代理霊王戦争
「えーと……本日はお集まりいただき誠に――」
「辛気臭せえよお嬢様! ジャックと王子様の昇段を祝してー!」
「え? あ、えっと……か、かんぱーい!」
乾杯! と声が重なった。
雑談の花がそこかしこに咲き、空間が喧騒で満ちていく。
俺は果汁が入ったマグを持ったまま、雑談に興じる人々を眺める。
「なんだこの人数……」
クラスの誰かが昇段か昇級すれば、全員でそれを祝うのが俺たちの慣習だ。
だから、エキジビジョンマッチも終わった今夜、いつも通り寮の中庭で催される運びとなったのだが……。
気付いたときには、数十人規模にまで参加者が膨らんでいたのだった。
「どこから聞きつけてきたんだこいつら……」
「まあ、お肉の匂いに釣られて人が集まってくることは、今までにもあったけどね」
もう一人の主賓であるエルヴィスは、仕方ないなあ、とでも言うような笑みを浮かべていた。
「入学んときに散々脅された割には、結構能天気だよな、この学校。ことあるごとにパーティしてないか?」
「そりゃ、ほら、あれだよ。純粋に楽しんでればいいパーティなんて、みんな、ここくらいでしかできないからさ」
……ああー。
社交パーティって疲れるもんなあ。
貴族のボンボンにも苦労はあるのだ。
「じーくん! おにく取ってきたーっ!」
フィルが取り皿を両手に駆け寄ってくる。
エルヴィスがピキッと身体を固まらせるのがわかった。
「おー、さんきゅー」
「えへー。昇段おめでと、じーくん」
「半分はお前の功績だろ? コンビでやってるんだから」
「え~? じゃあご褒美が欲しいかな~」
「よしよし」
「えへへ~。……あっ! だめだめ! 撫で撫でで満足するよーな安い女じゃないからねわたし!」
11歳になったフィルは、謎の自尊心をアピールするようになってきた。
ほんの少しチョロくなくなったっていうか。
半面、人前でキスをせがんだりはしなくなったので、俺としては喜ばしい。
「あっ、そだ。エルヴィスくんもね。おめでと! はいお肉」
「う、うん……。あ、ありがとう……」
ぎくしゃくした動きで肉の乗った取り皿を受け取るエルヴィス。
フィルはその様子には気付かず、にこにこーっと笑っていた。
エルヴィスの気持ちはもはや戦闘科Sクラスでは周知の事実だ。
俺もいちいち目くじらを立てたりはしない。
エルヴィスの数少ない年相応な部分なので、むしろ安心感を覚えるくらいだ。
まあ、そうして余裕ぶっこいていられるのは、俺をして同情してしまうくらい、フィル本人に相手にされていないからなのだが。
もちろん、だからって積極的になりやがったら、控えめに言ってぶっ殺すけどな。
人混みから聞き覚えのある声がしたと思うと、アゼレアとルビーがこっちに歩いてきていた。
「――もう! ルビー! どうしていつもいつも私が幹事なの!?」
「いや、ほら、あれじゃん。あんたが一番人望あるだろ、結局のところ」
「えっ……? そ、そう?」
「そうそう! 頼れるのはお嬢様しかいないんだよ~!」
「ま、まあそういうことなら仕方ないわね!」
「わかってくれたか! ところでその人望を見込んで一つ――」
ルビーが何やら不穏な取り引きを持ちかけようとしたそのとき。
大木のような長身が、その背後にぬっと姿を現した。
「そこまでにしておけ、バーグソン」
「ん? なんだよ木偶の坊、邪魔す――ひゃあっ!?」
ガウェインはルビーを片手でひょいっと持ち上げた。
なんだ今の可愛い悲鳴。
「おっ、おーろーせー!! 降ろしやがれっ、この!」
「クラスメイトを不穏な企みに巻き込むのをやめるなら降ろしてやる」
「わかった! わかったから! 猫みたいに持ち上げるのはやめろーっ!」
ルビーの足は地面から30センチほども浮いている。
それもこれも、ガウェインがでかいからだ。
「あいつ、いま何センチって言ってたっけ?」
「えっ? あ、ああ、ガウェイン君? 170センチ超えたらしいよ」
「うおおー……」
悔しさは欠片も湧いてこない。
俺たちはみんな、まだ140センチそこそこなのだ。
170センチって。
高校生じゃん。
