王太子と第三王子
開会式は学院の施設でも最大のキャパシティを誇る第一闘術場で行われる。
全国から集まった出場者や観客たちが、第一闘術場に流れ込んでいた。
そのロビーの一角で、俺とエルヴィスはいつもの面子と合流する。
遅いと文句をつけてくるフィルやルビーに手刀を切って謝りつつ、
「ガウェインくん、アゼレアさん。きみたちの師匠はいらっしゃってるのかな? 一応、挨拶しておきたいんだけど」
「師範も来られると聞いてるわ。私はまだ会ってないけど……」
「バステード閣下とは開会式の前に一度顔を合わせる予定です。そろそろこちらにお見えになるのではないかと」
「そっか。できれば紹介してもらえるかな?」
アゼレアが所属する炎神天照流の師範も、ガウェインの師匠であるバステード九段も、どちらも王権派だ。
エルヴィスとしては直接顔を合わせておきたいのだろう。
一人何も聞かれなかったルビーが、にやあと笑った。
「おいおい王子様ぁ。ウチのジジイには挨拶しなくていいわけ?」
「あ、いや……そういうわけじゃないけど……」
苦笑いするエルヴィス。
ルビーの師匠、『屑拾いのバーグソン』ことホゼア・バーグソン八段は貴族嫌いで有名である。いわんや王族をや。
「おっ、噂をすりゃ」
「えっ?」
ルビーがエルヴィスの背後に視線を投げた。
一人の老人が、こちらに向かって歩いてくる。
簡素な着流しを纏った長髪の爺さんで、着飾った貴族ばかりのこの空間では、いやに目立って見えた。
皺だらけの顔を見ると、70は超えているように見えるが、杖などは突いていない。
むしろ溌剌とした生命力を、全身から発散していた。
「よお、ジジイ! 思ったより元気そうじゃん」
「おう、ルビー。そう言うてめえは思ったより育ってねえな。もうちっと胸に肉つけろ」
「おいおい、いい加減セクハラに敏感な歳だぜ? あんたの可愛い弟子はよー」
「ふん。てめえが『可愛い弟子』だったときなんざあったかよ、跳ねっ返りめ」
師匠と弟子とは思えない気安い会話をルビーと交わしたあと、老人はじろりと俺たちを見た。
「ルビー……てめえ、貴族の坊主どもとつるんでるってのは本当だったんだな。それも一人は王子だって?」
「おー。すっげー便利だぜ?」
「便利だから付き合ってたの!?」
ショックを受けたアゼレアをまーまーと宥めるルビー。
老人――ホゼア・バーグソンはその光景を目を細めて眺め、
「……ま、好きにやりゃあいいがな。おれの個人的感情はてめえには関係ねえ」
「ははっ! だったら貴族への嫌がらせで弟子放り込むのやめろっつーの!」
「るせえ。おれは上流階級でふんぞり返ってる連中に下剋上かましてやるのが好きなんだよ。酒よりもよっぽど気持ちよくなれる」
「へーへー。お望み通り、まだ学生で、しかもスラム出身のあたしが、格上の貴族ども相手にばったばったと無双してやっから安心しなー」
「期待してるぜ。おれが若返るくらいのやつを見せてくれや」
おざなりに手を振って、老人は去っていった。
エルヴィスがはあと息をつく。
「……なんか、すごい重圧を感じたよ……」
「おもしれージジイだろ?」
ルビーはけらけらと笑う。
おもしれーっていうか、変わった爺さんだ……。
「それにしても、一瞬で行っちまったな、あの爺さん。久しぶりに会った弟子と積もる話とかないのか?」
「あー、それは……気に入らない気配を感じたからじゃね?」
ルビーが苦笑しながら指差した先に、2人の屈強そうな男性がいた。
一人は飾り気の多い儀礼的な鎧に身を包んだ、騎士のような壮年男性。
歳の頃は50を超えていると思うが、その力強い眼差しは、まるで猛獣のそれだ。
ただ佇むだけで威圧感を発していて、ものすごく近寄り難い。
もう一人は、赤い髪を炎のように逆立てた、30代ほどの男だ。
吊り上がった目やその髪色、髪型から苛烈な印象を抱かせる。
前述の壮年騎士を誰もが近寄り難そうにしている中、ただ一人、平気な顔で談笑していた。
