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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
黄金の少年期:貴族決戦編

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臥人館の謎その2【出題編】


 胴館に踏み入れるや、俺もエルヴィスも眉間に深く皺を寄せた。


「なんだここ……」

「目が痛い……」


 壁も。

 床も。

 天井も。


 どこもかしこも、真っ赤だったのだ。


 血だらけってわけじゃない。

 建材そのものが赤い。

 赤いペンキを染み込ませた土で作った煉瓦で家を建てたかのような……。

 そんな、真紅の空間だった。


「あっ。ジャック君、見てよあれ」

「ん……?」


 胴館に入ってすぐの壁に、文章が刻まれていた。

 曰く――


『原初、海はあらゆる生命を抱き、真紅に染まっていた』


「また謎かけかな……?」

「どうだろうな。ここがその原初の海だとでも言いたいのか?」


 現時点では何とも言えない。

 胴館も、どうやら一筋縄では行かなさそうだった……。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 その予感は、胴館の探索を初めてわずか5分後に現実のものとなった。


「このッ……!」


 エルヴィスの剣が、皮膜状の翼を狙って振るわれる。

 キキイッ! と鳴き声が聞こえたかと思うと、翼が唐突に灰色の石になり、刃を弾き返した。

 翼の生えた猿のような怪物は翼の石化を解きながら、エルヴィスをせせら笑うようにもう一度鳴く。


「くそっ!」

「そいつは任せろ! お前はこっちを頼む!」


 シュルルッ、と長く伸びてくる尾から逃れながら、俺は叫んだ。

 女性の上半身に蛇の下半身が混ざった怪物だ。


 エルヴィスと入れ替わる形で、俺は石化する有翼サル――ガーゴイルに襲いかかる。

 石になろうが、俺が持っている鉄の棍棒は関係なく砕いてしまう。

 頭館で石人形のモンスターを大量に狩りまくったときに、それは証明済みだ。


 石化して弾き返そうとした猿の顔面を割り砕いた。

 ビシャッと赤紫の血が飛び散る。

 有翼サルは倒れ伏すと、そのまま床に染み込むようにして消滅した。


 振り返ると、エルヴィスが女性と蛇の合成モンスター――ナーガを袈裟切りにするところだった。

 ナーガはオレンジ色の血を撒き散らし、倒れて消滅する。


 俺はさっと周囲に視線を走らせた。


「エルヴィス、まだいるか?」

「待って。……いたっ! 上っ!」


 弾かれるように上を見る。

 目に悪い真紅の天井から――

 ぽたり。

 ――と、水滴が落ちてきた。


 いや。

 水滴じゃない!


 まさに、バケツを引っ繰り返したよう。

 バシャアッ! と落下してきた液体を、俺とエルヴィスは飛びずさって回避した。


 液体が蠢く。

 意思を持った粘土みたいだった。

 それは幼稚園児にこねられたように判然としない形を取り――

 口を開くように広がって襲いかかってくる!


「スライムか……!」


 俺は横に動いて躱した――

 つもりだったが、飛沫までは避けられなかった。

 左腕に熱感が走る。


「ヅっ……!?」


 見れば、飛沫がかかったところに火傷ができていた。

 赤い血が滲んでいる。

 ただの液体じゃないみたいだ。

 厄介なことに、こういう攻撃は俺の【巣立ちの透翼】じゃ防げない……!


「この野郎っ……!」


 蠢いて体勢を立て直そうとしているスライムに、俺は鉄の棍棒を叩き込んだ。

 だが、手応えがまったくない。

 鉄の棍棒から、ジュッという焼ける音がしただけだ。


 慌てて武器を引っ込め、俺は距離を取る。

 スライムといえば雑魚の代名詞だ。

 なのに、実際相手にするとこんなに厄介なのか……!

 身体が液体って、無敵だろ、そんなもん!


「ジャック君、どいて!」


 歯噛みしたとき、背後からそんな声が聞こえた。

 反射的に身を伏せると、後ろから何かが飛んでくる。


 蝋燭が何本も乗った燭台だった。


 火の点いたそれが、スライムの上に落下する。

 ボウッ!

