選ばれしクラスメイト
妹が小学校に入学したとき、彼女はいやにテンションが高かった。
『お~、かわゆいのう、かわゆいのう』
『あ、あぅ……。や、やめて、××お姉ちゃん……』
『よいではないかよいではないか』
今日は時代劇か、もしくはそのパロディをしたバラエティ番組に影響を受けているらしい。
赤いランドセルを背負った妹に、彼女はべたべたとくっついていた。
『お、お兄ちゃん、助けて~』
……仕方ないな。
妹が半ベソをかいて助けを求めるので、俺は苦笑しながら彼女を羽交い締めにする。
『むむっ! 何をする! 曲者だ、出会え出会えー!』
曲者はお前だ。
一体全体、今日はどうしたんだこいつ。
テンションが高いのはいつものことだが、今日はカクベツだ。
『だって、×ーくん』
彼女は羽交い締めにされたまま、俺の顔を見上げて笑った。
『楽しみじゃない! これからわたしたち3人で、この学校をセイバイしてやるんだよ!』
……成敗してどうする。
でも、言おうとしていることは伝わった。
今日は俺たち3人が、学校という新たな場所を手に入れた記念すべき日なのだ。
『ほらほら、××ちゃんも泣いてないで。今日から大好きなお兄ちゃんといっしょに学校行けるんだよ?』
『ぅ……お兄ちゃんと、いっしょに……』
……俺としては、妹には俺たちにばっかりくっついてないで、ちゃんと友達を作ってほしいんだが……。
そんな嬉しそうな目をされたら、兄としては邪険にできない。
『今日からは学校でもいっしょだな、××』
『……うんっ!』
『でも、俺たち以外にもちゃんと友達を作るんだぞ?』
『……ぅぅ……』
妹は不安そうに俯いてしまう。
……うーん……。
『××。新しい友達を作るのは、怖いか?』
『……ぅん……』
『どうしてだ?』
『……つまんないって、思われるかも……。暗い子って、思われるかも……。何をすればいいのか……どうすればいいのか……わたし、わかんない……』
……自信がないんだな、自分に。
自分がやることなすこと、何もかも間違っているように思えて、何もできないんだ。
『××。だったら、自分を許してあげるんだ』
『……ゆるす……?』
『「いいよ」って。「大丈夫だよ」って。誰かに話しかけるときとか、何かやろうとするたびに、そうやって自分を許してあげればいい。初めは難しいかもしれないけど、続ければそのうち、何でもできるようになるよ』
『……なんでも……?』
『ああ。大丈夫だ』
その言葉に安心したのか、妹の表情は徐々に明るくなっていった。
『……わかった……。わたし、がんばってみるね、お兄ちゃん……!』
それは、擦り切れた記憶の断片。
まだ俺が『お兄ちゃん』と呼ばれていた、9歳の春のこと。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「お・き・ろ~~~~~~~っっ!!!」
そんな声が聞こえた瞬間、俺は精霊術を発動した。
全力のボディプレスをかましてきたフィルが、ふわっと羽のような軽さで俺の腹の上にのっかる。
「あう~。バレた~」
「そりゃバレるだろお前、あんな大声で宣言されたら。お前とラケルの寝起きドッキリを今までどれだけ受けてきたと思ってるんだ」
不意打ち対処訓練とは言うものの、あれは絶対遊んでただけだ。間違いない。
フィルは重さを消されるのも慣れたもので、腹のほうから俺の身体をよじ登ってくると、首を伸ばしてチュッと軽く、俺の唇に自分のそれを触れさせた。
「おはよ、じーくん」
「……おはよう」
う~ん……。
これからこの生活が毎日続くのか……。
俺、すげえ馬鹿になったりしないかな? 大丈夫?
