臥人館の真実
結局、俺たちは頭館まで戻らされ、コレクションルームとやらに入れられた。
そこは少し広めの子供部屋といった風情の部屋だった。
玩具や本なんかが大量に置いてある。
妙なところと言えば、でっかいガラス板で部屋が仕切られていることか。
まるでショーケースだな、と俺は思った。
他に人間はいない。
俺とエルヴィスが、この部屋に入れられた第一号と第二号のようだった。
あの半仮面の男が去ってから、俺たちは作戦会議を始める。
「執務室の奥の棚だな?」
「たぶんね。そうでなくとも執務室のどこかにはあると思う」
ラヴィニアの人身売買を裏付ける証拠となる書類。
それさえ持ち帰ることができれば、とりあえずミッションクリアとなる。
「夜を待とう。その頃にはルビーさんの精霊術も解けるはずだ」
「だな。それを待たないと俺、左腕使えねえし」
触られてもすり抜けるということは、触るときもすり抜けるということである。
「……夜になったらラヴィニアの奴が来て、俺たち二人とも美味しく頂かれるってことはないよな?」
「……ない、と信じたいよ……」
エルヴィスは股間を両手で押さえ、悄然とするのだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
夜。
とは言っても、窓がないので体内時計だ。
晩飯と思わしき食事が出てからかなり経ったので、深夜であることは間違いない。
家人も寝静まっただろう頃だ。
この時間になっても、幸いなことにラヴィニアは現れなかった。
俺たちは動き出す。
当然ながら、扉には鍵がかかっているので、別ルートだ。
この臥人館は基本的に煉瓦造り。
盗賊に攫われたときにもやったように、煉瓦造りだの石造りだのの壁は、俺にとっては存在しないのと同じである。
「屋敷の作りから言うと、たぶんこの壁の向こうにも部屋があるはずだよ。『王眼』には何も引っかからないから、無人だと思うけど」
こういうとき、とんでもない反則性能だよな、『王眼』って。
俺はできるだけ静かに壁の煉瓦を引っこ抜き、隣の部屋への道を作った。
エルヴィスと一緒に通り抜けてから、一応元に戻しておく。
その部屋は暗かった。
月明かり一つないから、闇に目が慣れていてもエルヴィスの顔を見つけるのがやっとだ。
「たぶん、どこかに蝋燭と燭台が……あった」
しばらくして、エルヴィスが蝋燭を灯した。
オレンジ色の光が闇を押しのける。
少しだけ部屋を広く見渡せるようになって――
俺は気が付いた。
すぐそこに、大きなガラス板がある。
その、向こうに。
大量の、大量の、小さな人影があった。
子供だ。
俺たちと同じくらいか、あるいはもっと年下の、大量の子供たち。
全員、どこかしら身体を欠損していた。
あるいは腕。
あるいは足。
あるいは目。
あるいは耳。
何かしらを失って、左右非対称なシルエットになっていた。
ここは――もう一つのコレクションルーム……!
夜も更けているはずなのに、ほとんどの子供が眠っていない。
子供たちは明かりに気付き、こっちへと近付いてきた。
間にガラス板があるから、群がられることはない。
だけど、いま助けを求められても、盗賊のときのようには――
「ぼくたちはしあわせです」
不意に。
子供の一人がそう言った。
「まいにちがたのしいです」
「わたしたちはまんぞくです」
「ずっとここでくらしていたいです」
「ラヴィニアさまに買ってもらえてうれしいです」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます……」
子供たちが口々に、ここでの暮らしの素晴らしさを語る。
だが、その声には。
感情が、欠片たりとも乗っていない。
「なんだ、それ……」
スカスカの言葉を繰り返す子供たちに、俺はふらりと、一歩歩み寄っていた。
「そんなわけないだろ……? こんなところに閉じ込められて、幸せなはずが……!!」
「ひっ」
さざ波のようだった。
俺がほんの少し声を荒げた瞬間、子供たちは一斉に引いていった。
「わ、わたしたちはしあわせです」
「ほんとうです」
「うそじゃないです」
「しんじてください……!」
「しっ……しんじてっ……!」
「い、いやぁあぁぁ……!」
「ほんとうに、しあわせですからっ……!」
「やぁぁ……やめっ……やめ、やめっ、やめっ……!」
「は……『はくせい』に、しないで、くださ……!」
……はくせい?
剥製?
俺は後ろに振り返った。
蝋燭のぼんやりとした光の中に、それはかろうじて入っていた。
少年の、像だ。
よく見るとそれも、片腕が失われていて左右非対称。
そういえば、同じような少女の像が、廊下にも置かれていた……。
まさか。
まさか……!
