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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
決意の乳児期:兄妹転生編

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こうして、彼の人生が始まった

 滴った雫が、地面に丸い染みを作った。

 結局、よちよち歩きじゃ目立つ上に疲れすぎるってことで、ハイハイで休み休み移動していた俺は、茂みの隙間から妹の姿を見つける。


「にーいーさーん! どーこでーすかー? もう怒らないから出てきてくださーい!」


 幸いにも、俺を探してくれているようだ。

 最悪、俺を見失った時点で屋敷のほうに走り、父さんや母さん、使用人の誰かを人質に取るということも有り得た。

 それだけ、あいつの注意が俺に向いているということだ。


「本当ですよー? 本当に怒ってないんですー! だって、わたしの早とちりだったんですよね! 兄さんは、わたしに兄さんを守る資格があるかどうか、試験してくれているんでしょう? そうでもなければ、兄さんがわたしから逃げるなんて、有り得ませんもんね!」


 ……と、いうことになっているらしい。あの妹の頭の中では。

 前世でも、あいつはそうだった。

 俺が何をしても、自分が何をしても、全部都合よく解釈してしまう。

 最初から何もかもが破綻しているがゆえに、何があっても崩れないのだ。


 だから、言葉は通じない。

 止めるなら――力尽くで。


 俺は近くに落ちていた大きめの石に触れる。

 ここまでの道中で、精霊術【巣立ちの透翼】のスペックについては、あらかた把握し終えていた。

 結論から言えば、あいつを倒すことは、可能だ。


 父さんの評価は、決して過大じゃなかった。

 俺の力は、思ったより遥かに重いものを浮かせることができる。

 それを何らかの手段でぶつければ、昏倒させることはおろか――

 殺害することだって、不可能じゃない。


 問題はその方法。

 所詮、俺は赤ん坊だ。体力面で圧倒的に劣る。

 戦えば必敗。

 疑問の余地はない。

 ならば、如何にして戦わないか(・・・・・・・・・・)

 それを考えなければ、勝利なんて有り得ない。


「どーこでーすかー? にーいーさーん? ……もう、しょうがないなあ」


 俺が段取りを立てている間に――

 妹が、動いた。


「早く出てこないと――こう(・・)ですよ?」


 メイド服を纏った妹の両手から、炎が迸る。

 マッチとか、ライターとか、そんなチャチなもんじゃない。

 まるで消防車のホースから水の代わりに炎が出てきたかのような、暴力的火炎放射!


 その現象を、俺は知っている。

 精霊〈アイム〉の力【黎明の灯火】。

 彼女が――アネリが持っていた精霊術。

 そして今は、妹の手に握られた凶器。

 かつてはコルク抜きだったのが、異世界に渡ることで超常の異能力に変わったのだ……!


 迸った紅蓮の炎が襲ったのは――言うまでもない。

 ここは森だ。

 周囲の木々が赤々と燃え上がり、煙がもくもくと広がっていく。

 背が低いおかげで、俺は呼吸困難にならなくて済んだ。

 だが、これは……!


「さあ、これで出てこざるを得なくなりましたよね、兄さん?

 早く出てこないと火傷しちゃいますよ?

 煙のせいで、精霊術で空に逃れることもできませんよね?

 このまま放っておいたら――お屋敷にも燃え移っちゃうかもですよ?」


 ……こいつっ……!!

 たった一手で、姿も見えない俺に対して3つもの攻撃を仕掛けてきた!


「さあさあさあ早くしないと! 手加減なんて期待しちゃダメですよ? 何せ相手は、究極無比にして天下無双の兄さんです。この程度の炎で死んじゃうわけないってわかってるんですから! さあさあさあさあほらほらほらほらぁ!!」


 妹は次々と炎を撒き散らし、森を焼き払っていく。

 気持ちいいと言っていた春風が、今は歯噛みするほど憎らしい。

 風が吹き渡るたび、炎が凄まじい勢いで広がっていくのだ。

 この調子じゃ、俺はもちろん、屋敷だって危ない……!

 その前にあいつをどうにかしなければ……!