「殿下。あの方がバステード閣下です」
「閣下と話しているのが師範よ。紹介する?」
「うん。頼むよ」
壮年の騎士がデンホルム・バステード九段。
赤髪の男が、炎神天照流の当代師範――アルヴィン・マグナンティ八段か。
どちらも王国精霊術師界の超大御所。
加えて、由緒正しい貴族の人間でもある。
貴族嫌いであるバーグソン八段が避けるのも無理のない話だ。
弟子の前で揉め事を起こすのもみっともないしな。
「3人はどうする?」
エルヴィスが俺とフィルとルビーに尋ねてくる。
あの二人に紹介してもらえるなら、そりゃ光栄だが……。
「あたしはパス」
「わたしもー」
「俺も……今はいい。お前らだけで行ってくれ」
いま行くとエルヴィスのバーターみたいだしな。
アゼレアやガウェインとの付き合いがある限り、機会はまたあるだろう。
エルヴィス、アゼレア、ガウェインの3人が、談笑する2人のもとへ。
エルヴィスの姿を見るなり、バステード九段が、即座にその場に膝を突いた。
「うへー。歳食ったガウェインじゃん」
「ガウェインのほうが若いバステード九段なんだろうけどな」
「礼儀正しいねー」
さすが『鉄の将軍』、凄味すらある忠誠心だ。
隣のマグナンティ八段は頭を下げるだけに留めているのに。
いくら相手が王族とはいえ、こういうさほどフォーマルでもない場では普通あんなものだと思う。
何事にもTPOというものがあるのだ。
それでもバステード九段があそこまでするのは、マナー云々を超えたところでそうしなければならないと考えているからだろう。
エルヴィスがバステード九段に顔を上げさせた。
それから、ガウェインやアゼレアも混じって談笑が始まる。
周囲の喧騒もあり、声までは聞こえないが――
ガウェインもアゼレアも、普段、俺たちに見せる顔とは異なる表情を、師匠たちに見せていた。
ルビーもそうだった。
バーグソン八段と話しているときは、親子にも似た気安さを見せていた。
俺やフィルだって、ラケルに対しては、きっと違う顔を見せている。
師匠と弟子というのは、親子とも、友人とも、仲間とも異なる、特別な絆で結ばれているのだ。
他の師弟を初めて見て、俺はそんなことを思ったのだった……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……そろそろ時間だ」
ロビーで色々と挨拶を済ませ、開会式の会場へ向かう途中、エルヴィスが俺にだけぼそっと言った。
「……わかった。あとは頼む」
「うん。報告は開会式のあとで」
霊王戦と並行して進む、俺たちの目的。
ラヴィニア・フィッツヘルベルトの摘発。
霊王戦賭博の賭場は、開会式と同時に開かれる。
そこに踏み込んで、集まっている他の貴族もろともラヴィニアを摘発してしまうのだ。
エルヴィスは責任者として、その実働隊に帯同することになっている。
他の面子にも声をかけ、エルヴィスが離れていこうとしたとき。
「……おや? どこに行くんだい、エルヴィス?」
反射的に、心がざわめいた。
突然割り込んできた、その声。
ねちっこいと言うべきか、いやらしいと言うべきか。
言葉の裏に嘲りがあることが、否応なくわかってしまうような。
そんな、神経を逆撫でされる声だった。
足を止めたエルヴィスが、声が聞こえたほうを見て――
ほんのかすかに、眉をひそめる。
エルヴィスがそんな風に煩わしげにするのを、俺は初めて見た……。
廊下の向こうから、豪奢な身なりをした男が歩いてくる。
金刺繍で飾られた礼装や、煌びやかなアクセサリー。
一歩間違えばいやらしい成金趣味となってしまうそれらは、しかし、適量を適所に、正しくあしらわれることによって、逆に本物の高貴さを匂わせていた。
女性のように長い金髪を見せつけるように輝かせ。
その高貴な男は、エルヴィスに向かって気さくに笑いかけた。
「これから開会式だろう――行かなくてもいいのかい、我が弟よ」
弟……!?
