縁/ルビー・バーグソン
ルビー・バーグソンという教え子は、自分の内面について多くを語らない少女だった。
彼女がケットシーであるという事実は、一応、教師として知ってはいたけれど、彼女はそれも、周りに伏せているようだった。
ケットシーには『愛玩種族』として人権を無視されてきた歴史がある。
その偏見は残念ながら、今も一部の貴族にこびりついたままで、だからケットシー族は自らの人種を隠そうとする者が多かった。
そういった事情を鑑みて、わたしたち学院側も、彼女のことをみだりに明かすのは控えたのだ……。
わたしはたまに、考えることがあった。
愛される、ということによって迫害を受けてきた彼女たちケットシーの目には、愛情や友情といったものが、どういう風に映るのだろう――と。
ルビーには、慮られたり優しくされたり……あるいは好意を持たれたりといったことを、どこか疎んでいるような雰囲気があった。
少しでもそういう気配があれば茶化し、誤魔化し……慎重に丁寧に、距離を取っているかのような。
もし、彼女たちにとっては、愛されることが最大の屈辱に当たるのだとしたら、その雰囲気も腑に落ちると思ったのだ。
でも……仮にそうだったとしても。
戦闘科Sクラスにフィルを加えたいつものメンバーには、彼女も気を許しているように見えた。
特に、入学当初からのライバルであるガウェインには、他のクラスメイトとは少し異なる感情を抱いているように感じたのだ……。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
ある日、学院の構内を歩いていたわたしは、街路樹の枝の上に誰かが寝そべっているのに気が付いた。
ルビーだった。
――ルビー? そんなところで何してるの?
わたしが声をかけると、ルビーは顔を向けもせず、葉の隙間を縫うように空を指差した。
『暇だからアレを眺めてたんだよ。はっは、仲のいいこった』
彼女が指差す先を見れば、青空の真ん中に、点のように小さな人影が見えた。
ジャックとフィルだ。
あの二人はたまに、ああして空の上でデートをする。
何が楽しいのか知らないが、ダイムクルドにいた頃から、二人はあれが好きだった。
――……段位戦が終わったからって。たるんでる。
『くっく。厳しいねー、お師匠さんは。ま、ウチのジジイも似たようなもんだったけどな』
前期と後期に分かれて勝ち星を奪い合う段級位戦には、それぞれの期間の合間に、わずかだけどオフシーズンがある。
前期の後には霊王戦があるから慌しいけど、今のような後期終了直後の期間は、1年で唯一、精霊術学院の空気が弛緩する時期だった。
……まあ、後期の成績によっては悠長にやっている余裕もなくなるだろうけど、ジャックは今年の前期に卒業要件(1級リーグの突破)を満たしているから、気楽なものだ。
『羨ましいぜ。ったくよ。こちとら地獄の1級リーグで足止め喰らって辟易してるっつーのに』
――……その割には余裕そうだけど。
『くく。実は、割と肌に合ってたりしてな。1級リーグの何でもアリ感が』
級位戦の中でも1級リーグの過酷さは別格である。
学院を卒業できるか否かの瀬戸際にいる人間が大半なので、とにかくみんな手段を選ばない。
対戦相手に毒を盛ったり仲間をけしかけたりは当たり前。ルールではっきりと禁止されている八百長にさえ手を出す生徒がいる始末だ。
そんな無法地帯で勝率7割を達成し、さらに入段戦をクリアすることで、ようやく学院の卒業要件を満たすことができるのだ。
『次こそ突破してやるさ。あの野郎にも勝ち越してな……』
大きな試練を前にしているルビーは、けれど、変わらない意気をもって呟いた。
……あの野郎、というのは、きっとガウェインのことだ。
入学以来、ルビーは彼のことをライバル視していた。
入学初戦で完敗したことを根に持っているのか、いつも成績で競い合っているのだ。
ライバルの存在は成長の助けになる。
だとも思うのだけれど、わたしはひとつ、教師として考えることがあった。
――やっぱり、誰かと組むつもりはないの?
ジャックとフィルがそうであるように、級位戦は普通、諜報科の誰かとコンビを組んで戦うものなのだ。
エルヴィスやガウェイン、アゼレアも、それぞれに仲間を見つけていた。
けれどルビーだけは、頑なに戦闘と諜報の二足のわらじを続けていた……。
『なんだよ。諜報科に転科しろってか、先生?』
――そういうわけじゃないけど……。
正直、適性だけを見るなら、ルビーには戦闘科より諜報科のほうが合っていると思う。
彼女の精霊術【一重の贋界】は諜報にうってつけの能力だ。
実際、その能力で得た情報アドバンテージによって、彼女は1級まで昇級したのだから。
もし彼女が諜報に専念すれば、どれほどのパフォーマンスを発揮するか。
例えば――そう。
ガウェインとコンビを組んだりしたら。
実直な性格の彼は、情報戦にはあまり向いていない。
だからこそ、その欠点をルビーが埋めることで、ジャックとフィルにも劣らないコンビになれるはずだった……。
『あたしは誰とも組まねーよ。いつかジャックの奴にも言ったけどな――あたしは今まで、一人で生きてきた。だからここでもそうするまでだ』
それに、と続けて、ルビーはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
『まかり間違ってガウェインの野郎と組んだりなんかした日にゃあ、あのでけー図体をシバき倒せなくなっちまうだろ?』
……彼女たちに偉そうに教師面しておいてなんだけれど、わたしは、ライバルというものを持ったことがない。
同じ立場で切磋琢磨した人間がいない。
トゥーラと修行をしていた頃はわたしたちの二人きりだったし、その後も、誰かと術を競い合うような機会は来なかった。
だから……きっと、それはわたしの知らない絆だったのだろう。
ただ敵というわけでも、仲間というわけでも、……もちろん、男女というわけでもなく。
ルビーとガウェインは、あれはあれで彼女たち一流の、絆で結ばれていたのだ。
これより数年後、学院崩壊事件の後に、二人はラエス王国騎士団という仕事場で、ついに手を組み合うことになる。
だけど……本当に残念ながら。
わたしがその仕事ぶりを見ることは、一度としてなかったのだった……。




