When the Blue Flame Blooms - Part3
私は要領の悪い子供だった。
勉強は理解が遅くて落ちこぼれ。
運動も鈍くさくていつもビリ。
社交スキルにしたって、人見知りで緊張しいで、知らない人とは一言だって話せなかった。
『どうしてできないの?』
『さっき習ったことだろ』
『私はすぐできたのに』
『簡単だったよな』
『もうあんたのお守りイヤなんだけど!』
『まあまあ。不出来な妹を守るのも僕らの務めじゃないか』
けらけらけら――
きょうだいたちが私を取り囲んで笑う。
物心ついてすぐのことだけれど、私はよく覚えていた。
あの笑い声を。
あの悔しさを。
私はきょうだいたちに合わせてへらへらと笑いながら、心の中でいつも唇を噛んでいた。
なんで私だけできないんだろう?
なんで私だけ劣ってるんだろう?
怒りなのか悲しみなのかよくわからない感情が、私の中にずっと渦巻いていた。
だからだろう。
初めて手のひらから炎を出したあのとき、ぱあっと世界が明るくなったような気がしたのだ。
『すごいですわ、アゼレア様! もう精霊術が発現するなんて……!』
私は精霊術を使えるようになるのが人より少しだけ早かったらしい。
何をさせても不出来な私だったから、たったそれだけのことでも、周囲は私を褒めたたえた。
だから、私は必然的にこう思ったのだ。
精霊術なら、みんなよりできるかもしれない。
みんなみたいに何もかもうまくやることはできないけれど、精霊術だけなら……。
私は精霊術の訓練と勉強に必死に取り組んだ。
他のことに使っていた労力を、すべて精霊術を鍛えることに注ぎ込んだ。
だから、それは当然の結果だったのだ。
私は、同年代の子供に比べて圧倒的に精霊術の扱いが上手くなった。
そして、周囲が私をこう呼ぶようになる。
神童。
天才。
……私をもてはやす大人たちの向こう側で、きょうだいたちが悔しそうな目で私を見ていた。
私は心の中で、ざまあみろ、とせせら笑う。
私の中は、優越感で満ちていた。
自ら勝ち取った『神童』『天才』という呼び名を、私は何より誇りに思った。
……要するに、一言で言うと。
つけあがったのだ。
今にして思えば、その表現以外出てこなかった。
6歳の頃、私は期待の新人として炎神天照流に入門した。
入門初日、師範は私に向かってこう言った。
『いいか、才能に溺れるな。常に謙虚な気持ちでいろ。周りはお前の先輩だらけだ。盗めるものがいくらでもある。お前が才能に溺れなければ、それらをすべて自分のものにできるはずだ』
私ははっきりと頷きながら、同時にこうも思った。
こんな風に忠告を受けたのは、きっと私だけだ。
師範も私のことを天才だと思ってるんだ。
私の自尊心は膨れ上がった。
それと同時に、私は師範の教えを胸に刻み、謙虚に勤勉に修行に励んだ。
きっと、それが問題だったのだ。
当時の私は、無意識のうちにこう思っていたに違いない。
こんなに謙虚で勤勉な私は、才能に溺れて努力しないそこらの天才とは違うのだ――と。
道場内でもめきめきと実力を伸ばしていったことが、私のその認識を裏付けた。
裏付けてしまった。
かくして――
私はそのまま、精霊術学院に入学する。
そこで、ついに出会うのだ。
自分を遙かに凌駕する、二人の才能に。
あの日。
ジャックとエルヴィスさんの試合を見て。
私の自信は――まったく傷つかなかった。
――きみは天才だ。
――オースティン家始まって以来の神童だ!
そう言われ続けて育ってきた記憶と、何年も積み重ねてきた努力。
それらは、あたかも麻酔のように、私の自尊心を守ってくれた。
天才だって、みんな言っていたのだから。
努力だって、たくさんしてきたのだから。
心配はない。
焦る必要はない。
私ももう少し頑張って、もう少し成長すれば、きっと彼らにも届く。
貴重な経験!
謙虚に吸収!
日々勉強!
……なんて愚かだったんだろう。
意識ばっかり高くなって、中身なんて何にもない。
その事実に気付き始めたのは、いつのことだったか。
……あれ?
と。
耳元で誰かが囁いたように、唐突にこう思った。
思ったより、追いつけてない。
すぐに追いつけるって思ったけど……。
二人との差、ぜんぜん縮まってない。
むしろ。
離されてる?
一度現れた疑念は、なかなか消えてくれなかった。
あれ?
あれれ?
また1級から上がれなかった。
あの二人は?
え、もう二段?
あれれ?
あれれれ?
なんでだろう。
どうして追いつけないんだろう。
考えずにはいられなかった。
結果、思いついたのは、とびっきりシンプルな一つの仮説。
――もしかして。
――私、あの二人より、才能ない?
恐ろしい仮説だった。
何より恐ろしいのは、それを思いついた瞬間、反射的に納得してしまったことだった。
もしかしたら、私には、才能なんてなかったのかもしれない。
周囲の大人たちが――天才でも何でもないどこにでもいる大人たちが、その凡庸な認識において勝手にそう言っていただけで、本物の天才ではなかったのかもしれない。
私は、ただの。
平々凡々な、そこらへんにいる、少し精霊術の扱いが上手いだけの子供だったのかもしれない。
その思いは、時を経るごとに強くなっていった。
あの試合を見た日に思い描いた、ジャックやエルヴィスさんと対等に競い合う自分の姿が、どんどん遠ざかっていった。
それを感じるたびに、恐ろしい不安が心を覆う。
私は精霊術にすべてを捧げてきた。
私にはこれしかない。
これ以外は何にもない。
もし、これがなくなったら。
私に何が残るの?