ガウェインはルビーを地面に降ろし、
「悪いな、オースティン。いつも面倒な役割を押しつけてしまって」
「え? いやいや、構わないのよ! 私にしか頼めないことだものね!」
胸を張るアゼレア。
……あいつ、ダメな男に引っ掛かるタイプだなあ。
ガウェインも何か言いたいのをぐっと我慢している顔になっていた。
3人揃って俺たちのところにやってくる。
アゼレアがいの一番に、
「昇段おめでとう、ジャック。一応言っておいてあげるわ」
「そりゃどうも。お前も早く上がってこいよ」
「言われなくても上がるわよ! さっさと抜けたくて仕方ないわあのリーグ! なんなのもう! なんなの!」
唐突に怒り始めたアゼレアだったが、俺にはその気持ちがよくわかる。
「1級はな……」
「1級はね……」
揃って遠い目になる俺とエルヴィス。
今、アゼレアとルビーとガウェインがいるのは1級リーグだ。
このリーグは、端的に言うと地獄である。
亡者たちが住まう場所だ。
何せ、卒業要件は初段獲得。
つまり、1級リーグは卒業一歩手前の地点なのだ。
人生を懸けて戦っている人間の巣窟なので、他のリーグとは必死さが違う。
結果として、嫌がらせ精神攻撃贈賄脅迫場外乱闘エトセトラ、何でもアリの魔境と化していた。
入学後1期目から昇級を決めて乗りに乗っていた頃の俺とエルヴィスですら、1度足止めを喰らったくらいだ。
「あたしはむしろやりやすいくらいだけどなー。あのくらい何でもアリなほうが遠慮しなくて済むぜ」
「……オレは次こそ抜けてしまいたい。これ以上精霊術師というものに失望させられない前に……」
「うん。心を強く持つことが重要だよ、ガウェイン君」
「はっ。ご忠告痛み入ります、殿下」
実際のところ、1級リーグでメンタルは鍛えられた気がする。
これも学院長の計算だとしたら脱帽だ。
「そういや、王子様さ。アレは事前に聞いてたのかよ? 学院長のアレ」
ちょうど学院長のことが脳裏を過ぎっていたときに、今日の一番のトピックスが飛び出した。
『霊王』の称号の返還。
次の霊王戦で、新たな霊王――最強の精霊術師を決定するという宣言だ。
「ああ、うん。出場者としてじゃなくて、王族としてちょっとね」
「なんだよ。表沙汰になってなかっただけで、裏ではとっくに動いてたのか」
「そりゃそうさ。学院長さんの一存で決めていいことじゃないしね」
「あん? そーなのか?」
「当たり前よ! 仮にも『王』の名が付く称号なんだから!」
アゼレアが興奮気味に言った。
霊王の称号は、言ってしまえば戦闘力の証明でしかない。
しかし一方で、この国には精霊術師としての名声が貴族社会、ひいては国政においての発言力にも影響する、という風潮がある。
霊王が変わるということは、32年も変わらなかった政治上のパワーバランスが、根本的に組み替えられるということなのだ。
関係各所に先んじて話を通しておくのが当然だろう。
「ここだけの話だけど……今年の霊王戦は、かなり荒れるよ」
少し真剣な声音で、エルヴィス第三王子はそう告げた。
「学院長さんは今まで、霊王としては絶対中立を保って、どの政治勢力にも与しないようにしていた。それを歯がゆく思っていた有力貴族はごろごろいる。
そういう人たちのバックアップを受けて、普段は出てこない猛者が何人も出場するはずだ。
ぼくも王族の威信を背負って出場することになる。
アゼレアさんやガウェイン君、それにジャック君も、すぐに実家から連絡があるはずだよ。
学生とはいえ、『霊王』という持ち札を得られる可能性は少しでも高いほうがいいからね」
俺たちが顔を引き締める一方で、ルビーだけが気楽そうに笑った。
「いいねえ貴族サマは。そっちだけなんか面白そーじゃん」
「いや、たぶんルビーさんも他人事じゃないよ。バーグソン八段は、こういうことがあると必ず弟子を送り込んでくるからね」
「あー……あのジジイのやりそうなことだなあ。でも、ま、どうせいつもの嫌がらせだろ? 気楽でいいや。なーフィル!」
ルビーはこの場で唯一の平民仲間であるフィルの肩に腕を回した。
が、フィルは反応しない。
