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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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The Chirp of Girl - Part1

◆ルビー/ガウェイン◆


「はあっ……はあっ……はあっ……!」


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン。

 ガウェインの鎧の音が耳につく。

 でもそれも、自分の荒い息に比べればいくらかはマシだ。


「どーこまーで逃げんのー? きゃはははっ!」


 あたしは走りながら背後を振り返った。

 角の向こうから、真っ青な炎が首を覗かせている。

 アレに巻かれたら終わりだ。

 だがいくら走っても、あいつは影のようにぴったりと追いかけてくる……!


 横道が目に入った。

 あたしは咄嗟に判断する。


「こっちだ!」

「むっ!?」


 ガウェインの腕を引っ張り、その横道に飛び込んだ。

 同時、横道の入口を贋界膜――幻影の壁で塞ぐ。

 こっち側からは廊下の様子が透けて見えるが、向こう側からはこの横道は見えないはずだ。


 あたしたちは息を潜めた。

 呼吸、鼓動、ほんのわずかな衣擦れ。

 普段は気にもしない音が、いちいち気にかかる。


 やがて、足音が聞こえてきた。

 あいつだ。

 あの女だ。

 あたしたちは、自然と息を止めた……。


 質量のある幻影によって隠された横道の前に、そいつ――ベリル・エイトキンは姿を現した。


 華美な女だった。

 原色だらけのチカチカする服。

 耳にはピアスが光り、両手の爪は色とりどりにテカテカしている。

 貴族の娘がやるような着飾り方とは、それは根本的に違っていた。

 どこかの部族かと思ったくらいだ。


 そんなふざけた奴から、あたしたちは逃げまどっている。

 それもこれも、あの青い炎のせいだ。

 常識外れの火力。

【黎明の灯火】使いとは級位戦で幾度となく戦ったことがあるが、あんな馬鹿げた火力は初めてだった。

 鉄すら簡単に溶かしちまうような奴と、どうやってまともに戦えってんだ?


 このまま行っちまえ……!

 目の前を歩いていく華美な女を睨み、あたしはそう念じる。


 ベリル・エイトキンは前を見ていた。

 すぐ横に隠された脇道には一瞥もくれない。

 ……気付いてない。

 いける……!

 そう思った瞬間。


 くるり。

 と。

 二つの眼が、あたしたちを見た。


「みぃつけた☆」


 なんで……。

 なんで、わかるんだよ……!?




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「くそっ……! くそっ! なんでだ、くそっ……!!」


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン。

 あたしたちはまた走っていた。

 あの不気味な女から逃げるために。


「なんでわかるんだ、あいつ! 振り切っても、隠れても、あたしの精霊術すら見破って、どうやって……!!」

「何らかの精霊術か……!?」

「んなわけねーだろ! だったらあの炎はなんなんだよ!?」


 精霊術は一人につき一つ。

 これは絶対的なルールだ。

 ラケルせんせーみてーな例外はあるけど、あれだって『精霊術を模倣する精霊術』を一個持ってるだけでしかねー。

【黎明の灯火】を使いながら、また別の精霊術であたしらを探知するなんてこと、できるはずがねーんだ。


 とにかく距離を取る他になかった。

 居場所が知られても、追いつけねーくらいの距離さえあれば、あの青い炎も怖くねー。

 別にあたしたちは、あの女を倒す必要はない。

 先に進むことさえできればいーんだ。

 最初にベリルが姿を現した、大穴のある部屋――あの先にある扉にさえ辿り着ければ。


「……あ」


 そこで、あたしは思いついた。

 思いついてしまった。

 ベリルを撒いて先に進む方法を。


 あたしは隣を走るガウェインを見た。

 ガウェインは怪訝そうに見返してくる。


「どうした?」

「いや……」


 あたしは目を逸らした。

 ……何を躊躇う必要がある?