 俺は煙と炎を掻い潜り、森の中を動き回る。

 そして妹の背後に回ると、自分の頭ほどもある石を宙に浮き上がらせた。

 これを頭にぶつけてやれば、それで一撃。

 妹の姿は10メートルほど先にある。

 森を焼き払うことに集中していて、まるで無防備だ。

 よく狙えば――


 俺は目を細めた。

 よく狙え……よく……。

 重さを失った手の上に乗せ――

 そして、投げるッ!


 俺の小さな手から放たれた石は、まっすぐ妹の頭に向かっていき――

 バキッ!!

 ――と。

 すぐ横の、木の幹にめり込んだ。


 外した。


 妹の動きが、止まる。

 そして――ぐるり、と。

 俺がいる方向に、顔が回った。


「みぃつけた♪」


 ザンッ!!

 凄まじい速度で妹の姿が迫る!

 俺は慌てて移動した。土塗れになりながら身体を転がす……!

 直後、俺の頬に妹の指がかすった。

 蛇すら掴み殺しそうな悪魔の手は、虚空だけを捉えるに留まる……!


「ああ……そんなに汗だくになっちゃって。服がずぶ濡れじゃないですか」


 妹が満面の笑顔で、荒く息をする俺を見る。


「早くお着換えしましょう? わたしが着替えさせてあげますから……♪」


 怖気が走る。

 たまたま手に触った石を投げたが、妹は顔を逸らして簡単に避けた。


「1歳児の視力は約0.3……いくら兄さんでも、そんなぼんやりした視界じゃ当たりやしません」


 無防備だったのはそれを知ってたからかよ、くそっ……!

 ずりずりと後ずさる俺に、妹は笑顔のまま近付いてくる。


「兄さんが攻撃を当てるには、わたしに近付かなきゃいけません。

 そう、このくらい……いや、このくらい……いやいや、もっともっと。

 でもこんなに近かったら、攻撃の瞬間がわたしから丸見え。避けるのは簡単です。

 ――さあ、兄さん、どんな策があるんですか? どうやってこの距離から不意打ちするんですか? わたしに見せてください! 諸葛孔明も裸足で逃げ出す兄さんの知略を!」


 ふざけやがって……!

 こちとら普通の人間なんだよ!

 たまたまお前みたいな妹を持っちまった、普通の!


 妹の手が再び迫る。

 平面で逃げても絶対に捕まる。立体的に逃げろ!

 俺は地面を蹴った。

 重力のくびきから解き放たれ、頭上の梢の中に突っ込む。

 そして――


 ……諸葛孔明が裸足で逃げ出すとは思わないが。

 見たきゃ見せてやる。俺の知略ってやつを……!


 頭上に逃れた俺と、入れ替わるように。

 妹に向かって、大石が落下した。


 距離を詰められたときに備えて、あらかじめ木の上に、重さをなくした石を設置しておいたのだ。

 さながら猿蟹合戦の石臼のように、大石が妹の頭に迫る。


「――兄さん?」


 妹は小首を傾げた。


「この石なら、最初っから気付いてましたけど――小手調べもほどほどにしませんか?」


 ひらりと。

 予見していたかのように、妹は落石を回避する。


「でも、すごいです! この石、50キロはありますよ! 【巣立ちの透翼】の限界重量は、達人でも約500キロと聞きます。兄さんはその歳にしてすでに、その10分の1の地点まで辿り着いているんですね!」


 無駄にキラキラした目で頭上を見上げ――

 妹は、ようやく気付く。


「……あれ? 兄さん?」


 俺の姿は、梢すら突き抜けて空にあった。

 燃え盛る木々から立ち上る煙が、四方八方を塞いでいる。

 俺はベビー服の袖で口を塞いでいたが、それでも煙は防ぎ切れない。

 赤ん坊の身体にこの煙はあまりに毒だ。早いとこ終わらせる……!


