前科45:男という生き物に卒乳という概念は存在しない。
朝から男達の様子がおかしい、と伊庭累は訝しんでいた。
庭に並べられたテーブルの上で兄御手製のポーチドエッグをフォークでつつきながら周囲を見渡す。
今日は流星寮BBQ大会の日だ。朝から男達は準備に明け暮れ、昼を過ぎた辺りから色々な人が集ってきている。
(これだけモザイクがない景色も珍しい……)
流星寮に滞在して二日程だ。モザイクだらけの景色から一転、男達がきちんと服を着てBBQを楽しんでいる。モザイクが晴れると普段見えなかったものも多く見える。例えば、寮生には見えないスーツを着た人間が居たり、牧師のような恰好をした者も居る事に累は気づいた。炊事場では黒人が米を研いでいるし、気品の漂うイケメンがワイングラスを片手にプロジェクタースクリーンで累と同年代ぐらいの少女が跳ねる映像を流している。カオスとしか表現しようのない景色だった。
「どうも、お疲れ様です。ご一緒しても?」
声をかけられた先、視線を上げると美鈴の姿があった。
兄の後輩だと少し前に紹介を受けていたが、現在は気まずい関係だった。伊庭と西園寺はそこまで良い仲ではない。それは些細な話だが、美鈴の言っていた全裸の変態の正体が自分の兄だったのが何よりも気まずかった。
「美鈴さん……。その……」
「皆まで言わなくても大丈夫です。私は先輩後輩の関係程度ですが、アレが身内だった時の恥ずかしさは想像を絶するでしょう」
どこか生暖かい視線の美鈴の気遣いが痛かったし、とんでもない事を言われているなと思ったが言い返せなかった。兄の"アレ"を毎回のように見せられているのであれば、累からは何も言えない。
「しかし、あんな能天気な生き物が兄というのも何処か羨ましいと感じる時もありましてね。我々のような特殊な家族なら猶更」
「それは、少しあるかもしれません。八代くんは本当に伊庭の中でも異端ですから」
「普通の家族でも異端ですけどね」
一刀両断という言葉のように切り捨てる美鈴の言葉が面白くて累は思わず吹き出してしまった。他の兄達も嫌いではないが、頭の先からつま先までどっぷりと伊庭家という異様な家の人間だ。美鈴も西園寺という大きな一族の直系なのだからそういう事もわかるのだ。
「美鈴さんとは気が合いそうですね。これからも兄共々よろしくお願いします」
「兄の方は要りませんけど、私も伊庭の直系と仲良くさせて頂けるのは光栄です。この中で数少ない常識人のある方なのでこちらこそお願いしますね」
美鈴がそう言うと盛り上がっている面々の方を見た。
男達と菊姫梢子が泥酔して大騒ぎを始めている。段々とモザイクが累の視界にも増えてきていた。あれに巻き込まれては敵わないと累は身震いをする。弁慶もここしばらく姿を見せていないのもあってか美鈴の存在が頼もしく思える。
「おっはよー。美鈴ちゃん! 置いてくなんて酷い!」
そんな話をしていると元気な声が聞こえて千ヶ崎真央が現れた。後ろにはだぼだぼのパーカーを着た女の子を連れている。元気そうな真央と比べ片方は意気消沈しているようで俯いたままろくすっぽ反応がなかった。
「何回も起こしましたけど、起きなかったじゃないですか。──おはようございます。千ヶ崎先輩」
「ごめんごめーん。あら? こっちの子は美鈴ちゃんのお友達?」
「ええ……。累さん。詳細を明かしてしまってもよろしいですか? こちらも血継魔術科の先輩ですので」
「存じ上げてますので大丈夫です。──初めまして、千ヶ崎真央さん。伊庭家長女、伊庭累と申します。伊庭八代の妹に当たります」
立ち上がり恭しく頭を下げる累。一瞬何を言っているのか理解できなかった真央はぽかんとした顔を作った。
「や、八代にこんな可愛い妹が居たの……?」
「そんな事ないですよ。いつも兄がお世話になっております」
