カタストロフ・ポイント ‐ Part3
◆ラケル◆
わたしは、地下でエルヴィスやアゼレアたち、それに見つけられた限りの悪霊術師たちを地上に運んだ。
案の定、地下の遺跡は崩壊を始めていた。
このままだと、この第一闘術場も――いや、学院の敷地自体が崩落するかもしれない。
一刻も早く、敷地外に避難するべきだ。
でも、わたし一人で助けられる人数は、あまりにも少なかった……。
「と、止めないと……。こんなの、早く止めないと! ラケル先生!!」
地上の惨状を目の当たりにしたアゼレアは、泣き叫ぶように言った。
けれど、わたしは首を横に振る。
「ダメ。すぐに避難するわ。わたしの【巣立ちの透翼】じゃ全員は運べないから、エルヴィスも協力して―――」
「放っておくんですか!? ここにいる人たち全員を見捨てるんですか!?」
「そうよ!!」
思わず大きな声を出すと、アゼレアはビクッと跳ねさせて押し黙った。
わたしは少し気を落ち着けて続ける。
「……地上に上がってくるまでに説明したでしょ? 悪霊王ビフロンスは学院の結界を無効化するためだけに、あれだけの騒ぎを起こしたの。……エルヴィス、あなたならここまで言えばわかるでしょ?」
結界が無効化された以上、霊力切れも解除されている。
エルヴィスは苦み走った顔で頷いた。
「ここまでして結界を無効化した、ってことは……ビフロンスは、ぼくたちのような、滅多に外に出ない学院関係者を殺したがってる。そういうことですね」
「そう。敵の目的はあなたたちなの。だから一刻も早く逃げなきゃいけない」
「な、なら戦えばいいじゃないですか!! あの悪霊王とか名乗った奴と……!! あいつは師範の仇なんです!!」
「アゼレア」
わたしはあえて硬い声を作って告げた。
「死にたいのなら好きにして。置いていくから。……悪いけど、あなたと悠長に言い争いをしている余裕はないの」
「……っ!」
アゼレアは泣きそうな顔になって口を噤んだ。
……理不尽でも、こう言うしかない。
今は何よりも、彼女たちの命を守るのを優先するべきだ。
「……なあ、先生」
今まで黙っていたルビーが、低い声で呟いた。
「ジャックとフィルは? あいつらはどこに行ったんだよ?」
「…………」
わたしは、考え込んだ。
真実を告げるべきなのか。
悪霊王ビフロンスの正体が、フィルだったと。
「……ジャックと、フィルは――――」
「あっ!」
答えの出ないまま口を開いたそのとき、アゼレアが空を見上げて声を上げた。
夕映えに赤く染まる空は、徐々に広がりゆく白骨の傘に覆われつつある。
その上へとまっすぐに、まるで空を斬るように飛ぶ影があった。
「ジャック……!?」
「ジャック君!!」
わたしとエルヴィスが同時に叫ぶ。
すぐに避難しなければ、という考えは、瞬間、吹き飛んだ。
「アゼレア、ルビー、ガウェイン! ここはまだもう少し保つ! 身を守ってて!! できるでしょ!?」
「は、はいっ!」
「わかったっ……!」
「承知しました!」
「エルヴィス! あなたは―――」
「わかってます! 行きましょう先生!!」
頷いて、わたしは【巣立ちの透翼】で浮き上がった。
エルヴィスもジャックを真似して編み出した空中跳躍で空を舞う。
ジャックを連れ戻す。
あの子が何を言おうと、何をしようと、絶対に!
わたしたちはジャックを追って、夕日に染まる空を突っ切った。
広がり続ける白骨の傘が落とす、巨大な影。
その外に出て、上側に回り込もうとした、そのとき。
白骨の傘から、無数の腕が伸びる。
それらは雨のように降り注ぎ、わたしたちの行く手を阻んだ。
一本一本が槍のように鋭く、まともに受ければ致命傷は避けられない。
わたしたちは足踏みをする他になかった。
「これ以上行かせないつもりかっ……!!」
「ジャックっっ!!!!」
ジャックの小さな影は、もう白骨の傘の上に消えてしまっている。
いくら声を張り上げても、とても届きはしない距離だった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆ジャック◆
真っ白な骸骨の傘が、雲海のように広がっていた。
その上に降り立った俺は、中心へと向かって歩いていく。
白骨の地面に、あかつきの剣から滴った血が点々と滴った。
血のように赤い空の下。
どこまでも純白が広がるここは、まるで天上。
死後の世界のようだ。
だから――
俺とそいつが対峙するには、相応しい場所なのかもしれない。
骸骨の雲海の中心に、玉座があった。
真っ白な人骨で組み上げられた、大きな玉座が。
そいつは、それに座っていた。
11歳の身体にはあまりに大きすぎる玉座は、しかし、不釣り合いさは欠片もない。
きっと、知っているからだ。
俺は、そいつが、見た目とはかけ離れた悪魔であることを、知っている。
外見11歳の屍の女王は、俺の姿を見て微笑んだ。
嬉しそうに。
楽しそうに。
「状況はおわかりになりましたか、兄さん?」
その声は、やっぱりフィルのもので。
その言葉は――やっぱり、フィルじゃない。
「お前は……一体、何がしたいんだ……。こんなに俺を苦しめて……それが、何になるって言うんだ……!」
「リセットするんですよ」
……リセット?