 まさに炎上だった。

 スライムが赫々と燃え上がる。

 ボコボコッボコッ! と液体の身体が沸騰を始めた。

 そうして程なく、スライムは蒸発して消滅する。

 血なのか何なのかわからないが、紫色の液体がしばらくその場に残っていたが、それも真紅の床に染み込んで消滅した。


 周囲に何もいなくなった後も、俺は警戒を維持する。


「……、……、……。……大丈夫。周囲に気配はないよ」


 エルヴィスのその言葉で、俺はようやく少しだけ気を緩めた。

 範囲が限定されているとは言え、エルヴィスの『王眼』は頼りになる。


「ナイス機転、エルヴィス。蒸発させるってのは思いつかなかった」

「いや、ぼくもまさかあんなに燃えるとは思わなかったけどね。油でも混ざってたのかな?」


 エルヴィスは俺の左腕に目をやった。


「その火傷、大丈夫かい? 爛れてるけど……」

「ああ。そんなに痛くない。できれば水で洗いたいけど、贅沢は言えないしな」


 俺は一面真っ赤な廊下を見回した。

 モンスターの影はない。


「こっちのモンスターはずいぶんと好戦的だな。最初のデュラハンとかはその辺歩き回ってるだけだったのに」

「妙な能力を持ってる奴ばかりで厄介だよ」


 ガーゴイルの石化。

 ナーガのリーチ。

 スライムの液体ボディ。

 どれも対応を間違えれば手間取ること必至だ。

 しかも複数で出てきやがるから、手間取っていると他の奴に隙を突かれる。

 集中を乱せばすぐにでもあの世行きになりそうだ。


「でも、対処の仕方は大体わかってきた。落ち着けば全部対応できる」

「そうだね。声かけを徹底しよう。慌てたり焦ったりしないように」

「ああ――」


 ズン!

 と、床が揺れた気がした。

 俺たちは即座に臨戦態勢に入り、廊下の先を見る。


 闇の向こうから、廊下を塞ぐような巨体が姿を現した。

 人間で薪割りができそうな大きな手斧。

 筋骨隆々の肉体。

 そして、牛の顔。


「ミノタウロス……!」


 ミノタウロスは俺たちに気付くと、


 ――グオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!


 と咆哮を迸らせ、ズンズンズン! と廊下を走り始めた。


「あの巨体だ。俺が転ばせる」

「了解」


 エルヴィスとの短いやり取り。

 そして、俺は鋭く駆け出した。


 あっという間にミノタウロスの目の前まで来ると、巨大な手斧が振り上げられる。

 それを見てから俺は転進し、手斧を回避した。

 そのまま壁を蹴って高さを取りながら――

 ――俺は、すれ違いざまに、ミノタウロスの首を掴んだ。


【巣立ちの透翼】により、ミノタウロスの体重を消滅させる。

 引きずり下ろすようにして、巨体の背中を床に叩きつけた。


 起き上がりたかったのだろう、ミノタウロスが両手でもがく。

 だが、そんな無駄なことをしているうちに、エルヴィスがやってきた。


 ――さくっ。

 拍子抜けするほどあっさりと、エルヴィスの剣がミノタウロスの喉に刺さる。


 エルヴィスが飛びのいた直後、茶色い血潮が勢いよく噴き出した。

 血の色にもいろいろあるんだな。

 なんて思っているうちに、ミノタウロスは動かなくなり、溶けるように消滅した。


 エルヴィスがやってきて、右手を挙げる。

 俺も自然と右手を挙げ、

 ――パシンッ!

 と気持ちいい音を立てて、ハイタッチを交わした。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 そんな戦闘を何度か繰り返しながら、俺たちは奥へと進む。

