幸福の痺れ
ラケルと別れて風呂で汗を流したあと、自分の部屋に戻った。
「フィルー、起きてるかー? ……って、あれ」
同居人のフィルは、どこにもいなかった。
代わりに、机に1枚、書き置きがある。
『かくれんぼしよ! じーくんが鬼ね!』
「……いきなり何を言い出すんだあいつは……?」
フィルの行動が突拍子ないのはいつものことだが。
窓の外を見る。
月明かりはあるが、日は完全に落ちている。
こんな時間にかくれんぼって……。
「放っておくわけにもいかないしな……」
仕方ない。
ちょっと探してやるか。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
部屋の中と寮の中を一通り探してみたが、見つからなかった。
外か?
俺はロビーから寮の外に出た。
さて……どこにいるんだ?
さすがに、学院の外、ということはないだろう。
学院を出るには許可がいるのだ。
わざわざ里帰りする奴も少ないので、入学から卒業まで一歩も学院を出ないなんてことはザラである。
俺も、この前の臥人館を除けば、学院を出たことはない。
この辺、教師も似たようなものらしい。
とはいえ、学院の敷地は広い。
現代日本の大学をさらに大規模にしたもの、と言えばいいのか。
学院というより、学院都市なのだ。
闇雲に探すのは無謀だな……。
だが、当てがあるわけでもない。
「…………」
なんか。
懐かしい。
フィルと初めて会った、あの日。
7歳の夏。
今から……そうか、もう4年も前か。
あのときも俺は、こうしてフィルを探していた。
屋敷の中を探してもいなくて……。
使用人たちから数々の悪行を伝え聞いて……。
とんでもねえお転婆娘だな、と思ったものだ。
それから、屋敷を出て……。
敷地を囲う策に穴があるのに気付いて……。
「……森……」
あのときは、森に行くと出会えた。
木の上から落ちてきたんだ。
彼女に引っ張られていくと、ラケルを見つけて。
そこから、すべてが始まった――
寮の近くにも、ちょっとした森のようなエリアがある。
森というか、林という感じか。
簡単に舗装された道を抜けると、原っぱのような場所に出るのだ。
そこは……改めて考えると。
フィルに連れられて、ラケルを見つけた――
あの場所に、少し似ている気がした……。
「……行ってみるか」
他に当てがあるわけでもない。
俺は林のほうへと足を向けた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
冷たい夜風が、ざざあっと原っぱを波打たせる。
丸く開けた空間を、中天に浮かぶ月が薄く照らし出していた。
星々煌めく夜の空を、一人の女の子が見上げている。
栗色の毛先が、肩の辺りで風に揺れていた。
「フィル、みっけ」
一応、ルールとしてそう宣言する。
フィルがこちらを振り返って、はにかむように笑った。
「ふへへ。見つかっちゃったー」
「ぜんぜん隠れてないだろ。何がしたかったんだ?」
「さあー……。ちゃんとわたしを見つけてくれるか、確認したかったのかも」
……?
