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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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The Chirp of Girl - Part3

◇ガウェイン◇


 その日は、雨だった。

 商店の数々は店を閉め、予期せぬ休日を得た人々は家の中に籠もった。

 だから、夜のように人通りの少ない通りには、オレと閣下――師匠であるデンホルム・バステード九段――しか歩いていなかった。


 閣下は雨が降ったくらいではお休みにならない。

 弟子兼従士であるオレもまた然り。

 あのときは――そうだ。

 確か、修練場の視察を終えた帰りだった。


 細い路地の壁際に、小さな女の子が座り込んでいた。

 まるで影に溶け込んでいるかのようで、不覚にも驚いてしまった。


 王都において、物乞いは珍しくない。

 定職を持たないスラムの住民は、主に路上のゴミ拾いで生計を立てる。

 だが、それができない者もいる。

 五体が不満足である者や、肉体労働のできない老人などだ。


 得てして、そういう『弱者』ほど物乞いには適している。

 一石二鳥の、スラムの住民ならではの生きる知恵というやつだ――


 と、閣下に習ったことがあった。


 しかしその少女は、手足はしっかり揃っているし、むろん老人でもなかった。

 そもそも、目立たない路地に隠れていてはもらえるものももらえない。

 今日は雨で人通りも少ないのに、あんなところで何をしているのだろう?


 疑問に思って目を留めると、不可思議なことに気付いた。

 少女には、人間には有り得ない特徴があった。


 耳と尻尾。

 猫のようなそれが、頭とお尻に。


 見たことのない種族だった。

 だからオレは閣下に尋ねた。


「あの子はなんという種族ですか?」


 疑問があれば何でも訊くように言われていた。

 閣下はいつものように、感情の伺えない、芯のある声で答える。


「ケットシーという種族だ。遙か古の時代には、我々ヒト族と同等の繁栄を誇っていたと言われるが、現在ではずいぶんと数を減らしてしまった」

「どうして少なくなってしまったのですか?」


 さらに疑問を重ねると、流れるように知識が溢れ出した。


「大いなる指輪は知性ある者すべてに優劣をつけないが、中には純粋なヒト族以外は獣に過ぎないと考える輩もいる。

 中でもケットシー族は、一部の不信心な者どもによって、古くは『愛玩種族』などと呼ばれ、家畜のように飼育されていた。

 今では厳しく罰せられるが、その愚かしい所業が、種族それ自体を衰退させ、今もああして、その末裔を苦しめておるのだ。

 ……不憫なことだ。

 ガウェインよ、施してやりなさい」


 オレは頷いて、路地に座り込むケットシーの少女に近付いた。

 オレと同い年くらいだろうか。

 継ぎ接ぎした衣は雨に濡れて、その身は寒さに震えている。

 きっと腹も空かしているだろう。

 オレは彼女を哀れに思った。


 オレはちょうど昼食用のパンを持っていたことを思い出した。

 それを一切れ取り出し、傘と一緒に彼女に差し出して言う。


「どうぞ」


 ケットシーの少女は、頭の上の耳をピクリと振るわせた。

 そして、オレを見る。

 いや――見る、じゃない。

 彼女は、オレを睨みつけた。


 少女の濡れそぼった右手が閃いて、オレの手を強かに払った。

 雨に濡れた地面に、ピチャッとパンが落ちる。

 オレは、雨に濡れてぐずぐずになっていくそれを、呆然と見た。


 少女は無言で立ち上がり、路地の奥へと走り去っていく。

 オレはそれをただ見送った。


 今の、あの子の、目――

 オレを睨みあげた、その両目には。

 紛れもなく、憎悪が宿っていた――


「怒ってはいかんぞ、ガウェイン」


 肩に閣下の大きな手が乗せられる。


「人は本当に貧しくなると、施しすら受け入れる余裕がなくなってしまうのだ。実に不憫なことだ」


 不憫だ。

 可哀想だ。

 閣下はそう繰り返した。


 閣下の言葉に、オレは初めて、疑問を覚えた。


 不憫で可哀想なはずの、あの少女。

 その目に、震えるほど強い意志が宿っていたように見えたのは、気のせいだったのだろうか?


 あの少女は、本当に可哀想だったのか?


 不憫で可哀想だというのは――

 一体、どこの誰が決めるのだろう……?




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆ルビー◆


 自分でも何が何だかわからなかった。

 気付いたら、ガウェインの手を払って、走り出していた。


 やってやる。

 自分だけでやってやる。


 そんな出所のわからない激情だけが、頭の中でぐつぐつと煮えたぎっていた。


 ベリルの姿を探す。

 手持ちの武器は、ほとんど水に流された。

 それでもやる。

 ぶっ殺す。

 あたし一人だけで!


