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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈上〉:小さいころ夢に見た

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運命の日/Visitor Side - Part1


 長い長いトンネルを潜り抜けた。

 それは巨大にして長大にして遠大な、本棚のトンネル――ラケルの記憶で見た『因果図書館』。

 因果を逆に辿る、長い長い旅路。

《運命》に導かれるままそれを終えた俺たちは――


 空の真ん中に放り出された。


「……っ!?」


「ちょっ……!」


 ビュゴオオオッ、と風が耳元で唸る。

 自由落下はすでに始まっていた。何十メートルも下に緑生い茂る丘が見える。

 それを確認するなり、俺はラケルの身体を抱き寄せていた。


「んやっ……!?」


「捕まってろ!」


 ラケルをお姫様抱っこにして【巣立ちの透翼】を発動する。

 不意打ちに対して速やかに精霊術を発動する――子供の頃、昼となく夜となくラケルに叩き込まれたことだ。


 緑の丘にふわりと着地して、ふうと息をつく。

 なんだっていきなり上空に――ん?


「ラケル?」


 お姫様抱っこにしたラケルが、俺の首に腕を回したまま、なぜか黙りこくっていた。

 昔のことを思い出して、かすかに冷や汗が流れる。

 ラケルが怒るときは決まって、いつにも増して表情が読めなくなるのだ。


 思えば、この程度の事態、ラケルにだって簡単に対処できた。

 弟子の癖に余計なことをするなと怒られるのだろうか――

 と、思っていると、


「……ご、ごめんなさい……」


 ラケルはふっと目を逸らして、か細い声で呟いた。


「なんか、その……変な気持ちで」


「ん……?」


「弟子のあなたに、こうして守ってもらうっていうのが……」


 ちらりと上目遣いで俺を見て、


「は……恥ずかしくて、嬉しい」


「……そっか」


 かすかにはにかむその顔は、師匠としてのそれでもなく、幼馴染みとしてのそれでもなく――

 ああ、と少しだけ安堵する。

『可愛らしい』と、そう感じる機能は、まだ俺の中に生きている。


「それにしても、どうしていきなり空に放り出されたんだ?」


 俺はラケルを地面に下ろし、頭上を見上げる。

 青い空が、何にも遮られずに広がっている。

 ラケルも隣で同じように空を見上げて、


「たぶん……わたしたちが、高い場所にいたから?」


「あ。……そうか。ここは……」


 草の生い茂る小高い丘。

 覚えがある。

 ここは――俺が城を建てた場所だ。


「――って、いやいや、ちょっと待てよ? 俺たちはダイムクルドにいたんだぞ? 空を飛んで移動しているダイムクルドに」


 遡行前と同じ空間座標に飛んできたのだとしたら、どことも知れない空中に出るはず。

 しかし――俺は辺りに視線を巡らせる。

 緑の多い平野が彼方まで続き、地平線で途切れていた。

 ここは……俺の記憶にある通りの、浮遊する前のダイムクルドだ。


「わたしたちは因果を逆に辿ってきた」


 ラケルが言う。


「因果とは原因と結果の連なり。それを原因へ原因へと辿っていけば、自然、元のダイムクルドに戻ってくる――っていう、ことだと思う」


「……なるほど……」


 時間ではなく因果を遡行する――その違いが、まだいまいち実感できていない。


「ともあれ、好都合だな。いずれにせよ、目的は母さんだ――ダイムクルドには来る必要があった。あとは、今がいつなのかってことだが……」


 青い空に、疎らな白い雲。

 そして鋭く肌を刺す暑気。


「……暑いな」


「……夏……」


 具体的に、何年の夏に来たのかはわからない。

 でも、そうだ。

 俺たちが出会ったのは――再会したのは、こんな風に暑い夏だった。


「まずは、ここが何年の何日なのかを確認したいところだな……。もう記憶はおぼろげだが、前世で見たタイムトラベルものの映画なんかじゃ、新聞やニュースを見て今の時間を確認するってのが王道だよな。……って言っても、ダイムクルドには新聞もニュースもないんだが」


「人に聞けばいいんじゃない?」


「『すみません、今は何年何月の何日ですか』って? 怪しすぎるだろ」


「そう?」


 ことりと、ラケルは首を傾げた。


「今日が何年何月の何日かわからなくなるなんて、そんなの、よくあることだと思うけど」


「……はあ?」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「今日は精霊歴2954年、晩夏の月の13日ですよ」