 妹曰く諸葛孔明すら裸足で逃げ出す、俺の知略。

 それは、この煙の中に隠されていた。


 やることは簡単。

 使っていた精霊術を、オフにするだけ。


 充満する煙が、揺れた。


 俺は妹が森を燃やし始めたのを見て、すぐに思いついた。

 もくもくと立ち上る煙の中に、『武器』を隠せないかと。

 そしてすぐさま、実行に移したのだ。


 炎を掻い潜って森の中を飛び回り――

 平均して直径3メートルはある大岩を、5つも空に浮かせておいた……!


 確かに今の俺の視力じゃ、攻撃を狙って当てるのは難しい。

 だったら、見える範囲すべてに攻撃するだけのこと。

 圧潰しろ、悪魔め――!!


 ズズンッンンン―――ッ!!

 轟音が重々しく響き渡り、煙の中に粉塵が混ざった。

 森の中に、大岩が満遍なく突き刺さっている。

 これで……!


 そう思った瞬間。

 ゴオッ!! という突風が、真下から吹きつけてきた。


 赤々とした火柱が、森の中から高く伸びている。

 この風は……まさか、上昇気流……!?


 直後、凄まじい速度で影が森から飛び出し、俺の目の前まで飛び上がってきた。

 それは、メイド服の少女。

 片手には、パラシュートのようになった布切れ。

 上昇気流に乗ってやってきた、妹だった。


 まずっ……!

 そう思ったときにはもう手遅れ。

 妹の右手が蛇のように伸び、俺の首に絡みついた。


「ああ……兄さん、兄さん、兄さん……!」


 妹の身体は傷だらけ。

 さすがにさっきの絨毯爆撃を、完全に躱し切ることはできなかったのだ。

 だが。

 赤らんだ頬は。

 潤んだ瞳は。

 ひたすらに恍惚として、俺だけを求めている。


「あれだけの攻撃……あれだけの重量……! 500キロじゃあ利きません。限界を超えています。普通の精霊術師(・・・・・・・)の限界を!

 それがあの神が兄さんに与えた才能なんですね。ああ、相応しい――よく考えてみれば、最初から完全無敵の兄さんにはもはやそれくらいしか与えるものがありません。なんて相応しい才能なんでしょうか!

 兄さん――兄さんには、『本霊』が憑いているのですね?」


 精霊術は、この世を司る72柱の精霊、その『分霊』の力だ。

 分霊がいるということは、当然、本霊もいる。

 たった72柱の精霊――その本体が。


「この世界にたった72人までしか存在できない『本霊憑き』――

 神のように崇められる精霊の力を、100%遺憾なく発揮することができる、最大最強の精霊術師――

 ――『精霊の止まり木(ルースト)』として生まれたんですね、兄さん!!」


 ……その通りだよ。

 これが俺の『才能』だ。

 ――お前を、ぶっ倒すためのな!!


 俺の首を掴んでいる妹の腕を、自分の小さな手で掴んだ。

 そして、俺の背後に『そいつ』が現れる。


 ステンドグラスのような、極彩色の翼。

 優雅に佇んで、俺を――世界を見下ろす、巨大な孔雀。




 精霊序列エレメンタル・カースト65位。

〈尊き別離のアンドレアルフス〉。




「ぁ―――ぁあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ!!!!」


 俺の未成熟な喉から、咆哮が迸った。

 手で掴んだ妹の腕を起点に、その体重を1グラムたりとも残さず消し飛ばす。


 そうなれば、容易だった。

 赤ん坊の腕でも、15歳の女の子を振り回すことは。


 妹の身体を自分の下に組み敷く。

 そして、自分にかけていた精霊術を切った。

 体重が元に戻り――

 俺が重石となって、妹の背中が地面に落下を始める!


「あは♪ 死んじゃうっ。死んじゃいますっ! ちっちゃな兄さんに押し潰されてっ……あはっ、あはははははははははははははっ!!」


 一体何がおかしいんだこいつ……!

 いや、ダメだ、呑まれるな。

 こいつの言うことは何も理解しなくていい!


「でも、このままじゃ兄さんも死んじゃいます。それも悪くはありませんけど――わたしは証明しなきゃいけないんですよね! 兄さんを守り通すことができるって!! だったら頑張らなきゃっ!

