運命の日/Visitor Side - Part3
俺とラケルが泊まっている宿に早朝からやってきた母さんは、店主と共に1階の奥へと入り、何か話し合ったようだった。
それも長くはかからず、母さんは程なくして宿を出た。二人の護衛と共に。
俺とラケルは、その後をひっそりと尾行する。
「……何を話し合ってたかわかったか?」
雑踏に声を紛れさせるようにして、隣のラケルに尋ねた。
ラケルには母さんと宿の主人の話を、精霊術で盗聴してもらっていた。
「ええ、一応……」
うなずきつつも、ラケルの表情には戸惑いがある。
「でも、なんてことのない世間話だった……。マデリンさんは、よく街の人の様子を見に行っていたから、その一環だとしか思えない」
「偶然なのか……?」
いかに俺たちが《運命》に導かれていると言っても、あまりにも脈絡がない。
あの宿屋の娘が哲学的ゾンビだと判明し、謎の生きたガラクタに殺されて、昨日の今日だぞ?
「……情報が足りない以上、何を考えても早計か。とにかく、このチャンスを逃す手はない」
「護衛が二人いる。普通に考えて、身元のわからないわたしたちを領主夫人と話させてくれるとは思えない」
「その上、あのどちらか、あるいは両方が哲学的ゾンビ――沙羅の監視端末である可能性がある」
奴らに俺たちの正体を知られると、タイムパラドックスが起きて時間が戻るだろう。
どうせ元に戻るなら試してみても、と思わなくもないが、自分でコントロールのできない現象に運命を委ねられるほど肝が据わってはいない――できるだけ秘密裏に、母さんにだけ接触する必要がある。
そのための手段は、用意していた。
「ラケル、頼む」
「うん」
母さんが魚屋の店主と話している隙に、俺たちは路地から前方に回り込んだ。
ちょうど朝市が終わった頃合いで、人通りは減りつつある。とはいえ少ないというほどではなく、俺たちの存在はうまく雑踏に紛れている。
俺たちと母さんをまっすぐ結ぶ線の間に、誰もいなければそれでいい。
音を操る【清浄の聖歌】の指向性スピークで、母さんにだけ話しかけることができる。
「それにしても、どう話しかけるの? 何を言っても警戒されそうだけど……」
「母さんは聡い人だ。おかしな小細工はしないほうがいい――単刀直入に行こう」
ラケルが準備を整えたのを見て、俺は口を開く。
……母さん。
切ないような、悲しいような、複雑な思いが去来したが、今だけはそれを胸の底に封じ込め、努めて淡々と話した。
『邪神バアルについて、お聞きしたいことがあります。どうか人払いの上、3番街のカフェ・エイリーまで』
母さんはぴくりと反応し、眉をひそめる。
届いた。
そう判断した俺は、路地から少し身体を出し、深々と頭を下げた。
どうせ、怪しまれるのは避けられない。
ならば、誠意を見せるしか方法はない。
頭を下げる俺を見て、母さんはどんな風に思っただろう。
一瞬だけこちらに向いた視線は、すぐにすいと他に向いた。
そしてすたすたと、俺たちになど気付きもしなかったかのように、通りを歩いていく。
しかし。
俺たちの横を通り抜けるとき、口がこういう風に動いていた。
『場所はこちらが指定します。5番街の、ナイン・ナインというお店までお越しください』
最大限の譲歩だ。
気付かないふりをした母さんに習って、俺たちもまたうなずきもせず、その場を去った。
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指定された『ナイン・ナイン』という店は、入り組んだ路地の奥にひっそりと看板を構えていた。
中を覗いてみると、美術的な壺や、年代物の柱時計などがひしめいている。
「骨董品屋……?」
「そうみたいだな」
流行っているとは思えないが、まるで何十年もここにあるかのような風格があった。
ロウ王国が軍事に、センリ共和国が技術に長けるように、ラエス王国は文化に長ける国だと言われている。
肥沃な土地で食べ物が多く、水道を始めとしたインフラも整備されていて、生活の不安が少ないからこそのお国柄なのだが――やはりそういう国だと骨董品類の需要も高まるのだろうか。
ドアを開くと、チリンチリンとベルが鳴った。
店内に人はいない。
本来は店員がいるべきカウンターにもだ。
――カチ、コチ、カチ……。
この世界の機械時計のほとんどはドワーフ族の手になる一点物で、すべからく貴重品かつ高級品だ。
自分の家に時計を置くことをステータスとする貴族もいるくらいである。
それが一つ、二つ、三つ……数え切れないほど陳列してあるというだけで、この店の異常さが知れるというもの。
――カチ、コチ、カチ……。
俺たちは棚に陳列された商品に触らないようにしながら、カウンターのほうへと向かう。
足を進めるたびに、異界に飲み込まれるような感覚があった。
正気を担保する常識が、徐々に消化されていくかのような。
――カチ、コチ、カチ……。
「「「「「カチッ」」」」」
不意に。
時計の音が、重なった。
ぞくりと、本能的に背筋を震わせる。
見られている。
わけもなく、そう思った――周囲にひしめくアンティーク。そのすべてに、今、俺たちは見られている!