「……あん? フィル?」
「えへへ~。霊王のお嫁さんかぁ~」
フィルは頬に手を当てて嬉しそうにくねくねしていた。
「……おいジャック。もうおまえが優勝すること前提になってんぞ」
「なってるな……」
「くすくす。期待に応えないといけないわね!」
アゼレアがここぞとばかりに煽ってくる。
が、頑張ります……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「ジャック君、ちょっと」
パーティの途中、ほんの少し手持ち無沙汰になった瞬間、エルヴィスに呼び出された。
人混みから離れ、喧騒を少し遠くに感じながら、俺はエルヴィスに話を促す。
「単刀直入に言うよ」
「ああ。なんだ?」
「新霊王獲得に向けて動いている貴族の中に、ラヴィニア・フィッツヘルベルトがいる」
「……!」
動揺を、かろうじて抑え込んだ。
ここで他の奴に変に思われるのはうまくない。
「ラヴィニア・フィッツヘルベルトと言ったら……」
「そう。3年前、きみとフィリーネさんが潰した盗賊が、攫った子供たちを売り渡そうとしていた相手。五体不満足の子供を買ってきては屋敷の中で愛でているという噂の、悪趣味な女侯爵だよ」
エルヴィスの声音は平静だったが、ラヴィニアを軽蔑しているのがありありとわかった。
温和なエルヴィスがこんな態度を滲ませるのは、極めて珍しいことだ。
「確か、フィッツヘルベルト侯爵家は、代々元老院の家系だよな。国政に直接口出しできる、数少ない超上流階級だ。霊王なんて手元に置いて、何をするつもりなんだ……」
「わからないさ、そんなことは。それより重要なのは、フィッツヘルベルト侯爵本人が霊王戦のためにあの『臥人館』から出てくるってことだ」
「……出てくる? 家から出るのがそんなに重要なことか?」
「重要だよ。ぼくたちは今まで、ラヴィニア・フィッツヘルベルトの悪行をほぼ確信的に知っていながら、彼女を罰することはできなかった。
それは、すべてのことがフィッツヘルベルト家の屋敷――『臥人館』の中で起こっているからだ」
「……! そうか。元老院議員の居館は領地扱い……」
元老院議員を始めとして、地方に領地を与えられず、王都に在住している貴族は何人もいる。
そういう貴族の居館は、敷地内がその貴族の領地扱いになっているのだ。
そして。
領地内で起こった犯罪に対する裁判権は、すべて領主が持つ。
つまり、居館の敷地内で何が行われていようとも、それを咎める権利は国王にもないのだ。
被害に遭っているのが、王都や別の領地の民であったとしても。
「ぼくたちは2年半前から、『ビフロンス』の影を追ってきた」
俺は頷いた。
『ビフロンス』。
正体不明の闇ブローカー。
盗賊『真紅の猫』を通じて、俺とフィルを襲ったかもしれない人物だ。
「そのための最短ルートは、『ビフロンス』と繋がりと持っていると思われるラヴィニア・フィッツヘルベルトから情報を聞き出すこと。……でも今までは、その機会を作り出せなかった」
「仕方ない。相手は元老院議員だ。王族といえども下手に刺激できないだろ」
「うん。だから口実が必要なんだ。根掘り葉掘り事情聴取するための口実がね」
……言いたいことがわかってきたぞ。
「今度の霊王戦が、そのチャンスだってことか。ラヴィニア・フィッツヘルベルトが自分の屋敷から――安全圏から出てきた瞬間に、別件逮捕して身柄を引っ張ってしまおうって魂胆だな?」
「そういうこと。そうすればビフロンスについての情報を聞き出すことができるし、拘留中、居館の統治権は失われるから、子供たちを助け出すこともできる」
「そううまくいくか? 居館の外で犯罪を犯すこと前提の作戦だろ、それ?」
「もちろん、アテがあるからこうして話してるんだ」
エルヴィスはよりいっそう声を潜めた。
「(……王都ではカジノが禁止されてるのは知ってるよね?)」
「(ああ。カジノどころか賭け事全般禁止だろ。裏カジノがどっかにあるって噂も聞いたことあるが……)」
「(そう。あるんだよ、裏カジノ。それも、この学院に、夏の間だけね)」
……この学院に?