 ラケルに日にちを尋ねられた宿屋の娘さんは、あっさりとそう答えた。

 怪しむでもなく、ちらりとラケルの長い耳を一瞥して、にっこりと笑顔で。


 俺は今更ながらに思い出す。

 エルフは長命ゆえに、時間感覚を喪失しやすいのだ。食事のし忘れが原因で餓死することもあるという。

 だから、日にちを尋ねるなんていかにも未来人っぽい行動を取っても、エルフならば怪しがられない――彼女たちにとって、今日が何日かわからなくなることは日常茶飯事だからである。

 特に宿屋の娘ともなれば慣れたものだろう。


 ラケルは宿屋の外で待っていた俺のところまで戻ってくる。


「聞いてた?」


「聞いてた」


「わたしは日にちを聞いても、いまいちピンと来なくて……少なくとも、わたしがジャックとフィルに拾われるより前だとは思うんだけど……」


「2日前だ」


 俺は断言した。


「俺がフィルと出会って、行き倒れたお前を拾う、2日前」


「……覚えてるの?」


「あとから逆算したんだ。……父さんと母さんの、命日だからな」


「……あ……」


 沙羅は自ら言った。

 父さんと母さんを殺し、哲学的ゾンビにしたのは、俺とフィルが出会ったその日だと。


 今から2日後――精霊歴2954年、晩夏の月、15日。


 その日に、父さんと母さんは、殺される。

 そして同時に、俺はフィルと出会い、ラケルとの世界を越えた再会を果たす……。

 俺に『運命の日』があるとしたら、この日以外には有り得ない。


「……ムカつくくらい正確じゃないか、アスモデウス」


《運命の相》を名乗るだけはあると言ったところか。


「……大丈夫?」


「大丈夫だ」


 気遣わしげに言うラケルに、俺は間髪入れずに答える。


 アスモデウスは言った――因果の部外者である俺たちは、目の前で起こることのすべてを見過ごすしかないのだと。

 あと2日。

 明後日に、もし父さんと母さんが殺される現場に居合わせることができたとしても――二人を救うことは決してできない。

 見殺しにするしかない。

 あの悪夢の5年間で、20人以上の命をそうしたように。


「タイムリミットは、2日だ」


 努めて平静になって、俺は宣言した。


「明後日までに、母さんから邪神についての情報を聞き出す。――時間がない。早速、行こう」


 まだ穏やかで幸せだった頃の、懐かしい我が家へ。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ひとまず活動拠点として宿に部屋を取った。

 着の身着のまま来てしまったので路銀が心許なかったが、ラケルは貴重品は肌身離さず持ち歩く主義らしい。


「あー。物を失くしやすかったもんな、前世の頃から」


「……もう。そんなのばっかり覚えてる」


 唇を尖らせるラケルを取りなしつつ、俺も身の回りのものをいくつか処分した。

 これでも一応は王だ――それだけで2日分の資金は充分に確保できた。

 まあ生憎と、部屋を二つ取るほどの余裕はなかったんだが。


「長くても二晩だ。同室で我慢してくれるか?」


「え、や、うん、もちろん! ジャックと一緒に寝たことなんて何度もあるし! そのたびにえろがきのセクハラにも耐えてきたし! だ、大丈夫……!」


 めちゃくちゃ昔の話だろ、それ。

 というか、セクハラなんてしてねえし……何回かしか。


 その他、人相を隠すためにフード付きの外套を用意した。

 俺が未来のジャックだということは、まあバレないとは思うが、ラケルのほうは見た目が変わってないからな。リーバー家の関係者に姿を見られるのは避けたほうがいい。

 森で行き倒れてたはずの人間が、別の場所でピンピンしてこそこそ何か探ってましたってんじゃ、変な勘繰りをされかねない――ひいては、未来が変わってしまう。

 もし未来を変えるような行動を取ってしまった場合、具体的にどういうことが起こるのかはまだわからないが、避けたほうがいいのは間違いないだろう。


 かくして準備を整え、俺たちは街外れの林道を歩いた。

 この先にリーバー家の屋敷がある――領主の屋敷には毎日いろんな人間が訪れるので、道は舗装されているかのように硬く踏み固められていた。

 しかし、俺の足取りはどこか重い。

 心のどこかで抵抗しているのか?