 やがて、広い部屋に突き当たった。

 一番奥には大きな観音開きの扉がある。

 あれは……。


「腰の扉……だね」

「ああ」


 胴館はここまで、ということか。

 案外、大したことなかったな。

 どこもかしこも真っ赤だから、目には優しくなかったが。

 視力落ちたんじゃないか、これ……。


 ゆっくりと部屋の中に入っていく。

 5メートルほど進んだときだった。


 すぐ背後に、壁がせり上がった。


「っ!?」

「なっ……!?」


 振り返るが、時すでに遅し。

 入口は、完全に塞がれている。


 同時に、気が付いた。

 反対側にある腰の扉も、似たような壁で塞がれている。

 そして。

 その手前に。

 光の粒子が集まって、獣のような姿を形成しつつあった。


 屈強な巨体は、明らかに獅子のそれ。

 しかし肌は血のように赤く、周囲に溶け込むかのようだった。

 お尻からひょろりと長く伸びるのは、サソリの尾。

 先端には、明らかに危険とわかる大きな針が備わっていた。


 こうまで獣の特徴を備えておきながら。

 顔は、人間のそれだ。

 ライオンのように牙を生やしているにも拘らず、顔の造作は明らかに、五十絡みの男のような、皺の走った人間のそれなのだ。


 確か……マンティコア、とか言うんだったか。

 明らかに凶暴そうな。

 明らかに強力そうな。

 怪物が1体、俺たちの前に立ちふさがったのだった。


「……さながら闘術場だな」

「怪我をすることを除けばね」


 ここには殺傷無効化の結界はない。

 俺の火傷のように、怪我をすれば血が出るし、血が出すぎれば死に至る。

 大人に守られた籠の中ではないのだ。


 マンティコアが身が縮むような咆哮を放った。

 あの屈強で大きな身体に比べれば、俺たちの武器はひどくちっぽけだ。

 ならば、頭を回すしかない。

 あの学院の中で、俺たちが日常的にやってきたことだ。


「回避優先だ」

「『見』だね?」


 俺は頷いた。

 と同時。

 マンティコアが動く。


 まるでロケット噴射だった。

 人面が牙だらけのアギトを開きながら、一直線に飛びかかってくる!


 ――速い!


 俺たちは左右に散開して回避した。

 虚空を噛み砕いたマンティコアには隙があったが、色気は出さずに距離を取る。


 左右に散らばった俺とエルヴィス、どちらを追うか、マンティコアはほんの少し逡巡したようだった。

 しかしそれも一瞬のことで、巨体は俺のほうに飛びかかってくる。


 やっぱり速い。

 瞬発力が異常だ。

 だが、もう2回目――目が慣れ始めている。

 俺は空中に逃れた。


 翼を持たない大体の動物は、空に逃れられたら手を出せない。

 さあ、どう出る……?


 マンティコアは空中に浮遊する俺をちらと見上げ、そのまま走っていく。

 その先にあるのは壁だった。

 マンティコアは、ズンッ!! と床を震わせながら跳躍する。

 そして壁に張り付いたかと思うと、その壁をまた蹴って、空中の俺に飛びかかってきた。


 速い上に身軽……!

 冗談みたいな運動能力だ!


 俺は身体を倒すようにしてこれをかわした。

 そうしながら、間近にマンティコアの肉体を見る。

 恐ろしい筋肉。

 その躍動が、見るだけで伝わってきた。

 きっと体重もとんでもないだろう。

 重さを無効化できる俺ならともかく、エルヴィスがのし掛かられたら、たぶんそれだけで死ぬ。


 そう思うと、半ば無意識に腕を伸ばしていた。

 指先がマンティコアの腹に触れる。

【巣立ちの透翼】を発動した。


 俺は浮遊を解除して地上に戻るが、マンティコアはその場にふわふわと浮いている。

 これで動きは封じられた。

 しかし、


「まだ『見』だ!!」


 動こうとしていたエルヴィスが足を止めた。

 直後。

 マンティコアのサソリの尾が動く。


 先端に備わった大きな針が、矢のように射出された。

 1発だけじゃない。

 2発、3発、4発、5発6発7発。

 続けざまに、まるでマシンガンの如く乱射する。


 俺たちはバックステップでこれを回避していく。

 しかし、マンティコアは空中で器用に身を捻り、逃げる俺たちを正確に照準し続けた。

 そういや、ライオンは猫科だったな……!