夏の間だけ……。
「(……霊王戦で賭けをやってる連中がいるのか?)」
「(予想はできるだろう? ぼくときみが最初に戦ったときだってそういうのがあったはずだ)」
あのときの盛り上がりは俺が作戦の一環として仕掛けたものだが、確かに、賭けをやっている連中がいるという話をフィルやルビーから聞いていた。
「(あのときはお遊びみたいなものだったけど、霊王戦のはもっと根深い。何せ一部の上級貴族が合同で主催してる。学院の一部も、霊王戦主催の精霊術師ギルドも、当然一枚噛んでいる。夏の間だけで、とんでもない額のカネがこの賭場で動くんだ)」
「(……それを突っつこうってのか? ラヴィニア一人を捕まえるために?)」
エルヴィスは神妙な顔で頷く。
「(霊王戦賭博を仕切っているのは民主派の貴族――つまり、ぼくら王族から権力を移してしまおうと考える派閥だ。そこを王族であるぼくが攻撃すれば、当然、政治的な内紛状態になる)」
「(ならどうする? 他の誰かに実行役を任せるのか?)」
「(それは無理だよ。体面は飽くまで王都の法律を正当に履行するだけ。裁判権を持つぼくら王族以外には任せられない)」
「(だったら、貴族界がしっちゃかめっちゃかになるのを覚悟でやるってこと――あ、そうか)」
自分で言いながら、俺は理解した。
「(滅茶苦茶になるのは同じなんだ。新しい霊王が生まれるんだから……)」
「(そう。霊王という錦の旗さえあれば、遊び場を潰した程度のことで文句は言われない。この称号にはそれほどの威力がある)」
エルヴィスはほのかに口角を上げる。
「(今、王権派の貴族に根回しをしてる真っ最中だ。もし派閥の誰かが霊王の称号を手に入れたら、みんなで協力し合いましょうってね)」
「(……それ、たぶん、民主派もやってるよな)」
「(もちろん。だから――)」
エルヴィスの瞳に、ひときわ真剣な輝きが灯った。
「(――今年の霊王戦は、ぼくら王権派と、ラヴィニア・フィッツヘルベルト含む民主派の、代理戦争になる)」
代理戦争。
重々しい響きのその言葉が、俺の腹の底に沈み込んだ。
「(……だったら、今からでも腕を磨かないとな。その代理戦争とやらに、少しでも貢献できるように)」
「(そうだね。……でもその前に、一つ問題があってね)」
「(問題?)」
「(王権派への根回しがあんまりスムーズに進んでない)」
俺は眉をひそめた。
「(なんでだ? 誰かが霊王をとったら連携しようってだけの話だろ?)」
「(民主派の賭場を攻撃する件さ。協力態勢を持ちかけながら勝手にそんなことをしたら、後の関係に罅が入る。ここは先に協力か黙認を取っておかなくちゃいけないんだ)」
面倒な話だ。
あの父さんですら、普段、こんな面倒な仕事をしているのだと思うと、多少は尊敬の念も芽生えてくる。
「(もう一押し必要なんだ。彼らを民主派との対決に踏み切らせる、もう一押しが)」
「(アテはあるのか?)」
「(うん。今こうしてきみに話したのは、そのためでもある。何せこれは、ぼくたちにしかできないことだから)」
そしてエルヴィスは、何でもないことのように告げた。
「(ジャック君。ぼくと一緒に、奴隷になってくれないか?)」