俺はフィルの身体を持ち上げながら身を起こし、ベッドを降りた。
昨日までとは違う部屋。
精霊術学院の学生寮だった。
学院生は全員寮に入ることになっているが、一人部屋にするか相部屋にするかは選べる上に、誰と相部屋するかも自由だ。
そんなわけで、俺は当たり前のように、フィルと同じ部屋で暮らすことになったのだった。
フィル曰く「ふーふなのでトーゼンです!」。
俺としては、まさかこの歳にして女の子と同棲することになろうとは、という感じ。
父親であるポスフォード氏も、「ジャック君が一緒なら安心ですな! ほっほっほ!」とあっさりOKした。
相部屋なので当然、二段ベッドがあるのだが、もう言うまでもなく、昨夜、フィルは俺のベッドに潜り込んで眠っていた。
「朝飯は食堂だっけ? その前に支度するぞ。ほらフィル、制服出して、服脱いで」
「やーん、えっちー!」
くねくねと恥ずかしがる振りをするフィルを着替えさせてから、俺も支給された学院の制服に着替える。
この制服は戦闘にも耐えるように作られていて、丈夫な上に動きやすい。
製作の際はドキュメント番組が一本作れるくらいの悪戦苦闘があったんだろうなあ、と容易に想像できてしまうくらいの、超高性能制服だった。
着替えを終えると、いざ朝飯。
そのまま校舎に行くつもりなので、鞄も持つ。
「よし、出発」
「しゅっぱーつ!!」
と、2人して元気よく、部屋の扉を開けて、初登校の第一歩を踏み出した。
瞬間。
隣の部屋の扉が開く。
「ん?」
「あ」
「あら?」
学院の制服を身に纏った、赤い髪の女の子。
アゼレア・オースティンが、隣の部屋から出てきたのだった。
「おう、おはよう。隣だったんだな」
「ふしゃーッ」
知らない顔じゃなかったので挨拶したら、フィルのほうが威嚇し始めた。どうどう。
幸い、アゼレアにそれを気にした様子はない。
ただ頻りに、2人で部屋から出てきた俺とフィルの間で視線を往復させていた。
「え? え? ……ど、どうして同じ部屋から……? あ、もしかして、どちらかがどちらかを起こしに来たとか!?」
「は? ……いや、昨日から一緒だけど」
「……昨日から?」
「わたしとじーくんは一緒に寝るくらい仲良しなんだよー!」
ふふーん、とフィルが得意げに宣言すると、アゼレアの顔が見る見る髪と同じ色になっていった。
「は、……ハレンチ! ハレンチだわ――――っっっ!!!!」
そう叫ぶなり、彼女は廊下の彼方へと走り去っていく。
「勝った!」
フィルがなぜか胸を張って勝ち誇った。
アゼレア、あいつ……やっぱり結構耳年増だな。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
校舎の前でフィルと別れると、俺は配布資料を頼りに自分の教室を目指した。
えーと……3階の一番奥だな。
1階と2階は多くの学生で賑わっていた。
たぶん、他のクラスの同期生たちだと思う。
俺の顔を覚えている奴もいるようで、どうも視線が集まっている気がした。
……天才王子のインパクトで、俺のことなんかさっぱり忘れられてるもんだと思ってたんだけどな。
3階に上がると、急にひと気が少なくなった。
どうやら使われている教室が少ないようだ。
戦闘科Sクラスは基本的に存在すらしないクラスだから、余った空き教室を割り当てたってわけか……。
教室はすぐに見つかる。
俺は特に気負いなく扉を開けた。
室内にいた3人の視線が、扉を開けた俺に集まる。
……なるほどね。
これがクラスメイト。
数年に一度しか存在しない超エリートクラス、戦闘科Sクラスに選ばれた神童たちってわけだ。
顔ぶれは大体、予想通りだな。
その中に特に見知った顔を見つけて話しかける。
「よう。さっきはどうも」
「……ふんっ」
アゼレア・オースティンは、赤い髪を翻してそっぽを向いた。
「なんだよ……。俺が何かしたか?」
「その歳で女性と褥を伴にするハレンチな男とは話すことなど何もないわ」
「女性って……フィルは妹弟子だぞ? そんなに過敏になるなよ、男女で相部屋になってるくらいで。むしろ妙な邪推をしまくってるお前の頭の中のほうがずっとハレンチなことに――」
「なっ! 何を言うのっ!! こここここここの私がそそそそそそそそんなハレンチチチチチチチなことなんててててててててて」
声震えすぎだろ。どんだけ隠し事苦手だ。
「へえ~。あんた、女と相部屋してんの? やるね~」
アゼレアが音飛びしている間に、他のクラスメイトが話しかけてきた。
大きめのベレー帽を被った小柄な女子だ。
支給されたばかりの制服を早くも着崩している。
学校が着せてくる服なんか絶対まともに着てやりませんという意思が全身から迸っていた。
反逆的な女子は、赤い瞳に興味の光を宿らせて俺を見上げてくる。
「男女2人でつるんでる子供の精霊術師……。試験のときも思ったけど、やっぱりあんたがあれなんだろ? 『真紅の猫』をぶちのめしたっつー2人組の子供」
俺は肩を竦めた。
「噂には尾ひれがつきまくってるけどな」
「へえ。なら本当のところを詳しく聞きたいね」
「タチの悪い奴らに捕まって必死こいてたらなんか何とかなったってだけの話だよ」
「ふう~ん……」
珍しいものを見るような目でじろじろと見つめてくる。
なんだ。一目惚れか?
