From Teacher To Students
空を覆う闇色のドームが、壊れていくのが見えた。
ボスであるパラトゥーラが倒されたことで、闘術場を隔絶していたダンジョン化精霊術が解除されたのだ。
ラケルは学院長の屍を抱き締めたままだった。
ステージ上まで戻ってきた俺たちは、しかし、声をかけることができない。
今の二人を邪魔できるのは――
――真っ当な神経を持たない、悪党くらいだ。
「いやあ……すげえもんを見させてもらったぜ」
観客席に再び、半仮面の男――アーロン・ブルーイットが姿を現した。
アーロンは心底感嘆した表情で、パチパチと拍手をする。
「あれが頂点の領域ってやつか。俺も術師の端くれとして、感じるもんがあった――いや、この歳になってこんなにも感動させられちまうとはな。人生わからねえもんだ」
「黙りなさい」
ラケルは学院長の屍を足元に横たえる。
胸に大きな穴の空いたそれを見下ろしたまま……彼女は呟くように言う。
「あなただけは……絶対に許さない」
アーロンは小気味良さそうに口笛を吹いた。
「さっきの戦いを見た後じゃ、そんな言葉すら光栄に思えるね。俺にこんな殊勝な面が残ってたなんて驚きだ。
――でも、ま、残念ながら」
唇を皮肉げに歪め。
アーロンは、ステージの端を指差した。
「お前さんの相手は、俺じゃあない」
指先に誘われて視線を転じた直後――
その場所から、杭のようなものが飛び出した。
鋭い先端が狙うのは、ラケルの顔面。
しかしラケルの反応は早かった。
光のように閃いた右手が、杭を掴み取る。
「……この、杭は……」
掴み取った杭を見て、ラケルが目を見開いたとき。
杭が飛び出した場所から、滲み出るようにして女が姿を現した。
「もう……せっかく姿を隠してたのに、バラさないでよ」
「不意打ちはフェアじゃない。悪いが俺のやり方に従ってもらうぜ」
「はいはい。わかってるわ。今のアタシは貴方のペットだものね?」
強い香気が漂ってくる。
花魁のような妖艶さを持った、黒髪の女だった。
豪奢なドレスは貴婦人のそれ。
しかし、大胆にはだけた肌はまるで娼婦だ。
右目の部分を、アーロンと同じように白い仮面で隠していた。
バギンッ!! と音がした。
ラケルが、掴み取った杭を粉々に握り潰した音だ。
それを見て、妖艶な女は眉を上げた。
「あら、はしたない。それでも女の子?」
「あなた、この杭……!」
「ああ、ごめんなさい? 自己紹介がまだだったかしら」
女は、豊満な胸元を見せつけるようにお辞儀をした。
「悪霊術師ギルド所属、ルクレツィア・グラツィアーニよ。段位はそこの男と同じく終段。特技は、そうね――」
にやあ――と。
ルクレツィアと名乗った女は、不意に、頬を引き裂くように笑った。
「――人を、串刺しにすることかしら?」
ルクレツィアの足元から――
突然、長い杭が生え伸びた。
それは――ああ、間違いない。
学院長の胸を貫いていた杭と、同じもの……!
「ほら、女だからって、男に串刺されてばっかりっていうのも、なんだか癪だと思わない? ……あ、もしかして未経験だったかしら? だったらごめんなさい?」
「おいおい、ルクレツィア。下ネタは控えろよ。ガキもいるんだ、全年齢対象で頼むぜ」
「くすくす……残念。キャラが死んじゃったわ」
握り締められたラケルの拳が、かすかに震えているのが見えた。
「あなたが……あなたが……?」
「あら、いけなかった?」
くすくす……。
くすくすくすくす……。
女は笑う。
「だって、旦那さんだっていたんでしょう? 見た目は子供でもやることはやっていたはずだわ? だったらいいじゃない、1回くらい。処女膜を破ったわけでもあるまいし」
くすくすくす……!
くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす!
女は嘲笑う。
「貴女もやってみたら?
――とっても気持ちよかったわよ、トゥーラ・クリーズの身体は」
紅蓮の炎が轟然と渦巻いた。
【絶跡の虚穴】を通って10倍に膨れ上がった業火が、ルクレツィア・グラツィアーニを呑み込む。
人間など一瞬で消し炭になる火力。
しかし。
「情熱的なのね。大人しい顔して、きっと夜は激しいほうだわ」
ルクレツィアを守るように。
無数の杭が、彼女を覆っていた。
「でも、アタシばかりに夢中になっていていいのかしら? そろそろ閉店のようだけど?」
……閉店?
直感的に空を見上げた俺は――絶句する。
闇色のドームが、再び、空を閉ざそうとしている……!!