 ――手足の1本や2本、失くしてもいいくらいに!!」


 その発言に目を剥いた直後。

 妹は、地面に向かって左手を向けた。


「どんっ、どどどんっ、どどんっ、どんっどんっどんっ――――!!」


 リズミカルに刻まれる声は、まるで得体の知れない機械の唸り声。

 膨大なエネルギーを、体内で練り上げる音。


「せーのっ……ふぁいやー――――――――――――――っっっ!!!!!」


 地面に向けられた左手から炎が噴き出す。

 これまでとは比較にならない大きさ。

 もはやそれは火炎放射器なんかじゃない。

 宇宙を目指すロケットのジェット噴射……!!


 重力が打ち消される。

 赤ん坊程度の重量じゃ――否、妹自身の重さを足したとしても、この推進力を抑え込むことなんてできない……!


 落下速度ががくんと落ち、地面がゆっくりと近付いてくる。

 そんな中で、俺はそれに気付いた。

 炎の噴射口となっている妹の左手――

 それが、焼けている。

 手首から先が、とっくに炭と化して、焼け落ちていた。


 自分の手を吹っ飛ばすほどの威力だっていうのか……。

 そしてこいつは、それを知っていて、わかっていて、自ら手を焼き捨てたって言うのか……!?


 離れなきゃならない。

 このまま地面に落ちたって大したダメージにはならないし――

 何より、こんな奴と密着していたらろくなことにならない!


 俺は妹の重さを消す。

 多くの格闘技が体重で階級分けされているように、基本的に、より重いほうがより大きなパワーを発揮できる。

 軽い人間と重いトラックが激突すれば、必然、吹き飛ぶのは人間のほうなのだ。

 だから、赤ん坊の俺よりも軽くなった妹の身体を、簡単に引きはがすことができた。


 今度は自分の重さを消し、ふわふわと等速直線運動で俺は退避を図る。

 だが。


「だーめっ」


 脳みそが溶けたような甘い声で、妹がそう囁いた。


「兄さんは、もう二度と、わたしから離れちゃダメなんですから♪」


 くるり、と。

 妹は空中で、バレリーナのように回転した。


「どんっ、どどんどんっ、どんっどんっどどんっ――――!!」


 そして、虚空に向かって。

 大気を蹴るかのように。

 回し蹴りを繰り出しながら――その足を爆破する(・・・・・・・・)


「ッ!?」


 空に咲く赤い爆炎と血の華。

 だがそれによって生まれた、まさに爆発的な推進力が、妹に真横への移動を可能とした。


 妹の顔に苦痛はない。

 それどころか、あたかも絶頂しているかのような表情で、残った右手を俺に伸ばしてくるのだ。


 避ける余裕なんかなかった。

 俺は再びその手に捉えられ――

 爆炎の推進力のまま、妹もろとも空を突き抜けていく。


 俺は必死に首を回し、落着点を確認した。

 くそっ、このままじゃ森の中に落ちる……!

 まだ炎が広がっていないから、枝葉がクッションになって助かることは助かるかもしれない。

 この妹も、そこまで計算に入れているだろう。


 だが、俺にとってはその後が地獄。

 こうして捕まえられたまま地上に戻ったら、もう勝ち目なんてない……!


 もう少し……! もう少し先へ!


