決戦前日
「失礼します」
儂が学院長室の座り心地のいい椅子でうとうとしておると、控えめなノックのあとに、ラケルが入ってきた。
「うおおっ!? ……おおう。なんじゃ、ラケルか」
「……誰と勘違いしたんですか?」
「いやなに、気にせんでもよい」
「クライヴさんなら先ほど職員室で見かけましたけど」
なんじゃ、わかっておるではないか。
あやつは居眠りに厳しいからのう。
「授業計画書を提出しに来ました」
「おお、その辺に置いといてくれ。そのうち読んでおく」
「……できれば早く読んでほしいんですが」
「わーかっとるって」
まるで仕事を塩漬けにする常習犯みたいに言いおってからに。
1ヶ月や2ヶ月、大差ないじゃろ。
そう思ってぐでーっと椅子に体重をかけると、
「早く読んで」
命令形で言いながら、ラケルが目の前に書類を突きつけてきおった。
やれやれ。
儂は渋々それを受け取って、さらーっと目を通していく。
「怖ぁなってしもうたのう。100年前に会ったときはまだしも可愛げがあったもんじゃが」
「あのときは、何にもわかっていませんでしたから。……それに今は、あの子たちの先生、なので」
「いい心がけじゃの」
実際のところ、ラケルの働きぶりはエルフらしからん。
エルフっちゅうのは本来、もっと悠々自適なもんなんじゃがな。
100年前、たまたまこやつを拾ったときも、ぼーっとした奴じゃと思ったもんじゃ。
まあ、あのときは仕方がなかったとも言えるが……。
もしこやつが変わったとしたら、それは――
儂は授業計画書を読み終わり、別の資料を手に取る。
級位リーグ戦の成績をまとめた資料じゃ。
「小僧どもがずいぶんと注目されておるようじゃな」
「……はい」
「2人とも、7戦を終えて未だ無敗か。新入生が2級リーグのトップに並ぶなんぞ、何年ぶりのことかのう」
ちょっとすぐには思い出せんな。
儂がボケとるからじゃないぞ?
「とはいえ、この熱狂ぶりはちと普通ではないの。学外の業者まで小僧どもの対戦を興業にしようとしておるくらいじゃ。ラケルよ、心当たりはあるか?」
「……証拠はありませんが、煽っている人間がいるようです」
「ほう? 2人の対決に人を集めようとしておる人間がおると?」
「はい」
「どこのどいつじゃ。賭けでもしておるのかのう」
「おそらく、ジャックの手回しです」
「……ほう?」
そいつは……ほほう、なかなか。
「なぜじゃ? あやつはそんなに目立ちたがりだったかのう?」
「わかりません。けど、フィルとルビーが水面下で動いているのを確認したので……」
「ひひひ。ま、十中八九、ウィンザーの奴の『王眼』対策じゃろうが……」
ウィンザーの奴めが『王眼』を見せざるを得なくなった2回戦も、裏でリーバーの小僧が糸を引いていたと聞く。
いやはや、恐ろしいものよ。あれでまだ9歳か。
あの2回戦から、すでに2週間以上が経っておる。
その間、5人もの2級生がウィンザーに挑み、そして敗れた。
しかし彼らが試した様々な【争乱の王権】対策は、謎に包まれたウィンザーの手の内を少しずつ引き出しておる。
情報が出揃ってきて、リーバーの小僧も、そろそろ【争乱の王権】の仕組みについて、具体的に推測を立てておる頃じゃろう。
自分たちの対戦に人を集めようとしておるのがその証拠。
確かに、これは有効と言えば有効じゃろう。
まあ、この程度では、あの王子は小ゆるぎもせんと思うがな。
「小童の思惑に乗るのは癪じゃが……予想される観客動員数を思えば、キャパの大きい闘術場を使うのが賢明か」
「はい。実力試験にも使った第一闘術場になるかと」
「頃合いか……。これ以上過熱されると処理がめんどくさい」
儂は資料を放り捨てながら言った。
「予定変更じゃ。事務担当者に言ってきてくれ。連中の試合を可及的速やかに済ませろとな」
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『2級リーグ戦 第8回戦
第1闘術場 第1試合
ジャック・リーバー VS エルヴィス=クンツ・ウィンザー』
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「殿下。ここにおいででしたか」
朝。
寮で飼うことになった猫――名前は『キョウ』だそうだ――に餌を上げていると、ガウェイン君が走ってきた。
相変わらず堅い喋り方だ。クラスメイトなんだから、畏まらなくてもいいのに。
でも、そういう頭の固いところが、彼のいいところでもある。
「おはよう、ガウェイン君。気持ちのいい朝だね。そんなに急いでどうしたの? 今日、休みじゃなかったっけ?」
ぼくとしたことが、平日と休日を勘違いしたんだろうか。
と記憶を探ってみたけど、今日は間違いなく休みで、授業はなかったと思う。
じゃあどうしたんだろう?
