第75話 間違いだなんて言わせない - Part1
『――あの人を、放っていくんですか!!』
もう、何年も前の話だ。
ダイムクルドがまだ地上にあった頃。
ジャックが絶望的な歩みを、それでも踏み出した頃。
失意のジャックを一緒に支えてきた、仲間とも同志とも思っていた彼女が、自分たちとジャックのもとを去った頃の話。
『あの人は――ジャックさんは、あなたにこそ、一緒にいてもらいたいはずです……。なのに……なのに、どうして……』
悲しくて、腹立たしくて、何より寂しかった。
誰よりも敬愛する恩人が、見る見る闇の底へと転がり落ちていく中で。……彼女の、ジャックへの愛情だけが、きらきらと光り輝いて見えていたから。
『…………わたしは、あの子の師匠だから』
彼女は、背を見せたまま言った。
『師匠として……弟子が間違った道を行くことは、看過できないの』
そのとき、二人は思い出したのだ。
お前の憧れは間違いだ、と。
自分に憧れるべきではなかったんだ、と。
そう言って、したたかに、しかし優しく自分たちを拒絶した、ジャックのことを。
……彼は元から、自分を認めてはいなかった。
むしろ自分を否定するためにこそ、進むことをやめなかった。
その難しさを、二人は知っている。
奴隷として、誰に存在を認められることもないまま生きてきた、二人は知っている。
その尊さを。
その勇気を。
――間違っているなんて、誰にも決めつけられるものか。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……見えてきた……!」
剣山のような街の中心に聳え立つ城を、わたしは肉眼で捉える。
予想以上に早い到着だった。
ティーナと巡った夢想現実でだって、こんなに早くダイムクルドに到着したことはなかった。
ダイムクルドは常に移動している都合上、【絶跡の虚穴】でテレポートすることができないからだ――だから最短でジャックに会いに行くには、何の遮蔽もない空を飛んでいく他に方法がない。
あまりに無謀なやり方で、知らず選択肢から排除していたけれど……やってみれば、こんなに早くジャックに会うことができたのだ。
ダイムクルドとロウ王国とが本格的に交戦するまでにも、まだ猶予がある。
今、ジャックに会い、そしてわたしのことを伝えれば、きっと――!
「――――うっ!?」
剣山のような高層ビル街を、一気に飛び越えようと思ったときだった。
凄まじい衝撃が額に走り、わたしは大きく仰け反る。
【巣立ちの透翼】で自分の質量を消していたからダメージはない。
しかし、衝撃が大きすぎた。
束の間、わたしは天地を見失い、翼の折れた飛行機みたいにくるくると墜落し始めた。
――ダァーン……! という長い銃声。
それを聞きながら、わたしは硬い地面に激突する。
驚愕と衝撃で生まれた思考の空白を意思で追い出すと、わたしは素早く起き上がって周囲を見回した。
圧迫感のあるビルが、左右を壁のように塞いでいる。
どうやらビル街の目抜き通りのようだ。
なのに、人っ子一人見受けられない……。
不気味なゴーストタウンと化したビル街を、わたしは息を潜めて見回す。
どちらかといえば現代日本の、それも東京に近いその光景には、何度見ても夢の中にいるような気分にされる。この世界にあっては、あまりにも異質な街なのだ。
そして、さっき突然襲ってきた衝撃も、この国が――ジャックが持ち込んだ異質さのひとつ。
(さっきのは、ライフルによる狙撃――ベニーとビニー!)
ダイムクルドでもまだ数丁しか製造できていないスナイパーライフルを、ベニーとビニーは持っている。
未だに剣と弓が大手を振っているこの世界では、最大で数キロにもなるその射程は、それだけでも暴力的だ。
大半の精霊術は、射程においてスナイパーライフルに大きく劣る。また同時に、見えないような位置から襲いかかってくる弾丸を防ぐことも難しい。
そこに加えて、空を高速飛行する人間の眉間に弾を的中させる正確さ……。
(速攻で見つける!)
この世界には、狙撃戦という概念自体存在しない。
だけど、やるべきことはシンプルだ。
撃たれて死ぬ前に、狙撃者の位置を割り出す。
【絶跡の虚穴】を使えるわたしにとっては、位置さえわかれば近付くのは難しくない……!
