開会前
あれはたぶん、夕暮れの教室だった。
卒業式が終わったあとの、他に誰もいない高校の教室。
彼女が俺にそれを言ったのは、そんなベタベタなロケーションだった。
『好きです』
緊張とは無縁の。
むしろ弛緩した。
安堵さえ読み取れるほどの表情で――
――幼馴染みの彼女は、俺にそう告げたのだ。
『ずっとずっと、好きでした』
それを聞いた俺は――
ようやく、と思った。
たぶん俺は、心のどこかで、こうなることを待っていたのだ。
最終的にはそうなるんだろう、と。
なんとなく、予想していたのだ。
きっと、彼女もそうだった。
だから彼女の表情は、肩から荷を下ろしたようなそれなのだ。
今までそうならなかったのは。
タイミングがなかったことと。
あの妹を、放っておくことができなかったから。
俺たちはずっと、あいつの兄と姉で。
あいつが一人でも大丈夫だと思えるまで、それを辞めることはできなかったのだ。
だからこれは、俺たちの卒業記念であり。
妹の卒業記念でもあった。
俺は迷いなく答える。
『俺の彼女になってくれ』
『……うん』
それは、擦り切れた記憶の断片。
俺の両親が交通事故によって死亡する、その前日のこと。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
学院の敷地内に、未だかつてないほど人が溢れ返っていた。
入学時試験のときですら、これほどの人出ではなかった。
例年の霊王戦も圧倒的に上回る。
数日中に、ここで新しい霊王が誕生する。
いわば、この学院は今、歴史の中心にあるのだ。
「やっぱり今年は特に気合い入ってるな」
「だねー! ……あ、わたあめ欲しい!」
学院の至る場所には、支援科の生徒が運営する出店が所狭しと並んでいる。
それを外から来た大人たちが、物珍しそうに物色していた。
完全にお祭りだ。
霊王戦は、イベント好きの学院生にとっては、現代日本で言うところの学園祭みたいなものなのだ。
フィルにねだられてちょこちょこ買い食いしながら、俺は正門近くの受付のほうへと向かった。
受付には多くの馬車が停まっていて、中から綺麗な身なりの紳士や貴婦人が続々と降りてくる。
その中に探した姿を見つけ、俺とフィルは駆け寄った。
「父さん! 母さん!」
「おとーさーん!」
俺たちが呼ぶと、3人は一斉にこっちを見た。
そのうちの一人――父さんことカラム・リーバーが、にまあといやらしい笑みを浮かべる。
「久しぶりだなあ、ご両人。新婚生活はどうだ?」
「えっ、いや……」
「にへへ~♪ 恥ずかし~♪」
「おお! もう恥ずかしいことをしているのか。ジャック、我が息子ながらなかなか……」
「しっ、してないしてない!!」
母さん――マデリン・リーバーが、微笑みながら父さんを軽くはたいた。
「あなた。子供相手に下世話な冗談はやめてください」
「ははは! 悪いな! 嬉しくなってつい!」
「ほっほっほ! わかりますぞ、リーバー卿。子供の成長というのは嬉しいものです」
柔和に笑ったのはフィルの父親だ。
ポスフォード商会を営む豪商、チェルノ・ポスフォードである。
「娘を嫁に出すというのは寂しいものだと聞いておりましたが、いやはや、相手がジャック君とあらば納得もしようというものです」
「恐縮です……」
俺が軽く頭を下げると、ポスフォード氏は「ほっほっほ!」とまた笑った。
「娘を頼みますぞ、ジャック君。君になら安心して任せられる」
「……はい」
力を込めて頷くと、恰幅のいい豪商はえびす顔になった。
「ジャックは試合を控えている。本格的な挨拶回りは霊王戦の後にしよう。俺たちも日程には余裕を持たせてある」
「ええ。緊張もあるでしょうけど、ジャック、まずは思いっきり戦ってきなさい。それがあなたとフィリーネちゃんの将来のためでもあります」
母さんに言われ、俺は身が引き締まる思いだった。
俺とフィルの、将来。
そう……もはや俺たちの人生は、共有されているのだ。
ならば、守らなければならない。
俺とフィルの人生を。
俺とフィルの将来を。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「根回しは完璧だよ。王権派貴族との共同戦線は完成した」
開会式の前に、俺はエルヴィスと落ち合った。
戦闘科Sクラスの教室だ。
学院全体が霊王戦に沸いている今、ここには誰も寄り付かない。
「でも、民主派との戦力差は五分五分だ。霊王の称号を確保できるかどうかはまだわからない」
「実際、どんなもんなんだ? 王権派と民主派の戦力差ってのは」
「そうだね……」
エルヴィスは窓から、通りを行き交う大勢の人々を見下ろした。
「まず、今回の霊王戦、優勝候補は間違いなく、霊王トゥーラ・クリーズに次ぐ実力を持つ『九段』だ」
「4人のうち3人が出場を表明しているらしいな」