つまり、こいつも王子……!
エルヴィスを除く俺たちは、慌てて頭を下げた。
ピンと来てないフィルとルビーは、それぞれ俺とアゼレアが頭を押さえつける。
「ああ、いいよいいよ、楽にして。君たちはエルヴィスの学友だろう? うん、黙ってさえいてくれれば許してあげよう」
なんだこいつ、とルビーが小さく毒づいた。
ナチュラルな上から目線。
人の上に立つことに完全に慣れ切っている物言いだ。
「(……エドワーズ・ウィンザー王太子殿下だ。頼むから無礼を働いてくれるなよ、ルビー・バーグソン)」
ガウェインが小さな声で注意し、チッ、とルビーが舌打ちした。
俺は無言で息を呑む。
――王太子。
つまり、次期国王。
第一王位継承者……。
顔を上げても、エルヴィスはほんの少し眉間にしわを寄せたまま、口を噤んでいた。
俺たちは無言で推移を見守るしかない。
「どうした、エルヴィス。挨拶はどうしたんだい? 教えたはずだよ、一番大事なのは挨拶だと」
「……ご無沙汰しております、兄上」
明らかに、不承不承。
しかし、表面上は平然とした声で、エルヴィスは言った。
エドワーズ王太子は笑みを浮かべる。
「うん、よろしい。本当に久々だね。お前の学院での活躍は、私のところにも届いているよ」
「……恐縮です。兄上こそ、お変わりなく」
「お前もね。前に会ったときとまるで変わりがない」
俺は眉をひそめた。
今、一瞬、確かに。
王太子の笑みに、嘲笑が入り混じったのだ。
「おや……どうしたんだい、エルヴィス。怖い目をして? 私はただ、変わらず壮健そうで安心した、と、そういう話をしたんだが?」
「……いえ……」
「おっと、私の勘違いだったかな。悪いね。お前の目つきはときどき、とても怖く見えるんだ。やっぱり野蛮人の血が入っているとそうなるのかな?」
「―――兄上」
瞬間、戦慄が走った。
「口は災いの元と言いますよ」
表情は普通。
声色は平坦。
しかし、その言葉には、激しい怒りが籠もっていた。
傍で聞いていただけの俺たちですら震え上がる。
さしもの王太子も、直接ぶつけられた憤怒に、たじろいだ様子を見せた。
しかし、すぐに口元に笑みを刻む。
まるで鎧のような嘲笑を。
「……エルヴィス……」
エドワーズ王太子は、弟の耳に顔を寄せて、小さな声で囁く。
その内容が、かすかに聞き取れた。
「――王太子は、私だ」
強い自負。
あるいは依存心。
そんなものが籠もった一言だった。
エルヴィスの反応は、ほんのかすかに眉を動かしただけ。
その心中にどんな思いが渦巻いているのかは、俺からはわからない。
王太子はエルヴィスから離れ、ついさっきの嘲笑が嘘のように、明るい笑顔を浮かべた。
「それじゃあね。兄として陰ながら応援しているよ」
エルヴィスの返答を待たず、エドワーズ王太子は去っていく。
その背中が廊下の角に消えると、早速ルビーが吐き捨てた。
「なんだよあのいけすかねーの」
「次にぼくらのてっぺんになることが内定してる人だよ」
エルヴィスが皮肉たっぷりに返した。
……どうやら、あの王太子とは相当折り合いが悪いらしいな。
「ここにいるってことは、王太子も霊王戦に出場するのか?」
「いや、あの人は精霊術師じゃない。……入れなかったんだ、この学院に」
俺は苦笑した。
なるほどな。
弟がこれだけ天才だの神童だの持て囃されてるんだ。
さぞコンプレックスがおありだろう。
「ただ、交友関係がすごく広いから、誰か術師を手駒にして送り込んでる可能性はある」
「その場合でも味方だよな、一応。王権派だろ?」
王太子なんだから当然だろう。
と、思ったのだが――
エルヴィスは難しい顔で、王太子が消えた角を見つめていた。
「さあ……そうだといいんだけどね……」