 何か考えているようで、その実、何も考えちゃいなかった。

 だから――

 殺意が導いた、と言う他にない。


 ベリル・エイトキン。

 原色を身に纏った華美な女が、視線の先に見えた。


 特に特徴のない、四角い部屋だ。

 壁際に座り込んで、ピンク色の飴を食べようとしていたベリルは、部屋に入ってきたあたしを見て驚いた顔をした。


「あっれれ~? なんで生きてんの?」


 知るか。

 殺してやる。


 あたしは【一重の贋界】で身を隠した。

 多くの武器が流されたが、ナイフくらいは残っている。

 ナイフが1本あれば、1人殺すには充分だ!


「うっへー。殺る気マンマン」


 あたしが透明のまま走り出すと同時、ベリルは青い炎を飛ばしてきた。

 だけど、【一重の贋界】で透明になっているあたしには、どんな攻撃も通じない。

 青い炎の中をまっすぐ突っ切った。


 簡単だ。

 簡単なことだ。

 首。

 胸。

 どこかにこのナイフを突き刺してやれば、それで絶命する。

 たったそれだけのことだ。

 簡単だろ。

 あたし一人で充分だ!


 ベリルの喉元に向けて、ナイフを突き出した――

 その瞬間。


「よっと」


 ベリルは身体を後ろに反らした。

 たったそれだけで、あたしのナイフは空を突く。

 それだけじゃない。


「つっかまっえた♪」


 手首を、ベリルに掴まれていた。

 当然の話だ。

 透明になっている間は、どんな攻撃もすり抜ける――

 つまり、あたしの攻撃だってすり抜けるってことだ。

 攻撃するときには、あたしは自ら姿を現さざるを得ない。

 その瞬間を突かれれば――

 当然、こうなる。

 超基本的な、【一重の贋界】対策だった。


 ……ああ。

 マジかよ。


 こんな……こんな簡単な。

 注意していて当たり前の、超超基本的な対策に……。


 ようやく、気が付いた。

 自分が冷静さを欠いていたことに。


 学院の教えを思い出す。

 精霊術戦において、冷静さを欠くことは敗北を意味する――


 ベリルはあたしの手首をねじり、そのまま地面に組み伏せた。

 あたしは小柄なほうだ。

 歳も、たぶんベリルのほうが上だろう。

 体格差があった。

 こうして、背中に膝を乗せられてしまったら、もう覆すことはできない。


「はい、しゅーりょ~♪」


 ベリルはせせら笑うように言う。


「さあて、どうしよっかな~。とりあえず、どうやってあの罠から抜け出したわけ?」

「離せっ……!!」


 無駄と知りつつ、あたしは暴れた。

 だけど、ベリルはまったく揺らがない。


「おー、こわー。教えてくれないんなら、ちょっといじめちゃおっかな? ……あ、『いじめ』じゃ人聞き悪いよね。これは『いじり』で~す! ネタにマジになんないでくださ~い!」


