The Pursuing Past - Part1
◆フィル◆
それは手だった。
それは足だった。
水のように淀みなく蠢く『みんな』は、例外なくわたしの手であり足だった。
わたしのお願いを聞いてくれた『お友達』が他の魔物を襲い、新たな『お友達』にする。
それを繰り返し、まるで雪玉を大きくするみたいにして、わたしは『お友達』の数を増やしていく。
数百に増えた『お友達』を流し込むように派遣すれば、迷宮の構造なんて丸分かり。
どんなに複雑な道でも、わたしは迷いなく進むことができる。
たまに、『お友達』が間違った情報を持ってきた。
敵の情報攪乱だ。
でも、二重三重に裏を取るのは基本中の基本。
この程度のデマに踊らされると思ってるなら、ちょっと舐めすぎだよ?
「……じーくん」
わたしの旦那様。
世界でいちばん大切なひと。
あの夏の日に出会って。
ししょーのもとで修行して。
いつしか、わたしの世界はじーくんを中心に回っていた。
理由なんてわかんない。
好きなものは好きなんだからしょうがない。
困ってる顔が好き。
真剣な顔が好き。
微笑んだ顔が大好き。
考え込むときに顎を触る仕草も、気合いを入れるために吼える声も、髪を優しく撫でてくれる手つきも、ちょっと弱気になって甘えてくるときだって。
好き。
全部全部好き。
だから。
「タダで済むと―――思わないでね」
前方に巨体が立ち塞がった。
熊みたいに黒い体毛に覆われた、頭に大きなツノのある鬼。
お城みたいな大きさのそれを、わたしは見上げた。
大鬼が拳を振り上げる。
わたしは動かなかった。
代わりに、右手を軽く挙げる。
「みんな」
怒涛みたく、わたしの『お友達』が動いた。
大鬼が振り上げた拳を放つより早くその足元に群がって、一気にバランスを崩す。
そして大鬼が倒れ伏したところに、大きな岩の塊みたいな『お友達』が墜落した。
大鬼は苦しそうに呻いて動かなくなる。
この子は『お友達』にはなってくれないみたい。
でも。
この程度で、今のわたしは止まらない。
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◆アーロン◆
「なっ……ぁ……?」
ダンジョンマスター、アーロン・ブルーイットは愕然としていた。
彼の迷宮を轟然と踏破していく一人の少女。
フィリーネ・ポスフォード。
その攻略速度は、アーロンの想定を大幅に超えている。
あまりに速い。
まるで象がアリを蹂躙するかのよう。
【試練の迷宮】によって精霊術に制限を受けているはずなのにも拘らず、それでも抑えきれない。
「今まで爪を隠してやがったのか……!? そんなことをする必要がどこにある!?」
わからない。
彼にはわからない。
フィリーネ・ポスフォードという少女は、手を抜いていたわけでも、爪を隠していたわけでもない。
ただ、ただ。
怒っただけなのだ。
まさかその程度のことで?
きっと誰もがそう思う。
しかし現実に、たかが怒ったくらいのことで、彼女の押してはならないスイッチは押されてしまっていた。
(どうする……難易度を再設定するか?)
冷静に考え、すぐに否定する。
(あのお嬢ちゃんの前に姿を現してみろ……あっという間に魔物に呑み込まれて終わりだ)
迷宮の難易度再設定には、挑戦者の前に姿を現す必要がある。
今のフィリーネは、地上で戦っているラケルやルクレツィア・グラツィアーニよりもさらに危険な相手と思えた。
「おい! おい、聞こえるか!!」
そもそもこの状況を作り出した人間に、アーロンは呼びかける。
だが、応答はない。
独断でジャック・リーバーを攫ったときからわかってはいたが、もうこっちの指示を聞く気はないらしい。
「クソが!! だから嫌だったんだ、まとめ役なんざ!!」
悪霊術師ギルドのメンバーは、どいつもこいつも人格に問題のある奴ばかり。
そもそも組織として成立し始めたこと自体、ほんの数年前のことだ。
「ああもう知るか!! てめえの尻はてめえで拭きやがれ!!」
フィリーネのことは独断専行した人間に丸投げすることにして、アーロンはもう一方のほうに注力することにした。
ヤツはここぞというところで暴走したが、その前に仕事をきっちり果たしてくれた。
誤情報に踊らされて集まりつつある4人の子供たちに、アーロンは意識を傾けた。
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◆アゼレア◆
フィルに教えられた道を、私は息せききって走る。
速く。
速く。
速く。
焦れば焦るほどに、嫌な想像は膨らんでいった。
本当に間に合うのかしら?