直後だった。
カウンターの奥に置かれた棚が、歩いた。
右の角を持ち上げ、左の角を持ち上げ、足のように動かして!
「…………!」
「……っ……」
呆然と息を呑む俺たちの目の前で、棚は移動する。
その身体の中に置かれたアンティークも、本来は床に落ちて然るべきだった――しかし、壺が、皿が、鏡が、カンテラが、自ら棚板にへばりついているのだ。
生きている。
直感に反するその事実を、しかし認めざるを得なかった。
この店のアンティークは、全部生きている!
棚が移動した後には、狭い通路が伸びていた。
……奥へ進め、ってことか。
俺とラケルは目配せを交わすと、カウンターの奥に回り込んで、通路に踏み入った。
五歩ほど奥へ行くと、再び棚が歩いて、通路の入口を塞いでしまう。
それにより光が断たれたが、その代わりに、壁に掛かった燭台が独りでに火を灯した。
その様に、俺は一つの確信を深めた……。
燭台の火に導かれるようにして、俺たちは通路を抜ける。
倉庫のような場所に来た。
骨董品なのかガラクタなのか、多種多様な年代物が雑多に山積みになった空間だ。
ひとつ、おかしいのは。
それらガラクタのすべてが、自ら動いていることだ。
「――ようこそ、おいでくださいました」
ガラクタが、引く。
聖者が海を割るように、ガラクタの山が自ら左右に引いて、奥に隠れていた人物の姿を現した。
落ち着いたドレスに、緩くウェーブした黒髪。
年の頃は24。しかしてその美貌には、母性的な笑みを湛えている。
「人払いの上、というお話でしたので――人ではなく、物を集めておきましたわ」
マデリン・リーバー。
母さんが、猫足の椅子に腰掛けて、にこやかに俺たちを迎えた。
……ああ、間違いない。
まるで生きているかのようにガラクタを動かす、この力。
哲学的ゾンビの少女を殺害した、あの精霊術だ。
「どうぞ、お掛けになってください」
俺たちの後ろに椅子が二つ、歩いて座られにやってくる。
「……失礼します」
あまりに奇妙な光景で、すぐには受け入れがたかったが、俺もラケルも素直に腰掛けた。
いかに身分の知れない相手とはいえ、いきなり乱暴なことはしない。
マデリン・リーバーがそういう人間であると、俺たちは知っているからだ。
……だからこそ、奇妙に映る。
母さんが操っていたと思しきガラクタたちが、哲学的ゾンビの少女を容赦なく惨殺したことが……。
「さて、早速ですが、こちらから質問させていただいて良いでしょうか?」
母さんは長い足を緩く組んで言った。
人数で劣りながら、この場の主導権を完全に握っている――それは領主夫人ではなく、歴戦の精霊術師としての振る舞い。
「あなた方は、なぜ伝説の邪神の正体が精霊〈バアル〉であるとご存知なのですか? そしてなぜ、そのことをわたくしに質そうと思ったのですか? 不躾な呼び出しに、こうして一人で応じて差し上げたのです――これ以上の譲歩をわたくしから引き出したいと仰るのなら、まずはあなたがたの素性と目的を洗いざらい、話してもらわなくてはなりません」
有無を言わせぬ尋問。
これは……下手な誤魔化しは逆効果だな。
「わかりました。素直に、真実をお話しします」
驚いたように俺を見るラケルに、俺は視線を返してうなずきかける。
そして、母さんの目をまっすぐに見て――堂々と胸を張って、自分の名前を名乗り上げた。
「俺の名前は、ジャック・リーバーと言います」
「…………はい?」
11年前の母親に、11年後の息子は言った。
「今から11年後、バアルが復活するんです。どうか、それを止める手立てを教えてください――母さん」
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母さんはどこか間の抜けた表情で、目をぱちぱちと瞬いた。
しかし、俺は怖じることなく、堂々と言葉を続ける。
「信じられないのも無理はありません。ですが、俺には事実を話すことしかできない。俺は、この時代から数えて11年後のジャック・リーバーです。精霊〈アガレス〉の精霊術【因果の先導】によって、時間を遡ってきたんです」
