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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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When the Blue Flame Blooms - Part4

 青い炎が荒れ狂っていた。

 黒こげになった魔物が湿った地面に転がっては消滅していく。

 私がフィルを追いかけて向かった先は、地獄のような有様になっていた。


「フィル……? フィル……?」


 空気が薄い。

 こんな風通りの悪い場所で、こんなに炎を燃やすからだ。

 アデラにはそんなこともわからないのだろうか。

 ……いや、そんなはずない。

 だとしたら……。


「あぁあぁああああぁもうッ!!!」


 炎の向こうから苛立たしげな声が聞こえてきた。


「ちょこまかちょこまかちょこまかちょこまか!! いつまで逃げる気ですのッ!?」


 そしてまた、ゴォウッ!! と大きな青炎が迸る。

 私がどれだけ眠っていたかはわからないけれど、その間、ずっとフィルを追いかけ回していて、そうとう頭に来ているようだ。


 とにかく、フィルはまだ無事。

 アデラは苛立ちから判断力を欠いている。

 今なら……!


 アデラはある方向へまっすぐ移動しようとしている。

 そこに、どこからともなく現れた魔物が襲いかかっては、火だるまになっていた。

 どうやってかは知らないが、この炎の中、アデラはフィルの位置を正確に把握しているのだ。

 私は先回りを試みた。


 魔物による妨害で、アデラはわずかではあるけれど、歩みを遅らせていた。

 だから、先回りはそう難しくはなかった。


 私は燃え盛る青炎をかい潜る。

 舞い散る火の粉を払いながら、フィルの姿を探す。


 あんないいかっこさせたままで、終わらせるもんか。

 今のままじゃ、私ばっかり悪者じゃない!

 あんたが何を言っても、無理矢理助けてやるんだから……!


 わけのわからない情熱が燃えていた。

 こんな青い炎なんかより、ずっとずっと熱く燃えていた。


 思えば、フィルという女の子は最初から意味不明だった。

 勝手に恋敵扱いされて、勝手に敵意を向けてきた。

 私はどうすればいいかわからなくて、ただ戸惑うばかりだった。


 2年半経った今だってそう。

 意味がわからない。

 わけがわからない。

 きっと根本的に、私とは違う人種なのだ。


 だけど。


 私に『休め』と言ったのは、彼女が初めてだった。

 あんなひどいことを言われてなお、彼女は、私の状態を察したのだ。

 今の私をいの一番に理解したのは、根本的に違う人種であるはずの彼女だったのだ。


 それが……ああ、なんでだろう。

 私、嬉しいって思っちゃってる。

 精霊術を使えるようになって、生まれて初めて褒められたときよりも。

 ずっとずっと、大きく、温かく、嬉しくてしょうがない。


 どうしてだろう?

 なんでこんなに嬉しいんだろう?

 その答えが出る前に――


 揺らめく青炎の向こうに、フィルの姿を見つけた。


 柱のように屹立する岩の陰に、背中を押しつけて隠れている。

 モグラ魔物のウィーちゃんの姿はない。

 もうやられてしまったのだろうか。

 たった一人、フィルは戦っていた。


「フィル!」

「えっ……? あっ! なんで――」


 フィルが私に気付いたそのとき。

 彼女が隠れる岩の向こう側で、カッと青い輝きが瞬いた。


 考えている余裕はなかった。

 私は紅蓮の炎を放つ。

 それは岩ごとフィルを焼き尽くそうと迫った青炎と衝突し、ほんの一時ではあるけれど、進行を押し留めた。

 その間に私はフィルの腕を引いて走る。


「アゼレア……なんで……」

「なんではこっちの台詞よっ!!」


 私は走りながら叫んだ。


「どうして私のために身体を張ったりしたのっ!! 私、あんなこと言ったのに!! 意味わかんないわよっ!!」

「…………だって」


 フィルの腕を引く私の手を――

 逆に、フィルのほうがきつく握ってくる。


「だって、ムカついたんだもんっ!!!」

「……はあ?」


 危うく足を止めそうになった。

 かろうじて走ったまま振り向くと、フィルは思いっきりむくれていた。


「ニコニコ笑ってるだけとか! 媚び売ってるだけとか! そんなこと言われて、腹立たないわけないよっ!! なのにさ! 直後にあんな『しまった、言っちゃった』みたいな顔されたらさ! こっちからは何も言えなくなっちゃうじゃんっ!! ズルいよそんなの!! だからいったん落ち着かせて、改めて文句言ってやろうと思ったのっ!!!」


 そ……そんな理由で……?

