Nightmare Escape - Part2
偵察している時間はない。
そう判断したラケルたち教師陣は、早急に討伐チームを組む必要があった。
だが、この避難所を空にすることはできない。
外に出られる教師は、一人が精一杯だった。
議論の末、ラケルが外に出ることになる。
ここに集まった教師の中では、最も戦闘力が高いと判断されたのだ。
ラケルは本当に一人きりで出ていく気満々だったが、当然、そんなの俺が許さない。
「経験者がいたほうが何かと便利だろ?」
その論法で渋るラケルを強引に押し切り、俺とエルヴィスを連れていくことに合意させたのだった。
厄介だったのはここからだ。
「私たちも連れていってください!」
「このままで終われるわけねーだろ!」
「どうか、仇討ちの機会を……!」
「じーくんが行くならわたしも行くっ!」
時間を置いて頭を冷やすことはできても、師匠を殺された恨みが消えるわけではない。
アゼレアとルビー、ガウェインが同行を願い出るのは、自然の成り行きと言えた。
そして俺が行く以上、フィルがついてきたがるのも自然の成り行きだ。
……俺は今まで、フィルをパートナーにして段級位戦を勝ち抜いてきた。
その意味で言えば、彼女がついてきてくれるととても心強い。
しかし同時に、フィルを危険な目に遭わせたくないという気持ちもあった。
精霊術師としてのパートナーで、幼馴染みであること以上に――
今の俺にとって、フィルは大事な婚約者なのだ。
「じーくん」
渋い顔をする俺を、フィルは真剣な声で呼んだ。
「同じ人生を、生きるんでしょ?」
……ああ。
同じ人生を生きてくれ、と俺は彼女に言った。
嬉しいことばかりに限らず、つらいことも含め、すべてを一緒に背負ってくれ、と。
だったら、彼女の同行を、俺は拒絶できない。
残りの3人も、ラケルの渋い顔にめげず、しつこく食い下がった。
こいつらだって、引き下がれないのだ。
その気持ちは、きっとラケルにもわかっている。
彼女だって、10年を共に過ごしたと言う学院長を、喪っているのだから。
「……わかったわ」
だから、最後は折れざるを得なかった。
「ただし、わたしの指示に絶対従うこと。いい?」
威勢の良い返事が、アゼレアたちから返る。
こうして、ダンジョン攻略チームが結成された。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
バリケードを一時的に解き、外に出た。
エルヴィスとフィルが即座に索敵を行ったが、反応はまったくない。
「……モンスターがいない?」
「何を企んでいるの……!」
アゼレアが噛みつくように呟く。
敵もいないうちからこの様子では、いざというときにエネルギー切れを起こしそうだが……。
きっと、怒りを燃やしていないと心を保てないのだ。
俺は、避難したときと廊下の様子が変わっていることに気付く。
「……試合場への道が塞がれてるぞ」
「さっきの地響きはこれか……」
天井が崩落し、試合場方面の廊下が塞がっていたのだ。
だが、塞がっているのは、飽くまで最短ルートだけ。
「回り道しろってことか」
「だね。距離を伸ばすことで難易度を上げ――いてっ!?」
「いだっ!」
唐突に、ラケルが俺とエルヴィスにチョップを入れた。
いきなりなんだよ!?
「敵の思惑に簡単に乗らない」
そう言いながら、ラケルは廊下を塞ぐ瓦礫の前に立つ。
両手を瓦礫に向けてかざし、
「――合霊術『爆塵』」
ドッン!!!
積み重なった瓦礫を紅蓮の爆発が包み、跡形もなく吹き飛ばした。
ラケルは開かれた道の先にモンスターがいないのを確認すると、俺たちを見やって言う。
「確かに、このダンジョンはわたしたちの精霊術をある程度制限する力がある。普段は壊せるものを壊せなかったりもすると思う。
でも、天井を崩落させられたということは、その瓦礫をこうして破壊することもできるということ。
ここは敵の領域なの。洞察力を最大限に働かせて」
いつもの授業のように、ラケルは淡々と言った。
エルヴィスがこっそり俺に質問してくる。
「ねえ。今、ラケル先生が何をやったか、わかった?」
「……たぶん、粉塵爆発だな」
「粉塵爆発?」
「塵は炎を伝達しやすいんだ。だから、土や石を操る【大地の指先】で塵を集めて、炎を操る【黎明の灯火】で着火した……ってことだと思う」
ラケルの精霊術【神意の接収】は、他人の精霊術を模倣することができる。
彼女はその精霊術と長い寿命を使って、世界中の精霊術を蒐集して回っていた。
そうして作った膨大なライブラリの中から、任意で最大2つまで選択して、自由に使うことができるのだ。
欠点や弱点としては、主に二つ。
一つ、出力ではルーストに劣る。
二つ、熟練度では専門の達人に劣る。
とはいえ、同時に2つの精霊術を行使できるアドバンテージさえあれば、今のように出力の欠点はカバーできる。
それに、熟練度で劣るとは言っても、出会った当時、彼女は【巣立ちの透翼】の扱いで俺を遥かに凌駕していた。
正直、今も追いつけたとは言い切れない。
長大な寿命を持ち、いくらでも訓練に時間を使えるエルフにとっては、熟練度の欠点は無きに等しいのかもしれない。