「別にお世話なんかしてないよ。一緒に遊んでるだけだよ」
天使のような営業スマイルを作りながら累は真央の事を観察する。
道明寺の件は知っているが、実物を見るとやはりどの家が欲しがるのもわかった。容姿人当り良し。家柄も面倒くさいしがらみがない。極めつけの血継魔術。どの勢力も欲しがるわけだと納得した。
「あっ。じゃあ私の自己紹介はいいよね。──美鈴ちゃん。累ちゃん。こっちに居る陰気なのが、在原清春。あたし達と同じ血継魔術科の二年だよ」
「はぁ……」
「あれ……?」
在原清春の名前は知っている。在原グループの御曹司の名前だ。美鈴も累も名前ぐらいは知っている。だが、男性だった筈だ。目の前に居るのは男が好きそうなスタイルの良い女の子だ。体のラインをぶかぶかの服で隠しているがスタイルの良さはそれでもわかってしまう。
「在原さんって男性だったような気がするんですけど……」
「私達の界隈でもかなり性に奔放な方だってお聞きしていましたが……」
美鈴と累の反応に真央は耐えきれなかったのか楽しそうに大笑いを始めた。「言われてるよー」なんて指さしながら清春を笑っているが、当の本人は顔を赤くして震えるだけで何も言い返せないようだった。
「コイツねー。怪しい精力剤飲んだら体が女の子になっちゃったみたいなのよ。ウケるでしょ?」
こいつもバカなのか、と美鈴と累は落胆した。特に美鈴の落胆が大きかった。
真央の他にも一人ぐらいはまともな先輩が居ると思ったが、これで会っていない血継魔術科は残り1人だ。菊姫梢子の同級生という事実から察するに望みは薄そうだ。来年に期待するしかないようだと心の中でため息をつく。
「どーも。在原清春です。──八代の妹の累ちゃんと西園寺ちゃんだったね。よろしく」
「どうしようもないヤリチンだから気を付けてね。まぁ、今ご自慢の"アレ"もなくなってるみたいだけど」
「真央てめぇ……。何時か絶対抱いてやっからな」
「まずは自分の身を守る事考えたら? 体が変わり過ぎて上手く魔術の展開できないんでしょ?」
ぐっ……と清春が声を詰まらせた。女の体になってから力が無くなったり妙に体が冷えたりと忙しい。何より血継魔術の展開が何時もより数段遅い。恨みを買っている自覚がある清春は流石にこれは不味いと真央の近くから離れられないのだ。既に悪寒のするような視線を幾つか感じている。流星寮の連中が何をしてくるのかわからない以上、真央の近くに居るのが一番安全であった。
「つーか、八代何処行ったの? あいつが誘って来たのに」
「八代くんずっと姿が見えないんですよね。探してきましょうか?」
「あたしの経験上、絶対ロクな事にならないから放っといた方がいいと思うな。とりあえず乾杯しよーよ」
真央が近くにあった紙コップに酒を注ごうとしていると、ふらりと八代が寮から出てくるのが見えた。珍しくきちんとした格好をしていた。眼鏡しているなんて珍しいなーなんて思っていると目が血走っている事に気づいた。そのまま八代は真央達には一切目もくれずダッと走り出す。目指すは男同士の尻相撲を肴に飲んでいる梢子だ。
「ひーめーせんぱーーーーい!」
猛ダッシュして距離を詰め跳びあがり梢子の前へと着地。後は振り返るだけだ。夢の景色がそこにあると興奮に胸を高鳴らせた。ぐるりと首を回した瞬間、茶色いものが視界に飛び込んできた。梢子の小麦色の肌──と思った瞬間視界が暗転した。衝撃と共に八代の体が吹き飛んでいく。眼鏡も無論粉々に砕けた。
「うるっせぇんだよ! 殺すぞ!」
梢子の強化された拳で殴られ吹き飛ばされていく八代を見て、全てを知っている流星寮の男達の顔が青く染まった。
(感づかれねぇようにここまで酔わせたのに……!)
(どんな防衛本能してんだよ……!)
(野生の獣か……!)