しばらく観察されていると、女子が「あ」と思い出したように言った。
「あんた、そういやまだ名前聞いてなかったな」
「ああ、ジャック・リーバーだ。そっちは、確か……」
「ルビー・バーグソンだよ。ルビーでいい」
「高価そうな名前だな」
「だろ? よく言われたよ。そんな高そうなものを持ってるのに盗まれる心配がないなんて羨ましいってね。
ま、惜しむらくはあたしの名前なんて誰も買っちゃくれないってことなんだけど。どうだい、あんた? 今ならお安くしとくぜ?」
「下の名前だったらちょっと考えたかもな。よく見れば美少女だ」
「ひゅう。言うねえ。でもお生憎様、そっちはくれてやれないんだ。ジジイ――あたしの師匠からもらった名前だからさ。他を当たりなよ」
師匠――『屑拾いのバーグソン』か。
スラムから才能を見込んだ子供を拾ってきては、自分の家名を与えて育てるという……。
彼女――ルビーもまた、スラム出身の子供なんだろう。
「ふ――不潔!」
あ。
アゼレアが再起動した。
「フィリーネさんという人がいるにも拘らず、初対面の女性を口説くだなんて……! 不誠実よっ!」
「いやいや、ジョークだから。冗談だって」
「単なるコミュニケーションじゃん。マジになんなってお嬢様~」
からかうようにルビーが言うと、アゼレアはまたカーッと顔を赤くした。
「ルビー・バーグソン! そもそも何なのその服の着方は! もっとちゃんとしなさい! ちゃんと!」
「これが楽なんだよ。それに、制服を着ろとは言われたけど、きちんと着ろとは誰にも言われてないぜ?」
「そ、そんなヘリクツを……!」
「ヘリクツもリクツですぅ~」
ダメだ、相手になってない。
口先じゃ完全にルビーのほうが上手みたいだな。
「ぐぬぬ……」となっているアゼレアをルビーがおちょくっていると、第三の声が不意に割り込んできた。
「……騒がしい。少しは大人しくしたらどうだ」
歳にしては明らかに低いその声に、俺たちは振り返る。
教室にいた最後の一人――
とても同じ年頃とは思えない巨大な体格を持つ少年だった。
「ああん?」
口を挟んだのが彼とわかると、ルビーがあからさまに不機嫌になった。
彼女はズンズンと大柄な男子に近付いて、間近からその顔を睨みつける。
というか、ガンをつける。
「あたしが何してようがあたしの勝手だろーが。それとも? 今日初めて会った人間に命令できるほど? 偉いんですかねえ? 騎士様ってのは? ええ?」
うわあ……ヤンキーだ……。
あまりにも見事なルビーのヤンキーぶりに対し、大柄な男子は、
「少なくとも、スラム出身の貴様よりはな」
うわあ……貴族だ……。
一応は同じ貴族である俺ですら偉そうに聞こえるほどの、それは見事な貴族っぷりだった。
あの大柄な少年は、試験のときに見て覚えている。
ガウェイン・マクドネル。
漏れ聞こえた噂を聞く限りじゃ、歴史ある騎士の家系の出で、精霊術の師匠もたいそう名のある人物のようだ。
まあそりゃあ、ルビーと折り合いが悪くもなろうというものだ。
「へええ? お偉いんですねええ? 昔、騎士様から財布をスってやったとき、中身すっからかんだったんですけどねえええ? カネがなくても偉そうにできるんですねえ、騎士様ってさあああ!」
「ふん。下賤めが。犯罪行為を偉そうに吹聴するな。それに、騎士の誇りがカネでは買えんのは当たり前のことだ」
「ふうーん? ホコリ? それって部屋の隅っこによく溜まってるやつのことですかあ?」
