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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈上〉:小さいころ夢に見た

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第88話 幸福の誓い


 ――絶対に大丈夫――あなたはきっと、幸せになれる


 ――――笑え


 その命を賭して、みんなが教えてくれた。

 たとえ誰が――俺自身がそれを否定しようとも、代わりに彼らが肯定してくれる。

 俺は、幸せになってもいいのだ、と。


 だから、もう躊躇はやめにしよう。

 俺は、自分を幸せにすることに遠慮しない。

 フィルは除け者にするなと怒るだろうか?

 だったらしょうがない。そのときは――――




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 俺とラケルは城内の隠し部屋で、ハッと意識を取り戻した。

 しばらく余韻に浸るようにぼーっとして、辺りを確認する。

 壁にかけられた機械時計は、出発のときと同じ時刻を指していた。

 説明通り、1秒も経ってはいないようだ。


 今更のように、ラケルと手を繋いでいることを思い出した。

 指を絡み合わせるようなそれは、いわゆる恋人繋ぎ。

 遅れてラケルも気が付いて、繋いだ手を見ると、パッと慌てたように手を離そうとした。


 それを。

 力を込めて、止める。


「……えっ? ジャッ――」


 手をぐいと引っ張り、ラケルの柔らかな身体を抱きすくめた。

 出し抜けの行動に、ラケルは「うえっ?」と驚いた声を出したが、されるがまま、俺の胸に顔をうずめてくれた。

 サファイアのような長髪から覗く、その長い耳に向かって、俺は心から浮かぶ言葉を声にする。


「ありがとう、ラケル」


「……え……?」


「俺を……父さんと母さんに会わせてくれて、本当に、ありがとう」


「……わたしは、褒められるようなことは、してない……」


 そう言いながら、ラケルも俺の背中に手を回し、優しく抱き返してくれた。


「わたしはただ、わたし自身のために、好きな人に幸せになってほしい――それだけ、だから」


「そっか。……じゃあ、協力してくれるか?」


「えっ? ……んっ!」


 ラケルが顔を上げたその瞬間、その桜色の唇に、自分の唇を重ねた。

 身体の奥から湧き上がってくるものを流し込むように、長く、長く唇で繋がりながら、ベッドのほうへ移動する。


「――ひゃっ!?」


 ラケルの脚がベッドの縁にぶつかって、ボスン、と仰向けに倒れ込んだ。

 白いシーツの上に、青い髪が海のように広がる。

 その真ん中に、まるで人魚姫のように倒れたラケルの顔の横に、俺は両腕を突いた。

 ラケルは押すでもなく、支えるでもなく、俺の胸板を触っている。

 徐々に白皙が朱に染まったかと思うと、挙動不審にちらちらと俺の顔を窺い始めた。


「ジャ……ジャック……」


「ん?」


「こ……鼓動、が」


 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。

 早く、強く、今にも割れそうなほどに、俺の心臓が脈打っている。

 そこから溢れ出た熱が、身体の中をぐるぐると回って、どこも彼処も爆発しそうだった。


「……こ、興奮……してる、の?」


 期待とも不安とも言いがたい揺れた声に答えるべく、俺はその長い耳のそばに唇を近付けて、……囁く。


「めちゃくちゃ、してる」


「……っ!」


 組み伏せたラケルの華奢な身体が、所在なさげにもぞもぞと動いた。

 俺は顔を上げると、ラケルの海のように青い瞳を覗き込む。


「父さんが、母さんが、……そしてお前が、言ってくれたおかげだ。俺は――幸せになっても、いいんだ……って」


「……うん」


 ラケルはかすかに微笑んでくれた。


「あなたは、人の何倍も、何十倍も、幸せになって、いい」


 何も掴めなかった、とかつては思った。

 違う。これから掴むのだ。

 たとえその途中で、どんな障害に阻まれても、……きっと父さんが、母さんが、そしてラケルが、守ってくれるから。


 そうして、俺が幸せを掴んだなら、きっと周りの人にも、同じかそれ以上の幸せを返してやれる。

 俺が父さんと母さんから幸せを分けてもらったのと同じように――


「……あ、でも、そのっ」


 ラケルは急に眼を泳がせて、あたふたと言った。


「幸せっていうのは、別にこういうことばかりじゃないっていうか……!」


「こういうことも、含まれてるんだ」


「ぜっ、全然お風呂入れてないしっ、今はちょっとっ……!」


「俺は後でもいいぞ?」


「と――というかっ! こんなことしてる場合じゃないんじゃ!? は、早く沙羅ちゃんの『基点』を――」


「その前に、誓いを立てたいんだ」


 離さず、逃がさず。

 ラケルの顔をまっすぐに見つめて、俺は告げた。


「お前と一緒に幸せになるんだってことを――そのために戦うんだってことを。その誓いが、きっと、あいつと対峙する俺を支えてくれる……。どうしても今は嫌だって言うんなら、まあ……頑張って、我慢するけどさ」