「師匠! またダンジョンが!!」
「くッ……!」
ラケルの動きを制するように、地面から無数の杭が生え伸びた。
轟炎が爆撃めいて連鎖し、それらを一瞬で爆破する。
だが、杭の猛攻はそれだけでは終わらなかった。
上空から降り注ぐように。
横ざまに薙ぎ払うように。
床下から呑み込むように。
まるで杭の牢獄。
逃げ場のない串刺し密室だ。
ラケルはそれらを凄まじい精霊術捌きで迎撃した。
だが――
彼女はついさっき、パラトゥーラとの超絶的な死闘を終えたばかりだった。
「あうッ……!?」
「ラケル!!」
飛来した杭が、ラケルの脇腹に掠った。
裂けた服から白い肌が覗き、一本走った傷から赤い雫が垂れる。
「さすがにお疲れのようね?」
「ッ……!」
ラケルは脇腹を押さえながら歯噛みした。
どうする。
加勢するか?
逡巡したその瞬間、
「ジャック!!」
ラケルが俺を呼びながら、こちらを一瞥した。
直後、ちゃりんっ、と音を立て、目の前に何かが落ちる。
鍵だ。
小さな鍵が、虚空から突然出現したのだ。
ラケルの【絶跡の虚穴】によるものに他ならなかった。
「旧見張り塔の地下!! 結界を!!」
あまりに言葉少な。
だが、俺には充分だった。
殺傷無効化結界を復旧させろ。
そのための施設には、学院の端にある旧見張り塔の地下から行ける。
観客たちを闘術場の外に逃がすことはできなくても、結界さえ復旧できれば安全は確保できるはずだ。
その役目を、ラケルは俺たちに任せたのだ。
闇色のドームは、今にも空を閉ざそうとしている。
青い空は、中天にわずか残るばかりだった。
……迷っている暇はない!
俺は鍵を拾い、仲間たちを振り返る。
「全員手を繋げ!! 俺が運ぶ!!」
5人はしかと頷いた。
俺たちは輪になって手を繋ぎ合う。
【巣立ちの透翼】。
6人分の体重を消去する。
そして地面を蹴ると、俺たちは閉ざされつつある青空に向かって、一気に飛翔した。
「ルクレツィアッ!!」
「わかってるわよ。せっかち……ねッ!」
中天を目指して飛翔する俺たちめがけて、ルクレツィアが杭を放った。
避けている余裕はない。
少しでも軌道を変えれば、闇色のドームが閉じるのに間に合わない!
「させないっ……!!」
ラケルの声が聞こえた。
気付いたときには、彼女の背中がすぐそこにあった。
まるで――俺たちの盾になるように。
飛来した杭が、ラケルの肩を貫いた。
真っ赤な飛沫が空中に散る。
「ぐうっ……!」
というぐぐもった声が、俺の耳朶を震わせた。
「しっ、師匠……ッ!!!」
「行きなさいッ!!」
脂汗の浮いた顔で、ラケルは俺たちに笑いかける。
「……任せたわ。わたしの自慢の生徒たち」
俺たちは間一髪で、閉じつつあるドームを通り抜ける。
すぐに下を見たが、ドームの穴はすでに、人間が通れるほどの大きさじゃない。
かろうじて、ラケルの顔だけが垣間見えた。
ほんのわずかに残った穴が、見る見るうちに塞がっていく。
声をかける暇もなく――
苦悶を押し殺した笑顔が――
闇色の壁の向こうに――
――消えた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……行くぞ」
闇色のドームを通り抜け、たった6人、青空に浮遊する仲間たちは、誰一人、俺の言葉に異を唱えなかった。
任せられたのだ。
ならば、それをまっとうしなくちゃならない。
そうして、闘術場の中に取り残されたラケルや、父さん、母さん、ポスフォード氏――たくさんの人間の命を、悪霊王の手から救うのだ。
そんな風に。
決意を新たにした瞬間のこと。
どこまでもこの悪夢は、俺たちに都合よく進んではくれない。
「――――ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉおぉぉおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―――――」
不意に、風鳴りのような音が聞こえた。
「――――おぉおおおぉおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――っっっ!!!!」
それが、人の声だと気付いたとき。
そいつはすでに、俺たちの目の前まで迫っていた。
空の彼方から。
まるで流星のように。
巨大なメイスを持った女が、飛来したのだ。
「――――おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおらっっっしゃあああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!」
反応のしようがなかった。
樹木みたいなサイズのメイスに、俺たちはまとめてぶっ叩かれる。
質量を消していたから、衝撃は受け流せた。
しかし――
繋ぎ合っていた手が、ほどける。
「フィルっ!!」
「じーくんっ!!」
まるでビリヤードのようだった。
三方向に吹き飛ばされた俺たちは、広い学院の敷地内にそれぞれ墜落していった……。
ここから先に、きっちり手間をかけて書きたいシーンがあるので、
明日は1日お休みさせてもらいます。
再開は土曜日。