 俺は【巣立ちの透翼】を発動し、重さを消すことで、飛行距離を伸ばした。

 いずれ地上に落下することに変わりはない。

 だが、俺だってあらかじめ考えている。


 この空中戦で決着をつけられなかったらどうするか。

 どこに移動すれば、有利にことを進められるのか。


 妹から離れようとしたとき、俺はそこに向かおうとした。

 そして今、足を爆破して追いかけてきた妹に、その方向へとまっすぐ運ばれている。

 だから、もう少し。

 もう少しだけ飛行距離を伸ばせば――そこにあるのだ。


 深く水を湛えた、滝壺が。


 バッシャァンッ!! という水音と共に、全身を冷たさが包んだ。

 一瞬、上下がわからなくなるが、慌てることはない。

 自分の重さを消してしまえば、あとは浮力が勝手に水面まで運んでくれる。


 水面に叩きつけられた衝撃で、妹の手の力は緩んでいた。

 逃れた俺を、妹は執念すら感じさせる眼で見ていたが、左手と右足を欠いた身体では、まともに泳ぐことなんてできない。

 浮力に運ばれて水面を目指す俺に、追いつくことはできなかった。


 俺は硬い岩場に上がって、深く息を吐く。

 ザー―――――という水音が、薄暗い空間に響き渡っていた。

 俺が上がったのは、滝の裏にできたわずかなスペースだ。

 大人なら滝行をしても問題ない程度の水が間断なく滑り落ちてきて、カーテンのようにこのスペースを区切っている。


「ああ……すごい……❤」


 滝の向こう側。

 滝壺の端に、妹が立ち上がった。

 その姿は、水によって不気味に歪んで見える……。


「兄さんはやっぱりすごいっ……! 天下無双です。万夫不当です。究極無比です。完全完璧です! 全知全能ですっ!! 兄さん以上の人間なんて、この世界にもあの世界にもどんな世界にもいません!!

 ああ、だったら、当然じゃないですか! 兄さんという最上級を知っているこのわたしが、妹だからって、血が繋がっているからって、どうして兄さんを愛さないでいられますか!?

 わたしは勝ち取ったんです! アバズレの泥棒猫どもを一匹残らず駆逐して、兄さんという賞品を!!」


 勝手に抜かしてろ……!

 俺はお前の言うように、天下無双でも万夫不当でも究極無比でも完全完璧でも全知全能でもない。

 今回だって、お前を倒すに当たって、俺がどれだけ策を考えてきたと思う?

 その策を、お前は常に俺の想像の遥か上を行くやり方で打ち破ったんだ。

 凄いのは、凄まじいのは、むしろお前のほうだろうが。


 だが、それもこれで終わり。

 この場所で、決着をつける。


 俺は背後の岩壁に手を触れた。

 ――ボゴッ!

 俺の身体よりも遥かに巨大な岩が、岩壁から剥がれる。

 重量は、軽く1トンを超えるだろう。

 これがこの辺りで見つけた、最も巨大で重い岩……!


 俺はそれを、片手で投げつけた。

 これほど大きければ、当てないほうが難しい。

 滝を突き抜けて、岩はまっすぐ妹へと飛んでいく。


 今までの様子を見る限り、あいつの精霊術は、手や足といった人体の端末的器官からしか炎を出せないらしい。

 しかし今、あいつに残るのは右手と左足のみ。

 これほどの岩を炎で破壊するには、そのどちらかをさっきみたいに犠牲にしなくてはならないはずだ。


 右手を失えば俺を捕まえられなくなる。

 左足を失えば俺を追いかけられなくなる。


 いずれにせよ行動不能――俺の勝ちだ!


 妹は呆然と、自分に向かって飛んでくる大岩を見上げていた。

 そして――


「――ちぇっ。あんまりやりたくなかったのに」


 すうっ――と。

 大きく息を吸い込んだ。

 頬の中に、目一杯空気が溜め込まれ――

 ――解き放たれたとき、それは空気ではなくなっていた。


 紅蓮の炎。


 まるでドラゴンのように――妹は、炎を噴き出したのだ。


 凄まじい火力で大岩が熱され、赤熱したかと思うと四散する。

 破片が滝壺にばらばらと落下し、じゅうと水蒸気を立ち上らせた。


 妹は「ふう」と息をつき、口元を右手で隠す。


「口から火を噴くなんてはしたないところ、見せたくなかったのに。兄さんってば欲しがり屋さんなんですから」


 はしたない……?

 たった……たったそれだけで、手足を吹き飛ばすことを選んだと……?


 唖然とする俺を、妹の双眸が捉える。

 もはやそれは、俺には人間のものには見えなかった。


 右手と左足を使い、獣のように。

 しかし凄まじいスピードで、妹が迫った。

 滝の裏にいる俺に、逃げ場などない。


「つぅかまぁえた☆」


 妹の右手が滝を貫いてきて、俺の首を掴んだ。


「いかがでしたか、兄さん? わたしの実力は?

 驚いたでしょう? 予想以上だったでしょう?

