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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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When the Blue Flame Blooms - Part1


◆アゼレア/フィル◆


「きゃっ!?」


 視界が茶色い粉塵に塞がれて、私は思わず悲鳴を上げた。


「ああっもう! 鬱陶しいわねっ!」

「あっち行ったよ!」


 粉塵を払いながら、フィルの声に導かれて視線を走らせると、モグラのような魔物が壁の石材をがじがじと齧っていた。

 石を齧って細かく噛み砕いては、煙幕みたいに吐きかけてくる魔物なのだ。


 また視界を塞がれちゃたまらない。

 私は紅蓮の炎を奔らせた。

 石材を齧っている途中だったモグラの魔物は、炎に巻かれると、「きゅうん」と存外可愛らしい声を出してぐったりとする。


 やれやれ……。

 ただ強いならともかく、こういう厄介で鬱陶しいのはごめんだわ。


 精霊の彫像が並んでいた部屋の先は、遺跡のような迷宮(ダンジョン)だった。

 複雑怪奇な道。

 容赦なく襲ってくる魔物。

 フィルの索敵力のおかげでだいぶ楽できてはいるけれど、みんなと合流できるのはいつのことになるのやら。

 まごついている暇はないっていうのに……。


「こんにちはー。はじめましてー」


 フィルがモグラの魔物の傍にしゃがみ込んで、そんな風に話しかけた。

 すると、ぐったりとしていたモグラが、ひょっこりと起き上がる。

 そしてフィルのことを、仲間になりたそうな目で見るのだった。


「きゅんきゅん」

「よーし! 君の名前はウィーちゃんだ!」


 差し出した手に頭をこすりつけてきたモグラに、どういう由来なんだかさっぱりわからない名前を付けるフィル。


 フィルの精霊術【無欠の辞書】は、人間以外の生き物と会話して手懐けてしまうものだけれど、ダンジョンの魔物をいきなり手懐けることはできないみたい。

 支配力みたいなものが働いているようで、こうして一度打ち負かしてからじゃないと、フィルの言うことを聞いてくれないのだ。


 同じ調子で、フィルは私が倒した魔物を何匹か配下にして、索敵や戦闘を任せていた。


「……そのモグラ、役に立つの? 強さは全然大したことないのに」

「役に立つよーっ! 髪の赤い人は何もわかってないね、ウィーちゃん」

「きゅーん!」


 フィルに抱き上げられたモグラ……えーと、ウィーちゃん? は、媚びるように鳴き声を上げる。

 ……まあ、見ようによっては可愛いと言えなくもないけれど。

 今はそんなことを言っていられる状況ではないのだ。


 一応、今のところ、前にフィルが手懐けたサラマンダーやゴーレムで充分間に合っているから構わないけど……。

 ほんと、どうして普段通りでいられるのかしら。


 魔物の力を借りて、私たちは遺跡のような迷宮をぐんぐん踏破していく。

 途中、こちらの魔物がやられてしまうこともあったが、フィルはひとしきり悲しんだあと新しい魔物を補充する。

 切り替えの早いタイプらしい。

 ……羨ましい性格だわ、本当に。


 やがて、広い空間に出た。

 行く手に大きな穴が立ち塞がっていて、その上に細い石橋が架かっている。

 石橋を渡った先には扉があった。


「なんで建物の中にこんな穴が……」

「ふわー……。底見えないねー」


 背筋が震える。 

 1日に2回も自由落下するのは勘弁だわ。

 そう思って、石橋を踏みしめて頑丈さを試していると、向こう側の扉が独りでに開き始めた。


 扉の向こうに、誰かいる。

 私は警戒のスイッチを瞬時に入れた。


 ……女の子だ。

 私より少し年上の。

 ひらひらした、社交パーティで着るようなドレスを身に纏っている。

 金色の髪を頭の後ろでシニヨンに纏めていた。


 彼女が出てくると、扉はすぐに閉まってしまう。

 ドレスの女の子は私たちに微笑みかけ、お辞儀(カーテシー)をした。

 見様見真似なんかじゃ決してない、堂に入った優雅な所作……。


「お待ち申し上げておりましたわ」


 微笑みを湛えたまま、女の子は柔らかな声音で言う。


「わたくし、悪霊術師ギルドに所属しております、アデラ・エイトキンと申します。段位は、僭越ながら三段を頂戴しております。我らが悪霊王陛下が、この先には誰も通すなと仰せですので……お二人のお相手を、不肖わたくしが務めさせていただきますわ」


