Nightmare Escape - Part1
「みんな、大丈夫!?」
俺たちの硬直を、後ろから追いかけてきた声が解いた。
廊下を走ってくるのは、ラケルだった。
「放送室から人が落ちるのが見えたんだけど、何が―――ぁ……」
壁掛け燭台に首を貫かれている女性教師を見て、ラケルは言葉を失う。
誰もが、俯くばかりだった。
だから、俺が――
この悪夢において、一日の長がある俺が、説明せざるを得ない。
「サロンに行ったんだ。助けが必要だと思って。でも……手遅れだった」
「手遅れ……? サロンには確か、バステード九段やモグリッジ九段が……」
「全滅だ。サロンにいた全員、俺たちが行ったときには死体だった」
ラケルは、信じられない、という顔をした。
俺だって、まだ信じ切れない。
だが、こうして淡々と事実だけを話していると、心の中で整理がついてくる。
「それから、ビフロンスがいると思って放送室まで来て、この先生を人質に取って占拠してたエミリー・オハラと小競り合いになった。
追いつめてビフロンスの居場所を問いただしたら、オハラは自分から飛び降りて……その後、気付いたら、助け出したはずのこの先生がいなくなってた。
それから、血の跡を追いかけてきたら……この状態だった」
世界そのものが狂ってしまったような展開の連鎖。
その狂気に呑まれないよう、俺は努めて、事実だけを列挙する。
「エルヴィスの話によると、第二貴賓室――民主派の貴族が集まってた賭場も、サロンみたいに全滅だったらしい。
ラヴィニア・フィッツヘルベルトやサウスオール九段、それにエドワーズ王太子の死体を確認したって……」
俺は気遣ってエルヴィスを一瞥する。
エルヴィスは大丈夫だと言うように微笑して、頷いた。
「事実です、ラケル先生。確かに死体を確認しました」
「……なんてこと……」
額を押さえるラケル。
この現実を受け止め切るのは難しいことだ。
だけど、できるだけ多くの情報を、彼女には持っておいてほしかった。
「それと、もう一つ」
「なに……?」
「第二貴賓室、サロン、放送室――俺たちが確認した死体は、一つ残らず例外なく、自殺だった」
「自殺……!? それって……!」
「あのときと同じだ。『真紅の猫』のときと」
ラケルは厳しい目つきになる。
「あなたたちの推測……正しかったんだ……」
俺とエルヴィスは頷いた。
『真紅の猫』の裏にはビフロンスがいた。
この事件はビフロンスが起こしている。
この異常な集団自殺が、その証左だ。
ラケルは顔を上げると、俺たちの間を抜けて、壁掛け燭台に延髄を貫かれた教師に近付いた。
「……燭台の根元に片手がかかったままになってる……。自分で、懸垂みたいによじ登って……」
自殺……か。
あの歌が聞こえてきたから、もしかしたらあいつ自身がやったんじゃないかとも思っていたが……。
よくよく思い出してみると。
廊下に出たときに聞いたあの歌は、この女教師が歌っていたんじゃないだろうか。
一度だけ聞いた声と似ていた気がする。
だとすれば、あの歌の瞬間までは、彼女は生きていたのだ。
その直後に、自殺した。
……ビフロンスの精霊術は、人の精神を乗っ取るようなものなのだろうか。
精神に干渉する精霊術も、ないとは言えない。
けど、まさか、こんな惨たらしい自殺を強要できるなんて……。
……もしも。
もしも、だ。
あの悪魔みたいな妹が、まだ生きているとしたら。
やりかねない。
あいつなら、やりかねない。
根拠も証拠もなく、俺にはそう思えるのだった……。
「……信じられない……。自殺なんて……。アマベルさん……。ついこの前、久しぶりの里帰りで家族に会ったって、嬉しそうに話していたばかりなのに……」
この女教師は、ラケルの知り合いだったのか。
いや……学院は大きいようで狭い。
教師同士が顔見知りなのは、当然のことだろう……。
項垂れていたラケルは、何かを振り払うように首を振った。
そして顔を上げ、俺たちに振り返る。
「……とにかく、あなたたちもいったん避難して。いくつかの部屋に分かれて、籠城する手はずだから」
その表情には、恐れも怯えもない。
だが、俺たち生徒の手前、気丈に振る舞っていることが、俺には手に取るようにわかった。
それでも……。
俺も、みんなも、疲れ切っている。
身体ではなく、心が。
ラケルが精一杯見せてくれた、大人としての頼もしさに……俺たちは、甘える他になかった……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
机や椅子、棚などをありったけ掻き集めて、入口を堅く堅く塞いだ。
