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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・最終回〈上〉:小さいころ夢に見た

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第74話 帰還する者と出迎える者


 ――小さいころ、夢に見た。


 世のため、人のため、守りたい人を守るため。

 そんな、御伽噺やアニメの世界にしかいないような存在になれる自分を。


 すべてを見過ごしてきた。

 すべてを見殺してきた。


 理不尽に奪われていく命を前に、京也(ジャック)は何もせず、ただ見ているだけだった。

 いつだって思い出せる。

 今だって思い出せる。

 悪夢のようなあの5年間。20回以上に渡って目撃した、最期、最期、最期。


 最期の瞬間、誰もが彼を見ていた。

 縋るように。願うように。彼を見つめながら、そして死んでいった。


 ――あんなのは、終わりにしたかったんだ。


 ――もう二度と、繰り返したくなかったんだ。


 ――なのに。


 ――なのに、現実は。


 真っ暗な空間を見つめる。

 血の匂いと断末魔の残響がこびりついた、玉座の間を。


 ――ああ。

 頭の中で、今日ももう一人の自分が呟いた。



 お前は一体、何をしているんだ?



 ……知ったことか、と魔王は呟いた。

 ただ――そう、ただ。

 あのとき、言われたように。


「……逃げ延びろ」


 口の中で、ただひとつの目的を確認する。


「隠れろ。やり過ごせ。決して見つからないように……」


 そのためには、怪しく見えるものはすべて排除するしかない。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 宿屋の安いベッドの上で、わたしは目を覚ました。

 茫洋とした視界が徐々に焦点を結ぶ。

 そこに手のひらを伸ばし、閉じたり開いたりを繰り返した。


「ぅくっ……!?」


 不意に、激しい頭痛に襲われる。

 頭痛? いや、これはもっと、根本的なものだ。

 魂が軋みを上げている。

【因果の先導】によるタイムリープは、セーブポイントから因果をコピー&ペーストすることで成立する。

 その際に、セーブポイントが遠ければ遠いほど、魂への負担が大きくなるという欠点があるのだ。


 先代の【因果の先導】の使い手だった老師は語っていた。

 セーブポイントを乗り継いでいく形で、過去へ過去へとタイムリープを繰り返すのは危険だと。

 その原因が、ここにある。

 昔のセーブポイントほど、因果上の距離は遠い。

 だけど【因果の先導】によるタイムリープは因果を遡るものじゃないから、たとえ小まめに繰り返したとしても、昔のセーブポイントとの因果上での距離は縮まらないのだ。


 わたしは、魂に負担をかけすぎた。

 タイムリープは、もうできないだろう――おそらくは、老師がそうなったように。

 それどころか寿命さえもが、本来より遙かに減っているんじゃないかと思える。

 ……まあ、エルフは元から長命だから、それでも何十年かは保つだろうけれど。


 わたしを転生させた、あの神様みたいな女の子は、そこまで考えて転生先にエルフ族を選んだのだろうか。

 ジャック誕生から前後100年間には転生させられない――あの条件の謎も、まだ解けていない。


「……ううん」


 わたしは首を振ると、ベッドを降りた。

 荷物も放置して、ドアへと向かう。


 今は、そんな些細な謎、どうだっていい。

 トクトクと、心臓が暖かな鼓動を打っている。

 腕にも、足にも、燃えるようなエネルギーが巡り、わたしを急き立てている。



 早く、ジャックに会いたい。



 それ以外のことは、その後に考えればいいのだ。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 天空魔領ダイムクルド惑島(プラネット)

