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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期:あの日の扉を開くために

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第1話 異形なる侵略者


 この手のひらに、いったい何が残ったのだろう。


 ふとしたときに、気が付けば考えている。

 前足から進化して、何かを掴み取るために発達したはずのこの両手は、なのにいったい何を掴めたと言うのか、と。


 ……ああ、何度繰り返せば気が済むのだ。

 どうやら、馬鹿みたいに同じことを繰り返す癖が、自分にはあるらしい。

 そんな疑問、とっくの昔に答えは出ているのに。


 何が残ったか、だって?

 決まっているだろう。



 ―――何も残りは、しなかった。



 何度繰り返したところで。

 何度やり直したところで。

 その答えが、変わることはない―――


「―――総員、傾注ッ!!」


 側近のベニーの声が、大指令室に響き渡った。


「魔王陛下のお成りである!!」


 大指令室のそこここに詰めていた20人以上の人員が、一斉に立ち上がって頭を垂れる。


 彼は――


 ジャック・リーバーは。


 ――大上段から彼らを見下ろして、厳かに告げた。


「面を上げろ」


 ようやく顔を上げた配下たちには、実に様々な人種が入り混じっている。


 人間。

 エルフ。

 ドワーフ。

 ハーフリング。

 竜人族。


 種族も肌の色も関係なく、彼らは一様に、畏敬の表情で己が主を見上げている。

 彼が未だ18歳の若輩であることなど、関係はなかった。

 カリスマは年齢に宿るものではない。

 彼らの表情が、そう告げていた。


 しかし、その表情以外にもう一つだけ、彼らに共通するものがあった。

 それは、一目すれば瞭然のこと。

 種族も肌の色も関係なく集った彼らは―――


 ―――誰一人の例外もなく、男であった。


「ベニー」


 魔王が一瞥もせず呼ぶと、隣に控える側近ベニーは「はっ!」と一瞬畏まってから報告する。


「奏上します。四個ゴブリン大隊、二個オーク大隊、三個ヒューマン大隊、一個マンティコア騎兵大隊――以上、地上制圧部隊が、すでにロウ王国首都ブレイディアを包囲してございます。

 加えまして、四個ワイバーン航空大隊が発進準備完了との報告が先ほど入りました」


 ジャックは無言で頷いて、大指令室正面に大きく広がる『千里眼モニター』を見た。

 パイのように細かく区切られた画面のうち、一番大きなものに映るのは、巨大な城塞都市を上空から見下ろした風景だ。


 ロウ王国首都、ブレイディア。


 堅牢な市壁の東西南北に設けられた門の外には、それぞれ黒い粒のようなものがひしめいている。

 その一つ一つが、魔王ジャック・リーバーに忠を誓った兵士たち。

 おぞましくも強大たる『魔王軍』であった。


「……圧倒的だな。こりゃ話にならねえ」


 皮肉げな、笑い含みの声があった。

 大指令室の壁際に、まるで見物でもするようにして、椅子に座っている男がいる。

 側近ベニーが、すぐさまその男を睨みつけた。


「アーロン・ブルーイット! 許可なく口を開くなッ!!」


「おお、怖いねえ側近サマは。昔は『アーロンさん』なんて言って慕ってくれたのによ」


(ボク)に意識を奪われた分際でよく言う!」


「へッ」


 鼻で笑ったダンジョンマスター――アーロン・ブルーイットを、ジャックは横目でじろりと見る。


「この戦力はアンフェアか?」


「いいや。んなこたぁねえだろう」


 かつては仮面で隠していた顔の右側を、指でぽりぽりと掻く。


「何せお前さんが向こうに回してんのは『世界』なんだからよ、魔王陛下。どれだけ戦力を整えたところで、過剰ってことはねえだろう」


「……は」


 魔王は息を漏らした。

 決して、笑みなどではなかった。


「俺が敵に回しているのは『世界』なんてものではないよ、ダンジョンマスター」


「ああ? だったらなんだ?」


「そんなものより、ずっと恐ろしいモノだ」


 世界などより、ずっと恐ろしい―――

 世界などより、ずっと悍ましい―――


 ―――(モノ)