よくわからんな。
俺はフィルの傍まで近付いた。
そして、原っぱをざっと見回して、
「……ここさ」
「んー?」
「ちょっと、似てるな。ダイムクルドのあそこに」
「へへー。わかった?」
フィルは嬉しそうに笑う。
行き倒れていたラケルを見つけた原っぱ。
ラケルとの修行では拠点にもなっていた。
故郷であるダイムクルドの中でも、思い出深い場所だ……。
「ここに俺を呼びたかったのか?」
「かもね。……うん。そうかも」
「曖昧だな……」
「自分でもよくわかんないの。じーくんに話したいことがあって、どこで話そうかなーって思ってたら、ここにいたんだ」
「話したいこと?」
「うん。……あ、でもどうかなー。どっちかと言うと話してほしい気もするなー。わたしじゃなくてじーくんのほうから」
いや、何をだ。
まったく話が見えません。
「ね、じーくん。わたしたち、これからどうなるかな?」
フィルは、普段とまったく変わらないトーンで、そんなことを言った。
「どうなるって? 将来の話か?」
「霊王戦があるでしょー? じーくんが優勝するでしょー? すっごくえらくなるでしょー?」
「いやいや」
当たり前のように優勝を前提にしないでください。
できるだけ頑張るけども。
「それでー……」
フィルはほんのかすかに、トーンを下げた。
神妙に。
真剣に。
これは冗談じゃないよ、と念を押すように。
「……結婚、するでしょ?」
顔色を窺うような視線が、俺へと向けられた。
口元にはかすかな微笑。
その微笑にどんな意味があるのか、すぐにはわからなかった。
「……そう、かもな」
貴族としては何もおかしくない。
もう11歳なのだ。
この前、エルヴィスも婚約者候補がいると言っていた。
でも、俺の場合――
相手はもう、決まり切っているだろう。
はっきりと、公式に、本気で約束したわけじゃないけど……。
父さんや母さんも、完全にそのつもりのはずだ。
当然、俺も。
……フィルだって。
「結婚してね、子供を――そうだなー、3人くらい作って、ダイムクルドのあのお屋敷で、一緒に暮らすの。Sクラスのみんなもときどき遊びに来てくれてー……」
未来を語るフィルの声は、夢見るようで。
同時にどこか、不安も滲んでいた。
「そんな未来があるんだって、わたし、わかってるの。わかってるんだよ? わかってるんだけど……。
……なんでかな。考えれば考えるほど、それが、すごく遠いもののように思えて……。手の届かないもののように思えて……」
月の下に佇むフィルの姿が、どうしてか儚く思えた。
するっと、指の間をすり抜けていってしまいそうな……。
だから俺は、躊躇う。
手を伸ばして、彼女を抱き寄せることを、躊躇う…………。
「……だから、じーくん。言葉が欲しいの」
台詞は懇願のように見えて。
しかし、声音には芯があった。
「無粋なくらい、はっきりした言葉で。わたしを……わたしのことを、好きでいてくれるなら。わたしのことを、捕まえてくれるなら」
フィルは願うのだ。
決闘に挑む勇者のように、決然と。
「――わたしに、プロポーズをしてください」
風が吹いた。
葉擦れの音が広がり、草の匂いが辺りに満ちる。
月が俺たちを見守るように、光を降り注がせていた。
……フィルのことなら何でも知っていると思っていた。
いつも元気で。
いつも無邪気で。
人の懐に入るのがうまくて。
意外と頭が良くて。
甘えたがりで。
甘えてもらいたがりでもあって――
でも、俺は。
今まで、見たことがあっただろうか。
フィルの、こんな――真剣な表情を。
今まで――
4年も一緒だった俺にすら見せなかった一面を、見せるということ。
その意味を、俺は。
正しく……理解した。
もう他人ではいたくない、と。
一心同体になりたい、と。
これから先の人生を――
これから先の自分自身を――
――何もかも共有しよう、と。
彼女は――覚悟を示しているのだ。
ならば。
ならば、俺は――
「……あー」
がりがりと、俺は頭を掻いた。
「なんていうか、これ……俺、かなりダサくないか?」
「じーくんはカッコいいよ?」
「そりゃどうも」
フィルはくすくすと笑った。
俺も微笑を浮かべる。
それから――顔を引き締めた。
「フィル」
「うん」
いろんな言葉が頭を過ぎった。
前世を含めて、様々な記憶が、走馬燈のように駆け巡った。
何を言うべきなのか。
俺はフィルに、何を求めたいのか。
それを探して、探して、探して――
――見つけ出す。
「俺と同じ人生を生きてくれ」
前世――妹によって断ち切られ。
今、いろんな人に助けられて続いている、この人生。
奇跡でしかないこの道を。
もし、一緒に歩いてくれる人がいるのなら――
フィルは微笑んだ。