「……これはオレの失態だな。スラムの落伍者などに、我々騎士の高尚な理想を理解させようとしたのが間違いだった」
「あ、あの……2人とも、その辺にしたらどうかしら……」
アゼレアが割って入ろうとするも、ルビーとガウェインの目には入っちゃいなかった。
喧々諤々と言い合いを続ける2人の間で、おろおろとするばかりのお嬢様が1人。
アゼレア……お前、いい奴だなあ……。
本人の知らないところで、俺のアゼレア評価が上がっていくのだった。
「これで全員……なわけないよな」
教室に集った4人を見て、俺は一人ごちる。
この戦闘科Sクラスは、実力テストで特に優秀な成績を残した新入生が集まるクラス。
であれば、あいつがここにいないはずがない。
「おはよう」
その一言で、ルビーとガウェインが言い合いをやめた。
清涼な風を思わせる、透き通った声――
俺が開けっ放しにしていた扉を抜けて、金髪の少年が教室に入ってくる。
当然だ……こいつがこのクラスにいないわけがない。
誰もが認める、全新入生のトップ・オブ・トップ。
天才王子。
エルヴィス=クンツ・ウィンザー。
俺たちの間に緊張が走った。
天才王子の戦いぶりは、きっとこの場の誰もが目撃している。
そして、誰もが認めているはずだ。
認めざるを得ないはずだ。
今この場で、今この時点で。
最強なのは、自分ではなくこいつだと。
入学直後からいきなりそびえ立った、巨大な壁。
それを目の前にして、俺たちは全員、他の人間の出方を見た……。
少しの間、沈黙が漂ったあと。
最初に動いたのは、ガウェインの巨体だった。
彼は金髪の王子の前まで歩くと――
その場に膝を突き、頭を垂れる。
「マクドネル家嫡男、ガウェイン・マクドネルと申します。お目にかかれて光栄の至りです、エルヴィス殿下」
騎士の家系だという実家で叩き込まれたのか、その歳にして見事な臣下の礼。
対して王子も極めて王族らしく――
「い、いやいやいや、いいっていいってそんなの! 顔上げてよ、お願いだから!」
――極めて王族らしくなく、恐縮しまくってガウェインの顔を上げさせたのだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「正直なところ、困惑してるんだよ。『天才王子』なんてあだ名には。いったい誰が広めたんだか……」
天才王子ことエルヴィスは、弱りきった表情で溜め息をついた。
「だから、できたらでいいんだけど、ここではぼくのことは王子扱いしないでくれないかな。ぼくたちはこれから机を並べて学ぶ、ただのクラスメイトなんだからさ」
「おう! よろしくな、王子!」
恐れを知らぬ女ルビーが真っ先に、気安くエルヴィスの肩を叩いた。
マジかコイツ、という顔をした俺とアゼレアとガウェインだったが、当の王子様が不敬の塊みたいなルビーの態度にもフレンドリーに接するのを見て、「いいの……かな?」という空気になっていく。
「ええと……エルヴィス……様?」
常識をわきまえている貴族の子供三人衆を代表して俺が口火を切ると、エルヴィスは慌てたように手をぱたぱたと振った。
「いいよ様付けなんて! 同じくらいの歳なのにおかしいでしょ? 呼び捨てでいいよ」
王子を呼び捨てって。
なんてハードル高いこと言うんだコイツ。
少年マンガの主人公じゃねえんだからそんなクソ生意気なことそうそうできねえよ。
でも王子の意向を無理に無視するってのもな……。
「……じゃあ、エルヴィス、って呼ばせてもらうけど」
「うん。いいよ、それで。他のみんなも好きに呼んでくれていいから」