 わたしだってこの世界に生まれて15年、転生者のアドバンテージをきちんと使ったんです。

 如何に『本霊憑き(ルースト)』とはいえ、兄さんは精霊術に目覚めて何ヶ月もありません。体力の問題もあって、精霊術を絡めた戦いではさすがにわたしのほうが上ですよ。

 いくら岩をぶつけてきても、わたしには通じません。だから――」


 妹は。

 完全に確信した声音で。

 告げる。


「――わたしの勝ちですね、兄さん♪」






 だと思うだろ?






 俺は妹の右手首を掴み、その体重を消す。

 それに気付いて、妹は眉を上げた。


「何をしてるんですか、兄さ――」


 言葉が途切れたのは、きっと、俺の意図に気付いたから。

 自分より遥かに重いものを縛りつけられた人間は動けなくなる。

 筋力の問題じゃない。

 たとえ宇宙空間でも、宇宙ステーションに縛りつけられたら動けなくなる。

 質量の違いの問題だ。


 ならば当然、この状態なら――

 重さを消された妹が、俺の首を掴んでいる、というこの状態なら。

 妹は、俺という重石によって動けない。

 これは、拘束なのだ。


 さっき、お前はこう言ったな。


 ――いくら岩をぶつけてきても、わたしには通じません


 確かにそうだろう。いくら岩をぶつけても、お前はさっきみたいに炎で防いでしまう。


 だったら、岩じゃなければ?

 炎では絶対に防げないし壊せもしないものだったら?


「…………ぁ……あっ…………!」


 妹は頭上を見上げ、か細い声を漏らした。


 ――俺は戦闘の前に、森中を飛び回って武器になるものを探した。

 妹が――アネリが【黎明の灯火】を使うことをあらかじめ知っていた俺は、当然、その対策になりそうなものを十二分に活かそうと考えた。

 そして、仕掛けたのだ。

 この滝に、必殺の罠を。


 妹は今、ようやくそれに気付いた。


 大量の水が、滝の頂点で静止していることに――ようやく気付いたのだ。


 本来この滝は、もっと水量が多かった。

 そのほとんどを、俺が【巣立ちの透翼】を使って堰き止めたのだ。

 然るべきときに解放し、憎むべき妹を押し潰すために。


 炎では(・・・)()()()()()()()()()()()()


「ああ……そっか……!」


 絶体絶命の危機を前に、しかし、妹は笑みを見せた。


「最初……服が濡れてたのは、汗だくだったからじゃなくて……この仕掛けを用意していたから……。

 あは、あはははは! あははははははは!! 気付かなかった! 気付かなかった!! ぜんっぜん気付かなかった!!」


 無重力の鎖に縛られたまま笑う妹に、俺は3本立てた指を突きつける。


 このまま俺の首を掴んでいる限り、俺が重石になってお前は動けない。

 しかし俺を放せば、上から落ちてくる大量の水から逃れられるかもしれない。


 3秒、猶予を与えるつもりだった。

 許されないことをしたとはいえ、妹だ。

 ここで手を引いてくれるなら――命までは、取らないつもりだった。

 だが。


「兄さん……」


 放す気配など、なかった。

 妹はただ、恍惚とした目で俺を見ていた。


「兄さんっ、兄さんっ、兄さぁんっ……!」


 指を一つ折る。

 2本になった指を、妹は一顧だにしない。


「愛してますっ……愛してます兄さんっ!

 世界でわたしがいちばんっ――世界でわたしだけが本当に兄さんを愛してます!

 だから――だからだからだからっ! 兄さんも、わたしを――――」


 ……ああ……そうか。

 言うべきだったんだ、はっきりと。

 兄妹だからとか、道徳がどうとか、法律がこうとかではなく。

 はっきりと――俺の気持ちを。


 指をさらに一つ折る。

 俺はもう片方の手で妹の腕を掴み、引き寄せた。

「あっ」と喘ぐような声を漏らして、妹がふわっと近付いてくる。


 その額を。

 1本だけ立てた指で押さえ。

 そのまま、文字を書く。

 たった5文字の、俺の気持ちを。




『ね』


『が』


『い』


『さ』


『げ』




 指で額を押し、重さを失った妹を突き放す。

 ごめん――と、礼儀として、一応は思っておく。


 でもな。


 俺の親しい人間を。

 俺に近しい人間を。

 苦しめ。

 痛めつけ。

 悲鳴を上げさせ。

 挙げ句に殺しまくった奴を――




 ――好きになれるわけ、ねえだろうがッッッ!!!!