これほどのバリケードがあれば、モンスターもそう簡単には入ってこられない。
俺たちは、ようやく人心地ついた。
とはいえ、一安心とはまだいかない。
俺たちが籠城したのは、来場者用のサロンの一つ。
霊王戦という大イベントの日だっただけあって、食料もいくらか用意されている。
だがそれも、避難した数十人もの人間が、何日も飢えないでいられるほどの量ではない。
端に置かれたベンチの上に、モンスターに怪我を負わされた人たちが寝かせられている。
その治療を、医術の心得がある者がほんの数人で入れ替わり立ち代わり、まるで将棋の多面指しみたいに忙しく行っていた。
時折、部屋の外から血に飢えた鳴き声が響いてくる。
ズン、ズン、という重々しい足音も。
そのたびに、サロンの中がピリッと緊張する。
何度も何度も緊張を繰り返すことで、捉えようのない不安が少しずつ、澱のように積み重なっていた。
それでも、こうして腰を落ち着けたことには、意味があっただろう。
復讐にたぎっていたアゼレア、ルビー、ガウェインも、もうだいぶ落ち着いていた。
……しかし、いつまでも閉じこもっているわけにはいかない。
脱出の手だてを考えなければ……。
「ラケル」
手が空くのを見計らって、俺はラケルに話しかけた。
「脱出の算段はついたのか?」
「……その件で、あなたとエルヴィスに話を聞きたいの。この精霊術を体験したことがある、って聞いたから」
父さんや母さんから聞いたのか。
父さんと母さん、ポスフォード氏も、このサロンに避難している。
幸い、怪我はないようだ。
勝手に突っ走ったことをだいぶ叱られたけどな。
俺はラケルに頷いて、エルヴィスを呼んでくる。
他の教師たちも交えて車座になり、対策会議が開かれた。
「――このダンジョンを出るには、ボスを倒さなければなりません」
口火を切る役は、王子であるエルヴィスに任せた。
教師たちは真剣な面持ちで、彼の言葉に耳を傾ける。
「ボス、というのは、このダンジョンを支配する、一番強大な魔物のことです。ぼくたちのときは――」
「とんでもなく大きな触手の塊だった。具体的なサイズは……たぶん、象の5~6倍ってところか? 触手の真ん中にデカい目があって、そこから森一つ簡単に焼き払えるくらいの熱光線を出す」
俺たちが語る『ボス』の概要を聞いて、教師たちの表情が厳しさを増す。
平然としているのはラケルくらいか。
「ただし――これは、【試練の迷宮】の術師本人が言っていたのですが、ダンジョンは必ず攻略可能なように作っているそうです」
「……敵の言葉でしょ。信じられるの?」
「完全とは言い切れないけど、有り得ない話ではないと思う。実際、俺たちは攻略できたし――これほどの規模の精霊術だ。仮にルーストだとしても、何かしら縛りの強いルーティンがないと制御しきれない」
「ふむ……」
ラケルは口元に手を当てて考え込んだ。
ラケルはまともな段位こそ持っていないものの、学院でもトップクラスに優秀な精霊術師だ。
だが、その強大な力を安定して振るうためのルーティンは、本人曰く、『お腹いっぱい食べる』とかいう緩いものらしい。
まあ、食料が貴重品となったこの状況では、それも『緩い』とは言えないかもしれないが。
彼女の中で、ルーティンというものの重要性がいまいちピンと来ていない可能性はある。
「究極的なことを言えば、もしダンジョンも魔物も自由に設定できるんだとしたら、『俺たち全員を一瞬で確実に殺し尽くせる最強の魔物』を作り出してしまえばいい。
それをしてないってことは、やっぱり、【試練の迷宮】には制限があるんだ」
「……なるほど。一理ある」
ラケルは得心したように頷いた。
「仮に、ダンジョンは常に攻略可能、という話が事実だったとして……。その難易度は、どうやって決定されてると思う?」
「それは術師の胸先三寸だと思います。ね、ジャックくん」
「ああ。ボスがとんでもない奴だったのに対して、道中は謎解きをさせられただけだった。明らかに難易度に差がある。
『侮った』とか言ってたし、最初は俺たちのことをナメてたんだろう。ボス戦のときになって、難易度を上方修正したんだ」
「途中で難易度を変更するのもアリ、か……。厄介ね……」
忌々しげに呟くラケル。
そこにエルヴィスが口を挟んだ。
「これは推測なんですけど……もしかすると、途中での難易度変更にも制限があるかもしれません」
「と言うと?」
「ボス戦の直前になって、術師本人が姿を見せたんですが……あのとき、ぼくたちの前に姿を見せるメリットがあったようには思えないんです」
確かに……。
挑発めいたことは言われたが、本当にそれだけのために、わざわざ危険を冒すだろうか?