 いくら結界が効いてるって言っても、無事に済むとは限らないのに……。


「ばかっ!! アゼレアのばかっ!! じーくんとコンビ組むのぜんぜん楽じゃないし!! 情報収集いっつも大変だし!! 他の人だったらまだ2級くらいでもっと楽かもなーって思うこともあるし!! 好きな人じゃなきゃやってらんないよこんなのっ!!」


 ぐずぐずと泣きながらフィルは叫ぶ。


「一緒の部屋に住むのだって実際けっこう気遣うし! じーくん時たまスケベで、わたしがそーゆー気分じゃないときもちゅーしたがったりするし! なのにわたしが甘えたいときは忙しいとか言って鬱陶しそうにしたりするし! いつもニコニコするのも割と大変なんだよっ!?」


 文句を言われているのかノロケられているのかわからなくなってきた。


「だいたい! アゼレアだって!」

「は? 私!?」

「いい加減、じーくんに気があるくせに誤魔化すのやめてよっ!! ズルいよそれっ!!」

「いや、だから! それは誤解だってずっと言ってるじゃない!」

「嘘だもん! 目を見ればわかるもん! 乙女の勘だもん!!」

「あんたねえ……!」

「ほんとは好きなくせに嘘つくから、わたしがじーくんに怒られるんじゃん!!」

「思いこみだって言ってるでしょ!?」

「思いこんでるのはどっちなのばかっ!! ほんとに好きじゃないんなら、じーくんに話しかけられたときにちょっと目を泳がせるのやめてよっ!! 少しだけ顔を赤くするのも! 声のトーン高くするのも!! ぜんぶ好きな人への反応だもんっ!! わたし見てるんだから!!」

「そっ……そんなことしてないっっ!!!!」


 自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。

 それを誤魔化すみたいにして、頭に血が上っていく。


「そんな風に言うんだったら、私だって言いたいこともっとあるわよっ! あんた、私の服借りてったことあるわよね!? 返ってきたとき、ちょっと破れてたんだけど!! ものの扱いが雑なのよ!!」

「そっ、そっちだって!! たまに壁殴るのやめてよ!! わたしよりそっちのほうが乱暴だよ!!」

「毎日毎日あんたたちがイチャイチャイチャイチャしてる声を聞かされるこっちの身にもなれってのよーっ!! むしろ壁ドンに留まってるのを感謝しなさい!!」

「ちょっ、ちょっとくらい気を遣ってくれたっていいじゃん!!」

「あの尋常ならざる猫なで声をやめるなら考えてあげるわよ! なんなのあれ? 『じ~ぃくぅ~ん』って、どこから声出てるの? 超音波攻撃かと思ったわ! 背筋がぞわぞわして耐えられないのよ!!」

「……そんなだからモテないんだよ(ボソッ)」

「…………なんですって?」

「わたし知ってるよ。顔はそんなに可愛いくせに、男子に告白されたことないんでしょ? みんな言ってるよ。お堅すぎて近寄りづらいって」

「み、みんなって誰よ!?」

「みんなはみんなだよ。ちなみにわたしはラブレターもらったこと何回もあるもんね~! じーくん、割と嫉妬するほうだから黙って全部断ってるけど! あーあ、可哀想だなー、可愛げのない性格の人って~。このまま誰にも愛されないまま成長して、会ったこともないおじさんと政略結婚させられちゃうんだろうな~。同情しちゃ~う」

「やっ、やめてっ!! 結構リアルなんだから、それっ!!」

「二回りも上の脂ぎったおじさんと結婚させられるなんてかわいそ~」

「やーめーてーっ!!」


 私たちはいつの間にか立ち止まっていた。

 ただ、口だけは止まらない。


「…………わかったわ」

「何が~?」

「言うわ。こうなったら言ってやるわ。気を遣って今まで黙ってたけど、あんたがそこまでやるなら私だって容赦しない!」

「将来おじさんと結婚させられる人の話なんて効きませ~ん♪」

「私……ジャックに胸触られたことあるの」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 フィルが完全に停止した。


「私がこけかけて、それをジャックが支えてくれたんだけど、そのときに……。事故を装ってたけど、あれ、絶対わざとよ。だって3回くらい揉まれたもの」

「え……いや……ちょっと……え、とゆーか」


 フィルは死んだ魚のような目で私の胸元を見た。


「…………あるの? もう?」

「去年くらいから膨らんできたけど」

「あっ……あ~……」


 フィルは何か納得するような声を漏らしながら、自分の胸をぺたぺたと触った。

 ぺたぺた。


「最近、ちゅーしてるとき、どさくさに紛れて胸触ってくるな~と思ったら……そっか~」


 婚約者の胸が育つのを今か今かと待ちわびているのだろうか、あの男。

 などと思っていると、死んでいたフィルの目が、不意に修羅のそれになった。


「これかぁああああああっっ!!!!」

「きゃああああああああっ!!!」


 突然、フィルが私の胸を掴んできた!