「そりゃあ怖いね」


 アーロン・ブルーイットは肩を竦めて、くつろぐように足を組んだ。


「いずれにせよ、俺はただの残像(・・)さ。あんたに口出しする権利なんざねえ。

 俺の可愛い迷宮も魔物も精霊も、今や全部あんたのもんだ――好きなように使い潰しゃあいい」


 ジャックの背後。

 大指令室の壁は、全面に渡って、まるで棚のようになっていた。

 その中に、あたかもトロフィーのごとく並んでいるのは、大きな鳥籠だ。

 人間が入れるほどの鳥籠には、それぞれ異形の存在が収まっている。


 例えば、灰色のマントを被った狩人。

 例えば、大きな雄牛。

 例えば、山羊の足が5本付いた獅子の生首。

 例えば、黒馬に跨った獣人。

 例えば、極彩色の翼を持つ孔雀。


 それら一つ一つが、例外なく精霊の本体だった。

 知性ある者に超常の力『精霊術』を与える精霊――

 この世に72柱しか存在しないその本体のうち、この場には17柱(・・・)が揃っていた。


「――精霊励起システム、チェック開始!」

「〈バルバトス〉オールグリーン!」

「〈モラクス〉オールグリーン!」

「〈ブエル〉オールグリーン!」

「〈ヴィネ〉オールグリーン!」

「〈アンドレアルフス〉オールグリーン!」


 モニターの前に座ったオペレーターの声が連なっていく。

 それは果たして、この世界を征服していく作業に等しかった。


「――チェック終了! 全基、異常ありません!」


 ジャックは頷き、一歩前に出る。

 これが魔王の、一番の役目だった。


 征服。

 蹂躙。

 絶望。


 その開幕の号砲を、己が声をもって代えることが。


「我々は天災である」


 静かにして、重く。


「嵐のように薙ぎ払え。地震のように突き崩せ。雷のように打ち砕け」


 絶望の手綱を握る青年は、しかし無表情のままだった。


「そして教えてやるがいい。

 ――天がもたらす災いに、人が弓引く愚かさを」


 そうして、またひとつ終わりが始まった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ロウ王国は大陸に覇を唱える三強国の中でも、特に精強な軍事国家としてその存在感を示してきた。

 20年前の諸国併合戦争において、いくつもの国家・民族を侵略せしめたラエス王国でさえも、ロウ王国とはついぞ事を構えようとはしなかったほどだ。

 そうした『強国』の歴史――そしてそれに伴う矜持は、王族のみならず国民の一人一人にまで行き渡っている。

 直接的に国家防衛に関わる国軍兵士ともなれば、自分たちの強さへの自負は人一倍であった。


「ノータリンの怪物ごときが幾千集まろうと!! 我ら誉れあるロウ王国軍が後れを取ることは有り得ないッ!!

