神童VS神童・下
誰もが熱狂していた。
そこで繰り広げられている光景に、興奮し、感動し、叫ばずにはいられなかった。
剣戟。
剣戟。
剣戟。
ジャック・リーバーとエルヴィスさんの、真っ向からの剣戟勝負。
ジャック・リーバーが試合場中を目にも留まらぬ速さで動き回り、エルヴィスさんはそれを薙ぎ払うようにして追い立てる。
そして、朝焼け色の刃と蜃気楼の刃とが打ち合わされるたびに、全身が震えるような衝撃が突き抜けるのだ。
『リーバー2級! 上空へと飛び上がり、小刻みに軌道を変えながらウィンザー2級を強襲―――っ!! ウィンザー2級反応した! かろうじてこれを躱し、うわっと! 粉塵がここまで届きました!! しかしそれもウィンザー2級の蜃気楼の剣が吹き散らし――あれ? どこ行った? あっ、いました! あそこです! あーもう実況が追いつかない!!』
ガイン!! ガイン!! ガイン!!
と衝撃波が撒き散るたびに、試合場の床に亀裂が走っていく。
この戦いは、こんな程度の舞台じゃ収まりきらないと、そう言うかのように。
『ひひひひひっ!! ひーっひひひひひひひひひっ!!』
『霊王、霊王!! 先ほどから爆笑されていますが、解説をお願いします! もう私の手には負えません!!』
『見ればわかろう。これが天才というやつじゃよ! わかるか? 今あやつらがやっておることの異常さが!!』
『すごいことだけはわかりますけど!?』
『あのヒヒイロカネの剣にせよ、蜃気楼の剣にせよ、あんなもん、素の状態で手に持っておけるはずがない。インパクトの瞬間! その瞬間だけ、その大質量を解放しておるのじゃ!!
わかるか!? 一瞬なんじゃ! あの2本の剣が剣として成立しておるのは!! ほんの少しでもタイミングがズレれば、矢の1本も防げんナマクラになる!!
その一瞬を! あやつらが、一体、何度激突させておると思う!?
本人たちとて知っておろう。タイミングを誤ったほうが即座に負けると!! ゆえにあやつらは、あの恐るべき速度の中で常に考えている。
どうやったらタイミングをズラせるか。
どうやってタイミングをズラしてくるか。
そういう読み合いが、駆け引きが、あの激突の一つ一つで起こり、そして、引き分け続けておる!!
こんな恐ろしいことはあるまい! チェスを一局指すのにも匹敵する頭脳のせめぎ合いが、あれほどの数繰り返されて、未だどちらにも軍配が上がらんなど!!
ひっひひひひっ!! 50年以上も学院長をやってきて、こんなことは初めてじゃ!!
これほどの天才が、2人も同時に入ってくるなんてことはのう!!』
私にだって、否応なく理解できた。
今、目の前で繰り広げられているのは、天才と天才の戦いなのだと。
でも、それ以上に。
だから、それ以上に。
動き回るジャックの軌道が軽やかに見えた。
振り回される逆さまの蜃気楼が弾んで見えた。
絶えず交錯しては轟音を奏でる2人が。
いつよりも、生き生きして見えた。
お互いがお互いに、剣に乗せて叫び合っている。
こうして出会えたことの喜びを。
こうして戦うことの感動を。
こうして鎬を削ることの、楽しさを。
ああ――
そういう、ことね。
私たちはライバル。
誰もが敵。競争相手。
腹も探り合えば、蹴落とし合いもする。
――けれど。
それは、敬意あればこそ。
認めるからこそ、全力で潰す。
強さを求めてこの学院の門を叩いた私たちは――
全力をもって戦うことが、一番の友情なんだ。
「…………れ……」
私は、声を絞り出す。
もうずいぶんと長い間、出していなかった気がする――心の底からの声を。
「……ばれ……。……んばれ……! がんばれ……! がんばれっ! がんばれ、がんばれ、がんばれっ!! がんばれえええええええええええええええええええっっっ!!!!」
喉が裂けたって構わない。
この光景を見られたことへの感謝と喜びを、精一杯伝えるために。
私は、2人に向かって声を張り上げる。
「じーくん!! がんばれぇええええっ!! じいくうううううんっ!!!」
「今だっ! そこだっ! 回り込めっ!! ああああああ馬鹿あああああああっ!!!」
「殿下ァあああああああああああああああッッ!!!!」
もう二度と、懇親会のときの関係には戻れない――
そんな風に思っていたのが、嘘みたい。
私も。
ルビーも。
ガウェインさんも。
戦闘科も。
諜報科も。
支援科も。
教師も。
学外の人たちも。
そして――
ジャックと、エルヴィスさんも。
誰もが熱狂の中で一体になる。
きっと、これは一時的なこと。
明日になれば、また互いを蹴落とし合う熾烈な競争が始まるんだろう。
けれど、もうそれを怖がったりはしない。
だって、この戦いが証明してくれているから。
競い合うことと憎み合うことは、イコールじゃないって。
ああ……むしろ楽しみね!
