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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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The Pursuing Past - Part2


◆ジャック◆


 俺は、暗い部屋にいた。

 閉じたカーテンの向こう側から、太陽の光が射し込んできている。

 手を伸ばせば届く距離なのに、俺にはそれが、決して手に入らないもののように思えた。


 鼻が効かない。

 いや、自ら封じているのか。

 これ以上、あの鉄臭い匂いを嗅ぎたくなくて……。


 未来のことは考えない。

 絶望しか思い描けないから。


 現在のことは考えない。

 見渡す限り恐怖しかないから。


 過去のことは考えない。

 あまりに遠くて、とうに掠れているから。


 なら、今こうして考えている俺はなんなのだろう。

 未来にも現在にも過去にも行き場をなくして……。

 あとは、そう――


 ――異世界くらいしか、行く当てがないじゃないか。


 ああ。

 そうだ。

 思い出してくる。

 俺は、異世界に来たのだ。


 ある日突然、閉じ込められていた家の鍵が開いて……。

 喜びのまま外を走り回って……。

 妹に追いつかれて……。

 トラックに跳ねられて。


 そしてようやく、あの悪魔の手の届かない世界(ばしょ)に逃れることができた。


 でも、あいつは追ってきた。

 世界さえ越えて。

 名前も、立場も、身体も、何もかも変わってさえ、影のように追ってきた。


 戦うしかない。

 殺すしかなかった。


 あいつはもう妹なんかじゃない。

 悪魔だ。

 妹という形の悪魔だ。


 だから――

 曲がりなりにも兄である俺が、殺さなきゃならなかったんだ。


 なのに。

 なのに――


 お前は、まだ追ってくるのか。

 世界どころか、死さえ乗り越えてくるのか。


 フっただろ?

 拒絶しただろ?

 あんなに否定したのに、どうしてまだ追ってくる?


 やめてくれ。

 もう許してくれ。


 本当に妹なら。

 本当に俺のことが好きなら。


 少しくらい、俺の言うことを聞いてくれよッ!!!


 もういやだ。

 せっかく、人並みに幸せになれると思ったのに。

 大勢の人を巻き込んだ。

 俺のせいだ。

 いや、妹のせいだ。

 でも、俺のせいだ。


 もういやだ。

 何も考えたくない。


 未来にも。

 現在にも。

 過去にも。

 そして、異世界にも。


 俺の行く当ては、どこにもなくなってしまった――


「…………、…………?」


 不意に、俺は現実に戻ってきた。

 両手首に冷たい感触。

 そうだ、俺は、捕まって……。

 すぐ傍に、人影が……。

 そうだ、そうだ。

 その人影が、『兄さん』って……。


 俺はまた恐慌に駆られそうになった。

 だが、朦朧とした視界の中で、人影が離れていくのが見えて、かろうじて踏みとどまる。


 なんだ。

 どうした?