厳密には遡ったのは時間ではなく因果だが、説明が煩雑になるので省いた。
「証拠は何もありませんが、四勇者の伝説に語られる邪神が、精霊序列第1位である〈バアル〉の成れの果てであることを知っている、そのことを根拠とさせてください。俺の想像が正しければ、この事実は第四の勇者家であるフィアーマ族にしか伝わっていないはずです」
母さんは軽く目を見開き、手で口元を隠した。
「確かに、その事実は今やフィアーマの民にしか……。いえ、確認を取りましょう。失礼ですが、しばらく目を閉じていてくださいますか?」
「? はい……」
言われるままに、俺は瞼を閉じた。
しばらく暗闇を見ていると、ふっと世界が遠ざかるような感覚があった。
束の間、星空のような世界が見えたような――
「……はい。もう結構です」
再び、瞼を開けたとき。
そこには、幼き日の記憶にある通りの、慈愛に満ちた母さんの顔があった。
「信じがたいことですが……今現在、この街には、わたくしの息子が二人存在するようです。同一人物が二人同時に存在する以上、どちらかは過去、または未来からの来訪者と解釈する他にはありません……」
今度は、俺が驚く番だった。
まさか……こんなに簡単に?
信じてもらえるって言うのか……?
疑念はしかし、母さんの微笑によって吹き飛ばされた。
その笑みは確かに、俺の知る母さんのそれだった。
「大きく……なるのですね、ジャック。立派に育ってくれて、母は嬉しく思います」
「……ぁ」
思わず漏れかけた嗚咽を、すんでのところで堪えた。
こんな……こんな、ことが。
また……母さんに、名前を呼んで、もらえるなんて……。
ラケルの手が、優しく俺の背中をさすってくれる。
その手のおかげで、俺は望外の出来事を、かろうじて飲み下すことができた。
そんな俺たちを見て、母さんは「ふふ」とおかしげな笑みをこぼす。
「自分とさして変わらない歳の息子を前にするのは、何だか奇妙な気分ですけれどね。……それで、そちらの方は? エルフ族とお見受けしますが……」
「あ、こっちは……」
「妻です」
滲んだ涙を拭っているうちに飛び出した予想外の答えに、俺はぎょっとしてラケルを見た。
「おっ、おま……妻って……!」
「……ダメ?」
ねだるような上目遣い。
初めて見たラケルのそれに、俺は思わず、うっと口籠もった。
「……べつに、いいけどさ……」
「よかった……」
ラケルはほっと息をついて唇を緩ませる。
鼓動が、乱れた。
驚きでも、恐怖でもなく、それは心地のいい乱れだった。
あまりに久しぶりの感覚を受け入れきれないでいると、母さんがくすくすと楽しそうに笑う。
「良い方と出会ったのですね、ジャック。あなたは少し堅いところがありますから、そのくらい強引な女性のほうが合っていますよ」
「……出会うのは、明日なんですけどね」
「まあ、そうなのですか? これは楽しみにしておかないと」
しまった。未来の話をしてしまった。
時間が戻らなかったということは、未来が変わることはなかったのだろう――考えてみれば、それもそのはずだ。
だって、ラケルと出会うとき、すでに母さんは……。
「積もる話もありますが、本題に入りましょう。11年後、邪神バアルが復活する、と言いましたね、ジャック?」
「はい。俺たちはいろいろな状況証拠から、邪神バアルは誰か人間を宿主としていると推定しました。しかし、それが誰なのかがわからなかった……」
「だから、マデリンさん、あなたに訊きに来たんです。フィアーマの一族が、邪神の封印に深く関わっていることがわかったので……」
「確かに我が一族は、他の誰よりも邪神について知悉しています。それというのも――」
ようやく本来の目的を達成できる。
そう思った瞬間だった。
「ごめんくださーい!」
店のほうから、そんな声が聞こえたのだ。
どうやら骨董品屋のほうに客が来たらし――
――カタ。
――カタッ。
――カタカタカタカタガタガタガタガタガタッ!!
