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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈上〉:小さいころ夢に見た

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運命の日/Visitor Side - Part2


 リーバー邸に向かう途上で異常な光景――沙羅に操られた哲学的ゾンビと思しき少女が、無数の生きたガラクタによって惨殺される――を目撃した俺たちは、いったん宿に引き返した。

 当たり前だが、ラケルに日付を教えてくれた少女はどこにも見当たらない。

 彼女の父親だろう宿屋の主人が、夜に酒場を開くためにあくせく働いているのみである……。


「……ジャック。あのご主人は……」


「……100パーセント、ゾンビだろうな」


 おそらくは、彼も哲学的ゾンビであるに違いない。

【死止の蝋燭】の恐ろしいところはそれだ。

 哲学的ゾンビは、たとえ親しい者であっても――家族であったとしても、見分けることは難しい。

 俺の知る限り、その手段はひとつだけ……〈オロバス〉による殺傷無効化結界の中で傷が付くかどうかを確かめる――それだけだ。


 つまり、不意を突き放題なのだ。

 誰も心を許した家族や知人が、何の理由も前触れもなく自分を殺すとは思わない――最強の精霊術師である永世霊王でさえそうだったのだ。

 実験したわけじゃないが、哲学的ゾンビによって殺された人間もまた哲学的ゾンビにできるのだとしたら――

 哲学的ゾンビの関係者は、同じく全員哲学的ゾンビであると考える他にない。


「でも、そう考えると……」


 部屋に戻って扉を閉めてから、ラケルは言う。

 この客室の防音も完璧とは言えない――さらに警戒して、【清浄の聖歌】を使って指向性スピーカーのように声の届く範囲を調整していた。

【三矢の文殊】を使う手もあるが、あれをやると外の様子がわからなくなるからな。


「……7年前、ダイムクルドで死体に戻った哲学的ゾンビは、人口の何割もの数に上った……だけど、哲学的ゾンビの脅威的な拡散力を考えれば、住民の全員がゾンビになっていてもおかしくなかったんじゃ……?」


「それだ。ダイムクルドで抱え込んだ『科学者』の連中の試算によれば、ラエス王国領時代のダイムクルドの民が全員哲学的ゾンビに置き換わるまで、控えめに見積もっても2年もかからないらしい」


「2年……? それじゃあ、とっくに……」


「そう。フィルが――沙羅がダイムクルドを離れたのは9歳のとき。そしてこの時代では7歳だ――この時点で【死止の蝋燭】を扱えていたのなら、ダイムクルドの人間は10割、ゾンビになっているはずだった」