 奴らに教えてやれッ! 化け物風情が人の真似事をしたとて、それはごっこ遊びに過ぎないとなッ!!」


「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」」」」」


 ――――と。

 堅牢な市壁を鬨の声が揺らしていたのは、ほんの数十分前のことだ。


 今、市壁を揺らしているのは、雨と降り注ぐ爆弾と、兵士たちの悲鳴だった。


「なッ、なんだっ!? なんだなんだあっ!?」

「聞こえないっ! 何を言ったんだ!? 聞こえないんだっ、耳がっ!!」

「ああ……! 降ってくる。降ってくる! また降ってくる!!」

「あの音だっ! あの音が聞こえたっ!!」


 上空から甲高い嘶きが響き渡る。

 翼を生やしたトカゲの化け物に乗った兵士が、火の点いた袋を落としては飛び去っていく。

 兵士たちの間に転がったその袋は、すぐに爆炎を炸裂させていくつもの命を奪った。


 逃げ惑う兵士たちの手には槍や弓が携えられているが、もはやそれらに出番がないことは明らかだ。

 堅牢な市壁も、今や防御力を有していない。

『空爆』なる敵の新戦術の前に、彼らは完全に無力だった。


 総崩れとなった兵士たちの只中に、空を舞う飛竜から次々と敵兵が降りてくる。

 勇敢な一部の兵士が剣を持ってそれに飛びかかるが、その直前、敵兵が手に持った鉄の筒のようなものが、バンッという音と共に閃光を放った。

 それだけで、兵士は胸に穴を開けて倒れ込む。


「掃討セヨ。掃討セヨ」


 不自然な発音で仲間に告げるその敵兵は、明らかに人間ではなかった。

 頭身が低く、鼻は潰れたようになっていて、肌の色は緑色に近い。

 魔王軍が兵として使う魔物の一つ『オーク』である。


 オークが『銃』と呼ばれる鉄の筒を手に、市壁の上のロウ王国軍を掃討していく。


 魔王ジャック・リーバーに容赦の2文字はない。

 世界に異質な知識を持ち込むことによるリスクになど拘泥しない。

 もし問い詰めれば、彼は平然とこう返すだろう。


 ――どうせ壊してしまう世界に、何を遠慮する必要があるのか、と。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 火の手が上がっている。

 細く立ち昇る黒い煙が、北にも、南にも、西にも、東にも。

 翼持つ竜が何度もやってきては、上空から市壁に何かを投げ落とすのだ。

 そのたびに爆発が起こり、また一つ、黒い煙が立ち昇る。


 ロウ王国第一王女、ヘルミーナ・フォン・ロウは、自国が滅び去らんとする様を、王城のバルコニーから見下ろしていた。


「素直にお言いなさい」


 ヘルミーナは背後に控える大臣に強い語調で問う。


「この城は、あとどれだけ保つのですか。

 この国は――あとどれだけ在るのですか」


 壮年の大臣は額に脂汗を浮かせて、低頭した。

 拳を震わせ。

 唇を震わせ。

 それでも、臣下の務めを粛々と果たす。


「畏れながら……私見を、申し上げます。

 敵の新兵器により、市壁は東西南北いずれも陥落状態。我が方の被害は甚大である一方、敵方は未だ無傷と報告が上がっております。

 ブレイディア内への侵入を阻む手段はもはやなく……明日の朝日が昇る頃には、この城の旗は魔王のものに替えられているでしょう」


 ヘルミーナはしばし瞑目した。

 どこで何を間違えた――などと、考えることも馬鹿馬鹿しい。

 すべては理不尽に始まり、理不尽に推移した。


 ある日、魔王ジャック・リーバーはロウ王国に対し、第一王女ヘルミーナの身柄引き渡しを一方的に要求した。

 理由は明かされなかったが、おそらくは彼女が精霊序列28位〈偽られし散華のベリト〉の本霊憑き(ルースト)であるからだろう。

 金属を自由に操ることのできるその精霊術は、戦をするに当たっては夢のような力だ。


 当然、ロウ王国はその要求をにべもなく拒否した。

 ならば力尽くで奪うまでと、魔王はロウ王国領土への攻撃を開始したのである。


 きっと、ヘルミーナを奪うだけならば、もっとスマートに事を進めることができたはずだ。

 なのにこうして真正面から戦いを仕掛けてきたのは、見せしめに他ならない。


 魔王に逆らえばこうなる。


 全世界にそう宣言するためだけに、ヘルミーナが生まれ育った国は、生贄にされようとしているのだ。


 民は殺される。

 街は壊される。

 文化も、伝統も、歴史も、きっと何もかもが残らない。

 その未来は、何を間違えるまでもなく、始めから決定していた―――


「……呆気ないものですわね。終わりというものは。あれほど溢れていた憤りと使命感が、嘘のように消えてしまったわ」


「姫殿下……国王陛下は、殿下だけでもお逃がしになられるつもりです」


「可能だと思うのですか?」


「……………………」


 大臣は無言で俯く。

 それが何よりも雄弁な答えだった。


「腹を括れと、父上にも伝えてもらえるかしら。ええ、どうせ終わるなら派手に終わりましょう。精強を誇ったロウ王国、その最後の王族として、礼儀知らずの魔王に手本を見せて差し上げますわ―――」