 慇懃に放たれた妨害宣言に、わたしは一瞬、呆気に取られる。

 敵意らしきものが感じられない。

 これから一戦交えようという人間の様子ではなかった。


「……ふん、三段?」


 私は鼻を鳴らした。

 それで少しだけ、抜かれた毒気を取り戻す。


「地上で絡んできた男は八段って言ってたけど? それより5つも下じゃない。たった一人で敵うとでも思ってるの?」

「まさか。わたくしの役目は時間稼ぎです」

「明け透けに言ってくれるじゃない。そんな風に言われて、馬鹿正直に付き合ってあげるわけ―――ないでしょッ!!」


 私は素早く紅蓮の炎を放った。

 初っ端から火力全開。

 地上の男みたいに、一瞬で終わらせてあげるッ!!


 大穴に架かった石橋を渡るような形で、紅蓮の炎がアデラとかいう女の子に迫る。

 アデラはにっこりと、微笑んだままだった。


「どうやら勘違いされておられるようですが――」


 その微笑が。

 刹那、酷薄なものに切り替わった。



「――我がギルドでは、()()()()()()()()()()()()()()なんですのよ?」



 炎が、迸った。

 ただの炎じゃない。

 まるで、深く水を湛える湖のような――

 ――青色の、炎が。


 アデラの手のひらから迸った青い炎が、私が放った紅蓮の炎を一瞬で呑み込んだ。

 彼女の豪奢なドレスに、私の炎は火の粉ひとつ届いてない――


「……青い、炎……?」


 ……そんな……。

 う……嘘……。


 アデラは微笑したまま、さらなる炎を生み出す。

 青い炎……。

 それは、【黎明の灯火】が生み出す炎でも最高位の――


「まさか……」


 私の声は震えていた。


本霊憑き(ルースト)……?」


 天井に届くほどの大きさに膨らんだ青い炎が、こちらに向かって迸った。

 私は動けない。

 自分の炎をぶつけようなんて気にならない。


 こういうの……なんていうんだっけ?

 ああ……そうだ。

 焼け石に、水。


「何してるのばかっ!!」


 ぐいっと腕を引っ張られた。

 フィルだった。

 それでかろうじて我に返って、私はフィルともども地面を転がり、迫り来る青炎を避ける。


 家の一棟や二棟、簡単に丸呑みにできる炎だった。

 それをアデラは、再び手のひらに生み出している。

 広い部屋だと思っていたけど、あの炎を避けるには狭すぎる。


「こっち!!」

「えっ!? ちょっ、そっちは……!!」


 フィルは私の腕を掴んだまま走った。

 その先には――

 部屋の真ん中に立ち塞がる、大穴がある。


 アデラが青炎を迸らせた。

 フィルが私を引っ張って大穴に飛び込んだのは、それと同時だった。


 私の頭のほんの少し上を、巨大な青炎が横切る。

 背筋を落下感が貫いた。


「あらあら……」


 嘲るようなアデラの含み笑いが耳に届く。

 けれど、それを気にする暇もなく――

 私は、真っ暗な奈落の底へと、今日2度目の自由落下をした。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 大穴の底には川があった。