 沙羅がそこまでの必要性を感じなかった、というのもあるだろう。

 哲学的ゾンビの殺人によって哲学的ゾンビを生み出せるとすると、別に沙羅自身がダイムクルドにいる必要はないのだから――王都にいた期間を含めて、4年もある計算になる。

 哲学的ゾンビの拡散力は幾何級数的に増える――4年もあればダイムクルドどころかラエス王国すべてを屍に置き換えることができただろう。

 沙羅の目的が、【死止の蝋燭】の力によって世界を屍の帝国にすることにはなかったことは間違いない。


 しかし、それにしても少なかった。

 何せ7年前のカタストロフを経た後も、ダイムクルドの経済活動は曲がりなりにも崩壊せずに済んだのだ――その程度の人口減少に留まったのだ。


「考えにくいが、沙羅の奴が自分が死んだ後にも俺が困らないよう配慮したのか――あるいは何か、ゾンビを無秩序に増やせない理由があったのか」


「ゾンビを増やせない、理由……」


 俺とラケルの脳裏に蘇ったのは、きっと同じ光景だろう。

 まるで少女が生きた屍であることを知っているかのように容赦なく破壊した、無数の生きたガラクタ……。


「……ともあれ、問題は母さんに接触する方法だ」


 いったん思索を打ち切り、具体的な行動計画に話を移した。


「リーバー邸には何を隠そうこの時代の俺が住んでいる。沙羅の哲学的ゾンビによる監視網が、最も厚く張られている場所だろうことは想像に難くない」


「マデリンさん自身がゾンビではないとしても、その周りの使用人や護衛は……」


「ゾンビだ。実際、俺は、死体に戻った彼らを見たんだから」


 俺やフィルを可愛がってくれたメイドたちも、本当の祖父のように接してくれた執事たちも――誰も彼もが、一人の例外もなく、屍に戻った。

 俺が生まれ育った屋敷は、俺自身を除いて全員がゾンビの、屍の館だった。

 ラケルはつらそうに眉を寄せつつ、


「そう思うと、奇跡だった……わたしが生きて学院に行けたのは」


「学院長はおそらく、夫であるクライヴさんに殺された。そのくらい気を許した相手でないと、お前クラスの精霊術師の不意を打つのは難しかったんだろう……」


 家族同然に暮らしていたとは言っても、ラケルは部外者だ――学院長がクライヴさんに寄せていたほどの信頼を、リーバー家の使用人にも寄せていたわけではない。

 それに、ゾンビになったからって暗殺能力が上がるわけじゃないだろうしな……。素人では、眠っているラケルにだって勝てはしないだろう。


「リーバー家に無策で近付くのは危険だ。タイムパラドックスを起こして時間が戻ってくれるならいいが……」


「タイムパラドックスが起こらない範囲で、どうしようもない事態に陥る必要はある……」


 あの時間逆行現象は、俺たちが目的を達成できなくなったら起こる、というような都合のいいものじゃない。

 あくまでタイムパラドックスを予防するだけ。

 未来には影響しない範囲で沙羅が行動を変え、早めに母さんに手を出したりしたら、俺たちの目的は達成できなくなるのだ。

 そして、その結果は因果に刻まれる。

 もう一度因果遡行ができたとしても、俺たちは下手を打つ過去の俺たち自身を為す術もなく眺めるしかなくなるのである。

 それを危惧して、母さんへの接触を強行するのはやめたのだ。


「母さんとは、屋敷の外で接触するしかない」


 結局、結論はひとつだった。

 沙羅の監視が分厚いリーバー邸では、俺たちはすぐに見つかって因果の袋小路に入ってしまう公算が大きい。

 だから、母さんが外出したタイミングを狙う。

 実際、俺の記憶にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しな。


「確か母さんには、自分の足で街を見て回る習慣があったはずだ。もちろん護衛付きだったはずだが……」


「屋敷よりも目を盗みやすいと思う。……いま使っている『これ』を使えば、話しかけることだって」


【清浄の聖歌】による指向性スピークか。

 ……よし。方針は定まった。

 接触は明日だ。






 旅慣れたラケルが見繕っただけはあって、この宿は値段の割には上質な部類だった。

 1階の酒場に降りれば割安でまともな食事にありつけるし、1階の騒ぎが気にならない程度には壁や床も厚い。

 風呂付きとは言わないまでも、井戸水を使った水場が敷地内にあるし、手拭い一つあれば旅の埃を落とすのにも充分である。

 ……店主がゾンビでさえなければ、文句の一つもなかっただろう。


「えっと……ジャック。わたし、ちょっと、身体を拭きたいんだけど……」


 夜。

 ちらちらと俺を窺いながら、ラケルがそう言った。


「ああ、そうか。アスモデウスとの戦いから、そのまま強行軍だったからな――気が利かなくてごめん」


 と言って、俺はいったん部屋を出ようとしたのだが――


「ちょ、ちょっと待って!」


 ラケルが慌てた様子で俺の腕を掴み、足を止めさせられたのだった。

 ううん?