「あーっ!! ある! ほんとにある!! これかぁああ!! このやらしい身体がじーくんを誘惑したのかぁあああぁ!!!」

「やっ、やらしいとかっ……ちょっ、くすぐったいって! あはっ、あはははは!!」


 フィルに押し倒されて、私たちは絡み合うようにして地面に転がった。

 フィルの手が執拗に胸を揉みしだいてきて、私は耐えきれずに笑ってしまう。


「ふふっ、ふひゃはは! ちょっ、やめてってば……! んんっ!」

「あっ、色っぽい声出した!! じーくんのときもそうやって誘惑したんでしょ!! 媚びてるのはどっちだーっ!!」

「だっ、出してないわよっ! あんたが変な触り方するからっ……んゃっ」

「……う~ん。わたしもちょっと変な気分になってきたかも」

「ならないでいいからっ!」

「――あ」


 フィルは不意にそう声を漏らすと、くるっと体勢を変えて、私に覆いかぶさるような格好になった。

 間近から、私の顔を見下ろしてくる。

 そして言うのだ。


「アゼレアが泣いてるの、初めて見た」

「……え?」


 私は指で目元を拭う。

 確かに、そこには涙があった。


 あんなに苦しくても。

 あんなに悲しくても。

 あんなに怖くても。

 一滴たりとも、出てこなかったのに――


 必死になって怒鳴って、笑って。

 頭を空っぽにしているうちに、いつの間にか、流れていた。


 ……ああ……。

 私は、ようやく気が付く。


 息苦しくなくなっていた。

 世界が明るくなっていた。

 あれだけ逃れたいと思っていた苦しくて暗い世界は、いつの間にか、どこにもなくなっていた。


 心を隔てるように覆っていた闇がなくなり、ただひとつだけ、素直な感情が剥き出しになっている。


 それは――

 怒りだった。


「……ねえ、フィル」

「なに?」

「私、今、すっごくムカついてるの」

「うん」

「どうして、ちょっと足踏みしたくらいで、好き放題言われなきゃならないのかしら。私知ってるのよ。学院の連中が、私のことなんて言ってるか。最初に思ったより大したことなかったとか、ジャックやエルヴィスさんには劣るとか、聞いてないと思っていい加減なことを好き放題」

「うん」

「確かに現時点では、あの二人には及ばないわよ。私はルーストじゃないし、才能では劣るかもしれない。でも、未来の可能性まで否定される覚えはないわ。まだ11歳なのよ? 見切りをつけるには早すぎるじゃない。どいつもこいつも私より年上のくせに馬鹿ばっかり!!」

「うん、うん」

「私の努力を笑う権利なんか誰にもないっ!! ましてや、人がつまづいたのをあげつらって笑うような連中には、絶対に!! どうして私があんな連中の言うことを真に受けなきゃいけないのっ!! 私はっ……私はっ……!」