 私とフィルはどうにか互いの身体を掴んだまま、冷たい水に包まれた。

 かろうじて水面に顔を出し、流れに身を任せる。

 しばらく洞窟のような穴蔵を進むと、やがて視界が広がった。


 鍾乳洞に見えた。

 細長い鍾乳石が、天井から氷柱のようにぶら下がっている。


 私たちは水を掻き、這々の体で岸に上がった。

 ぐったりと地面に身体を投げ出し、荒く息をする。


「はあっ……はあっ……なんて、無茶……するのよ……」

「だって……んっ……ああしないと、やられ、ちゃった……んっ、でしょ!」


 それは、そうかもしれないけど。

 だからって、底があるかもわからない穴に飛び込むなんて、とんでもない度胸してるわね、この子。


「あぅ……ついてこられたのはウィーちゃんだけかあ」

「きゅうん」


 頼りにしていたサラマンダーやゴーレムは、穴に飛び込まなかったのか、あるいは川に流されている途中ではぐれたのか、周りにはいなかった。

 フィルが人形みたいに胸に抱いていたおかげで、モグラ魔物のウィーちゃんだけが、私たちの傍でぶるぶると水気を飛ばしていた。


「ふう……。どこだろ、ここ?」

「鍾乳洞に見えるけど……神殿みたいな遺跡があると思ったら、そのさらに地下にはこんな洞窟があるなんて。どうなってるの、この学院……――ふぇっくしょん!」


 くしゃみが出た。

 肩がぶるっと震える。

 全身ずぶ濡れで、身体が冷え切っていた。

 今は真夏だけれど、鍾乳洞はひんやりとしていて、このままじゃ風邪をひいて結界復旧どころじゃなくなるのは目に見えていた。


 仕方ないので、ひとまず暖を取ることにする。

【黎明の灯火】で焚き火を作り、二人して手をかざした。


「ふぃー……。こういうとき便利だねえ、この精霊術」

「火打石代わりにされるのは甚だ不本意なんだけど」


 パーティのときだっていつも私が火付け係だ。

 私の炎は、肉を焼くために鍛えたんじゃない。

 ……じゃあ、何のために……?


「どうしよーね」


 そこらの岩をがじがじと齧っているモグラの背中を撫でながら、フィルが言った。


「あの女の子。すっごい炎だったけど。なんで青かったの?」

「……あの青い炎は……」


 胸の中が重苦しくなった。

 それを胃の底に押しやって、私は続ける。


「……【黎明の灯火】の炎は、その火力によって色が変わるの。青い炎は、その最上級。何年も修行を積んだ先にある極地。ただ……」

「ただ?」

「……ルーストは、最初っからいきなり青い炎が使える、って聞いたわ」


 アデラと名乗った女の子は、私たちより少し年上くらいだった。

 あんな歳で、自力で青い炎を会得できるとは思えない。

 だとしたら、可能性は一つ……。


「……ルーストかあ……。じーくんとエルヴィスくんと、学院長さん……これで4人目だなあ」


 鍾乳石を見上げながら、フィルはぼんやりとした声で言った。


「だとしたら、あんまり戦いたくないなー。迂回したいけど、あそこで待ってたってことは、あそこを通らないといけないってことだよねー。うーん……」

「……どうして、そんなに冷静なの……?」


 フィルの様子は、普段とまるで変わらない。

 私には信じられなかった。


 あの炎を見なかったの?

 私の炎は、まるで歯が立たなかった。

 ルーストを――選ばれし天才を相手にするっていうのに、何も思わないの?


 フィルは私を見ると、きょとんと首を傾げる。


「もっと落ち込めってこと? 相手がすっごく強いから?」

「え……それは、まあ……」

「無意味だよ、そんなの。じーくんが前に言ってたよ。無意味なことができるのは暇なときだけだって。今は暇じゃないでしょ?」


 ……ああ、確かに。

 今は、暇じゃない。

 やるべきことがある。

 うじうじ悩むのは、後にしたっていいのだ。


 フィルの言葉が、すとんと腑に落ちた。

 今、何をするべきか。

 これからどうするべきか。

 頭が働き始める。

 それに伴って、胸の重苦しいのが、徐々に意識から外れていった……。



「―――おーふたーりともー。どちらにいますのー?」



 覚えのある声が、鍾乳洞に響き渡った。

 アデラだ。

 追いかけてきたの……!?


「命までは取りませんわよぉー。結界が効いているのはご存知でしょうー?」


 よく言う。

 その結界を無効化して攻めてきたのはどいつよ!