 猫は空中でも身を捻ることで姿勢を変えることができるのだ。


 たまに、こういう風に、浮かせられても平気で攻撃してくる奴がいる。

 敵に対して詳しいデータがない場合は、浮かせることに成功しても下手に追撃しないのが、俺の中のセオリーだった。


 針の射出が止まる。

 弾切れのように見えた。


「15秒!」

「同じく!」


 弾切れになるまで15秒。

 数え間違いはなさそうだ。


 少し間を空けて、再び針が放たれ始める。


「8秒!」

「同じく!」


 リロードに8秒。

 大体、撃っている時間の半分か。


 15秒待って弾切れを待つ。

 8秒間のリロード時間を突き、俺はマンティコアとの距離を詰めた。

 だが。


「退がれ!!」


 マンティコアが口を開けたのを見て、即座に取って返す。

 直後、牙の奥から紫色のガスが吐き出された。


 これは……もしかして、毒ガス……!?

 冗談じゃないぞ、こんな閉鎖空間で……!


「大丈夫!」


 エルヴィスの声が言った。

 直後、豪風が吹き荒び、毒ガスが散らされる。

 大気圧の倍加に伴う気流変動で風を巻き起こしたのだ。


 俺は浮遊したままのマンティコアを見上げる。


 さあ、ずいぶんと見せてもらったぞ。

 まだ手札はあるか?

 それともネタ切れか?

 ネタ切れなら――


「行くぞ!」

「行こう!」


 声が被った。

 どうやら同じ判断を下したらしい。


 針の嵐を避けながら、心の中で時間を数える。

 13……14……15!

 針が止まると同時、俺とエルヴィスはマンティコアに向かって突っ込んだ。


 マンティコアは口から毒ガスを吐き出し、俺たちを追い払おうとする。

 だがそれは、エルヴィスの気流操作によって無効化された。

 俺たちを阻むものは何もない。


 ほとんど無抵抗だった。

 先行したエルヴィスが、剣でサソリの尾を斬り落とす。


 悲鳴が弾け、尾の付け根からピンク色の血が迸った。

 これでもう針を飛ばすことはできない。


 マンティコアは大きく口を開けた。

 また毒ガスを吐くつもりだ。

 いくら風で吹き散らせても、この部屋全体が毒ガスで埋まってしまったらどうしようもない。


 だから、その前に。

 俺は、マンティコアの喉を、鉄の棍棒で強かに打ち付ける。


 ゴフッ、という音を漏らして、マンティコアは口を閉じる。

 喉が潰れれば、ガスを吐くのも容易ではあるまい。


 針を飛ばせず、ガスも吐けなければ。

 地に足の着いていない獣なんて、屠殺場の豚と変わりはしない。


 それから後は、作業みたいなものだった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 マンティコアの死体が消滅すると、入口と出口を塞いでいた壁が床の下に引っ込む。

 同時に。

 腰の扉の両脇に、6体の彫像が、壁と入れ替わるようにして現れた。


「なんだ……?」

「見覚えのある形だね……」


 確かに。

 6体の彫像の形には、見覚えがある。

 ずばり――この胴館で戦ったモンスターたちだった。


 ナーガ。

 ガーゴイル。

 スライム。

 ミノタウロス。

 マンティコア。

 そして最後の1体は、人間に見えた。


 不審に思いつつも、俺たちはひとまず、腰の扉に歩み寄る。

 観音開きの扉には、またしても碑文が刻まれていた。



『我ら血族の結束、鉄より固し。

 間者を疾く排斥し、雨上がりにまた会おう』



「また謎かけか……」


 エルヴィスが難しそうに呟く。

 俺は彫像の後ろを見た。

 大きな穴がある。


「たぶん、この彫像が『血族』とやらで、『間者』の彫像を穴に落とせばいいんだろうな」

「血族って、どうもしっくり来ないなあ。どいつも全然違う形だし。人間までいるしさ」

「人間が『間者』だったらだいぶ間抜けだな」


 そんな簡単なはずがない。

 きっと、一度穴に落とした彫像は元には戻せないはずだ。

 慎重に考えなければ……。


 血族、という表現に引っかかりを覚えるのは、俺も同じだった。

 これは、たぶん……。


「……血の色だな」

「え?」

「血の色だ。どいつもご丁寧に、血の色が違っただろ」

「言われてみれば、確かに……。それが関係あるのかい?」

「たぶんな。血の色が、『血族』と『間者』を見分ける鍵なんだ」


 ……さて。

 おそらく、これで情報は出揃った。

 一体どいつが『間者』なんだ?


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