明日から、どんな手を使って、他の3級生を倒してやろうかしら!
アゼレア・オースティンの炎はまだまだ熱くなるんだってことを、愚昧な連中にわからせてやるんだから!!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
暑くて全身が焼けそうだ。
脳髄が今にも崩れそうだ。
――なあ、お前もそうだろ?
――ぼくはまだまだいけるよ。
――だったら、俺もまだまだだ。
途方もない数の読み合いを続けてきて、もはや思考さえも手に取るよう。
これが自分の思考なのか相手の思考なのかも判然としない。
溶け合って一つになった思考の中で、必死にマウントを取ろうとする。
――そろそろ限界だろう?
――お前こそ。動きが鈍いぞ。
――きみだって、焦点が定まらなくなってきてる。
――集中してる証だ。
――疲れたんじゃない?
――むしろ冴え渡っていくばかりだっての。
――じゃ、これも躱せるよね。
瞬間。
エルヴィスが、動きをワンテンポ遅らせた。
俺の身体は反射的にそれに反応してしまって、
「しまっ――」
ほんのわずかにタイミングが狂い、剣を大きく弾き返された。
エルヴィスが、口元に深く笑みを刻む。
――もらった。
蜃気楼の剣が、轟然と振るわれた。
今から剣で受け止めるのは不可能だ。
しかし、それ以外なら?
【巣立ちの透翼】を使えば、慣性を消去することができる……!
俺は、自ら前へと一歩を踏み出した。
そしてそのまま、転がるようにして、エルヴィスの脇を抜ける。
蜃気楼の剣の恐るべき威力が、直前まで俺のいた場所を薙ぎ払った。
だが、命拾いしたのは一瞬のこと。
エルヴィスは即座に振り返って、再び両腕を振りかぶる。
無様に這いずって命をながらえた俺に、二度目の回避は許されない。
振り上げられた両腕が、俺を断ち割るように振り下ろされ―――
―――何も、起こらない。
「…………え?」
俺はかすかに笑う。
悪いな、エルヴィス。
ずっと――この時を、待ってたんだ。
俺はあかつきの剣を握って立ち上がり、呆然としているエルヴィスに肉迫する。
蜃気楼の剣で防ごうと両腕を構えるが――
――残念ながら、そこにはもはや、逆さまの空間は生まれない。
「うおぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」
身体の奥から咆哮を迸らせ。
ヒヒイロカネが朝日のように輝き。
1トンに届くその重量をもって――
――まっすぐに、叩き潰す。
ゴォオオオッ!!! と衝撃が迸った。
ビキビキビキッ!! と床が亀裂に覆われ、ステージが崩壊する。
轟音の残滓が、くわんくわん、と名残惜しむように反響して、やがて、消え入った。
吹き渡る風が、巻き上がった粉塵を洗い流し、崩壊し尽くした試合場を明るみにした。
立っているのは、俺ひとり。
エルヴィス=クンツ・ウィンザーは―――仰向けに、倒れていた。
『うぃ…………ウィンザー2級……エレメント・アウト…………』
ずっと聞こえていなかった実況が、この期に至って、俺の耳にも届いてくる。
『し―――試合終了!! 勝者、ジャック・リーバー2級!!!!!』
おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっ!!!!!!!!
