第79話 どうか、とびっきりのバッドエンドを - Part1
クソッタレな人生だった。
他人の人生を踏みつけにし、果実のように絞り尽くし、そうして貯めた甘い汁の上澄みだけを啜って生きるような――そんな、最高にクソッタレな人生だった。
最初からそうだったわけではない。
いつの時代、どこの社会でも、生まれたことを歓迎されない子供は存在する――そして、まるで吸い終えた煙草でも捨てるかのように、生きたまま野山に置き去られる子供もまた、同じように。
アーロン・ブルーイットは、そんな子供の一人だった。
物心のつかないうちにどこぞの山に捨てられ、名も持たぬまま死に絶える、そんな子供の一人――の、はずだった。
彼の運命を繋いだのは、ひとえにその身に宿った精霊。
〈外なる偶像のモラクス〉。
彼が捨てられた山は、その精霊の力により迷宮と化し、あらゆる脅威から彼を守った。
そして、迷宮に召喚されたとある魔物が彼を育て、生きるための知識と哲学を与えたのである。
奇妙な魔物だった。
知恵を持ち、知識を持ち、知性を持ち。
気品があるようにも見え、ケダモノのようにも見え。
人間に近くもあり、それ以上の何かのように感じることもあった。
その魔物は幼いアーロンに、帝王学にも似た考え方を伝えた。
――我々は人間たちに試練を与える存在だ。
――我々は常に公平に人間を裁定し、資質を見極めなければならない。
意味などわからない。
理由など教えてはくれなかった。
それでも、言葉さえ知らない子供の人格を定義するには充分だった。
アーロンは生まれ育った山を根城とし、迷い込んだ人間たちに独自の試練を与えた。
しかし、ほとんどの者たちは命を落とし――その行いは、人間社会には殺人として捉えられた。
やがて、精霊術師たちが退治にやってきた。
アーロンは他の人間たちと同様に彼らに試練を課し――そして敗北し、親代わりだった魔物を喪った。
当然のことと、彼は受け入れた。
挑戦者たちが試練を乗り越えた、その結果でしかないのだから。
この身の上話を聞いて、ジャック・リーバーは言ったものだ。
「お前はまるで、ゲームのNPCだな」
意味を聞けば、舞台装置のようなものらしい。
なるほど、と彼は思った。
思えば自分はあの頃から、ハリボテみたいなものだった。
自分では何も生み出さず、上から目線で他人を試し……その結果、他人から何かを奪うことに、何の疑問も持たなかった。
その哲学自体、結局何者なのかもあやふやだった親父の受け売りで、出所さえ知れたものじゃないっていうのに。
俺は、悪党の貴族だ。
決して格好いい意味じゃない。
理由もなく生まれながらに悪党であり、それに疑問を持つこともなく、他者から搾取することを宿命のように許される――そんな、世の中でもとびっきりにクソな星の元に生まれた、まるで御伽噺の悪者のような、天然の悪。
彼はその天命のままに、犯罪組織に拾われ、アーロン・ブルーイットという名を与えられてからも、悪党でい続けた。
誰かが生み出したものを一方的に奪うことでのみ生きてきた。
そうすることで自分を満たすわけでもなく……ただただ、そういう在り方しか知らなかった。
だから、アーロン・ブルーイットという男は、ただのハリボテだ。
何者かもわからない存在に、意義すらもわからない哲学を植え付けられ、ただ悪を為すためだけに悪を為す、悪党という役割の舞台装置。
その事実に……本当に空っぽになったときに、初めて気が付いた。
哲学的ゾンビ――魂のない人間。
そうなって初めて、想像力が働いたのだ。
ああ――俺以外のゾンビたちは、どんな人間だったのだろう。
妻がいたか。
子供がいたか。
敬われる仕事があったのだろうか。
――それらに比して、俺という存在は釣り合うか?
答えはノーだった。
考えるまでもない。
どうせ生き残るなら――俺以外の誰かであるべきだった。
さあ、早く終わりを寄越せ。
はけ時を失ったこの残像に、どうか、とびっきりのバッドエンドを。
悪党は、惨めに散ることでしか、何も残すことができないのだから。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
アーロンのシルエットを暴力的に破壊する、肥大化した、右腕。
わたしはそれを見て、背筋に怖気を走らせる。
それは見るからに、人間の腕ではなかった。
たとえどれだけ筋肉をつけたところで、あんな異形になるはずがなかった。
あの太さ。
あの大きさ。
あの肌の色……!