 ―――でも、願わくば。

 もう一度だけ、会いたかった。

 硝子のような繊細さと大樹のような力強さを併せ持つ、あの王子様に。

 伴侶として一生を添い遂げるはずだった、彼に―――



「―――だったら、見せて、もらおうかッ!?」



 唐突に金切り声がして、ヘルミーナはハッと顔を上げた。

 大きな影が、不意にバルコニーを覆う。

 頭上を見上げれば、1体の飛竜(ワイバーン)が、一直線に降りてくるところだった。


「え、衛兵っ! 衛兵ッ!!」


 大臣が鋭く衛兵を呼ぶが、意味などないとヘルミーナは知っている。

 数年前、魔王の尖兵として突如現れたこの生物は、その硬い鱗で矢など弾いてしまうのだ。


 ワイバーンはヘルミーナの正面で滞空した。

 その上には、馬上槍を携えた男が騎乗している。


「ダイムクルド軍、第二ワイバーン航空大隊が隊員ッ、ダッド・グレーヴス伍長! 一番乗りだぜィ!!」


 ワイバーンの上で名乗りを上げた男は、右手に携えた馬上槍の切っ先をヘルミーナに差し向け、甲高い声で勧告した。


「第一王女、ヘルミーナ・フォン・ロウだなァ? 我らが偉大なる魔王陛下の命により、その身柄、頂戴しに来てやったぜッ!」


「くッ……!」


 ヘルミーナは一歩後退り、腰に吊るした長剣の柄に手を掛ける。

 対し、魔王軍の伍長ダッド・グレーヴスは、「きははッ」と金属を擦り合わせたような笑い声を上げた。


「なァに、心配するこたァねェんだぜ? ダイムクルドにさえ来れば、アンタは何不自由なく暮らすことができんだ。

 住処だってもう決まってらァ! 我らが魔王陛下の後宮(ハーレム)に、もうアンタの部屋が用意されてんぜッ!!」


「……本当でしたのね。各地から攫ったルーストの娘たちを、自らの後宮に囲っているという噂は」


 ヘルミーナの表情に嫌悪感が滲む。

 しかし次の瞬間には、それは不敵な笑みに変わっていた。


「わたくしも罪な女ですわ。美男子と名高きジャック・リーバー陛下を、国を亡ぼすほど惚れ込ませてしまうなんて」


「あやかりたいもんだなァ!? アンタは8番目の側室だ、ヘルミーナ・フォン・ロウ! せいぜいたっぷりと陛下に可愛がって―――」


「―――ですけれど」


 音高く、長剣が抜き放たれた。

 流麗な銀の刀身が、陽の光を受けて清冽に輝く。


「暴力を見せつけないと女性一人口説けないような殿方は、好みじゃありませんの。先方に伝えていただけるかしら? 『顔を洗って出直せフニャチン野郎』ってね―――!!」


 ひゅう! と竜騎兵は口笛を吹いた。


「本当にあやかりてェぜ。気の強いお姫様をベッドに組み敷くのが、全世界の男の夢だからよォ―――!!」


 ワイバーンが獰猛にいななく。

 それは勝利宣言だった。

 ヘルミーナに対してじゃない。

 ロウ王国に対してじゃない。

 ――俺が一番乗りだ、と仲間に対して宣言しているのだ。

 彼ら魔王軍にとって、もはや自分たち以外のすべては敵とすら認識されていない。


「舐めるなあ―――!!!」


 ヘルミーナは吼える。

 王族としての誇りが――

 人間としての尊厳が――

 異形の怪物を駆る敵を前に、手負いの獣めいた咆哮を可能ならしめた。


 振り上げた長剣が、瞬時、大剣に変わる。

〈偽られし散華のベリト〉。

 その精霊術たる【不撓の柱石】が、世の理を超越して、長剣の質量を増幅したのだ。


「はっはァ!!」


 迫り来る大質量の金属塊に対し、魔王軍の一兵卒に過ぎないダッド・グレーヴスは、しかし笑ってみせた。

 彼が携えた馬上槍(ランス)とワイバーンの鋭い爪とが同時に閃く。


 あまりに、呆気なかった。

 バリン、と、陶器のカップでも落としたかのような音。

 質量を増幅された大剣は――

 ――ランスによる刺突とワイバーンの爪撃(そうげき)の前に、木っ端微塵に砕け散る。


「ぐ、ぅうぅううううッ!!」


 王女らしからぬ無念の呻きが、ヘルミーナの喉奥から漏れた。

 あってはならない。

 こんなこと、あってはならない。

 こんなのは……こんなのは……!


 ―――反則、だ……!!


 大きく開かれたワイバーンの前足が、ヘルミーナに迫った。

 もはや彼女に、抵抗する手段も気力も残されてはいない。

 直接相対することで、彼女は心底から理解してしまったのだ。


 魔王は。

 ジャック・リーバーは。

 自分たちが、敵に回していいような相手ではない。


 それは例えば、チェスで相手だけ、クイーンよりも強い駒を持っているようなもの。

 魔王を名乗る青年は明らかに、()()()()()()()()()()()()()()()……!!


 そんなモノを相手取れる存在があるとしたら、それは―――


 同じ反則。

 同じルール違反。


 ―――神に愛され、運命に味方された、天才以外には有り得ない。


 ぎゅっと目を瞑ったヘルミーナの脳裏に、一度だけ顔を合わせたことのある婚約者の姿が過ぎった。

 よくできた人形のような容姿に、当初はいけ好かないと思ったのを覚えている。

 しかし話していくうちに、その線の細い容姿の裏に、強い強い信念と、それに反するような儚さを感じるようになった。

 そうして、気付けばこう思っていたのだ。

 この人を傍でもっと見ていたい、と。


(……ああ……)