本人がやられたら、せっかくのダンジョンも無駄になるだろうに。
「……攻略者の前に姿を現さないと、難易度変更はできない。そう言いたいのか、エルヴィス?」
「推測だけどね。そう考えれば辻褄が合う」
教師たちが唸った。
エルヴィスの洞察力に感心しているのかもしれない。
「だとすると……」
ラケルが少し視線を上にやりながら言った。
「……わたしたちが楽勝でダンジョンを攻略して、焦って難易度を変更しようと姿を現した術師本人を、速攻で倒す。……これが最速?」
「ですね」
「問題は、今現在の難易度だ。エリート集団である精霊術学院の教師をまとめて敵に回している以上、現状でもかなり高いんじゃないか」
「かもね……」
「まあ、とにかく」
重苦しいムードを断ち切るように、ラケルはあっけらかんと言う。
「ボスを見つけて、倒す。それで外に出られる。そういうことね」
……ああ、そうだ。
難しいほうへ難しいほうへ考えても仕方がない。
シンプルに行こう。
「わたしたちが解決しなきゃいけない課題は、どうやってボスを見つけるか、どうやってボスを倒すか、それを考えること。
……経験者の二人、何か考えはある?」
俺とエルヴィスは、しばし口を閉じて考えた。
ボスがいるとしたら……。
「……最初の、試合場が怪しいか?」
「うん。ぼくもそう思う」
俺とエルヴィスの意見は一致した。
「どうして試合場が怪しいって?」
「もしそうだとしたら、なんとなくだが、臥人館のときと演出が似てる」
「演出か。なるほどね。その表現は合ってると思う」
「演出……?」
首を傾げるラケルに、俺は自分の中の漠然とした感覚を説明する。
「臥人館のとき、俺たちは最初に一番奥まで通された。
そこから入口近くまで戻ってきて、ダンジョン化したあと、また改めて一番奥を目指した。
そのあとに、ボスに追い立てられながら入口まで戻った。
つまり――同じ道を、難易度だけ変えて、2往復もさせられたんだ」
エルヴィスがこくこくと頷いて同意を示した。
「ぼくたちは一番初めに試合場にいて、そこからここまで逃げてきた。
だから、もしボスが試合場にいるとしたら、また同じ道を戻ることになる。
その『同じ道を難易度だけ変えて何度も往復させる』っていう演出が、臥人館のときとそっくりなんです」
ふむ、とラケルは思案深げに口元に指を当てた。
「……ダンジョンを作る上での癖、というか……作風みたいなものなのかもしれない」
作風。
言い得て妙だった。
「まずは偵察。本当に試合場にボスがいるかどうか確認する。それから討伐チームを組んで――」
ラケルの声を遮るかのように。
地響きが起こった。
散発的に悲鳴が上がる。
それはしばらくすると、勝手に治まった。
なんだ、今の地響き……。
まるで、何かが崩れたような……。
怪訝に思ったそのときだった。
――ばたん。
ばたん、ばたん、ばたん。
部屋のそこかしこで、何人もの人が、不意に倒れた。
ざわめきが走り、それはすぐに、
「きゃあああああああああああっ!!!」
という、絹を裂くような悲鳴に変わる。
俺やラケルたちが駆けつけたとき、倒れた人々は、すでに血の海に浸っていた。
誰もが一様に、お腹から大量の血を出している。
そして。
右手には、果物ナイフ。
自殺。
「……死んでる……」
ラケルが脈を確認し、首を振った。
他の人たちも同じように確認するが、息のある人間は一人もいなかった。
……こうして閉じ籠もっていても、ダメなのか。
どこにいようが、お構いなしに自殺させられてしまう。
こんなのどうしろってんだよ……!?
歯噛みしたとき、俺は不審な点に気付いた。
お腹から服に滲んでいる赤い血。
その滲み方が……ちょっと、おかしいような……。
俺は死体に近付いた。
ぴしゃっ、と血だまりを踏む。
靴が汚れるが、気にしている場合じゃない。
俺は、死体の服を捲り上げ、腹部を確認した。
「これ……」
腹部にあるのは、傷口だ。
果物ナイフで付けられたのだろう傷口から、血がどくどくと溢れている。
奇妙なのは、その傷口だった。
「これ――文字だ」
傷口が、文字になっているのだ。
俺の呟きに気付いて確認したラケルが、驚愕の表情になる。
他の教師と目配せを交わし、他の死体の傷口も確認しに走った。
結果。
すべての死体の傷口が、文字になっていたことがわかる。
そして、それらすべてを繋ぎ合わせると、一つのメッセージになった。
――『NO ONE CAN ESCAPE』
――『誰ひとり、逃げられない』
「……どうやら」
ラケルは苦々しげに呟く。
「悠長にしている時間は、ないみたいね……」