という歓声が、全方位から押し寄せてきた。
空を見上げると、あれだけいたコウモリが、もうほとんどどこにもいない。
青い空が、ただ広がっているだけだった。
「……どうして……」
「ん?」
エルヴィスが倒れたまま、ぽつりと呟いた。
「どうして……最後、精霊術が……」
「これだよ」
そう言って俺は、左手に握り締めていたペンダントを、エルヴィスの胸の上に放り投げた。
「えっ!? これ……いつの間に……!?」
「相手の視線がどこに向いてるかをよく見るのがコツらしいぞ」
スったのだ。
エルヴィスの脇を転がるようにして通り抜けた、あのときに。
「ルーティンなんだろ。そのペンダントを持っておくことが、お前の」
「なっ……なんで……!?」
「あれほど強力な精霊術だ。何かしらルーティンがあるんだろうとは思ってた。その推測の上で、お前が肌身離さず持っているものに目を付けただけだ。お前がそのペンダントを、いつも制服の左ポケットに入れてるのは知ってたからな」
「そんな……ぼくは、このペンダントのことは、誰にも……」
「誰にも? 本当に?」
「え……?」
「人間以外も含めて、本当に誰にも、そのペンダントの存在を知られなかったか?」
エルヴィスの両目が、徐々に見開かれていく。
「……ああ……。ああああ……!! ああああああああ!!」
「いただろ? 1匹だけ。そのペンダントを見たことがある奴が」
「……キョウ……猫の……。ああ、そうか、あのコウモリも……!! フィリーネさん……!!」
俺とフィルは、最初っからコンビを組んでいた。
厳密には、実力テストが終わった直後から。
そして、エルヴィスのことを真っ先に調べようと、初めて教室で顔を合わせるその前から決めていたのだ。
それで、一芝居打った。
フィルの精霊術で呼び寄せた野良猫を、クラスで飼うように誘導した。
あとはその猫のキョウが、俺たちの目となり耳となってくれた。
「キョウがぼくのところによく来たのは、ぼくがよく世話をしてたからじゃなくて……」
「お前のことを見張らせてたからだ。悪いけど」
「……はは……。はははははは……! はははははははははは!! はははははははははははははははははははははっ!!!」
エレメント・アウトで身体を動かせないまま、エルヴィスは大きく口を開けて笑い転げる。
驚いた……。こいつがこんなに笑うの、初めて見た。
エルヴィスはひとしきり笑ったあと、「はーあ」と息をつき、口元を緩ませたまま言う。
「きみは強い。……強いよ。ジャック・リーバー」
「……本当か?」
「まだ信じられなければ、周りを見てみなよ。何よりもの答えが、きっとある」
言われるままに、俺は周囲を見る。
たくさんの観客がいた。
多くの、多くの、多くの人間が、興奮した様子で俺を見ていた。
今まで右から左へと通り抜けていた歓声が、今になって身体の中に響き渡る。
俺なんか、本当は何でもない奴だ。
ほんの少し特殊な事情で、神様に贔屓してもらっただけの凡人だ。
俺の心の端には、いつも、そんな思いがあったように思う。
それが。
身体の中で繰り返し響く歓声の中に、溶けていった。
「さあ、示しなよ」
エルヴィスが背中を押すように言う。
「――勝ったのは、きみだ」
俺は、あかつきの剣を握り締めた。
それを。
高々と。
知らしめるように。
――頭上へと、突き上げる。
そうして。
俺の全身を、さらに大きな歓声と拍手が、包み込んだのだった……。




