Visibility of Last Moment
◆エルヴィス◆
「おっ……お前らっ……!!」
振り向きかけた姿勢のまま、アーロンは硬直した。
突然現れた双子は同じ顔で、同じように笑顔を見せる。
「もう遅いですよ」
「運動中枢をもらっちゃいました」
「あれ?」
「もしかして、言ってませんでした?」
「私たちの精霊術」
「洗脳できるのは、魔物だけじゃないんです」
「一人くらいなら人間だって」
「ほら、あれです」
「私たち、二人ですから」
「一人相手なら、多数決で勝っちゃえますよね?」
「ぁ……か、……が……っ!!」
アーロンが白目を剥いた。
なんだ。
なんなんだ。
傍目には、何も起こってない。
双子が手を一本ずつ、アーロンの顔にかざしているだけだ。
『王眼』を通じて見ても、それ以外のことは起こっていない……!
でも。
何かが告げている。
見過ごすなと。
今度こそ見過ごすな、と……!
「――止めよう! たぶん放っておいたらまずい!!」
「わ、わかったわ!」
真っ先にアゼレアさんが反応して、青い炎を放った。
それと同時に、ぼくも蜃気楼の剣を振るう。
ルーストの力を容赦なく注ぎ込んだ攻撃が、二方向から謎の双子へと襲いかかった。
だけど――
「完」
「了」
ほんの少しだけ、遅かった。
ぼくたちの攻撃は、立ちはだかった硬い鱗に阻まれた。
硬い鱗?
そう、それは。
力なく倒れ伏していたはずの、巨竜トライザドラだった。
すでに屍であるはずの三ツ首竜は、なぜか不気味に蠕動している。
黒ずんだ皮膚がボコボコと泡立って、まるで身体の内側を何かに掻き回されているみたいだった。
「―――――A―――――――aaaaaa―――――――ッッ!!!!」
轟いたそれは、悲鳴。
いや、断末魔か。
すでに死んでいるはずの巨竜が、今ひとたび死にゆく音。
愕然とするぼくたちの目の前で、巨竜はその輪郭を変え始めた。
元より巨大な身体がさらにひと回り大きくなり―――
ボゴン。
ボゴン、ボゴン、ボゴン、ボゴン。
都合5回。
都合5本。
さらなる首が生え伸びた。
八つに増えた首は、広大な部屋の中を、しかし所狭しとのたくる。
その様は、禍々しいと呼ぶ他になかった。
新しく生えた5本の首は、生えたと呼ぶより出てきたというほうが近い。
無理な変形により身体のバランスは歪なものになり、まるで子供がめちゃくちゃに描いた絵がそのまま飛び出てきたかのようだ。
ひと回り巨大化した以外はそのままの胴体は、8本に増えた首を支え切れず、四足歩行に切り替わる。
断ち折れた巨剣は一顧だにされず、禍々しく黒ずんだ8つの首だけが、鎌首をもたげてぼくらを睥睨した。
「……あ……」
『王眼』を使うまでもない。
頭で考えるまでもない。
ただ。
16に及ぶ目に、身体を射貫かれただけで。
わかる。
わかってしまう。
ぼくらは、狩られる側なのだと。
「みんな、逃げっ―――」
振り向きながら言おうとした。
言い切ることすらできなかった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆ガウェイン◆
何が……。
一体、何が起こった……?
「みんな、逃げっ―――」
エルヴィス殿下が、振り向きながら叫びかけた、その瞬間。
その姿が、漆黒に色づいた炎の中に消えた。
庇いに入る暇も。
注意を促す暇すらも、ありはしなかった。
炎が消えたあとには、地面に倒れ伏した殿下が残った。
一撃。
霊力切れ。
八つの首の一つが、蝋燭の火を吹き消すかのような呆気なさで、オレたちの中で最強の殿下を倒してしまった。
愕然と――
している暇など、ありはしない。
次が来る。
その前に。
「逃げろおおおおおおおおおおお――――――っっ!!!!」
オレたちは、一目散に背を向けた。
逃げろ。
とにかくこの場を離れろ。
早く。
早く。
早―――――――――――――
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆ルビー◆
すぐ横を、真っ黒な何かが通り過ぎていった。
「……あ?」
そこには、ガウェインがいたはずだ。
ちょうどその場所を、ガウェインが走っていたんだ。
なのに。
なんだ、この黒いの。
濁流みたいだった。
氾濫した川が意思をもって牙を剥いたかのような――
――ああ、そういや。
ドラゴンって、川の化身かなんかなんだっけ?
認識が現実に追いつく。
すぐ横をよぎったのが、八つの竜首の一つなんだと理解する。
濁流よりもずっと速く襲い来たそれが――
――その鼻先で、ガウェインをはね飛ばしたんだ。
「……ぁ……」
重い鎧を着けているはずのガウェインの身体が、軽々と高々と、放物線を描いて飛んでいた。
それが壁に叩きつけられると同時、ガッシャン!! と音がして、銀の鎧が粉々に砕け散る。
そして、一つ残ったガウェインの身体は。
叩きつけられた壁から、ゆっくりと剥がれて――
力なく、真下の床に落下した。
「おいッ!!!」
怒っているのか。
それとも心配しているのか。
自分でもどちらなのかわからなかった。
この苛立ちはどこから来る?