 迷う理由なんてない。

 少なくとも、以前のあたしなら――学院に入学する前のあたしなら、即決で選んだ選択肢だ。


 あたしは、一瞬浮かび上がった躊躇を即座に飲み込んだ。

 そのとき、ちょうど十字路に差し掛かった。

 あたしは躊躇うことなく、大声で叫ぶ。


「そっちだ! 右に曲がれ!」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆ガウェイン◆


「そっちだ! 右に曲がれ!」

「わかった……!」


 ルビー・バーグソンに指示されるのは些か以上に癪だったが、今は指示系統の奪い合いをしていられる状況ではない。

 オレは言われたとおり、十字路を右に曲がった。


 しかし。

 バーグソンは曲がらなかった。

 そのまま直進した。


「バーグソン……!?」


 オレは驚き、立ち止まって振り返る。

 そこにはもう、誰もいなかった。

 バーグソンの姿は、完全に消えていた。


「……ああ」


 オレは、すぐに察した。

 置いていかれたのだ。

 奴はオレを囮にして、自分だけ逃げおおせるつもりなのだ。


 ……そうか。

 ああ、なるほど。

 その手があったな。

 オレとしたことが、不覚だった。

 こんな単純で有効な手を、思いつきもしなかったとは――


「おんやぁ?」


 立ち尽くしていると、あの華美な女――ベリル・エイトキンが追いついてきた。


「一人ぃ? 置いてかれたんだ~。カッワイソ~」


 ベリル・エイトキンはにたにたと笑う。

 嘲られている。

 そう感じた。


「……役割分担だ」


 その必要もないのに、オレは反射的に言い返していた。


「オレはこの通り、重装備で機動力に欠ける。ならばこうして囮を受け持つのが、賢明な選択というものだろう」

「それね! 確かに~。うんうん、わかるわかる」


 形だけなのがありありとわかるベリル・エイトキンの反応に、オレは苛立ちを募らせた。


 ……落ち着け。

 自分で言ったとおりだ。

 これが正しい選択なのだ。


 それに、元より信頼し合うような仲でもない。

 むしろ不仲なほうに分類されるだろう。

 裏切るも何も、最初からあったものか。


 ――頭ではわかっていた。

 理屈の上では理解していた。

 だが――どうしてなのか。

 自分の心情を客観的に分析すると、オレは憤っていた。

 怒っているのだ。

 なぜか。


「うう~ん。あっ、いいこと思いついた」


 剣と盾を構えるオレの前で、ベリル・エイトキンはまるで無防備にポンと手を打った。


「ねえ、取引しよーよ」

「……取引だと?」

「ちっこいほうがどっち行ったか教えてよ。そしたらアンタは見逃したげる」


 オレは呼吸を止めた。

 悟られないよう、すぐに取り繕う。


「何を馬鹿な」

「アンタよりあのちっこい子の相手したほうが楽そうだしさ~。一人くらい先に行かせたって、アーロンさんが何とかするっしょ!」


 あっけらかんと、無責任に、ベリル・エイトキンは言い放った。

 この女……本気だ。

 本気で、自分の役目を放り出そうとしている。


「早く先に進みたいっしょ? この取引に乗るのが『賢明な選択』ってやつだと思うけどなあ~」

「ほざくな。ここでオレが時間を稼いでも同じことだ。バーグソンが先に進む」

「あ~、それさ~。無理なんだよね! 実は!」

「なに?」


 にたあ、と。

 ベリル・エイトキンは嗜虐的に笑った。


「特別に教えちゃおっかな! じ・つ・はぁ~」


 そうして。

 華美な女は、秘密を明かすように語った。


 オレは愕然とする。

 それが事実だとすれば――

 オレがここで時間を稼いでも、バーグソンは先に辿り着けない。


「ほら、わかったっしょ? ここでウチの取引に乗る以外、先に進む方法はないんだって。

 しかもお買い得! アンタを裏切って置いてった薄情な女の居所を教えてくれるだけでいい! こんなおいしい取引ないと思うけどな~」


 オレは――

 考える。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆ルビー◆


 ベリルの感知能力のカラクリはわかんねー。

 だけど、身体は一つしかない。

 たとえあたしのいる場所がわかっていたとしても、ガウェインにかまけている間は追いかけてこられないのだ。


 級位戦じゃねーんだ、馬鹿正直に打ち倒す必要はねー。

 これが最善手なんだ……。


 あたしは大穴に石橋が架かっている部屋まで戻ってきた。

 ベリルの奴はここで待ち伏せしていた。

 この先には行かせたくないってことだ。

 石橋を渡った先には扉がある。

 おそらくあの向こうに、このダンジョンを抜ける出口がある!