 針山のような高層城下町の中心に聳え立つ魔王城には、慌ただしい空気が満ちていた。

 大陸列強三国の中でもとりわけ精強とされるロウ王国との決戦が、間近に迫っているからだ。


 対外的には威圧的に振る舞っているダイムクルドだが、内部の、特に戦に関わる者たちの間には、常に緊張感が漂っている。

 怯え、と言い換えることもできるだろう。

 自分たちなど、一歩間違えば簡単に破滅してしまう。それを理解しているがゆえの、真っ当な怯えと、異常な狂騒。


 ダイムクルドには資源がない。

 地下資源は有限で、土地も限られている。補充するには他国から奪うしかない。

 それが大地を捨て、空に浮遊して生きるということだ。


 そもそもが、戦争は金食い虫である。

 鎧も剣も銃も、数少ない鉱山を掘り潰して用意せねばならない。

 軍隊全体の糧食を賄うのに畑が何面必要か。ダイムクルドに何十も存在する衛島(サテライト)のうち、実に半分以上が農耕地なのだ。


 魔王ジャック・リーバーの『知恵の泉』と『科学者』たちによる生産性の最大化、そして鹵獲した精霊たちによる力で、今はかろうじて成立している。

 しかし、こんな在り方がいつまでも続くわけはない。

 巨大な爆弾のようなものだった。燃えるのは一瞬。この刹那にすべてを懸けて、世界すべてと対峙する。そんな破滅的な生き方しか選べなかった者の集まり。

 それこそが、天空魔領ダイムクルドの実態であった――


 そんな綱渡りを取り仕切るのが、魔王ジャック・リーバーの副官たる青年、ベニーである。

 悪霊術師ギルドに飼育された精霊術奴隷。おそらくはダイムクルドにおいても最も育ちの悪い部類に入る彼だったが、この7年の勉強によって、著しい成長を遂げていた。


 政治から軍事、経理に至るまで。

 広範な知識と、複雑な業務を並行して処理するマルチタスク能力。

 それらはひとえに、彼の精霊術がもたらしてくれた恩恵である。


 ベニーの精霊術【三矢の文殊】は、生き物の精神を束ねる力である。

 ベニーは生まれたその瞬間から、双子の妹・ビニーと心を共有して育った。幼い頃は互いの区別がついていなかったほどで、単に手足や目鼻が二人分あるというだけの感覚だったほどだ。


 第二次性徴を経て二人の心は完全に分化したが、今でも頭の中はほぼ共有状態にある。

 それはすなわち、普通の人間に比べて2倍もの脳を使えるということに他ならない。

 彼ら兄妹は、何を学ぶにしても、常人の2倍――いや、相乗効果でそれ以上の速度と正確さで学習することが可能なのである。


【三矢の文殊】にこのような使い方があることを教えてくれたのは、他ならぬ彼の主、ジャック・リーバーであった。

 ベニーにとって、ジャックに従うことは、双子の妹と心が繋がっていること以上に当たり前のことである。

 ゆえに、この日も彼は、自分の執務室で顔色ひとつ変えずに激務をこなしていた。


 その表情が激しく変わったのは、一人の男からある報告を受けた瞬間のことだった。


「――近付いている? ラケルさんが?」


「ああ……」


 低い声で答え、紙巻き煙草に火を点けたのは、アーロン・ブルーイットである。

 かつての悪霊術師ギルドの重鎮で、ベニーの上司でもあったくたびれた男は、天井に向かってゆっくりと紫煙を吐く。


 彼の口にある紙巻き煙草は、近年になってダイムクルドが普及させた代物だ。

 本来は地上で売り捌いて資金源にするはずだったのだが、国内での需要が想定以上に高まり、今やダイムクルドで煙草の煙を見ない場所はない。

 アーロンはその中でも、最も早く煙草の味に取り憑かれた一人であった。


「哨戒システムにあっさり引っかかりやがった。やろうと思えばいくらでも隠れられるはずなのに、だ。不気味に思いたいところだが……」


「……眼中にない、ってことですか」


「あの坊主以外は、な」


 ベニーは眉をひそめる。

 ラケル――魔王ジャックの師匠であり、また、かの永世霊王トゥーラ・クリーズの一番弟子でもあるエルフの精霊術師。

 その強さを知るベニーとアーロンは、ダイムクルドにとって最大の脅威を、列強三国に認定された勇者エルヴィスではなく、ラケルであると見定めていた。


 理由は単純だ。

 今や神にも等しい単身戦闘力を得たジャックを、1対1の正面戦闘で打倒できる可能性がある人物。

 考え得る限りで、それはラケルだけだからだ。


 ベニーはペンを置くと、険しい顔で席を立った。


「その情報は、どこまで?」


「オレのところで止めている。見つけた連中にも箝口令を敷いてある。……我らが大将の耳には入ってるかもしれねえが、どうやらお目こぼしくださるみてえだな」


 アーロンは皮肉げに笑うと、煙草を床石に放り捨て、靴底で踏み消した。


「戦の前だ、戦力は割けねえ。そして向こうさんは何にも考えずに突っ込んでくる――お誂え向きじゃねえか。オレたちで対応するぞ、ベニー」


「……いつまで上司のつもりですか。今は(ボク)が上司です」


 ベニーは刺々しい声で言うと、壁際のクローゼットを開き、武器(・・)を取り出した。


「行くよ、ビニー」


(もちろん。兄さん)


 1対1の戦闘では、ラケルに敵う者はいないかもしれない。

 しかし――そう、他ならぬ彼女自身が、あの精霊術学院で教えていたことだ。


 ――対策と戦略。

 その二つさえ用意すれば、最強の精霊術にも勝利できるのだと。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あまりにも壮大な魅力的な作品だなぁ。 素晴らしい
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