「……なっ、何……っ!?」
周囲のガラクタたちが一斉に震え出した。
尋常ではないバイブレーション。
何か良くないことが起こったのだと、直感的にわからされる。
その証拠に、母さんがさっと顔色を厳しいものに変えた。
「……ごめんなさい。詳しい話は明日、屋敷で夫と共に話します。今はひとまず、裏口から外へ」
「母さん。これは……? さっきの声の客が何かしたんですか?」
「アレはリビングデッド――生きた死者です」
「「……っ!?」」
俺もラケルも、目を剥いて息を呑んだ。
生きた死者――それは……!
「マデリンさん――もしかして、哲学的ゾンビが見分けられるんですか……!?」
ラケルの問いに、母さんは一瞬怪訝そうにして、
「哲学的ゾンビ――なるほど、そういう表し方もありますわね。アレは、我が一族では古くからリビングデッドと呼ばれています。邪神バアルと並ぶ、我が一族の宿敵――精霊〈ビフロンス〉の眷属」
母さんが早口に言う間に、部屋の奥に積もったガラクタが動き、ドアが姿を現した。
「さあ、早く! ここにいるのを見咎められるのは危険です!」
母さんに急かされ、俺たちはそのドアから外に出る。
外は裏路地――いや、路地と呼ぶのもおこがましい。単に建物と建物の隙間と呼ぶのが相応しい、狭い道だった。
母さんはガラクタを動かしてドアを隠すと、俺たちを先導して早足で歩く。
「近頃、ダイムクルドには多くのリビングデッドが出没しています。生きた死者を見分けられるのはフィアーマ族の正統後継者であるわたくしのみ。夫と連携して駆除しつつ、術者の正体を探っていますが、恐ろしく狡猾な相手で、尻尾さえ掴ませません」
恐ろしく狡猾な相手。
そいつの正体を、俺もラケルも知っている。
……俺の知らないところで、戦っていたのか。
父さんと母さん、そしてフィルが――世界で唯一の天敵同士が、このダイムクルドで。
そして、あの日。
俺がフィルとラケルに出会ったあの日に、母さんたちは敗北した……。
思わず深刻な顔をしてしまった俺を見て、母さんはすぐに察した。
「……その様子ですと、どうやら未来で馬脚を現したようですね」
「……はい」
胸の痛みを堪えながら――だが、俺は言わずにはいられなかった。
「〈ビフロンス〉の術者は、フィリーネ。フィリーネ・ポスフォード――」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……その様子ですと、どうやら未来で馬脚を現したようですね」
「「!!」」
時間が戻った!?
……そうか。言えないんだ。
フィルが〈ビフロンス〉の術者であることは、教えられないんだ。
今ここでそれを知れば、母さんも父さんも、ポスフォード親子の来訪を無防備に受け入れはしなかっただろう……。
未来が、変わってしまう。
母さんたちが敗北し、哲学的ゾンビに変えられてしまう未来が。
「……どうしました?」
「……いえ……」
気遣わしげな母さんの視線から隠れるように俯き、俺は唇を噛んだ。
明日、二人は殺される。
散々脅されたことだ。アスモデウスに、覚悟を促されたことだ。
俺には何もできない。
助けることはできない。
すでに決まったことを、変えることはできない。
自分の未来を見いだすために、母さんたちを見殺しにするしかない。
程なくして、表通りに出た。
母さんは自然に雑踏に混ざりながら、数秒の間、目を閉じる。
「……この辺りにリビングデッドはいないようです。ですが……今日、これ以上一緒にいるのは避けたほうが良いでしょう」
「……どうしてですか?」
「〈ビフロンス〉は突然現れた余所者であるあなたたちを警戒しているものと思われます。さっき言った通り、詳しい話は明日改めて、わたくしたちの屋敷で」
明日。
それはまさに、母さんと父さんがフィルに殺される、当日だ。
「……必ず、行きます」
決意と覚悟を込めて、俺は言った。
たとえ、何を見ることになろうとも、……行かなければならない。
あの妹を、倒すために。
母さんは柔らかに微笑んだ。
「ええ。楽しみにしています。……ですが」
しかし、一瞬だけ叱るような顔になって、
「親に会うときは、もっと嬉しそうな顔をなさい。それが一番の親孝行なのですよ」
……今の俺には、難しい言いつけだ。