「8回戦の対戦相手が発表されましたので……僭越ながら、ご報告にと」
「へえ……。わざわざ走ってまで報告しに来てくれるってことは、ついに?」
「はい」
ガウェイン君は頷いた。
「8回戦は、ジャック・リーバーとの対戦です」
ぼくは空を見上げる。
春らしく薄青い空が、大きく大きく広がっていた。
「ついに、か……」
実力試験で彼を見たときから、ぼくは確信していた。
ジャック・リーバーという人間は、ぼくが最強であるために、決して避けては通れない壁になるだろう、と。
その壁を、打ち壊す時が。
ついに、やってきたのだ。
「リーバーの奴もここまで全勝で来ていますが、もはやその精霊術はほぼ丸裸です。殿下の勝利は揺るぎないでしょう」
「【巣立ちの透翼】か……。どうだろうね、彼はまだ奥の手を隠しているように思えるけど」
「だとしても、王族である殿下があのような大した伝統も血筋も持たない者に負けるはずが――」
「ガウェイン君」
ぼくが名前を呼ぶと、彼はすぐに言葉を止めた。
「ルビーさんの成績、きみ、知ってるかい?」
「……確か、8勝2敗だったかと」
「うん、わかってるならいいんだ」
ぼくの言いたいことを、きっと彼なら理解したはずだ。
確かに、伝統や血筋は、軽んじていいものじゃあない。
それによって培われるものは確かにあるのだから。
けれど、何事も過信はいけない。
あるとき、ふと、自分が軽んじていたものに足をすくわれるかもしれないのだから。
ガウェイン君がすでに倒したはずのルビーさんの成績を覚えているのは、過信していない証拠。
彼女が自分と共に2級に上がり、そして今度は、手強い難敵として立ちはだかるかもしれないと考えている証拠。
伝統と血筋が強さのすべてを決定するわけではないと、心のどこかで理解している証拠だ。
彼は頭は固いけれど、同時に、目にしたものを素直に認める度量の大きさも持ち合わせている。
きっと彼は、いい騎士になってくれるだろう。
「殿下は……」
ばつの悪さを誤魔化すように、ガウェイン君は話題を変えた。
「殿下は、ジャック・リーバーとどう戦われるおつもりですか? やはり今までのように、速攻か耐久のどちらかで?」
「うーん……。残念だけど、その話はまた今度だな。こんな騒がしい場所でできる話じゃない」
「は……? いえ、静かなものですが……」
ガウェイン君が怪訝げに周りを見回したときだった。
ザザザッ!! と誰かが立ち去る音が、全方向から一斉に聞こえてきた。
「なっ……!?」とガウェイン君が目を丸くする。
「きみも気をつけなよ、ガウェイン君。……この学院は、誰かの目と耳でいっぱいだ」
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「っちぇー。悪りー。バレちまった」
「いや、いい。どうせあいつはボロなんか出さないだろ」
「他の奴らが全然気配を隠せてなかったんだよなー。あたしは余裕だったんだぜ? あたしは」
いや……どうだろうな、実際のところ。
エルヴィスのあの超知覚をもってすれば、見張りを見抜くのなんて息を吸って吐くよりも簡単だろう。
「ふっふー♪」
「……どうした? 失敗したのに妙に上機嫌だな、ルビー」
「いや、べっつにー? 無視してる振りして意外としっかりチェックしてんじゃん、って思っただけ。今度こそボッコボコにしてやんぜ」
わけわからん。まあ上機嫌なら別にいいが。
「うまくいったね、じーくん」
フィルが嬉しげに言う。
試合会場のことだろう。
「まだ大前提が整っただけだ。本当にうまくいくかはやってみないとわからない」
「お前ら、いい加減あたしにも教えろよなー。わけも聞かされないままあちこち走らされてさー」
「今度何か奢ってやるよ。小遣いの許す限りでだけど」
「へー。どれどれ?」
とルビーは、どこからともなく財布を取りだして中身を検めた。
……ん?