 俺は怪訝に思って振り返る。


「えと、あの、その……」


 きょろきょろと目を泳がせた後、ラケルは自信なさげに目を伏せて――しかし、俺の腕を強く掴んだまま――か細い声で呟いた。


「…………身体、拭くの、手伝ってほしいんだけど…………」


 ああ……なんだ、そんなことか。


「お安い御用だ、師匠」


「し、師匠はもうやめてって言ったでしょ……ばか弟子」


 ツンと顔を逸らして言うと、ラケルはベッドの上に腰掛けて、しゅるりとローブを脱ぐ。

 背中を向け、いそいそと衣服を脱いでいく師匠を横目に、俺は桶に汲んだ水に手拭いを浸した。


 身体を拭くのも手伝ってもらわないといけないって、どれだけ生活能力がないんだか――それでよく何十年も旅をしていられたものだ。

 そりゃあ行き倒れもするってものだよな。


 手拭いを絞り終えた頃には、ラケルは白い背中を晒していた。

 上半身は完全に裸――左手で長い青髪を横に除けながら、右手で豊かな乳房を抱えるようにして隠している。

 隠すんだな、と思った。

 子供の頃は、上どころか下さえ隠していなかった覚えがあるが。


「……お、お願い……」


「ん」


 少し丸めた背中に、濡らした手拭いをそっと当てる。


「んっ……」


 冷たかったのか、ラケルはぴくりと身体を跳ねさせた。

 俺は割れ物を扱うように、白い背中を優しく拭っていく。


 ラケルの背中には、傷一つない。

 長い間――何百年もの間戦ってきた割には、奇跡的なくらいに。

 それはきっと、【癒しの先鞭】の力があってこそなのだろうし――あるいは、絶対に肌に傷を付けたくない理由が、あったからなのかもしれない。

 自意識過剰と自戒するのは不可能だ。

 俺は、彼女の記憶を、彼女の戦いを、すべてこの身で追体験したのだから……。


「……じゃ、ジャック。背中はもういい……」


「ん。わかった」


「だから……そ、その……次は……」


 んん?

 次?


 ラケルは肩越しに俺を振り返り、すぐに目を逸らし、またこっちを見て――それを何度か繰り返し。

 長い耳を先端まで真っ赤に染めながら、ぎゅっと目を閉じながら言ったのだった。


「まっ……前も、拭いてっ……!」


 同時、身体ごとこっちに振り向いて、胸を隠していた手を、シーツに下ろした。

 支えを失った二つの膨らみがかすかに重力に引かれ、ふるんと揺れる。

 しかし――俺の注意は、視界の端に引っかかるそれには行かなかった。

 ぎゅうっと瞼を閉じ、顔を真っ赤にしたラケルの顔に、視線を注いでいた。


「……なあ、ラケル」


 ここまでされて、俺はようやく気付いたのだ。


「もしかして……誘惑してるのか?」


「……ぅ」


 ばつが悪そうに、ラケルは顔を横に逸らす。

 さらには、しょんぼりと肩を落としつつ、また胸を両腕で覆った。


「……やっぱり、ダメだった……?」


「いや、ダメだったというか……なんでだ?」


 意図がわからない。

 あの鉄面皮の師匠が――あるいは、あの色気のなかった亜沙李が――まさかこんな行動に出るとは。


「……わたしは……悔しいの」


 絞り出すように、ラケルは言った。


「あの子のせいで……沙羅ちゃんのせいで……ジャックが、誰も愛せなくなるなんて……そんなのは、絶対に、絶対に、認めたくないの」


「誰も愛せなくなる、って……そりゃちょっとは鈍感になったかもしれないけど、俺はちゃんと好きだよ、ラケルのことが。精神を共有したんだ、わかるだろ?」


「そう、わかる。わかったの、わたしには。ジャック――あなたの魂の底にこびりついている、恐怖が……」


 ぎくりと、胸の奥のほうが硬直した気がした。


「ジャック」


 ラケルはまっすぐに俺の瞳を見て、俺の心の奥を刺す。


「あなたは――怖れている。自分が沙羅ちゃんのようになることを」


 俺は口を噤んだ。

 怒涛のような感情が、精神の奥から溢れ出した。


 ――ああ、愛。

 愛。恋。慕情!