 それ以上、言葉が出てこなかった。

 もっともっと怒りをぶつけたいのに、なんて言えばいいのかわからなかった。


 ただ、涙だけが流れる。

 滔々と。

 憤りのこもった涙だけが。


 それを。

 フィルが指で、そっと掬った。


「アゼレア」


 彼女は――

 私にとって、一番不思議だった彼女は――


 ――私がずっと欲しかった言葉を、真っ先に告げた。


「頑張ったね」


 ――頑張った。

 私は、頑張った……。


「…………ぁぐ」


 喉の奥からこぼれたのは……。

 いつぶりかもわからないくらい、久しぶりの……。

 ……嗚咽……。


「ぅっ……ぅあぁあぁああああぁぁ……っ」


 私は、それを……ずっと、認めてほしかったんだ……。

 神童なんて、呼んでくれなくてもよかった。

 天才なんて、褒めてくれなくてもよかった。


 ただ……ただ……。

 頑張ったね、って。

 よくやったね、って。

 私がしたことを……笑わずに、認めてくれるだけでよかった……。


「だから、もう、頑張らなくても大丈夫だよ」


 フィルは私の耳元で、諭すように囁く……。


「やりたいようにやりなよ。そのほうが、わたしは好きだよ」


 私は腕で目元を隠した。

 沸き起こる嗚咽を飲み込んで――

 湿った声で言う。


「……あんたに、好かれてもっ……ぜんぜんっ、嬉しくないわよっ……!」

「へえ~? そうなんだー♪」

「うるさいっ」


 私には……少なくとも一人、笑わないでいてくれる人がいるんだ。

 そう思うと、心が浮き立つかのようだった。


 私は、もう頑張らなくていい。

 我慢しなくていい。

 縛られなくていい。

 やりたいようにやればいい。


 ああ……だったら。

 やりたいことが、数え切れないくらい、たくさんある。


 でも、差し当たっては――

 一つだけ、優先しなくちゃいけないことがあった。



「――――よ・う・や・く、追いつきましたわ!!」



 声が聞こえてきたので、私とフィルは起き上がる。

 振り返ると、洞窟の奥に、ドレスを着た少女の姿があった。


「よくもわたくしを歩き回らせてくれましたわね……!! おかげで足がくたくたですわ!!」


 いま気付いたけど、アデラの靴はヒールだった。

 あれで足場の悪い洞窟の中を歩いていたのか。

 どうりで追いつくのが遅いわけだわ。


「もう逃がしませんわ。二人ともここで焼き尽くしますっ!!」


 フィルが身構えた。

 それを制して、私は一歩前に出る。


「アゼレア……?」

「大丈夫。私に任せて」


 まあ、何が大丈夫なんだか全然わからないけど。

 とにかく大丈夫だった。

 今の私にはそう思えた。


「あら、どうしたの? 元・神童さん」


 アデラは嘲笑を浮かべる。


「何をする気かしら? 貴女ごとき凡才が。土下座でも披露してくださるのかし――」

「あんた、性格ブスって言われない?」

「――――え」


 アデラの嘲笑が凍りついた。


「それと、何なのそのドレス。こんな洞窟で、馬鹿みたい。時と場所わきまえなさいよ。何気取りなの?」

「そっ……なっ……」

「そういえば、エイトキンって家名、かろうじて覚えてるわ。何年か前に不正がバレて失脚した伯爵家よね。ああ、なるほど。まだ未練たらたらなんだ。それで貴族ごっこってわけ? ただの犯罪者のくせに。痛々しいって言われない?」

「だっ……黙れっ!!」

「気付いてないようだから教えてあげる。あんた、みっともないわよ。口調も格好も貴族アピールきつすぎ。コンプレックスだだ漏れ。『ですわ』とか、フォーマルなときしか使わないっての。だっさ」

「黙れぇえぇえええええええええええええええええええッッッ!!!!」


 青い炎が渦巻いた。

 空気が唸り、焼け、弾ける。

 私はその様子を観察した。

 謙虚に。

 冷静に。


「……ああ、なんだ、そういうこと?」


 あれほど大きかった絶望が、もうなくなっていた。

 何にも怖くない。

 不思議なくらいの自信が、私の中に根付いていた。


 私は紅蓮の炎を渦巻かせる。

 ……まだだ。

 まだいける。


 紅蓮がオレンジ色に変色した。

 ……足りない。

 もう少し!


 オレンジが紫色に色づく。

 ……限界?

 ううん。

 もっと!


 まるで、夜の帳を追いやって、太陽が世界を照らすように。

 紫色の炎が――

 秋の空のように澄み渡った、真っ青な色に変わっていく。


 静かだった。

 空気を唸らせる、アデラのそれとは違う。

 まるで晴れた日の早朝のような、爽やかな炎だった。


「……そ……そん、な……」


 アデラが私を見て、愕然と目を見張る。

 けれど、私には当然という気がした。


 初めて自分の手のひらから炎を出した、あのときのことを思い出す。

 ゆらゆらと揺らめく赤い炎を見て、私はたぶん、生まれて初めて感動した。


 ――これが、私の力なんだ。

 ――もっと見てみたい。

 ――どんなことができるのか、試してみたい!