私たちが罠に気づいたことに、敵も気づいたんじゃ?
だとすれば、罠に誘い込まれたみんなはもう……。
それに、フィルは?
戦闘科ですらないフィルを、一人で行かせて大丈夫だったの?
どうして許してしまったんだろう。
無理にでもついていけば……。
でも、そうしたら他のみんなに危険を知らせられない。
「うう……ううっ……」
泣きそうだった。
錆びついていた涙腺が直ったからか、すぐに涙が出そうになって困る。
泣いている場合じゃなかった。
後悔はあとでもできる。
今はとにかく、みんなに危機を……!
右に曲がり、左に曲がり、三叉路を直進し。
ようやく辿り着く。
これまでに何度も通ってきたような、長方形の広い部屋。
でも、今度はその広さが桁違いだった。
ここ……本当に地下なの?
校舎が丸ごと入っちゃいそうな広大さ。
どうしてこんな広さが必要なのか、まるでわからない。
「おっ! お嬢様じゃん! おーい!」
声のほうを見ると、求めた姿があった。
エルヴィスさんを壁際に横たえて、ルビーとガウェインさんがそれを看ているようだった。
駆け寄る時間ももったいない。
私は衝き動かされるままに叫ぶ。
「みんな!! 早くここから逃げ――」
――ガッゴン!!
入口が、音を立てて塞がった。
しまった、閉じこめられ―――!?
「やれやれ、気付いたか」
ほの暗い男の声がした。
私たちは一斉に前方を見る。
広大な空間の奥には、出口らしき大扉があった。
その手前に、見覚えのある男が立っている。
「アーロン・ブルーイット……!」
「覚えてもらえていて光栄だな。こういう精霊術なもんで、顔を覚えられるなんてのは久しぶりだ」
顔の右半分を仮面で隠した男は飄々と言った。
「じゃあその礼も兼ねて、難易度を変えてやろう。無限湧きのモンスターハウスにしてやろうと思っていたが、こっちの罠に気付いたんだ、褒美がなくっちゃフェアじゃねえ」
……!
そうか、ダンジョンマスターであるこの男が、わざわざ私たちの前に姿を現す理由は一つ。
難易度変更……!
「おっと、殺気立つなよ。易しくしてやろうって言ってんだぜ? ここで俺を殺すのはうまくない」
誰が信じるものですか!
理屈ではそう思えるものの……蒼き炎を放とうとした私の身体は、硬直してしまった。
アーロンは口の端を釣り上げる。
「さあ、黙ってご覧じな――我が迷宮最大の番人、《千年三叉竜トライザドラ》!!」
足元が揺れた。
床の石材がガタガタと歪んで、私たちは立ってもいられなくなる。
「な、なんだ、これ……!?」
「何か……何か来るぞ……! 警戒しろ!!」
ガウェインさんに言われるまでもなく、警戒感は限界を振り切っていた。
地下深くから伝わってくる震動は、まるで鼓動のよう。
それは時を追うごとに大きくなり――
床が弾け飛んだ。
それも、三ヶ所同時に。
噴火のように石材を飛び散らせながら現れたのは、大樹ほどの大きさを持つ蛇だった。
いや……蛇、というか。
竜。
神話伝承の中でしか聞いたことのない最強生物。
その首が、三つ。
床の穴から大きく伸びて、鎌首をもたげたのだった。
「いいことを教えてやる」
半仮面のアーロンが、背後にある大扉を親指で指して言った。
「お前らが目指している結界の制御室は、あの扉の奥だ。ま、鍵がかかってるんだがな」
鍵。
私は思い出した。
ラケル先生から託された鍵は、ジャックが持っている――
「よしんば鍵があったとしても、俺の迷宮をクリアしねえ限り、あの扉は開かねえ。ってわけでだ」
鎌首をもたげる三頭の竜の向こう側で、アーロンは道化のようにうそぶいた。
「――ボス戦の開幕だぜ。せいぜい楽しんでくれや」




