縁/トゥーラ・クリーズ
師匠であるトゥーラ・クリーズについて、なのにわたしには知らないことが多かった。
わたしが知っているのは、森の奥で静かに暮らしていたトゥーラであって、精霊術学院の学院長にして永世霊王、ラエス王国中の精霊術師から大師祖と敬われる彼女じゃなかったからだ。
そして、もちろん。
クライヴ・クリーズの妻としての彼女のことを、わたしはほとんどと言っていいほど知らなかった。
それを……ほんの一欠けではあるけれど、垣間見ることができたのは――今にして思えば、本当に最後の最後のことだ。
霊王戦が間近に迫った夜。
わたしが久しぶりに、彼女の前で泣いた夜のこと……。
◇◇◇―――――――◇◇◇―――――――◇◇◇
月明かりが、トゥーラの手にあるワイングラスを静かに輝かせていた。
薄暗い学院長執務室。
ワインを酌み交わしながら散発的に談笑するトゥーラとクライヴさんを、わたしは横から眺めていた。
……どうして、霊王を辞めるなんて言い出したのか。
それが訊きたかっただけだから、すぐにお暇しようと思っていたのだけど……なんだかんだで、長居してしまっていた。
『……どうした、ラケル? そんなに見つめおって。何か珍しいか?』
ほんのりと上気した顔を、ゆるりとこっちに向けるトゥーラ。
――別に、珍しいわけじゃないけど。
――ただ、なんとなく……二人のことを、眺めていたくて。
『そんなに面白いものでもないよ、僕たちは』
クライヴさんが苦笑を滲ませて言った。
『ただの老いぼれさ。見てくれは多少、珍しいかもしれないがね』
『おいおい。儂まで老いぼれ扱いか。まだまだピチピチのつもりじゃぞ?』
『僕にとってはね。でも、他の人にとってはどうかな』
『おぬしも若いのう、クライヴ。その歳になってまだ独占欲があるとはのう? ひひひ……』
戯れるようなやり取りに、わたしは頬を緩ませる。
半世紀も連れ添えば、きっと気に食わないことの一つや二つ、あったはずだ。
喧嘩もあったに違いない。
嫌になったことだって、きっと。
それでも今、二人はこうして、お酒を飲みながら緩やかに笑っている。
それはたぶん、とても素敵なことなんだと、わたしにもわかったのだ……。
『――羨ましかろう?』
いたずらっ気のある笑みを浮かべて、トゥーラがわたしを見ていた。
『おぬしにもいつかできるとよいなあ。終生、その傍らで添い遂げたいと思える相手が。
……はて。昔、似たような話をしたことがあったかの?』
わたしは笑う。
確かに、似た話を昔もした。
そのときは、わたしと結婚するなんて言ってたのに……今はすっかり、クライヴさんに夢中なんだから。
エルフの寿命のせいか、『終生』という言葉には現実味がない。
でも……、とわたしは思う。
未来を見届けたい人は、わたしにもいた。
トゥーラがクライヴさんの人生を見届けようとしているように……彼の生涯を見届けてあげたいと、わたしは思っていた。
……ああ、どうしてだろう。
いつか来る未来を思うと、泣きたくなるほどに胸が詰まった……。