あれは――オークの腕……!!
「自分の身体を……依代に……!?」
【試練の迷宮】が召喚する魔物は、基本的にダンジョン内にしか存在できない。
しかし、現実の生き物を依代にすれば、ダンジョン外でも存在し続けることができる。
魔王軍の多くを構成するゴブリンやオーク、ワイバーンやマンティコアは、元は普通の動物だったものを【試練の迷宮】によって変質させられたのだ。
だけど、ダンジョン化はまだ解けていない。
ビル街の上空は闇のドームに覆われたまま。
なのに、どうしてわざわざ自分を依代に……!?
「はっは……その顔、やっぱり知らなかったか。猿真似の限界だな」
覇気のない顔を不格好に歪ませて、アーロンはわたしに対峙する。
「魔物をどれだけ差し向けたところで、あんたの相手にゃなりゃしねえ。雑魚はどれだけ集まっても雑魚さ。だが……!」
左腕が。
右足が。
左足が。
次々と――変質する。
左腕は凶悪な鉤爪を持った腕に。
右足はダチョウのようなしなやかな足に。
左足は巨人めいた筋骨隆々の足に。
別々の魔物を、違う部位に……!
「こうやって、俺の身体を『つなぎ』にして、一緒くたにしてやれば――」
バサアッとアーロンの背から勢いよく広がったのは、コウモリのそれにも似た、ドラゴンの翼だった。
直後だ。
風がわたしの髪を揺らす間もなく――アーロンが、目の前で鉤爪を振り上げていた。
「ぅくっ……!」
【巣立ちの透翼】。
遅れてきた風圧が、わたしの身体を木の葉のように吹き飛ばす。
直後、振るわれた鉤爪が、わたしの髪を一房引き千切った。
勢いよく宙を舞ったわたしは、隣のビルの外壁に背中から叩きつけられる。
息を詰まらせながら顔を上げたそのときには、
「――雑魚でも、ちょっとはマシになる」
異形となったアーロンが再び、目の前に迫っていた。
はや―――
異常に膨らんだオークの腕がぐわりと振り上がった瞬間、わたしは反射的に自分の命を守ることを求めた。
【雷霆の軍配】を、【無血の僭上】に。
〈誠実なる鎹のオロバス〉の力が展開する結界が、この場での殺傷行為を拒絶する。
直後、始まった巨腕と鉤爪のラッシュが、わたしの全身を釣瓶打ちにした。
わたしの肌には傷一つつかない。【無血の僭上】の結界から与えらえた『霊力』が、すべてのダメージを肩代わりする。
……ま、ずいっ……!
霊力の消耗があまりにも激しい……!
このままだとエレメント・アウトに……!
ビギリ、と背後から音がした。
すると瞬く間に背中の壁が崩れ去り、わたしはビル内部の床に転がった。
助かった……!
でも、これ以上【無血の僭上】に頼るのは危険だ。
いったん結界を解除したとしても、失った霊力は戻らない。
殺傷無効化結界による緊急回避は、一度限りの奥の手……!
「肉弾戦は苦手かい、エルフのお嬢ちゃん」
壁に空いた穴から、異形のアーロンがミシリと床を鳴らしながら踏み込んでくる。
その床鳴りは次の瞬間、暴力的な破壊音に様変わりした。
室内に並んだ机を蹴散らしながら、異形の巨体が迫る。
肉弾戦が苦手?
そんなこと……!
「――ないっ……!!」
迫る巨躯に、わたしは自ら距離を詰め、腹部の辺りにアッパーを入れた。
同時、使用した【巣立ちの透翼】によってアーロンの体重はゼロになる。
巨体が勢いよく真上に吹き飛び、天井に跳ねた。
これでしばらくは宇宙遊泳状態。まともに動くことは――
ガパリ、とアーロンが口を大きく開けた。
その口自体は、どう見ても人間のそれ。
しかし、直後に口腔内から迸ったものは、人間では決して有り得ない――紅蓮の炎!