俺はその像に走り寄って、手で感触を確かめた。
本物とは似ても似つかない硬い肌。
だが、これは。
もしかして――
「……本物、なのか……?」
気の強そうな顔つき。
くしゃくしゃに歪んだ表情。
「これ……本物の子供の剥製なのか……!?」
ガリガリの骨張った身体は、あまり裕福な家庭ではなかったことを思わせる。
しかしそれでも、片腕がなくても、たくましく生きていたのだ。
身体の各所に残る生傷を見れば、それは手に取るようにわかった。
きっと彼は、ラヴィニアに反抗した。
言うことを聞かなかった。
だから……。
もう決して、反抗できないように……。
こうして……。
俺は、怒りのままに叫びたいのを、かろうじて我慢する。
隠密行動中だ。そんなことはできない。
それでも。
それでも、こんな……!!
「……エルヴィス。お前……許せるか?」
感情のぶつけどころを探すように、俺はエルヴィスの顔を見た。
「許せるか、こんなこと……! 許せるか……!?」
「……許せないよ」
静かに。
淡々と。
しかし確かな感情を感じさせる声で、エルヴィスは答えた。
「だから、一刻も早く資料を見つけ出すんだ。そうしないと、彼らを助けることも、その子を弔うこともできない……」
「……ああ」
俺は深く呼吸して、頭の中の熱を逃がしていった。
……ラヴィニア・フィッツヘルベルト。
まともに死ねると思うなよ。
深呼吸を繰り返し、ようやく頭を冷やしたとき。
――ぺたん。
「「……!?」」
足音……!?
俺たちは目配せを交わすと、さっと周囲に視線を走らせた。
エルヴィスが部屋の端の木箱を指差す。
俺たちはそれに駆け寄り、空っぽなのを確認すると、蝋燭の火を消し、素早く中に潜り込んだ。
「(せまっ……!)」
「(しーっ……!)」
くそ、汗臭いな!
こういうのはフィルとやるべきだろ!
何が悲しくて野郎と同じ箱に押し込まれなきゃいけないんだ!
そんな不満も、扉が開く音が聞こえると同時に吹っ飛んだ。
――ぺたん。
――ぺたん。
なんだ、この足音……。
靴、履いてなくないか……?
木箱の側面に小さな隙間を見つけ、俺は外を覗き込んだ。
カンテラを持っているのか、ぼんやりとした明かりが移動している。
足が見えた。
やはり靴を履いていない。
というか、小さい……?
まるで子供だ。
とても夜回り中の警備員には見えない……。
少し身動ぎして、もう少し上のほうが見えるよう角度を調整した。
カンテラのぼんやりとした光。
それに照らされているのは――
「(…………なんだ、あれ…………)」
震えた声でそう呟いたのは、エルヴィスだった。
俺も、気持ちとしては同じ。
声を漏らさずに済んだのは、エルヴィスよりもほんの少し『それ』について知識があったからだ。
鋭く尖った耳と鼻。
髪のない頭部。
原始人のような身なり。
大人の人間の半分程度しかない矮躯。
そして。
緑色の、肌。
俺の知識によれば。
それは、こう呼ばれる存在だ。
「(…………ゴブリン…………!?)」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
それはゴブリンだった。
もうずいぶんと前。
現代日本で過ごした前世。
ゲームなんかの中で何度となく見た、ゴブリンによく似た姿。
俺の知る限り、この世界にモンスターの類はいない。
馬竜なんてのはいるが、どちらかというとあれは、モンスターというより単なる動物だ。
人間に対して例外なく悪意をもって襲ってくるモンスター、というのはおとぎ話や神話でしか見たことがない。
けど、だったら、あれはなんだ?
エルフや竜人族なんかと同じ、異人種?
いや、そんなレベルじゃないだろ。
少なくとも、王都の住民らしい文明の気配は感じられない……。
ぺたん、ぺたん。
ゴブリンは裸足の足音を立てながら、部屋を真っ二つに仕切ったガラス板の前まで移動した。
向こう側には、『コレクション』の子供たちがいる。
「ぼくたちはしあわせです」
「わたしたちはまんぞくです」
子供たちは、俺たちにそうしたのと同じように、ゴブリンにも幸福を主張した。
おかしいと思わないのか?