初めて聞いたときも思ったが……。
はっきり言って、チートである。
正直、どうやったらラケルに勝てるのか、想像すらつかない。
精霊術師ギルドに寄りつかず、段位戦にも出ていないから無名なだけで、彼女はたぶん、学院長とだって正面から渡り合えたはずだ。
悪霊王ビフロンスに現状での誤算があるとしたら、真っ先にラケルを始末しなかったことだろう。
こうして考えてみると、果たして俺たちがついてくる必要はあったのか、不安になってくるくらいだった。
「行きましょう」
瓦礫を発破して開いた道を、ラケルは悠々と歩いていく。
俺たちは安心さえ覚えて、その背中を追いかけるのだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
散発的に出現するモンスターはすべてラケルが瞬殺した。
最短ルートを通り、俺たちはあっという間に試合場に辿り着く。
あれだけいたモンスターは、もう1匹もいなかった。
ただ、逃げきれなかった観客の死体が、そこら中に転がっている。
あとは、ステージの中央に、鳥葬にされた学院長の屍があるだけだった。
「……ッ」
俺は、ラケルが一瞬だけくしゃりと顔を歪めるのを見た。
しかし、すぐに無表情を取り戻す。
「……警戒を怠らないで」
俺たちにそう言って、ラケルはステージへと近付いていく。
俺たちもそれに続いた。
ラケルが、ステージに上る階段に足をかける。
ボスの気配はどこにもない。
外れなのか……?
そう思った瞬間。
ステージの床板が、すべて一斉に剥がれた。
「退がって!!」
鋭く言いながら、ラケル自身もステージから距離を取る。
慌てて後ろに退がった俺たちは、高く空中に舞い上がった無数の床板を愕然と見上げた。
「何よ、これ……!?」
「おい……なんか……床板の向こうに、いるっ……!!」
ルビーが指差した先を見て、俺は目を瞠った。
そこには大きな目があった。
真っ黒な触手が蠢いていた。
あれは……。
あいつは……!
見覚えのある触手生物を、無数の床板が覆う。
床板はパズルのように組み合わさっていき、見る見るうちにある形を作っていく。
巨人だ。
床板でできた巨人は、頭部から覗かせた巨大な単眼で俺たちを見下ろした。
関節部からは黒い触手。
無数の触手が床板を繋ぎ合わせ、操っているのだ。
「――パラガント……!!」
空を覆う闇色のドームに届こうという巨躯を見上げ、俺たちは身構えた。
「ラケル先生! こいつです、ぼくらが戦ったボスは!」
「弱点は目だ! 俺たちが近付いて――」
「あなたたちは退がってて」
そう言って。
ラケルが、一歩前に踏み出した。
おい、冗談だろ……!?
いくらラケルでも、こいつは一人じゃ――
止めようとした、そのとき。
パラガントの単眼が、カッと輝いた。
「まずっ――」
ビームが来る!
回避はもう間に合わない。
エルヴィスの屈折も――間に合いそうにない。
俺は反射的に目を閉じた――――
「――【絶跡の虚穴】」
しかし、少し経っても、俺の身体が蒸発することはなかった。
恐る恐る目を開けると―――
俺たちの、ほんの少し頭上で。
極太のビームが、消失していた。
まるで、見えない穴の中に吸い込まれたように――
「返すわ……5倍にして」
ラケルが淡々と言った直後。
さっきの数倍の閃光が、辺りを染めた。
極太のビームが――総計5条。
パラガントの周囲に突如出現して、床板で形作られた巨躯を貫いたのだ。
その光景を見て、俺はようやく理解する。
女盗賊ヴィッキーがやっていたのと同じだ。
【絶跡の虚穴】は、離れた空間と空間を繋ぐワームホールを作り出す精霊術である。
基本的に、入口と出口は1つずつ。
だがラケルは、1つの入口に対して5つもの出口を作ったのだ。
結果、1つの入口からワームホールに入ったビームは、5つの出口から同時に出てきた。
すなわち、威力据え置きで5条に分裂した……。
自身の必殺攻撃を5発も受け、パラガントの身体は一瞬で粉微塵になった。
本体たる触手生物は、残骸を掻き集めて身体を再構築しようとする。
だがラケルは、それを許さなかった。
すっ――と。
天を指差す。
瞬間、その指先から紫電が迸った。
紫電は空に届く前に消失する。
【絶跡の虚穴】のワームホールに入ったのだ。
ということは――
バヂンッ!!
という音が、剥き出しになった触手生物の直上で弾けた。
5条に分裂した紫電が、ひと塊になっている。
そして――
「―――合霊術『雷槌』」
――轟音が、耳をつんざいた。
あまりの凄まじさに、俺は引っ繰り返る。
閃光に潰された目をしぱしぱと瞬きながら、俺が起き上がったとき――
触手の怪物は、黒煙を上げていた。
その大きな単眼は……もはや、意思を宿してはいない。
どちゃっ、と床板の剥がれたステージに落下する。
そしてそのまま、床に染み込むようにして、パラガントは消滅した……。
「……まじで……?」
「こんな、あっさり……」
俺とエルヴィスは、ただただ呆然とするしかない。
あんなに苦戦したパラガントが、こんな、一瞬で……?
