第76話 間違いだなんて言わせない - Part2
わたしはひと気のないビルの中に飛び込み、物陰に隠れて息を潜めていた。
少しだけど息が上がっている。精神的にはともかく、肉体が鈍っているということはないはずだけれど、久しぶりの命のやり取りへの緊張が、わたしから体力を奪っているのかもしれない。
わたしは息を整えつつ、大急ぎで思考を整理した。
【神意の接収】で同時に模倣しておける精霊術は3種類。
その3枠のスロットを用い、わたしの模倣しうる68種類の精霊術を組み合わせれば、あの双子にチェックメイトをかける方法は確かに存在する。
するけれど、問題はそこに至るまでの手順だ。
まず前提として、わたしが死んではいけない。
当たり前のように思うけれど、今まで【因果の先導】に頼ってきたせいで、わたしの頭には『とりあえず1回死んでから考える』という癖が染みついているところがある――もはや命に二度目はないのだと、改めて意識しておかなくてはいけない。
そのためにも、【巣立ちの透翼】は滅多なことでは外せない。
二人の狙撃を事前に予知するのはほぼ不可能だ。
いつ狙撃が来ても衝撃を受け流せるように、【巣立ちの透翼】はできる限り常に発動しておかなければならないのだ。
これを外すときが来るとすれば――それは、わたしがチェックメイトを宣言するときに他ならない。
次の問題は、ベニーとビニーを見つけ出す方法だ。
これにも心当たりがないわけではないけど、決して確実とは言えない……。
何より、あの移動速度だ。
居場所を悟られないため、狙撃後はすぐに移動する。それ自体は当然の考えだけど、スピードが明らかに徒歩でのそれじゃない。
ほんの1分程度の時間で、90度も違う角度から狙撃が来たのだ。それも、ビルが林立するこの街で。
ビルを駆け下り、地上を走って、またビルを登って、狙撃の準備を整える――とてもこれらをすべてこなせるような時間じゃあなかった。
……魔物だろう。
見た目こそ変わらないが、ここは【試練の迷宮】で作り出されたダンジョン空間。
アーロンが裁定する公平さの許す限りにおいて、いくらでも魔物を生み出せるはず。
魔王軍の航空部隊が使っているワイバーンのような魔物をアシに使えば、あの移動速度にも説明がつく。
……その魔物の、足取りを追うことは可能だろうか。
【試練の迷宮】による公平性の押しつけで『王眼』が使い物にならないこの状況では、極めて難しいと言わざるを得ない。
『王眼』の他に、この手の索敵が得意な精霊術といえば――
――わたしの脳裏に、一人の少女の顔が思い浮かんだ。
彼女が実際に使っていたのは、まったく別の精霊術だ。
わたしは何年にも渡って、まるで見当違いの修行を彼女につけていた。
だけど……この場は、それしか方法が浮かばない。
ダンジョンの魔物に、【無欠の辞書】を使う。
――ズ、ウンッ!! と建物が揺れた。
ハッと頭上を見上げたその瞬間、ビシリと天井に亀裂が走る。
その場を飛び離れた直後、大量の瓦礫が雨と降り、薄明るい光が粉塵を淡く照らした。
天井に空いた穴を見上げる。
ほんの数メートル先の上の階から、1本の長大な銃がわたしを狙い澄ましていた。
「くっ……!」
マズルフラッシュ。
真上からの銃撃。
咄嗟に【絶跡の虚穴】で空けたワームホールが、音よりも早く襲い来た弾丸を飲み込んだ。
天井の穴の縁に見えていた二つの人影がすぐに引っ込む。
逃がすものか、とわたしは床を蹴り、天井の穴から階上に移動した。
オフィスか何かと思しき広い部屋に、すでに二人の姿はない。
けれど、天井破壊の下手人と思しき巨影があった。
岩で組み上げられたゴリラのような人形。
ゴーレムだった。
「従いなさい……!」
ゴーレムに駆け寄りながら、【無欠の辞書】で発令する。
これでわたしも壁を手に入れた。こうして徐々に戦力を増やしていけば……!