 けらけらと甲高い声でベリルは笑う。

 その笑い声が、小さい頃、あたしを虐めていた連中のそれと重なった。


 ネタだから。

 冗談だから。

 遊びだから。


 そう言って、無邪気にあたしの人間性を踏み躙っていたあいつらを、思い出す……。


「あ、そういえばぁ……ずっと気になってたんだよね~」


 不意に、ベリルは言って。

 あたしの頭に――

 あたしの帽子に、手を伸ばした。


「この帽子……中どうなってんの? ハゲてたりして! きゃはは……!!」

「やめろっ……! やめろっ、やめろおおっ!!」


 あたしがどれだけ叫んでも、ベリルが聞くはずもなかった。

 手が無遠慮にあたしの大きな帽子を掴み――

 剥ぎ取る。


 そして現れた、あたしの頭を見て。

 ベリルは――

 甲高い嬌声を上げた。


「かっ…………わいい~~~~~~~っ!!!」


 あたしは唇を噛む。

 拘束されていて、手で隠すこともできない。


 あたしの頭の上には――

 大きな猫の耳があった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◇ルビー◇


 両親の死体を発見して。

 そのあとに聞いた話だ。


 あたしの両親は、とある貴族のペットだったらしい。

 おそらくあたしは、飼い主が戯れにペット同士を『交配』させたことで生まれたのだろう、とスラムの大人たちは言った。


 飼い主の目的は『交配を観賞する』という娯楽であって、結果、生まれてくる子供は邪魔でしかなかった。

 だから捨てたのだ。

 余った野菜を廃棄するかのように。


 飼い主にもいろいろといる。

 家族と同じように愛し、死ねば丁重に供養する者もいれば――

 壊れた玩具のように、その辺に捨てる者もいる。


 どちらにせよ。

 ペットに、飼い主を選ぶ権利などなかった。

 自分の末路を選ぶ権利なんて……なかったんだ。


 そうした細かい事情を聞かずとも、両親の死体を見た瞬間、あたしは直感的に理解した。


 一人で生きていけるようにならないといけない。

 誰に助けられることもなく、たった一人で。

 そうしないと、死に方すら選べなくなる。

 この人たちのように――


 雨が降りしきる中、あたしは路地に座り込んだ。

 そうして、ゆっくりと。

 今までの自分を、殺していった。


 弱い自分。

 可哀想な自分。

 不憫な自分。

 助けられなければ生きていけない自分。


 それらを、ゆっくり、ゆっくり。

 丹念に丹念に。

 殺し尽くしていった。


 その作業を終え、ふと顔を上げると、大柄な少年が立っていた。

 彼はあたしに向かって、傘を一本とパンを一切れ、差し出してきた。


 以前のあたしなら。

 たどたどしく感謝を述べて、それを受け取っただろう。


 でも――

 今のあたしには、不要だった。


 差し伸べられた手を払うその行動は。

 パンを濡れた地面に跳ねさせる、その行為は。

 今までの自分と決別するための、いわば儀式だった―――


 スラムに帰り、大人たちが事情を聞き出したあたしは、その足で連中のもとへと向かった。

 あたしを虐めていた連中だ。

 あたしの耳や尻尾をおかしいと笑って、バケモン女と罵って、げらげらと笑っていた連中だ。


『あーん? なんだ、バケモン女じゃん』

『あのじーさん、死んだんだってな。お前がなんか病気移したんじゃねえのー?』

『うわっ、逃げようぜ! ルビー菌が移る!』


 あたしは――

 何も言わなかった。


 ただ、無言で。

 一番先頭にいた奴に近付いた。

 そして。


 精霊術で見えなくしていたナイフを、二の腕の辺りに突き刺した。


『えっ……?』


 そいつは、突然二の腕に出現したナイフを呆然と見つめた。

 その間に、あたしはナイフを引き抜いて、今度は太腿に突き刺した。


『いッ……ぇああっ……!?』


 痛い、とも言えずに、そいつはその場に転がった。

 二の腕と太腿から溢れ出した血が、地面の上に広がっていく。


 ああ――違う。

 こんなもんじゃない。

 あたしがこいつらに強いられるかもしれなかった未来は、こんなもんじゃない。


『おまッ……お前ぇええぇっ……!!』

『おっ、大人っ……誰か大人を――』


 逃がしはしなかった。

 その場にいた全員を捕まえて、腕や足をぶっ刺してやった。


 腕や足に限定したのは、命までは取る必要がなかったからだ。

 これは、反逆。

 そして、格付け。


 痛い痛いと呻いて、

 哀れに、

 無様に、

 不憫に、

 可哀想に、

 あたしに助けを乞う、その目を――

 見る必要があっただけだ。


『ごめんな、さいっ……』

『たず、げてっ……!』


 その言葉を聞き届けると、あたしは素直に助けを呼んだ。

 呼ばれた大人たちは、子供たちの様子を見て驚き、あたしが犯人だと知ってさらに驚いた。


『ルビーちゃん……?』

『どうしてこんなことを!』

『大人しい子だったのに……』

『わかっているのか! 自分が何をしたのか!』

『反省しているのか!?』

『これまで俺たちに助けられてきたくせに――』


 大人の一人が、そう言いかけたとき。

 あたしは、彼らの足元にあるものを放り投げた。


 それは、上等そうな財布だった。

 大人の一人が、怪訝そうに眉をひそめながら、それを拾って中を見る。

 そして、愕然と目を見開いた。

 その財布の中には、大量の金貨が入っていたからだ。


『返す』


 あたしは言う。


『今まであんたらにもらってきた分。ノシ付けて』


 それから、あたしは店からパクってきた大きな帽子を頭に被った。

 尻尾も服の中に隠す。


 これは、宣言だった。

 誰の助けも借りない。

 同情なんていらない。

 そういう宣言だった。


 ――以降のあたしは、スリを中心にスラムの稼ぎ頭となる。

 社会において、カネは正義だ。

 カネがあれば、違法なペットを飼って子供を産ませてスラムに捨てたって許される。

 誰もがあたしに助けを求め、あたしの同情を買おうとした。

 7歳になる頃には、スラムはあたしの国になっていた。


 あのジジイ――

 ホゼア・バーグソンに出会ったのは、ちょうどその頃のことだ。



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