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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈上〉:小さいころ夢に見た

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第81話 蝉の声が聞こえる - Part1


 謁見の間は、寒々しい空気とうら寂しい薄闇に満ちていた。

 踏み出したわたしの足が、コツン――、と硬い靴音を反響させる。


 扉から射し込む光を背負い、わたしは最奥に鎮座する玉座に正対した。

 長く背もたれを伸ばした豪奢なそれには、しかし一人の少年が腰掛けている。

 気だるそうに頬杖を突き、何の感情も映さない空っぽな瞳で、無言のままにわたしを眺めている。


 いつだってそうだ。

 何度、どういう状況で再会しても、あなたは『久しぶり』とは言ってくれない。

 数年振りにわたしに出会えたことを喜んではくれない。

 淡々と、義務的な言葉だけを連ね。

 決して、心のうちを明かそうとはせず。

 だから結局、互いの命をギリギリまで削り合って――

 ――そこまでしてようやく、心の端っこを垣間見せてくれる。


 それはきっと、彼が孤独だから。

 自分を理解できる人間などいないと思い込んでいるからだ。


 ……わたしは、ある意味では幸福だったのだろう。

 記憶を奪われたがゆえに、一切の常識が通用しない異世界に放り出される寂しさを味わうことがなかったのだから。


 一方で、彼はずっと戦ってきた。

 彼以外の誰にも、存在さえ理解できない相手と……ずっと、ずっと、ずっと、一人きりで戦ってきた。

 だから、決まり切っている。

 わたしが真っ先に口にするべき言葉は……決まり切っている。


「――きーくん」


 たった一言で、充分だった。

 夢の中にいるように茫洋としていたジャックの瞳が、揺らめいた。


「きーくん……久しぶり」


 前世(かつて)のように、微笑んで。

 わたしは、数百年ぶりに会う幼馴染みに、話しかける。


 ジャック(きーくん)の目が徐々に見開き、眉根に深いしわを寄せた。

 苦しそうに。

 つらそうに。

 虚無の瞳の中で、あの子に削り取られた記憶を、蘇らせようとする。


「――覚えてる? 蝉の声がさ、うるさかったよね」


 かつての口調で、もう遠い遠い昔の話をした。


「お父さんやお母さんたちが話し込んじゃって、わたしたちは退屈で。……わたしは、引っ越したばかりで、友達ができるか不安で。だから、あなたたちを見つけたとき、すっごく嬉しかった。絶対に友達になるんだって、そう思った。……不思議だよね。初対面だったのに」


「……う……」


 きーくんが呻き、額を押さえる。


「覚えてる? 雪ダルマ作りで競争したときのこと。わたしが沙羅ちゃんを味方にして、2対1で競争して……。あのとき、きーくん、平気な顔してたけど、実は結構拗ねてたでしょ?」


「……う、うう……っ!」


 表情が歪む。

 頭を抱える。


 あの子は、きーくんはわたしのことなんて忘れてしまった、と嘯いた。

 だけど、忘れてなんかいない。

 忘れられてなんかいない。

 わたしたちが大切に積み上げてきた思い出は、あなたの下品な暴力では、決して奪えない。


「覚えてる? 高校の卒業式の日。夕方の、教室だったよね。……わたしが、きーくんに、告白したの」


 虚無に沈んだ瞳に、あの日の夕焼けが映った。


「ねえ、覚えてる?」


 窓から横ざまに射し込む夕日。

 風にはためくカーテン。

 黒板にでかでかと書かれた『卒業おめでとう』の文字。


「わたしは……やっと、思い出せたよ、きーくん」


 記憶を失い、200年近くの時を生き、それを何度も繰り返して。

 ようやく、わたしはわたしの恋を取り戻した。

 だから――

 ――今度は、あなたが取り戻す番。


 ゆっくりと、顔が上がる。

 茫洋だった瞳が、焦点を結ぶ。

 その真ん中には、わたしの姿があって。

 けれど――青い髪のエルフとはまた別の姿が、瞳の中に映る。




「…………あ、ざ、り…………?」




 ああ……やっぱり、覚えていてくれた。

 どんなに傷付けられても。

 どんなに削り落とされても。

 わたしとの思い出だけは――覚えていてくれた。


 わたしだよ、きーくん。

 薬守亜沙李。あなたの幼馴染み。

 だから安心していいの。


 もう、あなたは、独りぼっちじゃない――――






「――――違う」






 ……え?


