第77話 間違いだなんて言わせない - Part3
ベニーの耳元にアーロンの声が響いた。
『……念には念を入れて正解だったな。あの女、とんでもねえバケモンになってやがる。まさか模倣した精霊術を全部、ルースト級の出力にしちまうとは』
「大丈夫ですか? このダンジョン自体をハッキングされる、なんてことにならないでしょうね」
『抜かせ。ダンジョンマスターとしては俺のほうに一日の長があらぁな。あの反則女に欠点があるとしたら、そこだ』
「……熟練度の不足」
『いくらエルフには時間があるって言ったって、何十種類もの精霊術すべてに熟練するのは不可能だ。人には向き不向きってもんがあるからな。結果、得意な術にリソースを振り向け、残りは広く浅くって形になる』
ラケルが得意とする精霊術は、これまでの傾向から大体掴めている。
まず【巣立ちの透翼】。
あのジャックの師匠だったのだ、これは当然と言えよう。
そして【絶跡の虚穴】。
自分自身を通せる穴を空けられるというだけで脅威だ。あの盗賊――ヴィッキーとは格が違う。
あとは【黎明の灯火】を攻撃に使うことが多い。
これは単純に扱いやすいのと、他の精霊術と組み合わせやすいのが理由だろう。
しかし熟練度においては、ありとあらゆるものを選択的に焼尽させられるアゼレア・オースティンの域には至っていない。
『ハッ。人の精霊術を模倣し、ルースト級の出力にする――それだけ聞きゃあなるほど、最強の力に思えるが、それを扱う人間のスペックは有限だ。最強の力を真に最強たらしめるには相応の能力がいる。あの嬢ちゃんはそれに限りなく近いところにいるが、後一歩が足りてねえ。現状は器用貧乏の域に留まっている。こりゃあおそらく、長命のデメリットのせいだな』
「……時間感覚ですか」
『そうだ。エルフは何にしても、俺たち普通の人間と比べて成長速度が遅い――精霊術の習熟速度についても推して知るべしってわけだ』
かつてラエス王国の闇を牛耳っていた悪霊術師ギルド、それを実質的に率いていた男は鼻を鳴らす。
『どうやら、精霊術があのスペックになって以降、まともな修行を積んでないと見えるぜ。……そりゃそうか。あんな力を手に入れちまったら、修行なんざするまでもなく最強だ。普通はな』
「私たちは、普通じゃない」
『あの嬢ちゃんの、【神意の接収】の対策を、これでもかと練ってきた――俺たちはおそらく、魔王の坊主には勝てない。勇者どもにだって歯が立たないだろう。それでも、あの嬢ちゃんにだけは勝てるんだ』
「……負けやしません」
スコープを覗きながら、ベニーはスナイパーライフルのグリップに力を込めた。
「あの人にだけは、負けちゃいけない。陛下を否定したあの人にだけは……負けられないんだ」
『応援するさ。……俺ごとき残像にできるのは、それくらいさ』
そこで、おっと、とアーロンが何かに気付いたような声を漏らした。
『あちらさんがようやくお気付きになったようだぜ。――じゃあな、ベニー、ビニー。健闘を祈る』
「祈られるまでもありません」
直後だった。
ヴァリィッ!! という身が竦むような轟音と同時、激しい稲妻がビル街の一角から迸ったのだ。
『――ザザッ! ザザザザザザ――!!』
激しいノイズが耳朶に響く。
それはジャック・リーバーの『知恵の泉』が産み落とした技術のひとつ、『電波通信』が阻害されたことを示す音。
ビニーは役立たずになった無線機をぞんざいに放り捨てた。
「ここまでは想定済みだ」
迸る稲妻の中心に向けて、挑戦するように告げる。
――電波を妨害するための【雷霆の軍配】。
――身を守るための【巣立ちの透翼】。
――そして、怪我を治すための【癒しの先鞭】。
「これで、3枠。――もう限界でしょう?」
アーロンという目は失った。
しかし、それでもなお。
「私たちには――」
(――目が4つある!)