「うん。残りの1人は行方知れず。ぼくのほうでも王都に入ったという情報は受け取ってない。たぶん今回の霊王戦には出てこないと思う。下手したら学院長さんが称号を放棄したことすら知らないかもね」
自由人で有名なのだ、その九段術師は。
そもそも段位戦に出たことすらない。
九段の段位は通常の段位戦で得られるものではなく、王国に対して多大な貢献をした者に与えられる称号だ。
その九段術師は、段位戦にも出ずいきなり実戦で大戦果を挙げて、一足飛ばしどころか八足飛ばしくらいで精霊術師のトップに到達したのである。
「出場が確定している3人のうち、『武闘紳士』ことブラッドリー・モグリッジ九段と『鉄の将軍』ことデンホルム・バステード九段はこっち側に引き入れることができた。
けど、問題は残りの一人――『神滅鬼殺』の異名を取る戦闘狂、メイジー・サウスオール九段だ」
メイジー・サウスオール……。
その異名『神滅鬼殺』は、言うまでもなく『神出鬼没』のもじりだ。
彼女はあの女盗賊ヴィッキーと同じ精霊術、【絶跡の虚穴】の使い手だと聞いている。
ただし、出力は段違いだ。
自分自身の瞬間移動は言うに及ばず、噂では師団規模の軍隊を一瞬にして海底の奥深くに沈めたことがあると言う。
それは大袈裟にしても、瞬間移動能力を極限まで利用したその戦闘術は、『対策不可能』と称されるほど変幻自在。
まさに神出鬼没だと言う。
しかし、神に遭うては神を斬り、鬼に遭うては鬼を斬るその好戦性から、『神滅鬼殺』という物騒な異名を取るようになったのだ。
戦闘力においては九段でも随一という評判。
もしそいつが敵に回るとしたら、これほど厄介なことはない。
だが……。
「……メイジー・サウスオールは、どの貴族にも与しない一匹狼だって聞いてるが、民主派に付くなんてことあるのか?」
「わからない。でも民主派の手の人間がたびたび彼女に接触しているという情報があるんだ。
……でも、どちらにしろ、ぼくら王権派の誰かが彼女に勝たなきゃいけないのは変わらない。霊王になるのはすべての戦いを勝ち抜いたたった一人なんだから」
「ああ。それに、こっちには九段が二人いる。現状はこちら側の若干優勢と言ったところか?」
「そう考えたいところだけど……」
エルヴィスは難しい顔をした。
「……こう言っちゃ悪いけど、モグリッジ九段もバステード閣下も結構なお歳だ。九段に任ぜられた当時ほどの実力があるとは思えない」
「確か、バステード九段はガウェインの師匠だったな……」
『鉄の将軍』ことデンホルム・バステード九段は、長らく弟子を取っていなかったと言う。
精霊術師としては半ば隠居状態だったのだ。
そこにガウェインという才能が現れ、久しぶりの復帰を果たした。
その流れで、この霊王戦にも引っ張り出されてきたのだ……。
今は確か、クライヴさんと同じくらいの年齢だったはず。
確かに、若い頃ほどの強さがあると思うのには無理があるだろう。
一方、『武闘紳士』ことブラッドリー・モグリッジ九段は、バステード九段ほど老齢ではない。
得意とする近接精霊格闘術『マナーズ・アーツ』は、優雅さと力強さを兼ね備え、貴族・平民ともに特に人気な精霊術師の一人だ。
格闘戦では紛れもなく最強級。
しかし、精霊術のみに頼らず、己の肉体を駆使するそのスタイルは、加齢の影響をストレートに受けてしまう。
往時のキレが失われているであろうことは、想像に難くない……。
「対して、メイジー・サウスオール九段は九段の称号を獲得してまだ10年も経ってない。衰えとはまだまだ無縁のはずだよ」
「九段同士をぶつければこっちが不利かもしれない、ってことか」
「そう。共同戦線を張っているとはいえ、試合は常に1対1だしね」
九段が2人いるからと言って、2対1で戦えるわけではないのだ。
「だから、八段以下のぼくたちがどこまで善戦できるか、っていうのは重要になってくると思う。
霊王戦のスケジュールはタイトだ。勝ち続ける限り、1日たりとも休みはない。
サウスオール九段が敵に回ったとして、八段以下の術師に予想外の苦戦を強いられれば、否応なく体力は削られる。衰えたとはいえ同じ九段との試合を楽には終えられなくなるはずだ。
逆に言えば、向こうの八段以下の術師は、できる限りぼくたちを露払いしなきゃいけなくなる。サウスオール九段の体力を温存するためにね」
なるほどな……。
トーナメント戦で、俺たち王権派の術師がどれだけ生き残れるか。
どれだけメイジー・サウスオールにぶつかり、体力を奪うことができるか。
逆に、どれだけこっちの九段術師の体力を温存させることができるか。
そういう展開になるわけだ……。
「気合い入れないとな」
「うん。まあ、サウスオール九段が本当に民主派に回るとは限らないし、今はあまり難しく考えないようにしよう。
――戦えばいいんだ、全力で」
ああ、と俺は力強く答えた。