まさかっ……内臓まで魔物の依代に!?
迎撃は間に合わなかった。
【絶跡の虚穴】で作った逃げ道に、無様に転がり込むのが精一杯だった。
咄嗟のことだったので、行き先はすぐ近くの大通り。
人も馬車も通らない道路の真ん中に出たわたしは、本能的に隠れるべきだと考える。
戦うべきではないと、本能が叫んだのだ。
なぜって?
それは……。
「おいおい、忘れちまったのか?」
無人の大通りに、異形の影が落ちた。
「ダンジョンマスターは挑戦者の様子を常にモニターできる――そして、ダンジョン内を自由に移動することもできる。逃げ隠れは不可能ってヤツだぜ。……不公平だなんて言うなよ? お前さんが強すぎるのが悪いんだからな」
【試練の迷宮】は基本的に、挑戦者の戦力に相応したダンジョンしか作れず、またクリア不可能にもできない。
一見、邪魔にしか思えないその制約は、裏を返せば、どんなに強い相手とも互角に戦うことができるということでもあるのだ。
しかし……。
わたしは立ち上がり、四肢を複数の魔物に置き換えた男を見据える。
「そんなに大量の魔物を、自分を依代に召喚するなんて……! そんなことをしたら、あなたの心は、人格はじきに――」
「心? 人格?」
くっ、とアーロンの口の端が自嘲するように上がった。
直後、その姿が煙のように消えて――オークの巨腕が、わたしの身体を地面に押さえつけていた。
万力のような握力が、わたしの腰をぎりぎりと締め付ける……!
「くあっ……!」
「――どこにある、そんなもの」
わたしの目を見下ろしながら告げるアーロンの顔には、いかなる表情もない。
空っぽのような――ハリボテのような、無表情。
そして、次の瞬間。
ついにその顔さえもが、人の輪郭を失った。
鼻と口が長く伸び、肌を鱗が覆い、できあがったのは爬虫類と人を混ぜたかのような怪物の顔。
ギザギザの歯が生え揃った口ががぱりと開かれ、わたしの顔を噛み砕こうとする。
こうなったら……仕方がない。
やらなければ、わたしがやられる。
それだけは、どうあっても……!
【無血の僭上】を引っ込めて空いたスロットに、【黎明の灯火】をセットした。
「……ごめんなさいっ……!!」
異形の男が、真っ青に炎上する。
アゼレアのように燃やすものを選択できないわたしは、自分の身体まで焼いてしまうけれど、火傷なんてあとでいくらでも治せばいい……!
幸い、わたしの服に燃え移ったくらいのところで、オークの巨腕の握力が弱まった。
わたしは急いで脱出し、服に移った蒼炎を払って消す。
異形の影が、蒼炎の中に揺れていた。
皮が爛れ、肉が溶け落ち、骨が覗き。
なおも――アーロン・ブルーイットは倒れない。
「ここにいる俺は、どこにもいない。すべては知らねえうちに潰えた。……いいや――最初から、何にもありゃしなかったのか」
口なんて燃え落ちた。
喉なんて燃え尽きた。
なのに、アーロン・ブルーイットは話し続ける。
「ここにあるのはただの動く死体。魂のない哲学的ゾンビ。熱いとも、痛いとも、感じるフリしかできない、悪党の残像――」
ついに、何も燃えるものがなくなって。
蒼炎が無数の火の粉となって宙に散ったとき――
そこには、ただの骨があった。
ただの骸骨があった。
ただの――死体があった。
「――答えろよ。こんな俺のどこに、心だの人格だのがあるって?」
【ミス修正報告】
『第76話 間違いだなんて言わせない - Part2』より
※修正前
【神意の接収】で同時に模倣しておける精霊術は3種類。
その3枠のスロットを用い、わたしの模倣しうる69種類の精霊術を組み合わせれば、あの双子にチェックメイトをかける方法は確かに存在する。
※修正後
【神意の接収】で同時に模倣しておける精霊術は3種類。
その3枠のスロットを用い、わたしの模倣しうる68種類の精霊術を組み合わせれば、あの双子にチェックメイトをかける方法は確かに存在する。