「おう、王子! 昼にパン買ってきてくんない?」
ルビーはもう少し恐縮しろ。
俺たちは幾分か緊張を和らげて、エルヴィスと自己紹介を交わした。
アゼレアは恐縮しつつも「エルヴィスさん」という呼び方を選び、一方でガウェインは「殿下」という呼び方と敬語を貫く。
騎士の家系である彼には、どうしても守るべき分別というものがあるのだろう。
エルヴィスのほうも、彼の立場と考えに理解を示して折れたのだった。
エルヴィスは教室に集まった一同を見回して言う。
「ぼくが最後だったみたいだね」
「……? なんでわかるんだ? 6人目が来るかもしれないだろ」
「試験を見た限り、Sクラスに入れる実力があったのは君たち4人だけだよ」
適当に言っている感じではなかった。
彼は確たる自信をもって、そう断言したのだ。
……思ったよりずいぶんと腰が低くて毒気を抜かれたが。
こいつはやっぱり――
「おはよう!!!」
ピシャーン! と扉が開いて、見覚えのない人物が現れた。
「お、おはようございます」と、アゼレアだけが反射的に挨拶を返す。
俺たちより少し年上……せいぜい12歳くらいの女の子だ。
銀色の髪の毛が足下まで伸びているのが特徴的だった。
……5人で全員なんじゃなかったのか?
俺たちの視線を一身に集めながら、銀髪の少女がずんずん教室に入ってくると、その後ろにさらに2人の人間が続いた。
一人は総白髪の紳士だ。
60は超えていると思う。
付き従うようにして銀髪の少女の後ろを歩くその姿は、お嬢様とベテラン執事といった風情だった。
そして、老人のさらに後ろに続くもう一人。
知っている人間だった。
っていうか、ラケルだった。
ラケルはちらりと俺を見たが、無言のまま教室に入り、扉を閉める。
先頭を歩く少女は、まっすぐに教室の前方へ――
つまり教壇に上がり、そして、教卓の陰に姿を消した。
「ん!」
と教卓から声が聞こえると、老紳士が踏み台を持ってきて、教卓の向こうに置く。
銀髪の少女の顔が、教卓の向こうからひょっこりと出てきた。
「おいこら、どうした! さっさと座るのじゃガキども!」
甲高い声で少女が言うが、俺たちはすぐには動けなかった。
「なんだこいつ?」
俺が言うのを我慢していたことを、ルビーがあっさりと口にする。
それに反応を示したのは、銀髪の少女ではなくアゼレアだった。
「ちょっと! もしかしてこの方を知らないの!?」
「はあ? いや、知らねーよ」
「トゥーラ・クリーズ永世霊王……」
言ったのはエルヴィスだった。
「精霊術師界最高の称号である『霊王』の座を30年間も防衛し続けている、現役最強の精霊術師――この学院の学院長だよ」
は?
現役最強の精霊術師?
この学院の学院長だって?
「はあ? 30年? 嘘こけ、どう見ても12歳かそこらだろーが」
ルビーが不躾に指差すと、銀髪の少女――トゥーラ・クリーズは「ひひひ」と嬉しそうに笑った。
「12歳じゃって! 歳より若く見られるというのは、いくつになっても嬉しいもんじゃのう、クライヴ!」
「トゥーラ。喜ぶ君は実に可愛らしいが、残念ながら、若く見られているのではなく幼く見られているのだよ」
「なにい? 儂は侮られておるのか!」
「然り」
クライヴと呼ばれた老紳士と言葉を交わすと、トゥーラ・クリーズはバンバンと教卓を叩いた。
「おい生徒ども! 儂はおぬしらより400は年上じゃぞ! 細かくは忘れてしもうたけどな! ともあれ年上には敬意を払え! 400歳分払え!」
400は年上だって……?