 疑問に思うことまではできた。

 しかし、具体的な思考ができるほど、今の俺はまともじゃなかった。


 ――ガシャン。

 と、音がする。

 たぶん、牢屋の扉を閉める音だ。

 出ていった。

 そう理解するのが限界だった。


 まるで、負荷がかかりすぎたパソコンが強制終了するように。

 俺の意識は再び、真っ黒な眠りへと堕ちていった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆フィル◆


 じーくんの居場所はまだ見つからなかった。

 これだけ大規模に捜索して見つからないってことは、普通の方法じゃ見つけられない場所に隠されてるのかもしれない。


 だとしても。

 わたしの『お友達』によるローラー作戦は、いずれじーくんを見つけ出す。

 少なくとも敵のほうは、その可能性に怯えるはずだった。


 だから――

 どこからともなく声が聞こえてきたとき、わたしは少しも驚かなかった。


『――あー。フィリーネさん。フィリーネ・ポスフォードさん。聞こえてますかー?』


 姿はない。

 声はそこら中に反響して、方向すらもわからない。


『それ以上の進軍はやめていただきたいです。じゃないと、困ってしまいますのでー』


「知らない。じーくんを返して」


『無理です』


「じゃあ勝手に取り返すよ」


『それも無理です―――そこより先は通行止めですから!』


 わたしの周辺にいる『お友達』が、一斉にざわめいた。

 それは本能。

 危機に対する、生物としての、反射的な。


 ズン、と足音が揺れた。

 それは規則的なリズムで近付いてきて――

 前方にわだかまる闇の向こうから、ぬっと姿を現す。


 ドラゴンだった。

 所狭しとのたくる長い首と尻尾。

 全身を鎧うコケのような色の鱗。

 人間なんてアリみたいに踏みつぶせそうな四本の足で、わたしたちのほうへと近付いてくる。


『安心して死んでいただいて結構です。あとで迎えに行きますね!』


 ドラゴンがアギトを大きく開けて、思いっきり息を吸い込んだ。

 かと思うと。

 喉の奥から、紅蓮の炎が迸る。


 逃げることもできたんだろうけど――

 わたしは、それを選ばなかった。


 左手を挙げる。

 それで、『お友達』が動いた。


 総計17匹のサラマンダー。

 炎を纏うトカゲの魔物たちは、ドラゴンのブレスに真っ向から衝突した。

 体積から考えれば、一瞬にして焼き尽くされるのが順当。

 でもそれは、他の魔物なら、の話。


 サラマンダーは、炎を食べる魔物だよ。


 17匹のサラマンダーによって、ドラゴンブレスは火の粉一つ残らず食べ尽くされた。

 わたしにまで届いたのは、せいぜい熱風。

 靡く髪を軽く押さえながら、わたしは『お友達』にさらに指示を出した。


 ドラゴンの周囲に、不意に粉雪が舞う。

 雪だるまの姿をした魔物――ジャックフロストによるものだ。

 コケ色の鱗の上にびっしりと霜が張り、ドラゴンはどんどん動きを鈍くしていく。


「いくら大きくて強くても、結局はトカゲさん――変温動物だもんね」


 霜が全身を覆う頃には、もう身動きもしなくなっていた。


「温度の変化には滅法弱い。ごめんだけど、静かに眠ってね」


 凍りついたドラゴンさんは、砕け散るようにして消滅した。

 開いた道を、わたしたちは進む。


『通行止めだって、言っているじゃないですか』


 ガゴン!! と迷宮そのものが揺れた。

 そう思ったのも束の間。

 壁が砂山みたいに崩れ去り、2匹の巨体が現れる。


 さっきよりもさらに大きなドラゴンが、2匹。

 壁が崩れて広くなった空間で、わたしたちを見下ろしていた。


 けど、わたしはその子たちからは目を離して、姿の見えない声に意識を向けた。


「強そうな子たちをずいぶんと揃えてるね?」


『このくらいじゃないと止まってくれないでしょう?』


「どうせならもっと数を揃えればよかったのに――それとも、できなかったのかな」


『…………』


 ドラゴンたちがブレスを吐く。

 ――直前に、バヂバヂッ!! と音が弾ける。

 2匹のうち1匹が痙攣して動きを止めた。

 その周囲には、青白い稲妻を纏った鳥さんが何羽も飛んでいる。


 迫り来る炎は1匹ぶん。

 サラマンダーのみんなに頼めば、それを防ぐのは簡単だった。


 わたしは計算する。

 さっきのドラゴンのブレス放出時間が5秒。

 体格の違いを考えれば、今度は大体8秒ってところ?


 このうちにジャックフロスト隊を動かす。

 2匹同時がつらければ、1匹倒すのを2回繰り返せばいいだけだ。


「強い子を揃えるのは、もちろん大切なことだけど――」


 麻痺しているドラゴンを霜が覆う。

 巨体が氷漬けになるのと、もう一体がブレスを吐き切るのはほぼ同時だった。


「――数がないと、多様性が不足する。簡単に弱点を突かれるよ」


 ジャックフロストたちが続けざまに動く。

 残ったドラゴンの身体に霜が降りたかと思うと、7つ数えるうちに動きを止めた。


 2体の巨大なドラゴンが、続けて砕け散る。

 雪みたいに降り注ぐその欠片を見上げて、わたしは姿の見えない泥棒猫に言った。


「ほら、早く次の子を探したら? ()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 簡単な連想だった。