「それ俺の財布だろ!」
「チッ。ボンボンの癖にシケてんなー。仕方ねーから購買のジャムパン5個で手ぇ打ってやんよ。ほい」
ルビーは俺の財布を投げ渡してくる。
中身を確認したが、減ってはいないようだ。
「一体いつスッたんだよ……」
「隙だらけだったもんでついな! そんなに難しくないぜ? 相手の視線がどこに向いてるかをよく見るのがコツだ」
「今度ゆっくり教えてくれ。そんで次はお前の財布をスる」
「へっへへ。楽しみにしとくぜ」
そんな風にしながら学院内を歩いていると、目立つ赤い髪が雑踏の中に見えた。
「あ。おーい、アゼレアーっ!!」
「むっ!」
俺が呼びかけた瞬間、赤い頭がこちらに振り向き、隣のフィルが警戒態勢に入った。
「おはよう。何してるんだ?」
「ええ、おはよう。特に何をしているというわけでは――って!」
アゼレアは突然、顔を赤くする。
「なんで普通に挨拶してくるの! 喧嘩っぽく別れたのを忘れたの!?」
「いや、でも、毎日会ってるし。部屋隣だし、授業も一緒だし。なあフィル?」
「ふふふ。毎日見せつけてやってるのです」
「それはそうだけど! そうだけどもよ!? というかフィル! 毎晩毎晩、隣の私に聞こえるように『じーくん、ちゅーしてー』とか『じーくん、ギュッとしてー』とか言うのやめてくれる!?」
やっぱり聞こえてたんだ……。フィルが妙にでかい声で言うから、そうだと思ってたんだ……。
「と、とにかく! あんまり慣れ慣れしくしないで! 授業は一緒でも、級位戦では敵同士なんだから!」
「まあまあ、そう意固地になんなよ、お嬢様」
「意固地になんて――というかルビー! あなたもどうして普通にジャック・リーバーとつるんでるの!」
「色々あったんだよ、色々。なー?」
色々あったのだ。
「アゼレア」
きーきーとうるさいアゼレアを、俺は少し真剣な声音で呼んだ。
「な、何よ……?」
「俺、前に言ったよな。俺たちは別に、お前や他の奴らを嫌ってるわけじゃないって」
「覚えてるわよ。……言ったでしょ、わかってるって」
「もっとわかってくれ」
そう言うと、アゼレアは苛立った顔をした。
「何よ、もっとって……。私は全然わかってないって、そう言いたいの!?」
「知ってるかもしれないが、明日、俺とエルヴィスの試合が決まった」
「……っ!」
アゼレアは痛みに耐えるような顔になる。
もしかしたら、ルビーとガウェインの試合が、ちょっとしたトラウマのようになっているのかもしれない。
……優しい奴だ、と思った。
だからこそ、もっとわかってほしいのだ。
「明日、見に来てくれ。そうすれば、きっとわかるはずだ」
「…………」
アゼレアは視線を俺から外したまましばらく黙ったあと、
「……わかったわよ。見に行けばいいんでしょう? あなたがコテンパンにされるところをね!」
「ふんっ! さようなら!」と律儀に挨拶をして、アゼレアは去っていった。
いまいち憎まれ口が決まりきらない奴だよな。
「……むー」
「ん? どうした、フィル」
「じーくん、あの子に優しすぎ!」
そうか……?
自分ではそんなつもりがない……というか、他の連中が優しくする必要もないような奴ばっかりなだけの気がするが。
「そんなに優しくしたら、あの子もじーくんのこと好きになっちゃうでしょー! そうなったらどーセキニンとるの! セキニン!」
「ちょっ、いふぁいいふぁい!」
ぎゅーっと俺の頬を抓ってくるフィル。
その様子を、横でルビーがげらげら笑って見ていた。
「はははははっ!! そうなったら超おもしれーなあ! なんだったらあたしも参戦してやろーか?」
「だーめーっ!!」
「いふぁいいふぁいいふぁいっ!!」
なんで俺が攻撃される! ルビーを抓れ、ルビーを!
そんな感じで、いつものように時が過ぎていく。
決戦は、明日。