「違う、違う、違う……っ!!」


 何かを追い払うように激しく頭を振り、ジャックは歪んだ目つきでわたしを睨みつけた。

 その瞳に、もう虚無はない。

 けれど、安心があるわけでも懐かしさがあるわけでもない。


「騙されるものか。騙されるものか。騙されるものか! お前が亜沙李だって!? お前も転生してきたとでも言うつもりかッ! 設定が雑なんだよ……っ! そんな都合のいいこと、よりによってこの俺にあるはずがないッ!!」


 床を蹴りつけながら立ち上がったジャックの瞳には、様々な敵意が渦巻いていた。

 疑心。

 警戒。

 不信。

 その瞳の中心に映るのは、青い髪のエルフでもなければ、前世の幼馴染みでもなく。


 ……結城、沙羅……!


「ち、ちがっ……きーくんっ、違うっ!」


 わたしは必死に声を張り上げて、自分の存在を主張した。


「わたしは、わたし! 本物の――」


「正体を現したな……! 今回はラケルか!! お前はっ、お前は、どこまで、俺から……!!」


「お願い、話を聞いて……! わたしは本当に薬守亜沙李なの! あなたの幼馴染みで、彼女だった! ずっと記憶を失って――」


「これ以上、下手な芝居に付き合うつもりはない」


 ジャックの表情から、すっと熱が失われる。

 まるで、世界との間に壁を張ったかのように。

 けれど、その瞳には燃えるような殺意が漲っている。

 憎しみが、呪いが、ぐつぐつと煮えたぎっている。


 ガゴン、と重々しい金属音が頭上から聞こえた。

 わたしはそれを見上げ、息を呑む。

 天井に、トゲだらけのアギトが開いていた。

 それはアイアンメイデン――ジャックの疑心を呑み込み、噛み砕くための口!


「師匠を――【神意の接収】をお前に使われるのは面倒だ。さっさと次に転生させてやる」


 ……心のどこかで、わかっていた。

 彼の救いになれたのは、フィリーネ・ポスフォードただ一人。

 彼女は亜沙李(わたし)の代わりなんかじゃなかったし、ラケル(わたし)は彼女の代わりにはなれない。

 かけがえのないそれを奪われた彼に、もはや言葉など届かないのだと。


 だけど。

 それでも。


「……わたしは、あなたを幸せにするって、決めたの」


 前を見る。


「あなたと一緒に幸せになるって、決めたの」


 胸を張る。


「だから――何度、何度、何度、フラれたところで!」


 ジャックを見据え、宣誓する!


「諦めたりしないの! あなたを口説き落とす、そのときまでっ!!」


 わたしの背後に、〈忠実なる影法師のシャックス〉が揺らめき立った。

 白と黒の美しい翼を持つその姿は、コウノトリのそれ。

 そして、コウノトリにはこんな伝承がある。


 ――コウノトリの住み着いた家には、幸福が訪れる。


「…………全員、あいつに決まってる…………」


 どことも知れない虚空を見つめながら、ジャックはぶつぶつと呟いた。

 その背後に、極彩色の翼が広がる。

〈尊き別離のアンドレアルフス〉。

 司りし概念は、『自由』――


「俺みたいなのに言い寄る奴はみんなあいつだ……あいつみたいな頭のおかしい奴くらいしか俺のことなんか好きにならない……。あいつだ、あいつだ、あいつだ、みんなみんなみんなみんなみんな…………っ!!!」


 次の瞬間から起こったことに、わたしは絶句した。

 ジャックの背後に立った〈アンドレアルフス〉の化身が――変質していく。


 鮮やかな翼はコウモリのような皮膜状に。

 柔らかな羽毛は爬虫類の硬い鱗に。

 尖ったくちばしは長い鼻に取って代わった。


 それは、竜。

 邪悪な漆黒に染まった、巨大なドラゴン。


 最後に、闇の中から滲み出すようにして、一人の騎士が現れた。

 全身を覆う鎧の上には、一本の首。

 そして、三面の顔。

 阿修羅像を想起させる三面の騎士が、黒竜の背に跨ったのだ。


「……な、……ぇ……?」


 混乱する。

 混乱する。

 混乱する。

 まるで乱脈な悪夢を見ているかのよう。


 どうして、こいつが、ここに?


 因果次元で、わたしとティーナを幾度となく襲った、あの竜騎士が――どうして物質(この)次元に!?


「殺してやる」


 すぐ背後で、自分の精霊に起こっている異常に、ジャックはまったく気付いていない。


「お前は……お前だけは……っ! 殺してやるッ!! この手で! 何度でも! 殺してやるよ――――ッ!!!」


 ドラゴンの咆哮が、全身をビリビリと震わせた。

 皮膜状の翼が空気を叩き、ようやくわたしは臨戦態勢を取る。

 来る――ッ!?


 猛然と突進してきたドラゴンを、わたしは正面から受け止めた。


【巣立ちの透翼】で激突の衝撃は受け流せた。

 けれど、足が浮く。

 ドラゴンはなおも前進し、鼻先にへばりついたわたしを壁に叩きつけようとする!