【神意の接収】が同時に模倣できる精霊術の数は三つ。
すでに【巣立ちの透翼】が入っているため、残り二つとなっている空きスロットの一つに、わたしは【争乱の王権】を入れた。
『王眼』を使う。
かつて、別の可能性を歩んだ世界で、エルヴィスはベニーとビニーの位置を割り出すことができなかった。
おそらくは、二人が使うスナイパーライフルが、この世界の因果を無視する形で持ち込まれた代物だからだ。
『王眼』は世界そのものを視る能力だと言うけれど、たぶん『世界そのもの』っていうのは、因果の流れのようなものなのだと思う。
スナイパーライフルという結果から原因を辿ろうとすれば、その先は地球という別の世界に続いてしまう。きっと『王眼』の視力は別の世界にまでは働かないのだ。
しかし、それはこの世界で生まれ育ったエルヴィスだからこその話。
わたしは転生者。地球生まれだ。スナイパーライフルと同じく、別の世界に『因』がある存在……!
「開け、『王眼』――!」
空に開く目を確認しようと、顔を上げた。
しかし。
『王眼』全力解放の証明である天空の目は、そこにはなかった。
「……え?」
わたしの【争乱の王権】の練度はエルヴィスには遠く及ばない。そのせいかとも一瞬思ったけれど、すぐに異常に気付く。
空が、黒い。
暗いのではなく、黒い。
真っ黒な闇のドームが、いつの間にかビル街全体を覆っている……!
「【試練の迷宮】……!」
ダンジョンだ。
見た目は変わっていないけれど、ダンジョンに取り込まれたのだ。
アーロンが作るダンジョンには特徴がある。それは、ダンジョン側と挑戦者側とで、戦力をできる限りフェアにすることだ。
それはダンジョンを手加減して作ることばかりに留まらない。迷宮の難易度を著しく下げてしまうような精霊術には、制限をかけることができる。
まさに『王眼』が典型例だ。これではベニーとビニーを探せない!
「くっ……!」
わたしは素早くその場を離脱し、ビルの隙間に飛び込んだ。
直後、わたしがいた場所に穴が空き、ダァーン……! と長い銃声が響く。
どこから狙っているのかわからない。顔を出して様子を窺うことさえできなかった。
この戦術、覚えがある……。
アゼレアがジャックを処刑場から連れ去った展開でのことだ。
あのとき、サミジーナ率いる魔王軍は、何の関係もない村人たちをゾンビにして、わたしの索敵能力を攪乱した。
この戦術は、あのときと同じだ。あのときは彼らにとって地の利のない場所だったから、さほど苦戦せずに済んだだけなのだ。おそらく、この戦術こそが――
「――私たちはあらゆる準備を尽くしてきた」
どこからともなく、少年の――ベニーの声がした。
「ラケルさん、あなたが現れることにだって」
少女の――ビニーの声が続いて、わたしは確信を深める。
この戦術が、わたしを相手取るに当たって魔王軍が出した回答なんだ。
最初の世界では、わたしが姿を偽って侵入し、サミジーナを人質に取った上に、ベニーとビニーが独断専行をしてしまったから使えなかった。
2回目の世界では、さっきも言った通り地の利がなかった――だから本来の戦術に修正を加えて採用した。
ダイムクルド惑島を戦場として想定した、これが本来。
わたしを倒すためだけに用意された、必殺の戦術……!
「あなたは、間違っていると言った」
「陛下の歩みを。僕たちの望みを」
「だったら、見せてみればいい」
「あなたが否定した僕たちと、あなたが選んだあなた自身!」
「「本当に正しかったのは、どちらなのかを―――!!」」
ドウンッ!! と衝撃が真横から肩を撃った。
ビルの隙間を撃てる位置に……こんなに早く……!?
自分を軽量化しているわたしは、小さな弾丸に押されて、地面と平行に飛翔していく。
飛びゆくその先に硬い壁があるのを見つけ、わたしの背筋を冷感が撫でた。
銃撃のダメージそのものは【巣立ちの透翼】で逃がすことができる。
ただし――もし。
銃弾と壁との間に、身体を挟まれたら。
「くっ、うっ……!!」
わたしは身を捻り、肩に食い込んだ弾丸から逃れた。
弾丸は壁に深々と抉り込み、遅れて長い銃声が耳朶を震わせた。
狭い路地で起き上がりながら、わたしは弾丸が来た方角を見る。
銃弾と壁で挟んでしまえば、【巣立ちの透翼】でも衝撃を逃がしきれなくなる――それも考えての戦場選択か!
