カタストロフ・ポイント ‐ Part1
「もう! 本当に長かったし面倒臭かったです。こんな結界さえなければもっと簡単だったのに。死体を紛れ込ませようにも傷がつくかどうかですぐ見分けられちゃいますしー。ほんと不親切ですよねー」
その喋り方。
敬語を使って、相手を尊重しているようで、その実、自分以外のことは何にも考えていない、語り口調。
聞き覚えがありすぎた。
魂に深々と刻みつけられた口調だった。
でも。
そんなはずない。
だって、フィルなんだ。
その喋り方をしているのは、フィルなんだ!
どこからどう見ても。
俺の、世界で一番大切な……。
将来を誓い合った……。
婚約者、なんだ……。
「なかなかうまくいかないものですね。リセットを決めるのがちょっと遅すぎました。学院に入学する前なら、もっと簡単だったのに――ま、今更言っても詮方ないことです。未来を見ましょう! わたしと兄さんを待つ輝かしい未来を!」
意味が。
わからない。
どうしてフィルが、あいつみたいな喋り方をするんだ。
どうしてフィルが、俺を『兄さん』なんて呼ぶんだ。
それじゃあ。
まるで。
フィルが。
「……な……なに、ふざけてんだよ……?」
俺は……顔を、笑みの形にした。
きっと、それはひどくぎこちない。
でも。
それでも。
「なん、だよ……『兄さん』って……。お前、俺の妹なんかじゃ、ないだろ? こんなときに、ふざけてんじゃねえよ……っ! なあ、フィル――」
「―――わたしはフィルじゃありません」
フィルの顔をした、そいつは。
瞳に冷たい光を宿して、断言した。
「兄さんこそふざけないでくださいよ。可愛い妹を他の女と見間違えるような失礼な人じゃあないでしょう?」
「な……なにを……何を言ってんだよっ!! さては……そ、そうだ……偽物だな!? なんかの精霊術でフィルの姿を真似てんだろッ!! いつ入れ替わった!? 本物のフィルはどこにやったッ!!!」
「真似なんかじゃありません―――フィリーネ・ポスフォードはわたしです。でも、わたしはフィルじゃないんです」
「わっ……わけわかんねえこと、言ってんじゃねえよッッッ!!!!!」
俺の怒声が結界制御室に響き渡る。
赤い血だまりが、魔法陣を覆おうとしていた。
「わたしはフィルじゃありません。6歳の頃に出会って、一緒に修行をして、布団の中で初めてキスをして、盗賊団に攫われて、学院にスカウトされて、コンビを組んで級位戦を戦って、月が見える原っぱで婚約したのは、わたしです。わたしなんですよ、兄さん」
「違うッッ!!! それはフィルだっ!!!! 俺とフィルの思い出だ!!!! お前がっ……お前が、勝手にっ……!!!!!」
なんで。
なんで、そんなに詳しく、知ってるんだよ……。
布団の中でキスしたとか。
月が見える原っぱで婚約したとか。
それは、俺とフィルだけが……俺と、フィルだけの……。
「……はあ。やれやれです」
フィルの顔をした誰かは。
フィルの顔をした誰かは!
……物憂げに、溜め息をついた。
「やっぱり――最初に殺すのは、フィルじゃなきゃいけないみたいですね」
……な……?
それは、どういう……。
パチン、と。
フィルの顔をした誰かの指が――幾度となく絡ませた指が――弾かれる。
ぐらり、と地面が揺れた。
と思った次の瞬間には、地面そのものが下から破裂した。
石造りの床を貫いて、魔法陣も、祭壇も諸共に巻き込みながら飛び出してきたのは―――
―――骨?
大量の白い骨でできた、大樹のようなものだった。
「地中を探せばあるものです。白骨死体が数えきれないほど」
言いながら、フィルの姿をした誰かは、上へ上へと伸び続ける白骨の大樹の幹に掴まった。
そして大樹が成長するままに、上へと昇っていってしまう。
「おい……おい!! フィルはどこだ!! 本物のフィルはどこだッ!!!」
「ついてくれば、きっとすぐにわかりますよ。兄さんはとっても賢い人です。今はちょっと混乱してるだけなんですよね?」
白骨の大樹が天井を突き破った。
崩れ落ちてきた瓦礫を避けているうちに、フィルの姿をした誰かは天井の彼方に消えていた。
くそっ……。
くそっ、くそっ、くそっっっ!!!!
追いかける。
追いかけてやる!
それで……あいつの化けの皮を剥いで、本物のフィルを助けるんだ!!
俺は降り注ぐ瓦礫を避けながら、白骨の大樹に沿う形で空中を駆けた。
いつの間にこんなに深く潜っていたのか、何十メートルも駆け上がると、ようやく光が見えてくる。
光の向こうに飛び出すと、そこは見覚えのある場所だった。
第一闘術場。
学院長の屍とラケルが凄まじい戦いを繰り広げた試合場だ。
その真ん中に大穴を空けて、白骨の大樹はさらにさらに大きく育っていた。
遥か天空で、徐々にだが傘のように広がっているのがわかる。
このまま世界すべてを覆おうとしているみたいだ。
……あいつは、この上か。
さらに上へと飛ぼうとして――
俺は、気付いた。
観客たちは避難した。
ここには死体くらいしかないはず。
人っ子一人いないはずだ。
なのに。
騒々しかった。
喧騒に満ちていた。
いや。
違う。
これは―――阿鼻叫喚と言うのだ。
怒声があった。
悲鳴があった。
断末魔があった。
血が舞い。
肉が転がり。
命が壊される。
魔物がいるわけじゃない。
目に見えてわかるような敵があるわけじゃない。
人間だ。
人間が人間を、殺していた。
戦いじゃなかった。
そんな上等なものじゃなかった。
殺戮。
蹂躙。
一方的な暴力。
理性の欠片も、そこにはありはしない。
背中を見せて逃げる男を、追いついた女性が縊り殺した。
命乞いをする老人の目を、子供が指を突っ込んで潰した。
這いずる血塗れの少女を、少年が石で何度も殴りつけた。
地獄だった。
俺は地獄の真ん中にいた。
脳が理解を拒む。
頭の中が真っ白になる。
直前にやろうとしていたことすら、完全に消滅した。
なんだ、
これ?