「――ふふ」


 妹は、なぜか、笑った。


「ふふ、ふふふ、ふふっふふふふふふふふ――――!!」


 そして、その末に。

 こう言ったのだ。




「――――ス……テ……キ……❤」




 …………兄ちゃんにはもう、お前のことがわからないよ。


 最後の指を折る。

 直後、妹の姿が瀑布に消えた。


 ごうごうという水音が、滝裏にできたわずかなスペースに、延々と響き渡った……。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 少し休憩したのち、俺はあの滝から始まる川の下流に向かった。

 そして、さして苦労なく、発見する。

 川面に出っ張った岩に、流木のように引っかかっている、メイド服の少女を。


 顔も手足も、青黒く腫れている。

 生まれたときから俺を世話してくれていた少女の面影は、もうどこにもない……。

 一目でわかる……それは、溺死体だった。


 それでも慎重を期し、俺は精霊術で近付いて、脈を確認する。

 ……なかった。

 手首にも、首にも。


 俺は河原に戻って、ぐったりと倒れ込む。


 ……殺した?

 いや、違う。

 倒した、だ。


 妹という名の怪物を、俺はようやく、倒せたのだ。


「――あっ! いた! いました! こっちです!!」


 遠くからそんな声が聞こえてくる。

 最後の力で声に視線を向けると、見覚えのある使用人たちと――父さんや母さんが、草木をかき分けてこっちに走ってきていた。

 よかった……。正直、帰る力は残ってないんだ。


 安心からか、意識が急速に眠りに落ちていく。


 これでようやく、取り戻した。

 妹に奪われた、俺の人生を。


 だから、今度こそ。

 今度こそ、まっとうするんだ。

 俺の――俺だけの人生を。


 闇に閉じていく意識の淵で――俺は強く、そう決意した。






決意の乳児期:兄妹転生編

THE END


























◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 あー、やられちゃったなあ。

 いくら赤ちゃんでも、兄さんは兄さんなのに。

 わたしが愛する、わたしだけが愛する、究極無比にして天下無双、最大最強にして万夫不当の、宇宙一カッコいい兄さんなのに。

 油断したらこうなるのは、うん、当然ですね。


 でもいいんです。

 だって、兄さんが話しかけてくれたんですよ?

 声じゃなくても、指で文字を書いただけでも、兄さんが話しかけてくれたんです!

 こんなの、何年ぶりでしょう?

 20年ぶりくらい?

 ともかくともかく、話しかけてくれたんです、兄さんが!

 その事実に比べれば、その内容なんて大した問題ではありません!


 まあ、死んじゃったのは大問題ですけど、こればっかりは仕方がありません。

 今回は諦めましょう。

 スパッと切り替えて、次回(・・)の算段を立てることにします。


 今回の敗因は、早めに行動に出てしまったことでしょうか?

 もうちょっと我慢して、もうちょっと正体を隠して……。

 そうだ、サプライズ!

 いいですね、サプライズ! とってもステキです!

 そうすれば、少しばかり鈍感な兄さんもわたしの愛を感じてくれるはず。

 すこーし長い間、我慢を強いられるかもしれませんけど……多少の障害があったほうが、むしろ燃えるというものです!


 というわけで、今回の人生はここまで。

 また次回、新しい人生でお会いしましょう!


 ごー・とぅー・ねくすとらいふ!

 ばいば~い☆






TO BE CONTINUED TO

黄金の少年期:才能胎動編

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― 新着の感想 ―
‥‥‥‥知らなかったのか? 妹からは逃げられない────。
[一言] これ主人公どっちか分からんな
[一言] オイまさか…っ!神!逃げろ!
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