縁/ビニー
ビニーという少女について、わたしが知っているのは基本的な略歴だけだった。
悪霊術師ギルドの生き残りの一人。
かつて、ジャックとフィルを攫った盗賊団に使役されていた奴隷。
具体的にどういう子なのか、何が好きで何が嫌いなのか、人となりまではよく知らなかったというのが実情だ。
そもそも。
ビニー、そしてベニーという双子の兄妹には、どうにも自意識というものが希薄だった。
精霊〈ナベリウス〉の力【三矢の文殊】によって生まれながらに精神を共有していたのだから、それも致し方のない話だ。
最初の頃の二人は、お互いの区別すらあまり付いていない様子だった。
それが変わり始めたのは、確か精霊術学院崩壊から何ヶ月も経っていない頃のこと。
フィルを喪ったジャックが、塞ぎ込んでいた頃のことだった……。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
その頃のジャックは、冷凍保存したフィルの遺体が収まった棺の前で、日がな一日うなだれているのが常だった。
話しかけても、何も言わない。
食事を持っていっても、ほとんど口にしない。
まるでそのまま朽ち果てようとしているかのように、元より決して大柄ではない身体を、日に日に痩せさらばえさせていた……。
そんな彼を、どうにかしてこの世に繋ぎ止めようとしていたのが、その頃のわたしであり……その頃のベニーとビニーだった。
ある日のことだ。
ジャックが昏睡した。
ぱったりと、糸が切れたかのように意識を失ったのである。
まるで蝋燭の炎が潰えるかのような、とても不安になる失神の仕方だった。
心か、身体か、……あるいは両方か。
ついに、限界が来たのだ。
意識を保つ力さえも失い……ついに、瞼を開けて動くことさえできなくなったのだ……。
当時はまだ残っていたリーバー家の使用人たち(使用人のうち、メイドは後に、ダイムクルドが女人禁制となったのに応じて暇を出された。だけど一部は、ジャックが魔王となった後も忠誠を尽くしたと聞く)に混じって、わたしとベニー、ビニーの双子も、昏睡状態になった彼の世話をしていた。
流動食を口から流し込み、とにかく命だけはと足掻くように。
世話は交代制だったけれど、中でもビニーは、ジャックの傍からほとんど動こうとはしなかった。
昼夜問わず、ジャックが眠るベッドの横に、根を張ったようにへばりついた。
わたしやベニーが少しは休めと言っても、聞く耳を持とうとはしない。
精神を共有して育ち、二人で一人のようだった双子が、初めて行動を別にするようになった瞬間だった……。
そんな日々が、一週間ほども続いただろうか。
これ以上はジャックの命も危ういと、抜本的な対策を考えかけていた頃――朝に顔を合わせたベニーが、妙に顔色を悪くしているのに気付いた。
元より日焼けとは無縁の肌が、さらに白く、青く……表情を苦しそうに歪めて、下腹部の辺りを手で押さえているのだった。
――どうしたの?
と、わたしは聞いた。
ベニーは今にも吐きそうな顔をしながら答える。
『最近、ずっと、お腹の下辺りが、痛くて……身体もなんか、だるくて……』
何か悪いものでも食べたのだろうか。
あるいは風邪?
ここのところは根を詰めていたから、体調を崩してもおかしくはない。
そう訊いてみたけど、ベニーは不思議そうに首を傾げた。
『風邪とか、そんな感じじゃなくて……えっと、その……これ、たぶん、私じゃなくてビニーのほうだと……』
――ビニーの?
と問い返したところで、ふと思い至る。
身体がだるくて、お腹の下辺りが痛む。
それに、ベニーとビニーはジャックやフィルと同じ歳だから、今年で12歳……。
もしかして、と思った。
もしそうだとしたら、ベニーが不思議そうな様子なのにも説明がつく。
わたしは急いでビニーのところに向かった。
眠り続けるジャックの傍に座り込んだ彼女に、わたしはできるだけ言葉を選んで確認を取る。
――ビニー。正直に答えて?
――最近……下着に、変な汚れがついていたことはない?
ビニーはちょっと驚いた顔をした後、ぶんぶんと首を横に振った。
『あ、ありません……。そんなの、ありませんっ……』
否定しているけれど、その態度から確定的だった。
初潮が来たのだ。
年齢から考えれば自然なことだった。
わたしは彼女の目を見て、できるだけ安心させるように言う。
――恥ずかしがらなくて大丈夫。それは、自然なことだから。
『自然……? 病気じゃ、ないんですか?』
ビニーは当惑したように、ぱちくりと目を瞬いた。
どうやら彼女たち双子は、まともな性教育を受けてこなかったようだった。
だから、月経のことだって知りはしない。
ビニーは自分の身体に起こったことを何かの病気だと思って――そして、それを話せばジャックから引き離されてしまうと思って、黙っていたのだった。
わたしは懇切丁寧に、彼女の身体で起こっていることについて説明した。
それは、あなたの身体が、女性として成熟しつつある証なのだと。
きちんと大人に近付いている証拠なのだと……。
『…………そっか……』
説明を聞き終えたビニーは、自分の身体を見下ろして、下腹部をそっと手でさすった。
そして呟いたのだ。
『ワタシ…………女の子なんだ』
それは、双子の兄であるベニーと精神を共有して育ち、男でも女でもなかった彼女が、はっきりと分化した瞬間だった。
性自認の瞬間だった。
そして――
彼女は続けて、眠るジャックの顔を見る。
『…………ワタシ……女の子、なんだ…………』
おそらくは。
崇拝のそれでしかなかった感情が、別の色彩を帯び始める、その瞬間でもあったのだ。




