王の眼
『さあやって参りました! 2級リーグ2回戦! 実況はわたくし、第37期支援科Bクラスのエミリー・オハラがお送り致します!』
あれから4日後――再びエルヴィスの試合の日が来た。
試合場は以前にも増して超満員。
噂の『天才王子』の試合を一目見ようと、大勢の観客が詰めかけていた。
その多くは、ただの興味本位。物見遊山だろう。
級位リーグ戦は学院の重要な教育システムであると同時に、生徒たちの娯楽でもある。
だから派手派手な実況がいちいちついているのだ。
しかし、そうではない者もいる。
エルヴィスの攻略法を探る者たち。
同じ2級生だけに限らず、1級の生徒も、エルヴィスには注目していた。
近い未来、同じリーグで戦うことになる可能性が非常に高いからだ。
俺とフィル、ルビーもまた、エルヴィスの情報を求めて足を運んだ人間だ。
そのための布石は、すでに打ってある――
『ウィンザー2級が今、試合場に姿を現しました! おっと、観客から大歓声! 王子という身分に加えて文句なしの美少年、さらには圧倒的な強さ! この人気も頷けようというものです! 入学2戦目となるウィンザー2級、再び白星を飾ることができるか!?』
今日は、そう簡単にはいかないはずだ。
あれから4日、誰もが研究を積み重ねてきている。
何より――
『さあ、間もなく試合開始です! ウィンザー2級は入学時実力試験、そして先日の1回戦と、続けて試合開始直後に勝利しています! 一瞬たりとも目が離せませーんっ!!』
言われるまでもなく、俺たちは試合場で向かい合ったエルヴィスとその対戦相手に注目した。
そして時間は過ぎていき――
『試合っ――開始です!!』
瞬間、エルヴィスの背後が陽炎めいて揺らめき、中性的な人間の姿をした精霊が現れる。
〈傍観する騒乱のパイモン〉。
それと同時に試合場の床にクレーターができ、対戦相手があっという間に押し潰される――というのがいつものパターンだ。
だが。
『あーっと! 速攻だーっ!!』
エルヴィスの対戦相手は、そうなる前に間合いを詰めていった。
あれが現状のエルヴィス対策だ。
俺はルビーを通じ、他の2級生にこんな噂を流した。
――エルヴィスの精霊術は範囲を絞れない。
――だから、距離を詰めれば自爆を恐れて使えなくなる。
要はアゼレアがやられた対策と同じ。
実際、あの大気圧攻撃は、原理的に、自分だけを対象から外すなんて器用なことはできないはずだ。
これでエルヴィスは、別の手を打たざるを得なくなる。
……さて、どう出る……?
対戦相手の男は、両手に1本ずつ短剣を携えている。
完全に接近戦に特化した形。
エルヴィスとは年齢にも差がある。体格による有利不利は、如何に天才王子と言えど無視することはできないはず……!
右手の短剣が振りかぶられ――空を裂いた。
左手の短剣が素早く閃いて――空を裂いた。
空を裂いた。
空を裂いた。
空を裂いた。
空気を大気を虚空を空白を無を裂いた。
2本の短剣が。
目にも留まらぬ速さで繰り出され。
しかし――それでも。
その刃は、一度としてエルヴィスの肌に届かない。
『避ける、避ける、避けるッ、避ける避ける避ける避ける避ける避けるううう―――――――っっ!!! ウィンザー2級、短剣の猛攻を避けて避けて避けまくるッ!! なんてことだっ! 果たしてこんなことが人間に可能なのかあっ!! 私は今ッ、自分の目を疑っておりますっ!!』
目を疑いたくなる気持ちもわかる。
試合場で繰り広げられているのは、まるでダンスだった。
もちろん、対戦相手は必死だ。
一発でも攻撃を当てようと、スピードを上げ、フェイントを入れ、ほんの少しでも裏をかくべく工夫を凝らし――
それでも、そのすべてが、エルヴィスによって紙一重で躱される。
だが、そんなことが可能だとは、とても思えない。
短剣が迫り来る頻度は、果たして1秒に何度か。
そのすべての軌道を把握して、最適な動きで避け続けるなんてこと、本当に可能なのか。
そう疑うからこそ、思うのだ――
まるでダンスだ、と。
最初から決められたステップを踏んでいるようだ、と。
対戦相手は、エルヴィスがあらかじめ決めた振り付けを、なぞらされているだけに過ぎないのではないか、と――
「……んだよ、あれ……。意味わかんねー……」
ルビーが半笑いの表情で、しかし声を震わせて呟いた。
そう言いたくなる気持ちも、わかる。
これを見てしまうと、もはや、エルヴィスが攻撃を受けて崩れ落ちる光景など、想像すらできない……。
だから俺は、視線を試合場から逸らした。
恐るべき光景をいったん脇に置き、意識をリセットしたかったのだ。
だから。
それを目撃したのは、偶然だった。
「……な……」
絶句。
攻撃を避け続けるエルヴィスよりも、さらに、遙かに、理解を超えた光景が――
空に、広がっていた。
目だ。
巨大な目が、空を覆い尽くすように浮かんで、こちらを見下ろしているのだ。
整合性のないむちゃくちゃな、風邪のときの悪夢みたいな光景だった。
なんだ――あれ。
見えているのは俺だけじゃない。
他の観客も徐々に上空の『目』に気付き、悲鳴を上げたり、指をさしたりし始める。
「うげっ! なにあれ、こわっ!」
「ふわー……」
ルビーとフィルも、空を見上げて呆然とする。
天下をあまねく見下ろす一個の『目』。
その圧倒的な威圧感に、息が詰まった。
『見られる』というのは、こんなにも威圧的なものだったのか。
まるで、存在ごと支配されるような。
ならば、すべてを見ているあの『目』は、ただそれだけで世界を支配していることになる――
――そう、まるで王のように。
そこまで発想が至った瞬間、俺は地上に視線を戻した。
依然、試合場では、エルヴィスが短剣の連撃を避け続けている。
俺はエルヴィスの姿を、今一度、目を凝らしてよく観察した。
ああ……やっぱり。
エルヴィスの奴――目を閉じてやがる!