 わたしと同じような力にも見えるこの支配能力は、きっと悪霊術師の人たちの精霊術を共有させていたのと同じものだ。


 アゼレアは、あの青い炎の女の人が、3つの精霊術を同時に使っていると推測してた。

 3人の精神を束ねることで、3種類の精霊術を共有してるんじゃないか、って。


 そして今、差し向けられたドラゴンも3体。

 それが限界なんだって、気付かないほうがおかしい。

 だって4人以上、4匹以上の精神を操れるなら、やらない理由がないもん。

 ミスリードだとしたら、それこそ今が絶好の種明かしタイミングだし。


 だけど、4匹目は出てこない。

 声の返事もない。

 素直に新しい手駒を探しに行ったみたい。


 敵の精霊術については大体想像がつく。

 3人の精霊術を全員で共有させる効果。

 3匹の生き物を洗脳してしまう効果。

 一見違う効果だけど、メカニズムは同じだ。


 わたしの精霊術はこういうのだから、生き物の意識については、他の人よりずっとよく知っている。

 意識にはそれぞれ波長というものがある。

 それは同じ種族であっても個体によって差があったりする。


 ある程度波長の合っている相手とじゃなきゃ、意識を共有なんてできない。

 例えば兄弟とか、姉妹とか、そういう近しい間柄じゃないと、波長の強いほうが弱いほうを食っちゃうことになる。


 つまり、精神の『共有』じゃなくて『浸食』が起こっちゃうの。

 これが洗脳のメカニズム。

 声の子は、自分の精神で魔物たちの精神を浸食して操ってる。


 だとしたら、たぶん距離に制限はないと思う。

 洗脳された魔物に襲われたからって、その近くに声の子がいるとは限らない。


 でも、向こうの行動自体は手に取るようにわかった。

 きっと手近な魔物を洗脳してこっちに差し向け、時間を稼ぎに来ると思う。

 そのうちに、できるだけ強力な子を手駒にしようとするはずだ。


 だったら簡単。

 これまで見た感じ、強い魔物は身体も大きいことが多い。

 つまり、廊下とか小部屋じゃなくて、広い部屋にいるってこと。

 そういう場所を『みんな』に重点的に探してもらえば、向こうが勝手に網に掛かってくれる。


 引き連れた『お友達』の一部が、さりげなく離れていった。


 わたしは変わらず行軍する。

 襲いかかってくる魔物たちを蹴散らしながら、わたしにしかわからない言葉で斥候の報告を聞いた。


 あんまり時間はかからなかった。

 見つけたみたい。

 デマを警戒して何度も裏を取ったけど、どうやら間違いない。

 わたしと同じくらいの歳の女の子らしかった。


「もう……ほんとモテるんだから」


 わたしは口を尖らせる。

 アゼレアといい……ししょーもなんかちょっと怪しいし。

 まあ、お嫁さんとしては、旦那様がモテるのはちょっと優越感だけどね!


 ……おっと、顔に出ないようにしなきゃ。

 わたしがあっちに監視させているように、向こうもわたしを監視しているはずだから。


 敵の居場所は特定したけど、わたしはそれを追わなかった。

 監視をつけたまま、迷宮の中をでたらめに行軍する。 


 向こうはまだ居場所が特定されたことに気付いてない。

 だけど、わたしの動向は把握しているから、もしわたしがじーくんの居場所に足を向けたら、絶対に反応するはずだ。

 たとえそれが偶然であっても。

 だから、迷宮の中をでたらめに進んで、向こうが反応を示す方向を割り出す。

 それを2回繰り返せば、じーくんの居場所がはっきりわかるのだ。


 ひとまず北。

 ……はずれ。

 次に東。

 ……はずれ。

 今度は南。

 ……ちょっと反応したかな?

 戻って南東。

 ……ここか。


 移動してもう一度。

 しっかりしっかり、丁寧に丁寧に。

 差し向けられてくるおっきな魔物に全力で対処している振りも忘れずに。


「―――みぃつけた」


 唇がほころぶ。

 演技はもうおしまい。


 そこにいるんだね、じーくん。


 わたしは一目散に、割り出したその場所へと向かった。


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