 そう呼び習わされる感情について、俺はよく知っている。

 刻みつけられた。

 ねじ込まれた。

 何度も何度も何度も何度も何度も。

 繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。

 5年間にも、渡って。


 あいつほど俺に愛を囁いた人間はいない。

 あいつほど俺に恋を語った人間はいない。

 だから。

 だから。

 そうだ――俺は知っている。


 愛とは、血の匂いのするものだ。

 恋とは、誰かを傷付けるものだ。




 だって、実際。

 俺は――――この手で。




「ジャック!」


 両の手に細い首の感触が蘇った瞬間、暖かくて柔らかな身体が、俺の全身を包み込んだ。

 ラケルが上半身裸のまま、俺を抱きすくめたのだ。


「蒸し返して、ごめんなさい……。でも、わたしは、思い出してほしいの――愛は、恐ろしいものじゃない。あなたが、誰かを大切に思う気持ちは……決して、決して、その人を傷付けたりしない、って」


 ……そうかな。

 本当かな。

 だって、思い返せば思い返すほどに、納得なのだ。

 この俺が、あの妹と血が繋がっていたということが、腑に落ちるのだ。


 女盗賊ヴィッキーをこの手にかけるとき、俺は少しの躊躇もしなかった……。

 自分が危険に晒され、フィルが危険に晒され、だからコイツは殺していいのだと、ごく自然に考えていた……。

 それは、まったく、同じじゃないか。

 俺のことが好きだからと言って無数の人間を殺した、あの妹と同じじゃないか。


 俺たちは兄妹だ。

 同じ親から生まれ、同じ家庭で育った、世界で最も近しい人間だ。

 たとえ、もう血は繋がっていないのだとしても。


「少しずつでもいい、思い出して……。たとえ、そのきっかけが…………せ、性欲でも、構わないから…………」


「……ありがとう、ラケル」


 俺はサファイアのような髪を撫でて気を落ち着かせながら、その長い耳に囁いた。


「でも、慣れないことはしなくていい……。お前がそばにいてくれるだけで、俺は充分、安心できるんだ――本当だぞ?」


「……安心、だけじゃなくて」


 胸の中から、じろりとジト目で俺を見上げるラケル。


「少しくらいは……ドキドキ、してほしいんだけど」


「……がんばる」


「うん」


 それから、お返しだと言うラケルに身体を拭いてもらってから、二人で掛け布の中に潜り込んだ。

 隣の枕に頭を乗せたラケルが、不意に手を伸ばしてきたかと思うと、俺の頭を優しく、胸の中に抱き寄せる。

 どこか懐かしい、クリームのような甘い匂いと、マシュマロのような柔らかさに、一瞬だけ心が溶けそうになる。


「……ラケル?」


「わたしは、フィルの代わりには、なれない」


 痛みが、胸を刺した。


「でもね……きーくん。フィルだって、亜沙李(わたし)の代わりじゃあ、なかったでしょ?」


 ……ああ、その通りだ。

 フィルは、誰の代わりでもなかった。

 フィルを通じて亜沙李のことを思い出すことはあっても……その想いは、別個に存在するものだった。

 その証拠に、こうして亜沙李と再会できた今も、フィルへの気持ちは、少しも変わりがない……。


「あなたは本来、たくさんの人を愛せる人。沙羅ちゃんのせいで、それを少しだけ、忘れてしまっただけ」


 優しく諭すようにして、ラケルの声が耳元で囁く……。


「絶対に大丈夫――あなたはきっと、幸せになれる」


 ……いいんだろうか。

 俺は、幸せになって、いいんだろうか……。


 そうして、眠りの淵に転がり落ちた。






 翌朝。

 予想だにしなかったことが起きた。


「まさか……」


「どうして……!?」


 半開きにした木窓の隙間から、俺たちは宿の玄関前を見下ろしている。

 そこには、物々しい護衛を連れた女性がいて、宿の主人を応対させていた。

 緩くウェーブした長い黒髪。

 優しげながらも凛とした佇まいは、とても貴族出身じゃないとは思えない。


 その姿を、忘れるはずがなかった。


「……母さん……」


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[一言] 運命の日でジャックは見知らぬ二人組と一応会っていたはずだけど忘れてるのか?
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