 ヘルミーナは思わず笑う。

 何のことはない。

 それは、誰にでも有り触れた現象。

 王族であれ、庶民であれ、平等に抱くことのある感情だ。

 とっくの昔に、自分がそれ(・・)に落ちていたことを、この段になって、彼女はようやく理解した。


 だから彼女は。

 答えなどないと知りながら。

 最後に、想い人の名前を呼ぶ。


「――――エルヴィス様(・・・・・・)――――!!!」








「やあ」








 答えが、あった。

 ヘルミーナは最初、幻聴かと思った。

 だって、そうだ。

 ここに彼がいるわけがない。

 仮にいたとしても……。

『やあ』だなんて、緊張感のない……。


 だから。

 彼女が瞼を開けたのは、一種の現実逃避だった。

 いるわけがないと思いながら――

 それでも、一縷の希望を求めて、再び現実に帰還した。


 果たして。

 そこにあったのは、光だった。


 太陽の光を浴びて、金色の髪が煌びやかに光っている。

 光沢を放つ鎧は、目の覚めるような青色だ。

 しかし―――

 ヘルミーナにとって、一番輝いて見えたのは。

 自分に向けられた、柔らかな瞳の光だった。


「久しぶりだね、ヘルミーナ王女殿下。6年振りくらいかな?」


 廊下で偶然すれ違ったような調子で言いながら―――

 エルヴィスは、片手で、素手で、ワイバーンの前足を受け止めていた。


「なっ……なんだこいつっ……!? どうして動かねェ!?」


 よく見れば、エルヴィスの手はワイバーンの爪からほんの少しだけ浮いている。

 まるで、その間にある空気(・・)が、彼の手を守っているかのように。


「えっ……エルヴィス、様……!」


 どうしてここに、という当然の質問は、出てこなかった。

 あまりに嬉しくて嬉しくて、細かいことはどうでもよくなってしまった。

 エルヴィスはワイバーンを片手で受け止めたまま、柔らかに微笑する。


「ゆっくりと久闊を叙したいのは山々なんだけど、先にやるべきことがあるんだ。待っててくれるかな?」


 ヘルミーナはこくこくと頷いた。

 すると、彼もまた頷いた。

 たったそれだけのことで、胸の奥が湧き立つかのようだった。


 エルヴィスは柔らかな微笑を引き締めて、竜騎兵に視線を移す。

 その眼光がどのようなものなのか、ヘルミーナからはわからない。

 竜騎兵は表情をひくつかせて―――

 それを打ち消すかのように、甲高い声でがなり立てた。


「どっ……どこのどいつか知らねェが、何をしに来やがったァ!? この国はもう終わりだぜッ! 今さら! たった一人で! 何ができるッ!!」


 エルヴィスは静かに答える。


「救うのさ――この国を」


 はッ!

 と。

 魔王軍の伍長は、鼻で笑った。


「やって、みろやァああああああああああッッ!!!」


 絶叫しながらワイバーンを羽ばたかせる。

 そうしてダッド・グレーヴスは、一気にバルコニーから距離を取った。


「オレは言われてんだぜッ! 姫を攫えねェようなら殺せってなァ!」


 ワイバーンが大きく息を吸う。

 その喉の奥に、紅蓮の光が垣間見えた。