もう一人の自分が、遙か離れたビルの上で吼えた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
寒々しいビルの廊下を、わたしは身を低くして駆ける。
窓越しからの殺意をちりりと首筋に感じて、すぐに頭を下げた。
直後、窓ガラスを鋭く貫いて、頭上を銃弾が通り過ぎる。
それが反対側の壁に突き刺さった頃には、わたしはすでに別の気配を背後に感じていた。
床に身を投げ出す。
背中を、後頭部を、弾丸が紙一重で撫でていく。
素早く起き上がると、わたしは背後の角から身を乗り出した人影に稲妻を放った。
弾丸よりもなお速い雷撃。しかし、人影はすんでのところで角の向こうに引っ込んでしまう。
深追いはしない。
わたしはいったん居場所を暗ませるため、割れた窓から地面に飛び降りた。
――強い。
複雑な路地を走り抜けながら、わたしは心の底から思う。
居場所を問答無用で特定されるようなことはなくなった。
けれど、向こうは二人、こっちは一人。
単純に目の多さで後れを取っているのだ。
……まさか、考えもしなかった。
転生特典で手に入れたこの反則能力、【神意の接収】――この力をもってしても、苦戦する精霊術師がいるなんて。
精霊術学院を通じてトゥーラが広めた教えの通りだった――磨き抜かれた戦略は、強力な精霊術を容易に凌駕しうるのだ。
……彼らはきっと、いつか必ず来るわたしを倒すために専心してきた。
戦略を考案し、精霊術を鍛え上げて。
これが……ひとつのことを極めた者の強さ。
わたしがついぞ、恵まれなかったもの……。
――わたしは、いつも中途半端だった。
最初は何だってできるつもりだった。周りの子供たちより何事も要領よくこなすことができたし、何かができなくて困ったことがなかった。
けれど……それは、ただ器用なだけなのだと気付いたのは、いったいいつのことだっただろう。
不器用でも、何かひとつのことを――自分だけの特別な何かを得ようとする人たちのことが、わたしには眩しく見えた……。
彼らみたいな『特別』が欲しくて、テレビで見たものを真似したり、いろんな習い事をしたりした。
何をしても、やっぱりそこそこはできたのだ。
でも、器用であるがゆえに、要領がいいがゆえに――すぐに、気が付いてしまうのだ。
壁に。
わたしには越えられない、壁に。
すぐに気が付くから、すぐに悟るから……賢しくも妥協し、諦める。
その賢しさこそが、『特別』を得られない理由なのだと知りながら……。
そんなことを繰り返した人生だった。
だから……正直に告白すると。
きーくんのことを好きになったのも、妥協だったのだ。
近場で済ませた。
それが分相応だと思った。
愚かにも物分かりのいいわたしの、賢しらな答えが、きーくんだった。
――そんなわたしなんかより、よっぽど彼のことが好きな人間が……彼でないとダメな人間がいることも知らずに。
わたしは、羨ましいよ、沙羅ちゃん。
自分の恋のためにたった一人で戦えるあなたのことが――幾度の転生を経てもまるで薄れることのない、あなたの感情が。
だけど、あなたは間違っている。
あなたの感情は正しくても、あなたのやり方は間違っている。
それを証明するために、わたしは器用であることを捨てた。
物分かりの良さを放り捨てた。
あの神様のような少女との、あまりに無謀すぎる取引を二つ返事で受けた。
彼を、幸せにする。
彼と一緒に、幸せになる。
それが、わたしにとって。
人生で――二度にも渡る人生で。
だけど……たったひとつの。
――決して譲れない、わたしだけの特別だ。
ベニー、ビニー、あなたたちもそうなんでしょう?
あなたたちも、きっと譲れない。
幼い頃に抱いた憧れを。
たとえ間違っていると言われても、あの日憧れたものは、眩しく感じた光は、決して嘘なんかじゃなかったのだと。
言い張るしかないのだ――どうあっても。
「……本当に、下手くそね」
そんな答えにすがりつくしかないあなたたちも。
もっと早くに、これを教えてあげられなかったわたしも。
「ねえ、ベニー、ビニー――どうせなら、みんなで幸せになったほうがお得でしょう?」