当然、視覚を放棄して避け続けられるような攻撃じゃない。
視覚を捨てて有り余るほどの感覚能力が、あいつにはあるのだ。
それが、おそらくはあの天空の『目』。
実力テストのときも、1回戦のときも、エルヴィスは試合開始直後に精霊の化身を出した。
あれは、自分の力を、存在を、誇示するためだと思っていたが――違う。
あの『目』から、俺たちの注意を逸らすためだったのだ。
エルヴィスは実力テストの時点から、級位戦が情報戦の様相を呈することを見抜いていた。
だから、自分が〈傍観する騒乱のパイモン〉のルーストだというインパクトのある情報を囮にして、もっと重要なものから目を逸らさせたのだ。
おそらくは、あの『目』こそが、エルヴィスの精霊術【争乱の王権】の核。
エルヴィスに勝利しようと思うなら、あの『目』をどうにかする方法を考えなければならない――
エルヴィスが短剣を避け続け、観客が空を見て唖然としている間に、試合の制限時間が迫ってきた。
『残り10秒! このまま終わってしまうのか―――っ!?』
刃はエルヴィスの制服にすら触れられないまま、1秒、2秒と時が過ぎていき――
残り1秒になった瞬間。
エルヴィスが一転して相手の懐に踏み込み、鳩尾に掌底を叩き込んだ。
『タイムアーップ!! 時間切れにつき、残り霊力の判定に入ります! 多いほうが勝者となりますが、しかし、これは―――!?』
誰もがわかっていた。
どちらの勝利になるかなど。
『ウィンザー2級です! ウィンザー2級の判定勝ち!! ラストの掌底が決め手となりました! しかしそれ以上に驚きなのは、ウィンザー2級、なんと制限時間いっぱい、相手に指一本触れさせませんでした!! 天才王子は攻撃だけでなく防御も完璧だったあああああっ!!』
エルヴィスの背後の精霊が消え、同時に上空の『目』も消える。
強さを見せつけるかのような勝利だった。
自分に隙など一分もないと、誰もに知らしめるような。
しかし――俺にはむしろ、希望が湧いていた。
エルヴィスは自分の精霊術を隠すための小細工をしていた。
それはすなわち、エルヴィス自身が自分の精霊術を完璧とは思っていない証拠なのだ。
金髪の天才王子を観客席から見下ろしていると――
ふいに、目が合った。
『おっと、ウィンザー2級! すぐには試合場を立ち去らず……おっ!? おーっ! おおおおおおっ!!』
俺と視線を交わしたエルヴィスは――
まっすぐと、こちらに向かって、人差し指を突きつけてくる。
『ウィンザー2級が、何かを指さしています! 指の先にあるのは――あーっと! ジャック・リーバー2級です! ウィンザー2級と同じく、数年ぶりに2級入学を果たしたもう一人のスーパールーキー!!
同じ級位で戦うライバルでもある同級生を、今、このタイミングで指し示す理由は、一つしか考えられません!!
これは、堂々たる、宣戦布告だぁぁ――――っっ!!!!』
――ぼくときみ、一体どっちのほうが強いのかな?
俺はかすかに笑う。
エルヴィスも、笑っているように見えた。
「じーくん?」
俺はエルヴィスに背中を向けて、出口に向かう。
「先に行ってる。――そろそろ、俺も試合なんだ」
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『圧・倒・的!! つい先ほどウィンザー2級の宣戦布告を受けたリーバー2級! 圧倒的な強さを見せつけ、第2回戦を制しました!! そして、そして―――っ!?』
試合を片付けたあと、俺は腰に下げた『あかつきの剣』を抜いた。
銀色に塗装してあるから、ヒヒイロカネ特有の朝焼け色の輝きは隠されている。
だが今は、これで充分だ。
『あーっと! 今まで腰に下げながらもついぞ抜くことのなかった剣をついに抜き! 観客席のウィンザー2級へと差し向けましたっ!!
これはまさしく「本気で倒してやる」という宣言!! リーバー2級、ウィンザー2級の宣戦布告を真っ向から受けましたあああ――――っ!!!』
こうして、今期の精霊術学院2級リーグは、例年とは異なる様相を呈し始める。
俺――ジャック・リーバーと、エルヴィス=クンツ・ウィンザーの大型ルーキー対決に、学内学外を問わず、多くの注目が集まることとなったのだ。