ゴーレムの岩の腕が伸び。
わたしの服を引っ掴んだ。
「――残念」
「ゴーレムは、無機物扱いなんですよ」
……っ!
苦渋に顔をしかめる暇もなく、わたしはゴーレムに投げ飛ばされる。
窓ガラスをぶち破り、宙に放り出される。
ビュオッ、とビル風が全身を撫でた。
その風上に、その姿がある。
大きな怪鳥の魔物の背に乗り、ライフルを構えるベニーの姿が……!
身を捩った瞬間、銃口が光った。
衝撃。
ぐんっと左腕が後ろに引っ張られる。
まずい。
そう思ったときにはもう、
背中が、ビルの外壁に叩きつけられていた。
「……ッあ」
左腕の、上腕の、ちょうど真ん中辺りに、弾頭が食い込む。
皮を破り、肉を引き裂き、骨の隙間へ。
その感触を、まざまざとわたしの脳に送り込みながら。
弾丸は、わたしの腕を突き抜けて、ビルの壁に突き刺さった。
「――ッぐ!」
灼熱の痛みに、歯を食いしばって耐える。
痛いのには慣れている。この程度……!
左腕に穴が空き、血がだくだくと流れ出していた。
だけど、このくらいならすぐに……!
わたしは【無欠の辞書】をスロットから外し、【癒しの先鞭】に入れ替える――
「これでまた」
「枠が一つ減ります」
勝ち誇るような声がした。
防御のための【巣立ちの透翼】。
手当てのための【癒しの先鞭】。
攻撃に使えない精霊術で、3枠のうち2枠までが封じられた……!
わたしはすぐさま、ベニーのいる方向に【絶跡の虚穴】のワームホールを展開した。
ひとまず撤退して、【癒しの先鞭】を外せる状態にしないと――!
ドウッ。
脇腹に衝撃が走った。
サイズとしては指先程度のそれは、弾丸。
ベニーのいる方向とは、まったく別の角度から飛んできた――
灼熱の感覚が広がっていくのを感じながら、わたしは弾丸の軌道を目で辿った。
「…………!?」
ビルの中の、窓際に。
ライフルを、構えた――もう一人の。
もう一人の、ベニーがいる。
そん……な。
ベニーは、そこだ。すぐそこで、怪鳥の上に乗っている。
分身? 分裂?
いや――何を考えているんだ、わたしは。
彼らは、双子だ。
同じ顔を持つ、兄妹だ。
――どっちがベニーで。
――どっちがビニー?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
撃ち抜かれた脇腹から広がる痛みが、脳髄の真ん中をずくずくと突き刺す。
どうにか【絶跡の虚穴】で撤退はできたけど、地の利は向こうにある……。
きっとさっきと同じように、すぐに見つかってしまうだろう。
その上、痛みと緊張で思考がままならない。
久しく忘れていた、死に瀕する感覚……。
自分の中から血が、命が漏れ出していくことが、以前にも増して恐ろしい。
きっと、心が定まっているからだ。
やりたいことが、やるべきことが、はっきりと決まっているからだ。
――死ねない。
――まだ、死ねない。
ジャックに、この気持ちを伝えるため――
ジャックに、幸せになる方法を教えるため――
わたしはあえて、自ら意識を手放した。
…………。
……………………。
…………………………………………。
深い、深い水の中に……沈んでいくような、感覚――
現実から離れた意識が、自分の中に、落ちてゆく――
その道行きの名は、眠り――
終着点の名は、夢――
【夢幻の旅人】。
【絶跡の虚穴】をいったん手放して模倣した精霊術によって、わたしは自我を保ったまま、自らの夢の世界に移動する。
わたしにはティーナのように、自分の知り得ない要素まで掻き集めて夢想現実を作り上げることはできない。
あれはきっと、ティーナが因果次元を俯瞰できる立場にいるからできたことだ。
ひとつの世界に生きる人間でしかないわたしは、だから自分の記憶を録画のように再生することくらいしかできない。