「仲良く黒焦げになりやがれッ! イケメン野郎がァあああッッ!!!」


 紅蓮の炎が、ワイバーンのアギトから迸る。

 直前に。


「お断りするよ――日焼けは苦手でさ」


 ズンッ!!

 と。

 不可視の重圧が、竜騎兵に圧し掛かった。


 まるで大きな手に叩き落とされたみたいだった。

 本当に唐突に、滞空していたワイバーンが、遥か地面に墜落したのだ。


 何が起こったのか、ヘルミーナにはわからない。

 エルヴィスは指一本たりとも動かしてはいないのに―――


「さて、と」


 エルヴィスはぐるりとブレイディアの街並みを睥睨する。

 いや、彼が見ているのは街じゃない。

 市壁を破って街に入り込みつつある魔王軍だ。


「1万いるかいないか……ってところかな」


 そう呟くなり、彼の背後に陽炎のような人影が立ち現れた。

 頭に王冠を乗せた、性別不詳の人間の姿。

 精霊序列9位〈傍観する騒乱のパイモン〉。

 その化身(アバター)だ。


「さあ――時季外れのお祭り騒ぎは終わりにしようか」


 瞬間だった。

 空に、巨大な眼が開いた。


 遥か天空から地上を見下ろすそれを見上げ、ヘルミーナは思う。

 ――まるで、神の眼だ。


「『王権行使』―――『気圧倍加』―――『万民勅令』」


 そしてエルヴィスは、見渡す限りに告げる。

 少しの懐かしさを声に乗せて。


「―――『クレーター・クリエイター』―――」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「四個ゴブリン大隊――沈黙!」

「二個オーク大隊――圧潰!」

「三個ヒューマン大隊――壊滅!」

「一個マンティコア騎兵大隊――停止!」

「四個ワイバーン航空大隊――墜落!」

「いっ……一瞬で……ぜ、全部隊の9割以上が、重圧攻撃によって押さえつけられましたっ! どの部隊も機能していません!」


 天空魔領ダイムクルド。

 魔王城・大指令室に、悲鳴のような報告が飛び交っていた。

 オペレーターたちは千里眼モニターを通して状況を確認し、現地から上がってきた報告を読み上げながらも、誰もが信じられないという表情を浮かべていた。


 それも致し方のないことだ。

 1万から存在していたロウ王国制圧部隊が、一瞬にして一斉に機能を停止したのだから。


 表情を変えないのは、ただ一人。

 魔王ジャック・リーバーだけだった。


 千里眼モニターの彼方。

 王城上部のバルコニーに視線を投げて、彼は淡々と呟く。


「……来たのか、エルヴィス」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「――来たよ、ジャック君」


 彼方。

 ブレイディアの北方に浮遊する巨大な島に向かって、エルヴィスは告げた。


「始めよう、7年前の続きを」



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[良い点] なんとなーく、エヴァ思い出した
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