 あたしは石橋を駆け抜け、扉に飛びついた。

 鍵はかかってない。

 あたしは一気に引き開く。


 廊下が伸びていた。

 薄暗くて、先はよく見えない。

 松明……は、ガウェインが持ってたんだっけ。

 仕方なく、あたしは壁に手を添わせながら、薄暗い廊下を歩いていく。


 やがて、部屋に出た。

 そこまで広くはない。

 学院の教室よりも、ちょっと天井が高いくらいか。


 真ん中まで入っていくと、向こう側の壁が見えた。


 右に視線を振る。

 ……壁。

 左に視線を振る。

 ……壁。


 壁しかない。

 先に続く扉も、道も、見当たらなかった。


 ……ここに来るまで、一本道だったよな?


 とりあえず、いったん戻ってみるか。

 薄暗かったし、横道を見落としたのかもしれない。

 そう思って、あたしはきびすを返し、部屋を出ようとした。


「――だっ!」


 ゴツン! と額に何かが当たって倒れ込む。

 なんだ?

 壁!?


 立ち上がって手を伸ばす。

 壁があった。

 透明な壁が、入口を塞いでいた。


 ……え。

 もしかして、あたし……。

 閉じ込められた?


 事実を認識した直後――

 透明な壁の向こうに、人影が現れた。


「引っかかった引っかかった♪」


 ベリルがにたにたと笑って、壁越しにあたしを見ている。

 背筋がざわついた。

 ベリルの、まるで檻に入った動物を見るような目が、癪に障った。


「てめー! なんだよ、これ!!」

「ふふ、ふふふふ! 思ったっしょ? ウチがここから出てきたから、この先に出口があるんだって、そう思ったっしょ? 思うよね~! ウチもそう思うもん! アーロンさん超意地悪~☆」


 ……罠、だったのか。

 ここから出てきてみせたのは、罠に誘い込むため……。


「というわけで、アンタはここで脱落で~す☆」


 ガコン、という音がした。

 見上げると、天井に穴が開いていて――

 直後。


 水が滝のように流れ落ちてきた。


 足が水に浸されていく。

 床を覆い尽くしてもなお、流れ落ちる水は止まらない。


 ぞっと戦慄が走った。

 誰だってわかる。

 しばらくすると、この部屋がどうなるのか。

 水は、止まらないのだ。

 この部屋を満たすまで。

 あたしの息の根を、止めるまで。


「あ、そうそう。一つ教えといたげる」


 あたしは顔を上げた。

 反射的に、無意識に。

 あたしは――

 ベリルの言葉に、救いを求めていた。


「あのもう一人の……ガウェイン君って言ったっけ? あのコ、アンタの居場所吐いて先行っちゃったから。だから助けは期待しないほうがいいよん」


 ……は。

 そうかよ。

 そりゃそうか。

 先に裏切ったのはあたしだもんな。


 知るか。

 関係ねー。

 あたしは一人でやる。

 そう決めたんだ。


「――ぁあぁああああああああああああッッ!!!!」


 あたしは怒鳴りながら、透明な壁に体当たりした。

 だが、壁は震えるだけ。

 壊れる気配は欠片もない。

 足首が、水に沈んだ。


「じゃ、溺死したら呼んでね~。霊力切れにしたら回収することになってっからさ~」


 軽い調子で言って、ベリルは廊下の向こうに姿を消す。

 ドドドドドドド……という大量の水が流れ落ちる音だけが、あたしの耳に残った。


 水位が上がってくる。

 あたしは頭に被った帽子を押さえた。

 冷たい感覚が、あたしの全身を覆っていく……。



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