第二部最後まで今までに比べ真面目な話になります。
というわけで面白かったらブクマ評価等お願いします。
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菊姫梢子美顔器バイブ事件をつい最近置いておきましたのでよければどうぞ。