「ぅくっ……!」


【黎明の灯火】で壁を爆破した。

 黒竜は開いた穴を翼で砕き広げながら、ダイムクルド惑島の空へとわたしを押し出した。


 冷たい風が吹き荒ぶ。

 眼下に剣山のようなビル群が広がっている。

 頭上には星々煌めく夜空が広がっていたけれど、見る間に闇色のドームに包まれた。

【試練の迷宮】――アーロンが異常を察知してダンジョンに飛ばしてくれたのか!

 助かった……! 周囲の被害に気を遣う必要がなくなる!


 わたしはドラゴンの硬い鱗を掴み、三面の竜騎士を間近から見上げて、その存在感を確認した。

 ――いる(・・)

 この竜騎士は、確かにこの世界に、現象として存在する。

『意味』の具現化なんかじゃない!


 つまり――可能性はひとつだけ。


「……考えるべきだった」


 竜騎士の三つの顔を睨み、わたしは告げる。


「【因果の先導】がある以上……因果次元にまで影響を及ぼせる精霊術があってもおかしくはないと、考えるべきだった……!」


 彼女は常に、他人の精霊術を使ってきた。

 アゼレアに転生すれば【黎明の灯火】を使い。

 ルビーに転生すれば【一重の贋界】を使い。

 そして自分に都合よく改変した世界では【指輪の名代】を手中に収めた。


 だけど、もし。

 それらとは別に。

 彼女の、彼女だけの、彼女のための精霊術が、あるのだとしたら?


 そして――


「――〈バアル〉の力を知った今、わたしが知らない精霊術は、もう1種類しか存在しない……っ!!」


 わたしは【巣立ちの透翼】でドラゴンの重さを消し、硬い鱗を蹴りつけた。

 すると、ドラゴンは背に乗る竜騎士ごと軽々と吹き飛ばされる。

 当然だ。

 精霊術だって普通に通用する。

 だって、それは『意味』が形を取った存在なんかじゃない。

 わたしの知らない、未知の化け物なんかじゃない。

 これまで幾万と相手にしてきた、ただの精霊術なのだから――!!


「思えば……これほど、沙羅ちゃんに似合う精霊もいない」


 その精霊は、指輪教においては、72柱の精霊で唯一、忌むべきものとされる。

 どうしてか?

 決まっている。

 その精霊が司る概念が、指輪教が是とする清貧とは真っ向から反しているから……!


 わたしは漆黒の竜騎士を力強く指弾する。


 精霊序列第32位。

 司りし概念は、『色欲』。

 その名は――――




「――――〈忌まわしき唇のアスモデウス〉ッ!! あなたこそ、沙羅ちゃんに宿った本当の精霊(・・・・・)!!」









 ――――くす。


 ――くすくすくす。


 くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす!









 それは……笑い声だった。

 ただ聞くだけで頭の中が犯されていくような……淫靡で、淫蕩で、淫猥な……甘い甘い、笑い声だった。


 竜騎士の姿が、モザイクになる。

 かろうじて輪郭が見て取れるだけになった異形が、ぐちゅぐちゅ、ちゅくちゅくという眉をひそめるような水音を立てながら、形を変えた。


 皮膜状の翼は、極彩色のそれに戻り。

 竜と騎士はひとつに溶け合って……一人分の、小柄なシルエットを形作る。


 モザイクの解像度が段階的に上がり、くっきりと見えるようになったとき、そこには少女がいた。

 まだ女性になり切っていない未発達な肢体を、水着のような小さな布で最低限覆っている。

 背にはアンドレアルフスの極彩色の翼を広げ、お尻からは先端がハート型になったいかにもな黒い尻尾を伸ばしていた。

 長く伸びる髪は、色香を可視化したような薄いピンク。

 あどけない顔つきには、けれど見る者すべてを誘うような、淫らな薄い笑みを浮かべている……。


 わたしは、その少女に、見覚えがあった。


 格好は、違う。

 あのときのあの子は、あんな卑猥な格好はしていなかった。

 もっと清純で――神聖な。

 そう。


 神様のような。


 その顔は――

 死んだ直後――

 真っ白な世界で――

 わたしに、転生の選択肢を提案した――

 ――あの!




「光あれ!」




 朗らかに叫んでから、淫魔のような少女は――

 否。

 ――〈忌まわしき唇のアスモデウス〉は、艶然と笑った。


「――――なぁんちゃって♪」


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― 新着の感想 ―
[一言] ファッ!?!?!?!?!?!?!??
[一言] 妹こわい、妹こわい、妹こわい。
[一言] うそだろどういうことだよ
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