高層ビルが高く林立し、壁に困ることはない。かと言ってビルのない空中に逃れても、ダンジョンの天井、深黒のドームがある! 下側から撃たれたら、それと挟まれて一巻の終わりだ。
まるでわたしを倒すために作られたかのような街。
だけど……たかが、街一つ。
わたしは、世界一つ壊してここに来た。
わたしを含めた誰もが幸せになれる世界を壊して、ここに来た。
わたしが、ジャックと、幸せになる――そんな子供じみた、我が侭のためだけに。
だから、この程度で、止まるはずもない!
狭い路地から視線を飛ばす。
ビルの隙間を縫い、弾丸の軌道を辿り、射出地点を逆算する。
――800メートル先の、マンションの屋上!
【絶跡の虚穴】を開く。
狙撃できるということは、視線が通るということ。
視線が通るということは、事前にマーキングしなくてもワームホールを開けるということ……!
わたしはワームホールに飛び込み、一気に800メートルを移動した。
吹きさらしの屋上をぐるりと見渡す。さっきの狙撃からは1分も経っていない。だけど――
「――いない……!」
移動が早すぎる!
1回目の狙撃から2回目の狙撃までにも、時間の割に異常な大移動をしていた。これほどの素早さ――何かアシを使ってる?
思考に入りかけたそのとき、わたしを取り囲むようにして、灰色の床が影のように黒く変色した。
どぷりと影が立ち上がったかと思うと、それらは見る見る怪物の形に変わっていく。
ゴブリン、オーク、ミノタウロスにワイバーン。
異種様々な魔物たちが、わたしの逃げ道を塞いだ。
「なるほど……」
馬鹿正直に追いかければ魔物に襲われるトラップ。
感心するほどに効率的な仕組みだ。
【神意の接収】のスロットはあと一つ空いている。
わたしはそこに【黎明の灯火】をセットした。
「どいて……!」
目が冴えるような蒼い炎で、魔物たちを焼き払う。
ルースト級に強化された【黎明の灯火】の前では、この程度の魔物はひとたまりもない。抵抗すらできず、たちまち灰となって消え去った。
だが。
蒼い炎を、1発の弾丸が貫いてくる。
「っ!?」
反応が遅れた。自分の炎で視界を塞いでしまったから……!
弾丸が胸に命中する。
ぐりりと弾頭が肌に食い込むのを感じながら、背後に別のビルの外壁があるのを見た。
「このっ……!」
壁の手前に【絶跡の虚穴】で穴を空ける。
わたしはその中に飛び込んで、何もない空中に逃れてから、身をよじって弾丸をいなした。
「……ルーストにしか使えない蒼い炎に、3種類の精霊術」
「それが、僕たちを否定した成果というわけですか?」
双子の声がする。
わたしがルーストとして覚醒していることが、もう見破られた。
背中に汗が滲むのを感じる。
今のシーン、もしわたしが精霊術を2種類までしか使えないままだったら、魔物を焼き払うために【絶跡の虚穴】を【黎明の灯火】に入れ替えていただろう。
実は模倣精霊術の入れ替えを行うと、約5秒間、新たな精霊術に入れ替えられなくなる冷却時間が生じる。
【神意の接収】の唯一と言っていい弱点だけれど、するとわたしは【絶跡の虚穴】で逃れることができなくなり、銃弾に胸を貫かれていた……!
「なるほど、強い精霊術です――最強の精霊術です」
「でも……戦いようはあります」
こめかみに冷や汗が流れるのを、わたしは感じた。
【神意の接収】の超スペック。
タイムリープによる未来知識。
そして、死んでもやり直しが効く境遇。
長らくこれらを駆使して戦うのが当たり前になっていて、通常戦闘のカンが鈍ってしまっている。
気合いを入れろ。
全力でもって当たれ。
精霊術による攻撃力を一切持たない、ただ互いの精神を共有しているだけのこの双子こそ――今のわたしにとって、最強の相手なのだ。