もう見慣れているのか。
あるいは、目の前の化け物めいた姿を、認識する余裕すらないのか……。
ゴブリンに、子供たちの言葉を理解している様子はなかった。
ふわーあ、と大きな欠伸をひとつ。
それから、踵を返して入口に戻っていく。
その様子を見て、俺は危地に立たされていることに気付いた。
「(まずい……。あいつ、見回りだ)」
「(え……? あ、うん。そうみたいだね……)」
「(馬鹿! ぼーっとすんな! ここに来たってことは、あいつ、次は俺たちがいた部屋を見回りに行くぞ!)」
「(あっ)」
俺たちが部屋にいないことに気付かれたら、たぶん騒ぎになる。
その前に……。
「(……やるしかない)」
入口に戻っていくゴブリンを見据えながら、俺は呟いた。
「(……わかった)」
エルヴィスも覚悟の声で返してくる。
この場にいるのがアゼレアでなくてよかった。
あいつはきっと、あんな化け物であっても、命を奪うことに躊躇するだろうから。
――第二の母だったアネリ。
――女盗賊ヴィッキー。
俺からは、もう、そういう感覚は失われてしまっていた。
「(武器は持ってきてるか?)」
「(小さなナイフ1本持ち込むのが限界だった)」
「(俺もだ)」
当然ながら、あかつきの剣は持ち込めなかった。
エルヴィスも、蜃気楼の剣は強力すぎてここでは使えない。
戦力は半減どころでは済まないが、1匹程度なら……。
「(俺が動きと声を封じる)」
「(わかった)」
「(3秒後飛び出すぞ。3、2、1……)」
今、の声は出さなかった。
木箱の蓋を開け、二人一斉に飛び出す。
ゴブリンが気付いて振り返ったが、声を出すよりも俺が口を塞ぐほうが早かった。
俺に触れられ、重さを消されたら、もうまともには動けなくなる。
羽交い締めにするのは簡単だった。
そこへ、ナイフを構えたエルヴィスが突進してくる。
音らしい音はしなかった。
ただ、羽交い締めにしたゴブリンの背中から、とすっという軽い衝撃だけが伝わってくる。
それだけで、小さな身体から力が失われた。
ずるりと。
俺の腕の中から、ゴブリンの身体がずり落ちる。
「……ふう」
エルヴィスは息をついて、ナイフを軽く振った。
暗くてよく見えないが、飛沫のようなものが散る。
「意外とあっさりだったな」
完全に絶命したゴブリンを見下ろして、俺は呟いた。
「うん。動きを封じたのがよかったかもね。この小さな身体で動き回られたら――え?」
漂いかけていた安堵の空気が、その異常で吹っ飛んだ。
ゴブリンの死体が。
まるで溶けるように。
床へと染み込んで、消えてしまったのだ。
残ったのは、ゴブリンが持っていたカンテラと、腰に帯びていた粗末な棍棒だけ。
「……なんだ、これ……」
もう何度目ともしれない呟きを、俺は漏らした。
モンスターの死体が消えるなんて……。
こんなの、まるでゲームじゃねえか。
「外を……確認してみよう」
エルヴィスが呻くように言う。
「おかしいよ……。どうなってるんだ、この屋敷は……」
そして、俺たちは慎重に扉を開け、廊下に出た。
ラヴィニアのもとに連れていかれるとき。
そして、コレクションルームに入れられるとき。
俺たちは、この臥人館の様子を見ている。
瀟洒な内装。
足音を吸収する絨毯。
あれらは確かに、人が快適に生活するための空間だった。
しかし。
いま目の前に広がっている光景は、明らかに違う。
不気味に脈動する壁。
デコボコして歩きにくい床。
窓は一つも見当たらず、空気は淀んでいる。
まるで、何か巨大な生き物の身体の中のような空間。
臥人館は、昼間に見たときと、すっかり様変わりしていた。
扉が空間を越えてまったく別の場所に繋がっていたのだと言われたほうがまだ信じられる。
わずか数時間で、ただの屋敷がこんな風に変わってしまうわけがない……。
「……! ジャック君、いったん部屋に……!」
エルヴィスに押されて、再びコレクションルームに戻される。
エルヴィスはほんの少し扉を開けて、その隙間から外を覗いた。
俺も同じようにする。
「廊下の向こう……見えるかい?」
見えた。
何か……大きな、人影だ。
身の丈2メートルはあるんじゃないか?
ごりごりごり……という何かを引きずる音に混じって、ガシャガシャと重々しい足音がかすかに聞こえる。
鎧を着ているのか?
しかし、一つ、明らかに変なのは。
その人影には――
――首から上が、なかったことだ。
「……デュラハン……?」
「北方の国の民間伝承に出てくる奴だよね。本で見たことあるよ……」
ゴブリンに、デュラハン。
存在しないはずの化け物が闊歩する、謎の閉鎖空間。
俺の脳裏には、この現実を説明できる仮説が、一つだけ思い浮かんでいた。
「エルヴィス……これは、精霊術だ」
「まさか……! 実在していたって言うのかい!?」
「そう考えるしかないだろ」
あまりの希少さゆえ、俺たち精霊術師の中でも都市伝説扱いされているそれ。
だから俺は、自分を信じさせるために口にする。
「――序列21位〈モラクス〉の【試練の迷宮】」
ゴブリンが遺した棍棒とカンテラが、俺の視界に入った。
「迷宮を作り出す精霊術だ……」
次回、『臥人館の謎その1【出題編・上】』
頭を働かせる準備をしておくと楽しめるかもしれません。