 思えば、最初はただそれだけだったのだ。

 術の発現がきょうだいたちより早かったと聞いて、あっという間に忘れてしまっただけで。


 私はただ、見たかっただけだ。

 あたかも、蕾が花開くのを心待ちにするように――

 初めて自分のものだと思えたその炎が、どれほど大きくなるのか。


 青く染まった炎を見ても、私は驚かない。

 だって――

 あの日の私が思い描いた炎は、もっともっと大きくて、もっともっと綺麗だったから。


「こッ……のォおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」


 アデラが絶叫しながら、黒ずんだ青炎を私に向けて奔らせる。

 ゴォウッ!! と空気が唸った。

 壁や地面が赤熱した。


 乱暴で、粗雑で。

 私に言わせれば、全然なっちゃいない。


「こうするのよッ―――!!」


 空のように青い炎が、対抗するように奔った。

 大袈裟な音も、衝撃も、何もない。

 周囲の壁や地面にも焦げ跡ひとつ残さない。

 はち切れんばかりの熱は、その内にのみ込める。


 激突は一瞬だった。

 私の青炎が、アデラの青炎を、一瞬で粉々にした。


 流星のように輝く炎が、アデラの全身を呑み込む。

 その寸前、彼女は、自らに迫る炎を呆然と見つめていた。

 まるで見とれるように。


 一瞬だけ燃え盛ると、青炎は火の粉に砕けてきらきらと舞い散る。

 そのあとには、豪奢なドレスを一片残らず焼き尽くされた下着姿の少女が、仰向けに倒れ伏すばかりだった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「――あー、気持ちよかった!」


 霊力切れになったアデラを確認した私は、うーんと伸びをした。


 こんなに清々しい気分になったのはいつぶりだろう。

 もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。


 なんだかフィルと喧嘩したときに色々と余計なことを口走ってしまったような気もするけど、今はそれも気にならなかった。


「あ……アゼレア……」

「ん、なに?」


 驚いたような様子でフィルが話しかけてくるから、私は首を傾げた。

 何かおかしいことでもある?


「そ、それ……後ろ……」

「え? 後ろ……?」


 私は後ろを振り向いた。

 背後に、おっきい蛇に跨って松明を掲げたおじさんが佇んでいた。


「うぇえぇえええええーっ!? だっ、誰ーっ!?」


 私は慌てて離れようとするけれど、蛇に跨ったおじさんは影みたいにぴったりと追いついてくる。


 なっ、なにこれっ!?

 すごい怖いんだけど!


「落ち着いてアゼレア! よく見て!」

「よく……?」


 言われたとおりよく見ると、大蛇に跨ったおじさんは、陽炎みたいにゆらゆらと揺らめいていた。


 ……え?

 これって……。


化身(アバター)だよ! 精霊の化身(アバター)!」

「あ……あばたー……?」

本霊憑き(ルースト)だったんだよっ!」


 ……ルースト?

 誰が?

 ……私が……?


「…………うそー…………」


 私は唖然として、大蛇に跨り、松明を掲げたおじさんを見上げた。


 精霊序列エレメンタル・カースト23位。

〈花開く輝きのアイム〉。


 見れば見るほど、間違いなかった。


「なんか……実感ないんだけど……」

「結構成長してから覚醒するルーストもいるって聞いたことはあったけどねー。そっかあ……やっぱりじーくんの目に狂いはなかったんだなあ」

「……どういうこと? どうしてジャックの名前が出てくるの?」


 あー、と誤魔化すように声を出して、フィルは曖昧な表情をした。


「……仕方ないかー。ほんとは教えるつもりなかったんだけど、こうなったら」

「なに? なんなの?」

「前にね、じーくんがこう言ってたの――」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆ジャック/エルヴィス◆


「ジャックくんは、アゼレアさんのことをどういう風に思ってるんだい?」


 迷宮を進んでいる途中、エルヴィスがそんなことを聞いてきた。

 なんだいきなり。

 修学旅行の夜か?


「どういう意味でだよ。恋愛的な意味でなら何とも思ってないぞ、当然だけど」

「それはわかってるよ。実力的な意味でだよ。こんな状況なのに、全然心配してなさそうだったからさ」

「は? それはお前――」


 何を当たり前のことを訊くんだ。

 そう思いながら、俺は答える。


「――あいつは、正真正銘の天才じゃん」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆アゼレア/フィル◆


「昔ね、すっごく強い【黎明の灯火】使いと会ったことがあるんだって。詳しくは知らないんだけどね、その人は絶対、普通の精霊術師よりずっと強かったはずなんだって。一種のズルをしてるとか、時間の使い方が根本的に違うとか、じーくんはそんなこと言ってた」


 フィルはジャックが口にしたという言葉をなぞっていく。


「……でもね、出会った時点ですでに、アゼレアはその人より強かったんだって。年齢も下なのに。だからじーくんは、ルーストの力に頼ってる自分やエルヴィスくんなんかより、アゼレアのほうがずっと天才だ――って、そう言ってたの」


 ……ジャックが。

 私のことを……?