わかんねー。
わかんねーままに、あたしは倒れ伏したガウェインに駆け寄る。
意味なんかねーのに。
どうせ結界のおかげで死にゃあしねーんだから、とっとと逃げりゃあいいのに。
――あ。
そっか。
ガウェイン……。
罠にかかったあたしを助けに来たとき、お前、こんな気持ちだったんだな。
「……馬鹿野郎」
あたしは霊力切れになったガウェインの傍に膝を突いた。
「ほだされてんじゃねーよ、ムッツリが」
あたしは、自分とガウェインを覆うような形で、完全遮断状態に―――
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆アゼレア◆
「――――あ」
こぼれたのは、間抜けな声だった。
「あ……あ、……ああ……!!」
ガウェインさんがはね飛ばされたと思ったら、それにルビーが駆け寄って。
ガウェインさんの傍にひざまずいたルビーに、背後から―――
バクリ。
―――素早く伸びてきた竜頭が、噛みついた。
小柄なルビーの身体を牙でくわえたまま、竜頭が持ち上がる。
瞬間、私の脳裏に閃いたのは、鳥だった。
鳥が、嘴に魚をくわえて。
水の中から持ち上げ。
一瞬だけ嘴を開けて――
――くわえた魚を、呑み込む。
その光景が、目の前のそれに重なった。
竜頭が鳥。
ルビーが魚。
次の瞬間の光景が、現実に先んじて網膜に映る。
「……あ……」
やらせるか。
「あぁあぁああぁぁぁあああぁぁあぁあぁっ!!!!」
やらせるか。
やらせるかっ。
やらせるかッ!
「燃えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」
絶叫しながら、私は青い炎を放った。
ルーストだけに許された美麗なる業火が、ルビーをくわえた竜頭の喉元を焼く。
竜頭が絶叫した。
牙に挟まれていたルビーが、ぽろりとその口からこぼれる。
私は全力で走って、落ちてくるその身体を受け止めた。
衝撃を殺しきれず、地面を転がって壁にぶつかる。
ルビーは――
気絶していた。
霊力切れだ。
結界の中じゃなかったら、きっと身体中に大穴が空いていた……。
「……GRRRRRRR……」
低い唸り声が聞こえた。
しかも、それは重なっていた。
八対の眼が、私を怒りの眼差しで睨んでいる。
私が炎を当てた場所には、ほんの少し黒い焦げがついていた。
きっと人間で言ったら、冷やせば治る程度の火傷。
さっきの絶叫は、熱湯が手に当たって「あちッ!」と言う程度のものに過ぎなかったんだろう。
ルーストの炎ですら、この程度。
こんなの、どうやって――
「フェア性とか必要ないよね」
「どうしてちょうどいい難易度にする必要があるんだろうね?」
「殺せばいいじゃん」
「めいっぱい難しくして、誰にも攻略できないようにすればいいじゃん」
「最強のボスを置こう!」
「ステータスは全部9999!」
「無敵とか? すぐ回復しちゃうとか?」
「ありゃー。それはできないみたい」
「ちぇー」
「つまんないね」
「でも充分だよね?」
「充分だね!」
「やっちゃえ、やっちゃえ!」
「僕たちが考えた最強の――」
「名前は?」
「どうしよっか?」
「前が《トライザドラ》だったから――」
「《エイトザドラ》?」
「いいやそれで」
「めんどくさいしね!」
双子の声が聞こえてくる。
今日は鬼ごっこにするか、かくれんぼにするか。
そんな話し合いをしているような、無邪気な声……。
「このあとはどうする?」
「上に持ってあがっちゃおうよ」
「そっか。第一闘術場の中なら結界も効いてないもんね」
「そこで全員殺しちゃおう!」
「そしたら褒めてくれるかな?」
「褒めてくれるよ! 強くなったねって!」
私たちの運命が決められる。
放課後の予定みたいに決められる。
八つ首竜の牙から、粘ついた唾液が滴った。
もう、私たちは、二度と目覚めない。
意識を失った瞬間、それが人生で最後の記憶。
涙が溢れた。
視界を滲ませて、その未来を誤魔化そうとした。
いやだ、いやだ、いやだ。
見たくない、見たくない、見たくない。
禍々しい竜の牙と舌が、私が今生で最後に見るもの。
やだ、そんな最期はやだ!
だって、想像してなかった。
そんなのが最期の光景だなんて、想像してなかった!
もっと、もっと生きて……。
結婚して、家庭を作って……。
何かの病気になって、ベッドの中で、天井と家族の顔を見ながら死ぬんだって……。
そう思ってた。
漠然と、そう思ってたのに……!
こんな終わり方、知らない。
化け物にかじられるなんて終わり方、知らない……!
「それじゃさっさと」
「やっちゃおう!」
八つの首の一つが、矢のように迫る。
……ああ。
せめて。
せめて、会いたかった。
ようやく、気持ちを自覚したのに……。
今、彼の顔を見たら、自分の胸がどんな風に高鳴るのか。
それを、知りたかった……。
あなたは、今どこにいるの?
ねえ。
「……ジャック――――――っ!!!!」
「――――――やっと、できた」
私の意識は、命は、終わっていなかった。
迫っていた竜の牙は、私にまで届いていない。
その手前に。
現れた背中が。
私との間に、立ちはだかったからだ。
「ずっと、こうしたかったんだ。見ているだけじゃなくて。泣いているだけじゃなくて」
彼の、決して大きくない右手が。
巨大な竜の鼻先を、軽く押し留めている。
【巣立ちの透翼】。
あらゆる質量を無効化する精霊術が、巨体の暴威を無に帰したのだ。
「――やっと、できた」
もう一度。
繰り返された彼の声に、私の胸は張り裂けそうになった。
どうしてなのかはわからない。
ああ、でも、一つだけわかるのは――
「もう、誰も、見過ごさない」
私はやっぱり、彼のことが――
――ジャック・リーバーのことが、おかしくなるくらい好きらしいということだった。