吹き飛んだ八代に興味がなくなったのか、梢子は再び酒を手に取って尻相撲の続きをやれと促す。
流星寮3年生組が慌てて尻相撲を再開する中、2年生組は八代へと駆け寄った。
「山崎! 寮からアレもってこい!」
「八代! しっかりしろぉ!? 見えたのか!? おい! 返事しろよ! 死んでんじゃねぇ!」
八代の頬を齊藤がぺちぺちと叩くが完全にノビているようで返事がない。
脈も呼吸もあるので生命に支障がないと判断した。そんな事をしていると、山崎がヘルメットが繋がった電子機器を持ってきた。慎重に八代の頭にヘルメットをかぶせ、機器を展開しモニターを立ち上げた。電源ボタンを押すと機械の起動が始まった。
「八代くん!? 大丈夫!? 皆さん何をしてらっしゃるんですか!?」
「八代の記憶を投影するんだ!」
田所の剣幕に兄のピンチに駆け付けた累は気圧されそれ以上は言えなかった。
彼らが起動しているのは流星寮内に長年放置されていたドクター村松の遺物だ。人間の脳から記憶を投影する魔導具である。八代が梢子の裸を見ているかもしれない。一縷の望みをかけて装置を起動する。
「ダメだ! 出力が上がらねぇ!」
「魔力が足りないみたいだ! どんどん突っ込め!」
「おうよ!」
流星寮の人間とはいえ世間的に見れば天才の部類に入るレベルの魔術師だ。魔力の量も無論多い。
そんな常人の何倍もの魔力を持つ3人が全魔力を叩きこむとどうなるだろうか。答えは子供でもわかるであろう。過剰出力となり機械が凄まじい振動と異音を発しているが、彼らはモニターに映像さえ移れば全てがどうでも良かった。ノイズ混じりの映像の中、八代の脳内映像が荒く出力されていく。梢子の太ももが見え──爆音。
「「「うおおおおおおお!!!???」」」」
機械が限界を迎えはじけ飛んだ。ヘルメットをかぶらされていた八代の体も爆発でぐるんぐるん回転し、流星寮へと突き刺さる。流星寮2年3馬鹿は爆発の衝撃で気絶したようだった。
「八代くーーーーーーーーーん!?」
累が悲鳴のような絶叫を上げて駆け寄っていく。梢子は騒ぎを気にせずゲラゲラと酒を飲んで笑っていた。流石にこれは助けないと不味いと判断した美鈴達も八代を救出しに駆け寄る。 そして、累と美鈴で協力して壁にぶっ刺さった八代を引き抜いた。
「う……んん……」
「良かった! 意識がある!」
「伊庭先輩。大丈夫ですか? 1+1は何かわかりますか?」
「……おっぱい」
「良かった。何時もの八代くんだ……」
「累さんも大分染まってきましたね……」
美鈴が血継魔術を発動して八代の体を軽く持ち上げ運んでいく。きょとんとした顔で運ばれている八代に妙に不穏な空気を感じた。空いていた椅子に座らせると、じぃっと周囲の人間を見渡した。良い大人がするような表情ではない。無垢な鳥のような澄んだ目をしている。
「おっぱい」
「ちょっと八代。妹ちゃんの前で下ネタばっか言うのやめなって」
真央が咎めるような口調で言ったが、八代は不満そうにそっぽを向いた。
「良いんですよ。八代くんおっぱい好きだもんねー。頭大丈夫? お水飲む?」
累が優しく言うが八代は再び不満そうにそっぽを向いた。
「何か態度悪いなコイツ。おい、八代。何時までもふざけてねぇで、一緒に元の体に戻る方法調べてくれよ」
「おっぱい!」
清春の胸を見て八代が急に興奮し始めた。駄々をこねる子供のように手をにぎにぎとさせている。正直、正視に耐えうる光景ではない。ここまで来ると、全員の脳裏に嫌な予感が浮かぶ。誰も口にしたくないようで言葉を発しない。やがて、美鈴が諦めたようにため息をついた。
「もしやこの方、幼児退行してませんか……?」
珍しく血継魔術科に重い空気が流れた。ただでさえバカな生き物が幼児退行している。どれ程面倒くさいのかが考えなくてもわかる。そして、ある事を思い出した真央が顔を青くして呟いた。
「そういや、明日学科決戦じゃんね……」
「しかも、大会前にレセプションパーティーもあるよな……。お偉いさんがいっぱい来る奴」
「在原先輩が女性になって、伊庭先輩が赤ちゃんになっちゃったなんて織田先輩が聞いたら卒倒すると思いますよ……」
どう転んでも地獄。誰もが暗雲漂う未来に沈黙する中、八代の能天気な「おっぱいおっぱい」の声が虚しく響き渡った。
面白かったらブクマ評価等お願いします。
Twitterで #東魔大どうでもいい話 で検索すると
私をフォローせずに東魔大のクソどうでも良い話が読めます。
よければどうぞ。
もうちょっとで下品な話終わって真面目な話が始まります。