それが事実だとすれば、つまり――
「……エルフ……?」
「ハーフじゃけどな。小人族との。おかげでこんなちっこいまんまで成長が止まってしもうたわ」
なるほど。
それでラケルとも歳が違って見えるのか。
よく見れば、耳も普通の人間より少し長い。
「ふうん。そんな偉い人がなんでここにいんの?」
「さっきから不躾じゃなおぬし! えーと……名前は……あれじゃ、えーっと……」
「ルビー・バーグソンさんだよ、トゥーラ」
「ああ、それじゃ! ルビー・バーグソン! 儂はな、今日からおぬしたちの担任なんじゃ。ありがたく思え!」
「えっ……!? 大師祖さまが自ら担任を!?」
アゼレアが目を剥いて驚いた。
そこにルビーが興味なさげに、
「なんだよ、ダイシソさまって。でっかい葉っぱ?」
「る、ルビーさん! あなた本当に不勉強ね! 大師祖さまはこの学院の学院長を50年以上も勤め上げていて、私たちの師匠の師匠の師匠くらいまで遡れば必ず行き当たるような、大大大大師匠なのよ!? すべての精霊術師が仰ぎ見るべき存在なの!」
「ふーん」
「ふーん!?」
ふーん。それで『大師祖』か……。
そういえばラケルの師匠の話は聞いたことないけど、俺たちもこの銀髪少女の系譜に連なるのかな?
「とにかく!」
アゼレアがルビーの相手をやめて、キラキラした目で学院長を見た。
「大師祖さまに直接ご鞭撻を賜れるなんて……こんな幸運ってあるのかしら……!? 子々孫々に渡って自慢しなきゃ!」
アゼレアの反応に気を良くしたのか、ロリババア大師祖は「うむうむ」と頷いた。
「なかなか面白そ……ではなく、有望そうな連中が入ってきおったなと思うてな。ちょっと相手をしてやることにしたのじゃ。
まあ儂は他の仕事もあって多忙じゃから、補佐として副担任もつける。ほれ、ラケル」
入口の傍で控えていたラケルが呼び出され、教壇の上に立った。
「副担任の、ラケルです。よろしく」
愛想もクソもないな。
俺は苦笑いする。
案の定、他の4人はいまいちピンと来ていなかった。
「……あら? ラケルって、確か……」
アゼレアが俺の顔を見た。
「ジャック・リーバー……あなたのお師匠さまの名前も、そうだったわよね?」
俺は無言で頷いて、前のラケルを指差した。
アゼレアは「えっ?」と声を漏らして、ラケルに視線を戻す。
当のラケルが俺をちらりと見やって、
「……そこのジャック・リーバーは、わたしの不肖の弟子」
「不肖のとか言うな」
何を恥ずかしがってんだよ。
ルビーが頭の後ろで手を組んで、
「へー? 生徒の師匠が学院の教師になるなんてことあんの?」
「スカウトされたんだ。俺たちと一緒に」
端的に説明すると、「へえ?」と今度はエルヴィスが興味を示した。
「エルフの方なんだね。きみの師匠は」
「ああ」
ハーフだという学院長よりは、ラケルはわかりやすく耳が長い。
エルフであることは一目でわかるだろう。
「エルフ族から教えを……なるほど、それで……」
アゼレアが一人、何事か納得したように小さく呟いていた。
「教師陣の紹介はこんなところでいいじゃろう。ほれ、おぬしら。そろそろ席に着け」
全員、なんとなく立ちっ放しだった。
無駄に足を疲れさせる理由もないので、5人とも用意された席に着く。
教卓から顔だけを出した銀髪の大師祖が、慣れた調子で口火を切った。
「本格的な授業は明日からじゃ。今日はいわゆるオリエンテーリングというやつじゃな。各自、知ってはおるだろうが、改めてこの学院のシステムについて説明する。――そう」
にやり、と。
見た目12歳の最強精霊術師は、意地の悪い笑みを浮かべた。
「授業よりも遥かに大きなウエイトを占める、『級位戦』システムについてな!」