きょうだいたちの声が頭の中に蘇る。
私から精霊術を取ったら……。
あのときの私が、残るだけだ。
出来損ないで、
落ちこぼれで、
不出来で鈍くさくてみじめな私が、残るだけだ。
イヤだ……。
イヤだ……!
イヤだ、イヤだ、イヤだ!!
もし、このまま、初段に上がれず、学院を卒業できなかったら――
きょうだいたちはきっと、こぞって私に言うだろう。
やっぱり落ちこぼれだ。
結局何にもできない。
違う。
違う!
私は落ちこぼれなんかじゃない!
毎夜、ベッドの中で、ありもしない声に反論し続けた。
きょうだいたちどころか、学院の生徒や、親しんだクラスメイトすら、同じように私を悪く言っている気がした。
だんだん、胸が苦しくなってくる。
喉の奥が詰まった感じがして、うまく息ができない。
世界が薄暗く感じた。
苦しい。
息苦しい。
空気が薄いの。
ここはもうイヤ。
苦しい。
苦しいから!
ここから出して!
出してよ!
……どうすればいいの?
どうすれば楽になれるの?
この苦しい世界から、どうやったら出られるの?
ねえ。
誰か。
教えてよ……。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
真っ暗な世界の真ん中で、そうやって悶え苦しむ自分の姿を、私は上から見下ろしていた。
どうやったらこの世界から出られるか?
そんなの、簡単じゃない。
私は、もうひとりの私の目の前に降りた。
そして、その細い首に両手をかけ、押し倒して馬乗りになった。
こうすればいい。
こうすれば楽になれる。
首にかけた両手に、力をこめていく。
白い肌に指が埋まっていく。
こうすればよかった。
そう、こうすればよかったんだ。
この世界から出るには、こうするしかないんだ。
だっていうのに、もうひとりの私は暴れた。
手足をばたばたさせ、口を魚のようにぱくぱくとさせた。
どうして足掻くの。
どうしてもがくの。
楽になりたいんでしょ?
そう言ってたじゃない。
ほら、楽になれるわよ。
抵抗しないで!
振り回される手足を、強引に押さえ込む。
少しの空気も取り込めないように、喉を押しつぶす。
いなくなればいい。
こんな奴、いなくなればいい。
こんなみっともない奴、私の中からいなくなれッ!!
やがて、手足から力が抜けて、ぱたりと動かなくなった。
そうっと、首から手を離す。
もうひとりの私は、動かなかった。
私はゆっくりと立ち上がり、動かなくなった自分を見下ろす。
「……ふふっ」
思わず、こぼれた。
「ふふふっ……あはははははははははっ……!」
お腹の底から沸き起こる喜びが、抑えきれずに。
「あはっ、あはははははははははははははははははははっ!! あははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!!」
世界が、ぱあっと明るくなった気がした。
苦しくない。
空気が吸える。
喉から止めどなく声が出る!
ただ――
涙だけが、流れなかった。
私は、足元に誰かがいるのに気付く。
動かなくなった私は、もういない。
代わりにそこにあったのは、鏡だった。
真っ黒な床が、鏡のように反射して、私を映しだしているのだ。
私を――
ひどくみっともない顔をした、私を。
私の哄笑は止まっていた。
また息苦しくなって、私はその場にうずくまる。
さっきまで、もうひとりの私がそうしていたように。
暗闇の世界に、光は射さない。
誰の声も聞こえはしない。
ただ無慈悲に、覚醒だけが訪れる。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ぼんやりと瞼を上げた。
鍾乳洞の景色が、徐々に鮮明になっていく。
お尻と背中が冷たかった。
壁際に座っているのだ。
重苦しかった胸は、少しだけマシになっている。
いつもそうだ。
朝、起きてすぐは、夜よりも少しだけ調子がいい。
けれど、眠る直前の記憶を思い返した途端、清々しい気分は消滅した。
時間を稼いでおく、と言って走り去った、フィルの後ろ姿……。
そして、私が彼女に向けて叫んだ、心ない言葉……。
私は三角座りになって、膝の間に顔を埋めた。
……何もかも忘れて、もう一度眠りたい。
そのとても甘美な欲求を……私の中の何かが拒絶した。
かすかに覚えている夢の中で、私に抵抗したもうひとりの私。
その必死の形相が、瞼の裏に蘇った。
「……もう……!」
イライラする。
ムカムカする。
どうして放っておかないの。
こんなみっともない奴、放っておけばいいじゃない。
あんなにひどいことを言ったのに――
どうして私なんかを休ませるために、あんたが頑張るのよ!
おかげで私は、おちおち現実逃避もできない。
あんたが優しくするから、助けなきゃいけないって気持ちになっちゃってる。
あんたさえ放っておいてくれたら、私は無責任で無気力でお気楽な、出来損ないになれたのに!
足に力を込めるのには、膨大な気力を必要とした。
壁に手をつきながら、私は立ち上がる。
何ができるかなんてわからない。
いや、できることなんて何もない。
けれど、走り去ったあの後ろ姿を、追いかけずにはいられなかった。
出来損ないにもなり損ねた私は、ふらふらとした足取りで、洞窟を歩きだした。