 あの日のリーバー邸に行くことを――まだ幸せでいられた自分を見ることを。


 そのとき、ぐっと、俺の手が握り締められた。

 隣を見ると、ラケルが横目にこっちを見て、ぐいと俺の手を引っ張った。


 ……俺はもう一人じゃない。

 俺の手を握り、引っ張ってくれる人がいる。

 ならば、戦えるはずだ。

 ずっと逃げてきた、ずっと目を逸らしてきた、俺に定められた運命に――


 バサバサバサッ、と横合いの木から鳥たちが飛び立った。

 その辺りでようやく、リーバー邸の正門が遠目に見えてくる。


「……さて、どうやって母さんに取り次いでもらおうか」


「考えてなかったの?」


「考えてはいたが、うまい理由が思いつかなかったんだ――まさか『あなたの息子のジャックです』って名乗るわけにもいかないしな」


「そんなの、そもそも信じてもらえな――」




「あなたたち、誰ですか?」




 不意に。

 背筋に、冷たい声がひやりと突きつけられた。


 俺もラケルも、歯車が掛け違ったかのように、ガキリと立ち止まる。

 この声は。

 ありとあらゆる感情を煮詰めて真っ黒にしたような、この声は。


 ぞわぞわと全身の毛が逆立つ。

 いるのか。

 すぐ後ろに……いるのか、お前が。

 急速に喉が渇きを訴え、息がうまくできなくなった。

 振り向きたくない。

 見たくない、その姿を。

 ……しかし、それでも……。

 俺たちは……振り向かざるを、得なかった。


 そこにいたのは、わずか7歳の、栗色の髪の少女――では、なかった。

 ワンピースの上に白いエプロンを着けた少女。

 それは、さっきラケルに日にちを教えてくれた、宿屋の娘だった。


 ……おい。まさか……この子も沙羅だって言うのか……!?


 少女は無言のまま、じろりと俺の顔を見る。

 そして、隣のラケルの顔を見る。


 直後、その瞳からすべての感情が消えた。


 化け物になった(・・・・・・・)

 見た目には何一つ変わっていないのに、そう確信できるだけの恐怖が、俺の身体を雁字搦めに縛り上げた。


 少女が、一歩踏み出す。

 言い知れようのないプレッシャーが、全身をゼリーのように覆う。

 次の瞬間。


 目眩のような感覚があり、世界のすべてが溶けた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 バサバサバサッ、と横合いの木から鳥たちが飛び立った。


「「!?」」


 俺とラケルはビクリと立ち止まり、反射的に辺りをきょろきょろ見回す。

 リーバー邸の正門が遠目に見える。

 後ろを振り返るが――誰もいない。


「な……何が起こったの……!?」


「さっきの、鳥……」


 覚えがある。

 ほんの10秒ほど前にも一度、横合いの木から鳥が飛んでいったような。


「……時間が……戻った?」


「タイムリープとも違う感覚……無理やり過去に引き戻されたような。これって、もしかして……!」


「タイムパラドックスを起こしたのか……!?」


 すでに決まった因果を変えることはできない、とアスモデウスには散々脅された。

 もし未来を変えるようなことをしてしまった場合、どういうことが起こるかは聞かされていなかったが――もしかして、これが?

 だとしたら……!


「――ラケル! 俺たちの姿を隠してくれ!」


「うっ、うん……!」


【一重の贋界】によって周囲の風景に溶け込み、林の中に身を隠した。

 しばらく、息を潜めて待つ。

 すると――ある人物が、街の方角からやってくる。

 地味なワンピースに白いエプロンの少女。

 さっき、明らかに沙羅の気配を纏っていた人物。


 彼女は隠れた俺たちの前で立ち止まると、周囲をきょろきょろと見回した。

 どうやら、俺たちを探しているらしい。

 てっきり沙羅本人かと思ったが……落ち着いてその姿を見ているうちに、もうひとつの可能性を思い出した。


「(……知ってるよな、ラケル。7年前、このダイムクルドがどうなったか)」


「(……うん)」


 7年前。つまりフィルが死んだとき、ダイムクルドは人口が激減した。

 言うまでもなく、そのすべてが〈ビフロンス〉の精霊術で操られた死体だったからだ。


「(この頃から、この領地はフィルの――いや、沙羅の目と耳が張り巡らせてあったんだ……。哲学的ゾンビ――生きているようにしか見えない死体による、看破不可能の監視網が……)」


