プロローグ・オブ・ラケル 悪夢の解錠者 - Part4
夜。
久しぶりの実家の自室で、わたしはスマホで録画した動画を確認していた。
……大丈夫。しっかり撮れてる。
最近のスマホの録画機能は、映画の撮影に使ったって違和感がないほど高精細だ。
ラケットケースを肩から提げた女の子が、暗証番号を入力する端末で、手をどのように動かしているか――ばっちり確認することができた。
右上……左下……ちょっと右……左上?
『――3781』
何度も確認する。……間違いない。
これでいつでもマンションの中に入ることができる。
残る問題は、二人がいる部屋をどうやって突き止めるかだ。
一番手っ取り早いのは、二人のどちらかが出入りするのを待つことだろう。
いくら潜伏生活とはいえ、まったく外に出ずに生きていくことは難しいと思う。
通販で必要物資を揃えることもできるけど、それはそれでやはり情報が残ってしまうし……。
『……………………』
いや……。
今時、レジに監視カメラのないお店なんてない。
自らお店に出向いて何かを買えば、その姿が映像に残ってしまう――殺人事件なんかでも、その映像から足がつくことは多いらしい。
そんな愚を、彼女が冒すだろうか……?
誰か協力者を使って、代わりに物資を調達させていると考えたほうが自然ではないだろうか。
元より、誰にもバレずに部屋を確保すること自体、協力者がいなければ不可能だ。
であれば、食糧や生活用品の確保もまた、他人を使っていると考えるべきだ……。
……誘拐は、どうなのだろう?
それも、協力者を使っているのだろうか?
被害者には、もう地元から離れた人間も混じっていたと思う。
大学進学や就職で東京に行く人は、わたしも含めて多い――この土地から軽々に離れることのできない彼女が、すべて一人でやったと考えるのは無理があるように感じる。
だからといって、組織的犯行だと判断するのも早計だ。
共犯者が増えれば増えるほど、秘密を守るのは難しくなるからだ。
……一人か、二人。
彼女の協力者がいるとしたら、たぶんそのくらい。
そのくらいの人数なら、彼女は言いくるめられる。
彼女はかつて、小学校のクラスメイトを口先だけで不登校に追い込んだこともあるのだ――その逆をすればいいだけのことだ。
『……なるほど』
攻めるなら、こっちか。
わたしは自分の財布の中を探った。確かここに入れたはず……。
あった。
財布の中から取り出したのは、1枚の名刺だった。
記された名前は、川越佳悟。
以前、喫茶店で話したときにもらっていた、川越刑事の名刺だった。
……彼の肩書きも、ばっちり書かれている。
これを、使おう。
『……力を貸してください、川越さん』
わたしの願いを。
川越刑事の願いを。
そして、会ったこともない、20人以上の人々の家族や友人の願いを。
わたしは、その名刺に込めた。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
翌日、わたしは再びマンションを訪れていた。
今日は一日中張り込むつもりだったので、前みたいに路肩に車を停めておくわけにはいかない。
電気屋さんで買ってきた防犯用小型カメラを入口脇の植え込みに設置すると、わたしはすぐ近くにある喫茶店に入った。
窓際の席に座ってコーヒーを注文し、持参したマックブックを開く。その隣にはスマートフォン。
これでスタバによくいるノマドワーカーにしか見えないだろう。
得意げに開いてみせたマックブックは確かに仕事用だけど、今回はこっちはどうでもいい。画面には適当なエクセルを表示させておく。
わたしはスマートフォンを手に取り、さっき設置してきた小型カメラの映像を表示させた。
外出先からでもリアルタイムで家の中の様子を監視することができるという触れ込みの、ネットワーク対応型防犯カメラである。
映像はスマホで見られるから、傍からはLINEでもやっているようにしか見えない。
本来の防犯以外にも、探偵辺りに利用されていそうな代物だった。
これで、ある人物が通るのを待つ。
もちろん兄妹ではない。
一歩も外に出ずに生活するのは難しい――と思ったけれど、わたしは考えを改めていた。
よっぽどのことがない限り、彼女はマンションの敷地外には出ないんじゃないだろうか。
それこそ――誘拐を働くときでもない限り。
ゆうべ、考えを整理した通り、兄妹の潜伏生活はどう考えても協力者がいないと成り立たない。
とすれば、生活物資の補給はその協力者を使っている可能性が高い。
では、その物資の受け渡しにはどういう手段を使っているか……?