「―――ック! ジャックなの!?」
呆然としていた俺を、聞き覚えのある声が引き戻す。
声のほうを見れば……それは、ラケルだった。
彼女は襲いかかってくる人間を炎で吹き飛ばしながら駆け寄ってくる。
「よかった、無事だった! よかった、本当に……」
「師匠……」
意味不明の現実の中に、よく見知った姿と声が戻ってきて、俺は心の底から安堵した……。
ほんの少しだけ、冷静さが戻る。
「これは……これは、一体、なんなんだ!? 何が起こったんだ、地上で! どうして人が人と殺し合ってる!?」
「片方は……人じゃない。死体なの」
……死体……?
「これが悪霊王ビフロンスの精霊術……死体を生きている人間とまったく同じように見せかけることができる力……! 結界は最初から、無効化なんてされてなかった! 紛れ込ませた死体を使って、そう錯覚させられてた!! ビフロンスの目的は、わたしたちに結界制御室の鍵を開けさせることだった……!!」
死体を、生きている人間とまったく同じように……?
結界が無効化されてなかった?
制御室の鍵を開けさせるのが、目的……?
「……わ、わからない。わからねえよ師匠っ!! それよりも、父さんと母さんは無事か!? ポスフォードさんも―――」
「よく聞いて、ジャック!!」
大声で俺の言葉を遮って、ラケルは俺の両肩を掴んだ。
強く。
優しく。
「……悪霊王は、ビフロンスは、あなたと一緒に、結界室に入った。そこで、結界を生み出している、祭壇の術師を殺した。そうでしょう?」
「……何を……」
「認めたくないってわかってる! でも認めないといけない!! これを起こしているのは、ビフロンスの正体は――――」
「――――違うッッ!!!!」
俺は、ラケルの手を、力任せに振り払った。
もう、見られない。
もう、聞いてられない。
あんなに安心した顔も、声も。
「認めない……俺は認めない……」
そうだ、違う。
間違いだ。
何かの間違いだ。
フィルの顔をしたあいつも。
目の前にいるラケルも!
みんなみんな、デタラメを言ってるっ!!!!
「……父さんと、母さんだ……」
「ジャック!」
「先に、父さんと母さんを見つけて、安全な場所に……そうだ、それからだ……それから、あいつの化けの皮を……」
「ジャックっ!! 二人は―――」
「うるさいっっっ!!!!!」
叫びながら、俺は飛び上がる。
闘術場の中に二人の姿はない。
なら、きっと外だ!
ラケルの声も、もう聞こえない。
俺は一目散に、第一闘術場の外へ飛んだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆ラケル◆
飛び去っていくジャックを、追いかけることもできた。
けど、実際には、見送ることしかできなかった。
……言えない。
わたしには、はっきり言ってあげられなかった。
悪霊王ビフロンスの正体が、他ならぬフィルであること。
そして―――
「……そうだ。他のみんなは……!?」
闘術場の真ん中には、骸骨でできた巨大な樹みたいなものが生えていた。
それが空けた大穴から、ジャックは出てきたらしい。
じゃあ、きっとアゼレアやエルヴィスたちもこの下だ。
天井にこんな大穴が空けられていたら、彼らのいる地下も崩れてしまうかもしれない。
もう結界はない。
死んだら……死んでしまうのだ。
わたしは白骨大樹が空けた大穴に飛び込む。
闇の底へと落下しながら、わたしは頭の端で考えた。
――悪霊王ビフロンスの精霊術。
究極のネクロマンシー。
ゾンビならぬ哲学的ゾンビを作る能力。
哲学的ゾンビとは、簡単に言えば魂のない人間のこと。
魂はないけれど、魂がある人間とまったく同じ言動をする。
傍から見ている分には、魂の有無は決して判別できない。
判別できるとしたら――そう。
この世界を上位から俯瞰する、神様みたいな存在くらいだ。
それは、例えれば小説に対する読者みたいなもの。
もし、この世界が小説であったとしたら、生きた人間と哲学的ゾンビの違いも、きっとわかるに違いない。
魂があるか否か。
生きた人間なのか哲学的ゾンビなのか。
その違いは、小説であれば―――
そう、きっと、こんな風に表れる。
生きた人間の視点は、一人称で書けるけれど。
哲学的ゾンビの視点は、三人称でしか書けない。
もしその小説が、基本的に一人称視点であるとしたら。
あえて三人称視点で書かれたシーンには、きっと、魂なき哲学的ゾンビしか出ていないのだろう。
生きている振りをしているに過ぎない哲学的ゾンビが、視点など持てるはずもないのだから……。