しかもラケルは、最初の立ち位置から一歩たりとも動いていない。
完勝にして、楽勝。
戦いにすらなっていなかった。
俺は、このとき――
自分の師匠の圧倒的な強さを、初めて目の当たりにしたのだった。
「まだ警戒は解かないで。……行きましょう」
誇るわけでもなく、何事もなかったように、ラケルは歩き出した。
ステージに上がる。
中央にはまだ、杭に胸を貫かれた学院長の死体があった。
俺たちは、それに近付く。
群がっていた鳥が逃げ散った。
「……トゥーラ……」
ラケルがそっと呟いて、血に濡れた頬に触れる。
……やはり、死んでいた。
ダミーなどでもない。
霊王トゥーラ・クリーズは、完膚なきまでに死亡していた……。
彼女もやはり、自殺なのだろうか
いや……よくよく思い出してみよう。
開会式の途中、突然真っ暗になった、あのとき。
確か、学院長の声が聞こえた。
『――おい! なんだ貴様ッ――!』
あれは、彼女の前に犯人が現れたことの証左ではないのか。
死に方も、とても自殺とは思えない。
彼女だけは他殺なのだろうか……?
――パチパチパチパチ……。
不意に、どこからか拍手が聞こえてきた。
俺たちは音のするほうを見る。
無人の観客席。
その真ん中に、そいつは堂々と座っていた。
顔の半分を仮面で隠した、30過ぎほどの男。
【試練の迷宮】の術師――アーロン。
「ブラボー。とんでもない奴が隠れてたもんだぜ。学院の教師が束になってかかってきても返り討ちにできる計算だったんだがな……」
「あなたが、このダンジョンを作っている?」
「悪霊術師ギルド所属、アーロン・ブルーイット」
半仮面の男は初めて、自ら名乗りを上げた。
「段位は一応、終段だ。よろしくお願いするぜ、冗談みたいに強えお嬢さん」
……終段?
段位だって?
精霊術師ギルドの真似でもしているのか。
ここまで俺たちをコケにしておいて……。
……まるでおちょくられているようだった。
「そのつもりはない」
ラケルは断ち切るように告げ、華奢な指をアーロンに突きつけた。
「――あなたと会うのは、これが最初で最後だから」
紫電が迸った。
蛇のようにのたくって飛翔したそれは、何条にも分裂してアーロンに殺到する。
しかし――
アーロンの姿はいつの間にか、まったく違う場所にあった。
「……?」
「危ねえ危ねえ」
怪訝げに眉をひそめるラケルに対し、アーロンは飄々と肩を竦める。
なんだ、今の……。
瞬間移動?
もしかして奴は、ダンジョンの中なら自由に移動できるのか?
確かに前も、突然現れたりいなくなったりしていた……。
「やれやれ。俺なんかより気を付けなきゃならねえもんがあると思うんだがね、お嬢さん」
「……何のこと?」
「お前さんの強さは、あらゆる精霊術師の中でもトップクラスだ。最強と呼んでも差し支えない。経験豊富なおっさんが保証してやるぜ。
だから――」
アーロンは、にやりと笑い。
足を組みながら、指差す。
ラケルのすぐ傍にある、学院長の死体を。
「――最強には最強をぶつけることにした。それがフェアってやつだ」
俺は目撃する。
学院長の死体の、耳の穴から――
ちょろっ、と。
触手の先端が、覗いた。
「師匠!!」
俺は咄嗟にラケルの服を引っ張る。
直後だった。
死体のはずの学院長が、動く。
両手が持ち上がり。
自らの胸を貫く杭の先端を、掴み。
手に力を込めたかと思うと――
バギンッ!!
と。
あっさり、杭が砕け散った。
学院長は――
否、学院長の死体は。
乾き切った血だまりの上に、自らの足で立った。
胸には、杭に貫かれてできた、大きな穴。
そこから――
ぎょろり、と。
大きな単眼が、覗いた。
「名付けて――そうだな、≪寄生屍霊王パラトゥーラ≫なんてどうだ?」
まるで遊んでいるような口調のアーロンを。
ラケルは、それだけで人を殺せそうな、激昂の眼光で睨みつける。
「―――生まれてきたことを後悔させてやる」
「そいつは楽しみだ」
学院長の――いや、あれは学院長じゃない。
パラトゥーラの背後に、陽炎のように揺らめく不死鳥が現れた。
精霊序列37位〈儚き不滅のフェネクス〉。
優雅にして優美なる炎の不死鳥は、今は、醜い触手に絡め取られていた。
触手に縛られた〈フェネクス〉が、悲鳴のような咆哮を放つ。
それが、学院長とラケル――
王国最強の精霊術師とその一番弟子。
遅すぎた対決の開幕を、宣言した。