 正直、すげーつらいけど。

 何年も抑え込んでたものが一気に復活したもんだから、こうしているだけでもどうにかなりそうなんだ。

 それでも……無理やりは嫌だし。こんなことをしている場合じゃないっていうのも、正論であることに違いはない。


「……ぅ、……ぅぅうう~……」


 ラケルは弱った顔で唸って目を逸らし、手の甲を口に当てて表情を隠す。

 それから……か細い声で、最後の砦を口にした。


「…………フィルとか、アゼレアに、……悪い、し」


 ああ――ははは。

 共有された記憶に、その質問は残っていた。

 沙羅に閉じ込められた幻の楽園で、幻の俺にした質問。

 幻の俺は、およそ俺らしくない回答をした。

 ならば、本物の俺はどう答えるか?

 考えるまでもなく、決まっていた。


「――そのときは、一緒に怒られてくれるか?」


 人を愛するのが止められない以上は、謝るしかないだろう。

 開き直った浮気野郎みたいに、しかし俺は、それ以外の答えを持たない。

 もう、躊躇するのはやめたから。


 ラケルの目が軽く見張られて――それから。


「……仕方が、ない」


 安心したように微笑んだ。


「そのときは……いくらでも、怒られてあげる」


 そして俺たちは、再び唇を重ねた。

 心と身体の、壁という壁を取り去って、互いが互いに触れ合った。

 久しく忘れていた、ビリビリという甘い痺れが、俺の全身を駆け巡った――




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 目を開けると、溜め息が出るほどに美しい顔があった。

 伏せられた長い睫毛。すっと通った細い鼻梁に、薄い唇。

 かすかに産毛の見える頬は赤ちゃんのように柔らかそうで、俺は思わず手を伸ばし、そっと触れてしまった。


「…………ん…………」


 唇の隙間から呼気が漏れ、睫毛がぴくりと動く。

 それを可愛らしく思った俺は、だから、彼女の唇に自分のそれを軽く触れさせた。


「――んんっ? ……ふぁ……ジャック……?」


「おはよう」


 ふにゃりとした声を漏らしながら薄く瞼を上げたラケルに、俺は挨拶をする。

 この隠し部屋には窓がないが、時間的におはようでいいはずだ――まあ、ギリギリこんばんはでも通じそうな時間ではあるが。

 お互い、積もりに積もったものを長いこと爆発させていたことを思うと、睡眠時間は充分とは言えない。だが、隣にこんな可愛い子がいるのに眠っているなんて、そんなのは人生の損失だと思うのだ。


「お、おはよ……。あれ、え? ……な、なんでキス?」


「いや、我慢できなくてさ」


「えっ」


 ラケルはびくっとすると、掛け布を胸元に掻き寄せた。

 もちろんその程度じゃ、赤らんだ白い肩も、汗の跡が付いた豊かな胸元も隠せない。


「あ……あのね、ジャック?」


「うん?」


「わたし、体力には自信、あるほうなんだけど。それにも、ほら、限度があるっていうか……」


 しどろもどろに言って、ちらりと窺うように俺を見るラケル。


「……疲れて、ないの……?」


「全然?」


「んんぐーっ!?」


 俺はまたラケルの唇に吸いつきつつ、汗ばんだ身体をシーツの上に組み伏せた。

 今の今まで、思春期が丸ごと抑え込まれてたんだぞ? たかだか数時間で治まると思うてか。

 しばらくしてから口を離すと、ラケルは荒く息をしながら俺の目を見つめた。


「……ねえ、ジャック。ジャックって、王様よね……?」


「一応そうだが」


「ってことは……奥さんは、たくさんいるのが普通よね?」


「……まあ、現時点でも書類上は何人かいるけど」


「……よかったぁ……」


「おい。なんだよ、その心からの安堵の溜め息」


「命の危険を前にしては、嫉妬心を抱く余裕もないの!」


 怒ったように言いながら、ラケルはぐいっと俺の身体を押しのける。


「とにかく、早く服着て! 誓いとやらはもう充分でしょ!」


「ええ~……。ラケルだってあんなに盛り上がってたくせに……」


 ベッドを降り、脱ぎ捨てた服を拾うと、ラケルはじろりと俺を睨んだ。


「えろがき」


「…………すみませんでした、師匠」


 一度染みついた上下関係は、この程度で変わるものじゃないらしい。


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― 新着の感想 ―
サミジーナもどこか狂っているはず。 いままでさんざん伏線は張られていた。 メイド。女子禁制。血縁。裏切り。演技。サミジーナとだけ会話。気にされていない。恋愛感情。ジャックの許可。
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