「……わたしでいいの?」
「フィルがいいんだ」
そう言うと、フィルは――
目に大粒の涙を溜めた。
「そっかあ……わたしがいいんだ……そっかあ……」
俺は苦笑して、ぼろぼろと涙を零し続けるフィルを抱き寄せる。
「そんなに泣くなよ。申し訳なくなってくる」
「ありがと……じーくん……ありがとね……」
「それはこっちの台詞だろ」
こつん、と。
フィルの額に、自分のそれをぶつけた。
間近に、涙を流したまま笑っているフィルの顔がある。
鼻先がちょっと触れて、熱い息が唇にかかった。
流れ続ける涙を、親指で拭ってやる。
「フィル」
「うん」
「愛してる」
「わたしも」
唇が触れ合った。
柔らかい感触と甘い感覚が、脳の奥底まで貫いていく。
……たぶん。
今、全身を駆け巡る、痺れのようなものが。
幸福、と呼ばれるものなのだろう。
今度こそ幸せな人生を、と願って始めた第二の生。
その一つの到達点を、明るい月が静かに見下ろしていた……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
翌日。
早速、使いを手配して、ダイムクルドの両親に婚約を報告した。
万が一反対されても婚約を取り下げるつもりはなかったが、返信は驚くほど早く来て、しかもこっちが引くくらい祝福された。
フィルの親も同様だ。
あの大人たち、このときを待ってたんじゃなかろうか。
双方の親族が、ちょうど霊王戦で王都に集まることになっていたので、正式な報告と挨拶はそのときにすることになった。
あとは、まあ一応、戦闘科Sクラスの面々にも報告しておくことにした。
「ってことで、フィルと婚約したから」
あんまり仰々しくってのも何やら恥ずかしいので、さらっと発表してみたところ、反応も「ふーん」って感じだった。
「つーか、まだ婚約してなかったのかよ」
「オレも、すでに婚約は済ませているものと思っていた」
「報告っつーから、子供でもできたのかと思った。ハハハ!」
「……11歳の、それも女性とは思えん品のなさだな、バーグソン」
まあ、そうなるよな。
普段から関係を隠そうともしてないしな。
特にフィルが。
「でも、ま、中には心穏やかじゃねー奴もいるかもな? なー、王子様にお嬢様!」
「えっ?」
「はっ!?」
ルビーがエルヴィスとアゼレアに馴れ馴れしく肩を組む。
「いや、ぼくは別に……わかってたことだし……」
「私がなんだって言うのよっ!? ジャックが婚約しようが何しようが、私には何にも関係ないでしょっ!?」
「まあまあ。強がんなくてもいいって。ヤケ食いなら付き合うぜ? お前らの奢りで」
「強がってなーいーっ!!」
そんな感じだ。
いつも通りとも言う。
そして、もう一人。
最後に、ちゃんと報告しとかなきゃいけない人がいた。
俺とフィル、両方の師匠であるラケルだ。
「……そう」
婚約を報告すると、ラケルは短く、それだけ言った。
俺はなんとなく恐縮して、
「ご……ごめん……?」
「なんで謝るの」
「えーと……弟子のくせに先を越したから……?」
「…………」
「いだっ」
無言でチョップされた。
でも、ダイムクルドでの修行時代の折檻に比べればずっと優しい。
「……おめでとう、二人とも。心から祝福する」
ラケルは笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
Sクラスの奴らも、祝福はしてくれたけど……。
やっぱり、彼女から言われる『おめでとう』が、一番嬉しかった。
「あ、師匠。もう一つあるんだけど」
「なに?」
「まだ先の話になるんだけど……式で仲人やってくれないか?」
「…………」
超渋い顔をされた。
「……独身がやるものじゃないでしょ、仲人って。学院長に頼んだら?」
「それも考えたんだけどさ、フィルとも話し合って、やっぱり師匠しかいないかなって。な?」
「うん! じーくんとこんなに仲良くなれたのは、ししょーのおかげだから」
初めてキスしたのだって、ラケルと一緒に寝たときだしな。
ラケルは知らないけど。
「……大勢の前で喋るのって、得意じゃないんだけど……」
「知ってるけど、そこをなんとか」
「…………はあ」
ラケルは諦めの溜め息をついた。
「……わかった。これも師匠の務めだと思っておく」
「ありがとう!」
「ありがとー!」
二人で感謝を述べると、ラケルは悪くなさそうな表情を浮かべるのだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
そんなこんなで、婚約関連の諸々をひとまず片付け。
ついに、この日がやってくる。
霊王戦。
最強の精霊術師を決める戦いが、ついに始まる―――