「気に喰わなかったんです、フィリーネの展開が。
だからやり直すんですよ。
兄さんの周りの人間関係をいったん皆殺しにして、わたしと兄さんの二人っきりに戻すんです。
それから改めて、今度こそ完璧に、わたしと兄さんとの甘い生活を取り戻すんです」
「そんな……そんな……!」
もはや怒りすら湧いてこない。
ただ、愕然とした。
そんな、ゲームのスイッチを切るような理由で……?
「見てくれたかと思いますが、すでに王都全域に潜ませた死体たちを学院内に招き入れ、鏖殺を開始しています。
ですが、それだけではまだ不完全です」
そいつは――
フィルの姿をした妹は、唄うように言う。
「広がり続けるこの白骨の傘。これが間もなく、学院の空を天井のように覆うでしょう。
それこそリセット完了のときです。
白骨の傘は吊り天井のように落下して、学院全域を押し潰します。
邪魔な結界はもうありません。
ただ一人の例外もなく死に絶えて、精霊術学院は消滅するのですっ」
妹の声は弾んでいた。
何がおかしい。
何が楽しい。
お前はいつもそうだ。
あのときもそうだった。
自分自身の両親を死に追いやったときですら、そうやって―――!
心配そうな顔のまま、安堵した顔のまま、俺の首を締め上げた父さんの顔がリフレインする。
こいつは、二度殺した。
俺の大切な家族を……両親を、二度も殺した。
俺の知らないところで……。
俺の知らないうちに……。
「…………いつからだ」
「はい?」
「父さんも……母さんも……一体、いつから……死体に……」
「ああ、それですか。最初からですよ?」
「は?」
最初、
から?
「この身体で兄さんと初めて出会ったときのこと、覚えてますか?
わたしが木から落ちて、兄さんがそれを受け止めて……。
あのとき、ちょうど終わったところだったんですよ」
「終わっ、た……?」
「はい。首尾よく二人とも殺せたんですけど、ちょっと予想外な人たちに見つかっちゃって、慌てて逃げてきたところだったんです。
ちょうど兄さんがいて助かりました。おかげで逃げ切ることができましたから。
さすが兄さん! わたしの運命の王子様ですっ!」
殺した……?
父さんも母さんも……?
俺と出会う、その直前に……?
「そんなはず……そんなはず……。だって、それから、何年も……同じ家で、普通に……」
「いわばAIみたいなものですよ。生前の記憶に則ってそれらしい行動をしていただけのロボットです。
それがわたしの精霊――〈命の在処のビフロンス〉の精霊術、【死止の蝋燭】の力ですから」
AI……?
生前の記憶に則って……?
ロボット……?
「……じゃあ、なにか……?」
俺の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。
「あれから、5年も……俺は、死んでいるとも知らずに……死体と笑い合ったり……死体に叱られたり……死体に婚約を報告したりしてたってのか……? 死体と……ただの死体と……?」
それは、なんていう名前の喜劇だ?
俺は、どこの劇団の道化だ?
守りたいと。
大切な人を守れるようになりたいと。
そう言っている、すぐ横に――
とっくに死体に成り果てている、両親がいたって?
「はは……ははははははは……」
笑うしかない。
そんなの、笑うしかない。
ほら、笑えよ。
世界みんなして俺を笑え!
これほどの道化が一体どこにいる!?
ほら!
笑えよ!
なあ!!
「なっ……ぁ、んで、だよぉぉおおぉっ!!!!」
絶叫する。
潰さんほどに目を押さえながら。
「なん、でっ……な、んでぇっ!!
殺されなきゃ、いけっ、ないんだぁああああああっっ!!!!
父さんもっ……母さんもっ……何にも、してねぇだろぉがぁあぁあああああッッ!!!!!!」
俺は。
俺たちは。
ただ普通に。
人並みに。
暮らしてただけ。
そうだろ?
なのに。
なんで。
なんで。
なんで!
なんで!!
なんでぇぇえぇええっ……!
「わッけ、わかんねっ、んだよぉおぉおおおおっ!!!
お前のやることっ、全部!!
意味ふめっ、なんだよぉおぉおおおおっ!!!
おまえっ、俺のっ……妹なんだろッッ!?!?!?
だったらぁ、せめてッ……理解くらい、させろよぉおおおッ!!!!」
涙と鼻水でどろどろになりながら。
喚き散らす。
喚き散らす。
喚き散らす。
それを受けて――
「なんで、なんて――決まってるじゃないですか」
ことり、と。
妹は、小首を傾げた。
「だって、あの人たち―――兄さんのことを愛してたんですもん」
当たり前のように。
普通のことのように。
悪魔は――理解不能の言葉を吐く。
「心の底から、何の誤魔化しもなく、兄さんのことを愛してしまっていたんです。
ダメですよ。完全にアウトです。
だって、兄さんを愛していいのはわたしだけなんですから―――」
……そんなの。
俺が愛されてたなんて。
そんなの。
そんなこと!
俺がッ!
いちばんッッ!!!
知ってんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!
「ころ」
あかつきの剣を握る。
「して」
玉座に座る悪魔を睨みつける。
「やる」
殺意だけを魂に込めて。
俺は、かつて妹と呼んでいたソレに飛びかかった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆結城××◆
ああ……。
兄さんが、走ってくる。
わたしを求めて駆け寄ってくる。
火傷しそうな熱視線。
野獣みたいな形相。
ああ……。
ああ、ああ、ああ!
空っぽだった胸が。
『フィル』になってずっと、空っぽだった胸が。
暖かな気持ちで満たされていく。
やっと。
やっと、やっと、やっと!
兄さんが、『わたし』を見てくれた……❤