「焚き火、消さないと……!」

「あっ、待って」


 居場所がバレると思ったんだろう、焚き火を消そうとしたフィルを、私は咄嗟に制した。


「いま消したら、私たちがいつ逃げ出したか、いつまでここにいたか、そういう情報を残してしまうわ。それに、放置しておけば灯りに釣られてくれるかもしれない。その間に私たちは逃げられる」

「そっか。わかった。このままにしていこう。行くよウィーちゃん」


 フィルがモグラを抱き上げる。

 私は自分の判断の早さと、すらすらと口から出た言葉に驚いていた。

 冷静さが戻ってきているのを感じる。


 私たちは静かに焚き火を離れた。

 依然、聞こえよがしに響いてくる声から距離を取るようにして、鍾乳洞の中を移動する。


「こうなったら迂回は厳しいかな……。上の遺跡に戻る道もまだわからないもんね」

「そうね……たとえ一時しのぎでも、対策を練らないと」

「何か思いつかないの? 同じ精霊術の使い手なんだから」

「うーん……」


 私は炎神天照流の道場で習ったことを思い返した。

【黎明の灯火】の弱点といえば……。


「……やっぱり水ね。水中で炎を出すのは難しいもの」

「そーなの? 入学テストのとき、相手が出した水を蒸発させてなかったっけ?」

「飛んでくる水じゃなくて、水中での話よ。そもそも炎自体が出ないから、蒸発なんてさせられないわ」

「じゃあどうにかして水中に誘き寄せればいいんだね。ちょうど川もあるし」

「どうかしら……。水中が危ないっていうのは、【黎明の灯火】使いならみんなわかっていることだわ。本能的に水辺には近づかないの」


 それに、と私は自分の手のひらを見つめる。


「水に落とせたところで、そのときは私も炎を使えなくなる。あなた、あいつを仕留める手立てがあるの?」

「あー、そっかあ。ウィーちゃんだけじゃ難しいね」

「きゅうん」


 現状、私たちの最大火力は私の炎だ。

 私の炎を当てない限り、アデラを霊力切れに追い込むことはできない。


「だったら溺死させちゃう?」

「怖いこと言うわね……。それも不確実だわ。あいつ、私たちより年上だし」


 大人なら1歳や2歳違ったところで大したことないんでしょうけど……まだ11歳の私たちにとって、年齢の違いというのは、特に体格という面において、絶対的なものなのだ。

 ガウェインさんみたいな例外もいるけれど。


「私の炎だけ使えて、あっちは炎が使えない――そんな都合のいい状況に追い込めたら一番いいんだけど……」

「言ってること無茶苦茶だよー」

「そうなのよね……」


 詰め込んだ知識をあれこれ引き出しながら走り続けた。

 すると、周囲の様子がいつの間にか変わっていた。

 木の柱や梁で壁や天井が補強された、狭いトンネル。

 途中で縦横に枝分かれして、まるで蟻の巣だ。

 ここって……。


「……坑道?」

「こーどー? ……って、なに?」

「地面や山の中から資源を掘り出すための場所。もう使われてないみたいだけど……」


 迷路のように入り組んでいるけれど、追われている以上、目印を残していくわけにはいかない。

 できる限り道を覚えるようにしつつ、廃坑の中を進んでいく。

 5度ほど角を曲がると、積み上がった瓦礫が立ち塞がった。

 行き止まりだ。


「天井が崩れちゃったのかな? こわー」

「いえ……ちょっと待って」


 私は少し気になって、道を塞ぐ瓦礫に近付いた。

 この瓦礫……焦げてる?


「もしかして……」


 今度は壁に近付いた。

 よく観察し、指でなぞってみる。

 こんなので確実に判断できるわけじゃないけど……。


「ここ、炭鉱だわ」

「たんこー?」


 首を傾げるフィルをほったらかして、私は頭を回転させる。

 私の目は、フィルの胸に抱かれたモグラに吸い寄せられた。


「作戦……思いついたかも」



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