夢の中に再現されたのは、ついさっきの記憶――ベニーとビニーに、わたしが撃ち抜かれたシーン。
ビルとビルの間の空中で、ベニーが怪鳥の魔物の上に乗り、ライフルを構えている。
それと同時に、ビルの窓からも、もう一人のベニーが構えた銃口が顔を覗かせている。
このうち、どちらかがベニーで、どちらかがビニーだ。
今まであの二人は、ベニーが狙撃手を、ビニーが観測手をそれぞれ担当していた。
しかし、そう、考えてみれば、あの二人は精神を共有して生きている。
すなわち、あらゆる経験と学習を共有することができる。
ベニーにスナイパーができるなら、ビニーにもできるし。
ビニーにスポッターができるなら、ベニーにもできるのだ。
ならば、二人ともがスナイパーとスポッターを兼任し、場合に応じて担当を入れ替える、という常識外れの戦い方だって、当然できる……。
さしづめ、シャッフル・スナイピング。
普通なら味方が混乱するだけの行為。
知り尽くした場所でなければ、有効に使うことも難しい戦法。
【三矢の文殊】によって経験と思考を共有する二人だから――そして、隅々まで知り尽くしたホームグラウンドだからこそできる、ベニーとビニーの真骨頂。
……これは、厄介なことになった。
今まではスナイパーであるベニーさえ押さえれば勝てるものと思っていた……。
だけど、両方がスナイパーとスポッターを兼任すると知れた今、片方だけ押さえたところで、その隙をもう片方に撃ち抜かれるのがオチ。
精神を共有している以上、片方を秘密裏に処理し、バレる前にもう片方を――というやり方も成立しない。
完全に、同時に、二人を押さえなければならないのだ。
……これは、困った。
必要な精霊術が、ひとつ増えてしまった。
わたしは別の角度から考察をしようと、記憶をさらに前に戻した。
ゴーレムを手懐けるのに失敗し――
頭上からの狙撃を受け――
天井を破壊される――
ここだ。
ベニーとビニーは、どうやってわたしの隠れ場所を特定した?
……心当たりはあった。
【試練の迷宮】だ。
アーロン・ブルーイットの精霊術【試練の迷宮】には、ダンジョンの挑戦者の位置を把握できる機能がある。
その情報をベニーとビニーに流している……そうとしか考えられない。
問題は、その手段だ。
せっかく伝えた位置からわたしが動いてしまっては意味がない――位置情報の伝達はなるべくリアルタイムで行っているはずだ。
目まぐるしく動くわたしたちの戦闘を正確にサポートするためには、魔物などの伝令では到底間に合わない。
極めてリアルタイムに近い、超高速な連絡手段。
この世界の一般的な文明レベルでは有り得ないけど――このダイムクルドでなら、除外しきれない可能性がある。
――突破口は、ここだ。
直感を得たわたしは、急速に夢の世界から現実に浮上した。
瞼を開けると、痛みがだいぶ和らいでいる。
眠りには、【癒しの先鞭】の効力を促進させる効果もあるのだ。
わたしは路地の壁に手を突いて立ち上がる。
次の狙撃が来る前に、先手を打つ。
5秒間のロック時間が終わるなり、わたしは【夢幻の旅人】を【雷霆の軍配】に入れ替えた。
【ミス修正報告】
『第69話 チートでハーレムなハッピーエンドへ』より
※修正前
「てめぇのタイムリープ対策とやら、カラクリは読めてんだよ――〔※因果未達により検閲※〕前の身体にもてめぇが残っている。その謎自体がでけぇ証拠。てめぇは〔※因果未達により検閲※〕、その〔※因果未達により検閲※〕によって用意し、姉ちゃんの行動を予知していたんだッ!!」
※修正後
「てめぇのタイムリープ対策とやら、カラクリは読めてんだよ――〔※因果未達により検閲※〕前の身体にてめぇが残っていない。その謎自体がでけぇ証拠。てめぇは〔※因果未達により検閲※〕、その〔※因果未達により検閲※〕によって用意し、姉ちゃんの行動を予知していたんだッ!!」