「(それに見つかると、回避できるところまで時間が戻る……? 因果の絶対性に抵触して?)」


「(きっと、俺とお前が一緒にいるのを見られるのがマズいんだ。未来から来た俺の隣に、お前という女性がいることが知れれば――)」


「(そう、か。沙羅ちゃんは何をしてでも、わたしを殺そうとするはず……。因果が大きく変わることになる……)」


 ルールがわかってきたな。

 俺たちの存在がこの時代にいる沙羅に知れると、タイムパラドックスが起こってしまう。

 そしてタイムパラドックスが起きると、俺たちはそれを回避できる時点まで戻される……。


 ん? いや、待てよ……?

 俺は大して顔を隠していない。であれば、もっと早くに俺たちの存在に気付かれてもおかしくなかったんじゃないのか?

 それこそ、二人で一つの部屋を取ったときなんかに。


「(……あいつ……俺が俺だって、わからなかったのか……?)」


 顔や名前や身分が変わった程度でわからなくなるはずがない、と豪語したあいつが……?


 しばらく無言で考察していると、ガサガサ、と林の茂みがかすかに揺れた。

 風か、それとも動物か――暢気に考えた俺だったが、哲学的ゾンビと思しき少女の反応は劇的だった。


 弾かれたようにして、街の方向へと駆け戻ろうとしたのだ。


 ろうとした、と言ったのは、次に起こったことが、それを許さなかったからだった。

 茂みの中から小さな影が無数に飛び出して、少女の身体に殺到したのだ。


「「……!?」」


 少女に群がったものを見て、俺たちは息を飲んだ。

 それらは……一見して、ガラクタだった。

 薄汚れた食器、穴の空いた桶、刃の欠けた斧、古ぼけた杖――

 ゴミ捨て場にあっても違和感のないようなガラクタが、まるで生きているかのように、自ら動いているのだ。


 ゴキッ、と音がした。

 少女の脚が、有り得ない方向に曲がっていた。

 逃げられないようにしたのだ。

 そう理解した直後から――惨殺が始まった。


 ――――ゴキメキャギュチュチャリャキカグルルゴゴグッ――――!!


 瞬く間だった。

 無数のピラニアに集られたかのように、少女はほんの数秒で人の形を失った。

 人を一人、一瞬で肉塊に変えてみせたガラクタたちは、その屍をずり、ずり、と林の中に引きずり込んでいく。

 地面に残った血痕は、傷付いた水瓶が洗い流し、毛の短い箒が土を掛けて、速やかに隠蔽された。


 あとには、何も残らない。

 ここに一人の少女がいたという事実自体が、なかったことになったかのように。


 ガラクタたちの気配が林の奥に消えてから、俺たちはようやく【一重の贋界】を解いた。


「……なんだったんだ、今のは……?」


 理解が追いつかない。

 俺たちは一体、何を見たんだ?


「明らかに、何かの精霊術だった――ラケル、何の術かわかるか?」


「……いえ。見たことない、あんなの――ただ操るだけならともかく、無機物があんな風に、生きているみたいに……」


 ほとんどの精霊術を使用できるラケルでさえ実態を掴めない、謎の力。

 ……ここは本当に、ダイムクルドなのか?

 異世界に迷い込んだような感覚だった。この世界に転生してきたときよりも、得体の知れなさでは遙かに上だった。


 我流で精霊術の訓練を積み、幾人もの家庭教師に匙を投げられ。

 俺がそうして安穏と暮らしている間に――このダイムクルドで、一体何が起こっていたんだ?


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― 新着の感想 ―
↓のあたり、沙羅ちゃんの恋は思いの強さはあってもやっぱり運命じゃないみたいだね。やはり記憶を失った状態でも同じ人に恋をしたあざりちゃんの方が本物なんだろうか。。 >顔や名前や身分が変わった程度でわか…
コウスケさんの[一言] >> お母さんのとこに来てた「お客さん」はこの2人だったのか なる程です!
[一言] お母さんのとこに来てた「お客さん」はこの2人だったのか
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