「……え? あ……」


 気付くと、また涙がこぼれていた。

 でもこれは、怒っているわけでも、悔しいわけでも、ましてや悲しいわけでもなくて――


「どうしよう……」


 流れ出す涙を、何度も拭う。

 けれど、止まることはなかった。

 次から次へと溢れて、止めようがなかった。


「私……どうしよう……。すごく……すごく嬉しいの。なんで、こんな、どうして……」


 嬉しくて嬉しくてたまらない。

 跳ね回りたいくらい。

 私……どうして、こんなに……?


「……あーあ。やっぱりわたしの言うとおりじゃん」


 フィルが拗ねた顔で言った。

 私にはわけがわからない。


「だから言いたくなかったのに。やっぱりやめとけばよかった」

「な、なに? どういうこと?」

「知らない。そこに川があるから、水面で自分の顔でも見ればわかるんじゃない?」


 言われたとおり、川辺に移動して、私は水面を見た。

 私の顔が揺らめいている。

 それは――見るからに。

 恋する乙女の顔だった。


「なっ……ぁああっ!?」


 これが私!?

 嘘でしょ!?

 こんな……こんな幸せそうな……!?

 なんかフィルみたいなんだけど!


「だから言ったでしょ、思いこんでるのはそっちだって。そこまでのは初めてだけど、それに近い顔は今までもときどきしてたんだよ? 気付いてなかったのは君自身とじーくんだけ」

「う、嘘……私……」


 顔が熱い。

 胸がとくんとくんと鳴っている。

 ジャックのことを考えると、それが少しだけ速まった。


 今すぐ彼の顔を見たい。

 フィルの話が本当か問いただして、直接その口で褒めてほしい。

 それからそれから……。


 ……あ。

 そっか。

 私……ジャックのこと、好きなんだ。

 恋って、こういう気持ちのことを言うんだ。


 私、知らなかった。

 今まで、精霊術を鍛えることしか考えてなかったから。


 仮に、もし。

 私から精霊術を取ったとしても――

 この気持ちは、きちんと、私の中に残るんだ。


「まあ、じーくんはもうわたしと婚約してるけどね!」

「う゛っ」


 フィルが後ろから冷や水をぶっかけてきた。


「あんた……まさか、これも予測して……?」

「ちゃんと事前に言質取ったんだから、文句はナシだよ!」


 確かに、婚約の直前、私はフィルに『ジャックのことは何とも思ってない』と言わされていた。

 少なくとも恋愛においては、私はフィルに一歩も二歩も遅れていたらしい。


「でもまあ、知らない仲じゃないし? 片思いくらいは許してあげよっかな? ふふふ……これが正妻の余裕!」

「ぅうぅぅううううう…………うがーっ!!」

「うぎゃーっ! 横恋慕が怒ったーっ!!」

「何よそのあだ名!! いい加減にしないと寝取るわよあんたの旦那!! あんな奴、ちょっと誘惑したらコロッと靡くんだから!!」

「そっ、そんなことないもんっ!! じーくんは一途だもん!!」


 もう自分でもどうすればいいんだかわからない。

 でもとりあえず、フィルのドヤ顔がウザいのでシメておく。


 ジャックのことは、まあ明日にでも考えよう。

 諦めるなり、奪うなり、あるいは共有するなり。

 ……最後のはフィルの性格的に難しそうだけど。

 とにかく私は、やりたいようにやるのだ。


「そういえばさ」

「なに?」


 さっきの仕返しで悲しいほどつるぺたな胸をまさぐっていると、フィルが思い出したように言った。


「アゼレアがルーストなんだったら、あのアデラって人は、どうしてあんなスゴい炎を出せたんだろうね?」

次はルビー&ガウェイン編ですが、思いのほか手こずっているので、

また中5日ほど休ませていただきます。


正確な日時はツイッターと活動報告で連絡します。

https://twitter.com/kamishiro_b


あと、活動報告で商業新作の発売報告をさせてもらってますので、

よろしければご一読くださると。http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/164441/blogkey/1541324/

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