最適な方法に、心当たりがあった。
そして、それを利用すれば、二人がいる部屋を突き止められるかもしれない。
――引っかかったのは、昼前だった。
マンションから、一人のお爺さんが出てくる。
その顔を、わたしは知っていた。
あのマンションの管理人さんだ。
わたしたちが子供の頃から管理人をやっていたから、今はもう変わってしまったかと思ったけれど――まだ勤めていたらしい。
わたしの記憶でさえ、もう充分にお爺さんだったのだ――今となっては70代に入っているだろう。
……わたしの手が、ちゃんと通じてくれればいいけど。
わたしは精算して喫茶店を出て、マンションから離れていく管理人のお爺さんを尾行した。
管理人さんは牛丼屋チェーンに姿を消す。お昼ご飯か。
ものの20分程度で出てくると、マンションとは違う方角に歩き出す。
向かったのは、今度はスーパーである。
もしかしたら顔を覚えられているかもしれないと思い、わたしは建物の外から見ているだけだったけど、管理人さんはいやに迷いのない足取りで買い物をしているように見えた。
……まるで買うべき品物のリストでも存在するかのように。
ほんの30分ほどで、管理人さんはスーパーから出てくる。
その両手には、パンパンになったビニール袋が4つも下がっていた。
あれが70過ぎのお爺さんがすることか……、と思ってしまうのは、少し穿ちすぎだろうか。
ビニール袋を重そうに運んで、管理人さんはマンションに戻ってきた。
オートロックを抜けてエントランスに入る――かと思いきや、管理人さんはその手前で足を止めて、背後を振り返った。
……わたしは入口脇に姿を隠し、息を潜める。
想定済みだった。
むしろ、管理人さんのその行動こそが、わたしの推測を裏付けてくれるものだった。
管理人さんは周囲の人目を注意深く確認しているようだった。
たっぷり10秒もその場に留まってから、ようやく足音がする。
足音が消えて、慎重にエントランスのほうを覗いてみれば、管理人さんの姿はなかった。
エントランスのドアが開いた音はしなかった。
すなわち、行き先はひとつだ。
宅配ボックス。
向かって右側に、ロッカールームのような空間がひっそりと設けられている。
それが宅配ボックス。
宅配業者が受取人不在時に荷物を入れておくもので、マンションにはよく設置されている。
家を空けがちな人間でも、わざわざ再配達してもらうことなく荷物を受け取ることができる便利なシステムだ。
彼女は、この宅配ボックスを使って物資を受け取っているんじゃないだろうか。
協力者に物資の調達を任せているとして、これほど用心深く姿を消していた彼女が、自ら姿を晒すとは思えない。
その点、宅配ボックスに受け渡し物資を入れさせ、然る後に回収する、という形式を取るなら、協力者とも顔を合わせずに済む。
このマンションの宅配ボックスはダイヤル式だ。
小型カメラを設置するときにも確認した。昔から変わっていない。
これは比較的旧式なもので、ボックスを開くための暗証番号がわからなくなると荷物が取り出せなくなってしまったりする。
そういうとき、真っ先に泣きつくのが管理人さんだ――わたしも小さい頃、両親が宅配ボックストラブルで管理人さんに連絡していたのを覚えている。
つまり、宅配ボックスの管理も管理人の仕事だということだ。
ならば、宅配ボックスを物資の受け渡しに使っている、と仮定した場合、それはもちろん本来の使い方ではないわけだから、ボックスの管理者でもある管理人さんが協力させられていると考えるのが妥当である。
そうでなくとも、管理人さんは他の住人と違って引っ越してしまう心配がない。
マンションにいるのが仕事だから、必要なときにいないということもない。
そして何より、二人が隠れ住んでいるのがバレれば、その責任を負ってしまう立場でもある……。
協力者にするのにこれほど好適な人間は、他にいなかった。
少し待つと、宅配ボックスのほうから管理人さんが顔を出した。
わたしは頭を引っ込め、代わりにスマホのレンズだけを覗かせる。
管理人さんは再び注意深く辺りを確認すると、エントランスのドアの手前にある郵便受けに向かった。
……そう。
宅配ボックスに荷物を入れた後は、それを開くための暗証番号を書いた紙を、受取人の郵便受けに入れるのが手続き!
わたしは唾を飲み込み、スマホのカメラ越しに管理人さんの動きを注視した。
郵便受けの前で立ち止まり――
少しの迷いもなく――
嫌なことを済ませるように、速やかに――
――1枚の紙切れを、あるポストの中に入れる。
……何十個も並んだ郵便受け。
けれど、その位置から、どの部屋の郵便受けに入れたかは瞭然だった。
管理人さんはエントランスのドアを開け、管理人室のほうに消えていく。
わたしも怪しまれないようマンションから離れながら、スマホで録画映像を再確認した。
間違いない。
……間違いない。
0404号室。
かつて、結城家が住んでいた部屋の、真下だった。
……勝負は、明日だ。
明日、わたしは幼馴染みに再会する。




