やってるってだけじゃ誰も褒めてくれない世界
王都レイナーディアは、指輪教の総本山として栄えた街だ。
教皇が住まう聖ノモラス大霊拝堂と、国王が住まうレイナーディア城を中心に、塵一つ落ちていない石畳の街並みが広がる。
塵一つ落ちていないのは、親なしの子供が拾って金にしているからだ。
だからレイナーディアを訪れたときは、ゴミをポイ捨てしている人間を見ても注意してはいけない。
彼らは、恵まれない子供らに仕事を与えているのだ。
――というような通り一遍の知識が、俺の頭の中にはすでに存在した。
だが、古人はよく言ったものだ。
『百聞は一見に如かず』。
「ふわー! 人がいっぱーい!」
「おお……!」
馬車の窓際で大興奮を見せるフィルの後ろから、俺はこっそりと声を漏らした。
言っても、俺は現代日本育ちだ。
今やその記憶はだいぶ薄れつつあるが、この世界の人間に比べればずっと、人混みってものを見慣れている。
王都とか言っても、まー大したことあらへんやろー! グワハハハ!!
……と、思っていた。正直なところ。
通りを行き交う大量の人、馬車、声。
軒を連ねる商店に並ぶ、見たこともないものの数々。
そんなのは序の口に過ぎない。
不意に窓の外を、巨大なトカゲのようなものが横切った。
馬竜だ。
その名の通り馬のような竜で、馬よりも体力があるが、変温動物ゆえ馬より気温の変化に弱い――
と、本で読んだ。
馬竜は荷馬車を曳いていて、その御者台には、普通の人間の半分ほどしかない身長の男が座っていた。
ハーフリングだ。
北方の国に多く暮らすという人種の一つで、共通点は背が小さいことと、手先が器用なことと、牧歌的な暮らしを好むこと――
と、本で読んだ。
他にも他にも、あの八百屋のおっちゃんの腕には竜人族の末裔の証拠である鱗があるし、いま大きな袋を担いで歩いていったのはドワーフだ。
――あっ、エルフだ! エルフがいた! ラケル以外に初めて見た……。やっぱりみんな超美人なんじゃん……。
指輪教は、外見に拘らず、知性持つ者には優劣をつけない。
精霊の加護の下にあることに変わりはないからだ。
そういうわけで、レイナーディアは大陸中から様々な人種が集まる一大交易都市でもあった。
この街を見たら、現代日本を知ってるからなんだって気分になってくる。
東京とか、みんな黄色人種じゃん!!
その程度で都会人気取りとか、ちゃんちゃらおかしいって話だ。
俺、フィル、ラケル、それに父さんと母さん、ポスフォード氏の6人を乗せた馬車は、自動車が6台は並んで走れそうな目抜き通りを進んでいく。
この馬車は精霊術学院が用意したもので、側面には精霊術師ギルド所有であることを示すエンブレムがある。
同じエンブレムが付いた馬車が、他にも何台も見受けられた。
それらはすべて一様に同じ方向を目指していた。
「門を抜けるぞ」
父さんが言うと同時、馬車が大きな門を通り抜けた。
俺とフィルは揃って窓から顔を出す。
赤茶色の煉瓦で組まれた大きな壁が、緩やかなカーブを描きながらずーっと続いている。
あれが、精霊術学院とそれ以外を区切る敷地なのだ。
石畳が敷き詰められた道々には、若い男女が何人も行き交っていた。
全員が同じ服装――学院の制服である。
そして、前方を見れば。
大きな建物がある。
神殿のような、宮殿のような。
詳しくはわからないが、誰か高名な建築家が、宗教的象徴と建築学的合理性を折衷させてうまいこと作ったんだろうなー、という感じの円形の建物。
そこが、俺たちの目的地。
王立精霊術学院が擁する施設の一つ。
『闘術場』である。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
闘術場のロビーには何百人という人間がいた。
そのうち、半分は俺と同じくらいの子供だ。
俺やフィルと同じ、学院の新入生に違いない。
今日はここで、精霊術学院の入学時実力テストが行われるのだから。
「ふわー。こんなにいっぱいいるんだねー!」
「ああ……正直、もっと少ないもんだと思ってた」
入学試験一切なし。推薦かスカウトのどちらかでしか入れない超エリート校だなんて言うもんだから……。
「ほとんどは、一門の師匠から推薦状を勝ち取って入学してきた子だから。あなたたちみたいなスカウト組は、少数派」
ラケルが言った。
精霊術師の中には、自分の名を刻んだ看板を構え、門下生を集めて育成している、いわば『精霊術道場』を運営している人間が数多くいる。
実は俺も、ラケルに出会う前に一度だけそういうのに入門したことがあった。
まあ、ラケルのときと似たようなことをしたら、秒速で匙を投げられて速攻で破門されたんだが。
「えー? ってことは、わたしとじーくん、結構すごい?」
「……かもな? もしかしたら? まあラケルの修行のスパルタぶりを思えば多少はすごくないと困るっていうか――」
「調子に乗るな」
「あうっ!」「いたっ!」
俺とフィルは揃って師匠のチョップを受けた。
頭を押さえる俺とフィルを、ラケルは正面から見据える。
「あなたたちには、才能がある。それはこの1年半、あなたたちを鍛えてきたこのわたしが保証する。――でも」
ラケルはロビーにひしめく新入生の子供たちに視線をやった。
「ここにいる子たちも同じように、素質を見込まれて、努力をして、狭き門を潜ってきた。
……わかる? ここでは、才能なんて持ってて当たり前のものなの。
努力なんて、してて当たり前のことなの。
あなたたちは今日から、そういう世界で、厳しい競争を勝ち抜いていかなくてはならない――
やってるってだけじゃ、誰も褒めてくれない世界で」
俺は、息を呑んだ。
少し緩んでいた気持ちが、一気に消し飛ぶ。
「ラケルさん。俺からも一ついいかな? この学院の卒業生として」
「……どうぞ」
父さんがラケルと交代して、俺とフィルの前に立った。
「まあ、概ねはラケルさんが言った通りだ。
この学院は甘い場所じゃない。天才だってだけのことでやっていける奴は一人だっていない。
そういう世界で生き抜いていくには、才能や努力なんて当たり前のもの以外に、必要なものがある……。
前にも言ったかもしれんが、俺はここじゃ落ちこぼれだった。それがどうにかこうにか卒業まで漕ぎつけたのは、どうしてだと思う?」
尋ねられ、俺とフィルは顔を見合わせた。
先にフィルが答える。
「運がよかったから?」
「はっはっは! それも重要なことだな。ああ、俺は運がよかった。それもまた事実だ。だが、運以外にもう一つある。……ジャック、なんだと思う?」
俺は少し考えて、
「……心。心を折らず……諦めなかった、から」
俺の答えを聞き、父さんは大きく頷いた。
「惜しいな」
「惜しい……ですか?」
「確かに俺は、諦めなかった。だが同時に、諦めもした」
????????
と、俺とフィルの頭の上にハテナが乱舞する。
「俺は卒業することを諦めたくなかった。卒業して、精霊術師になって、家柄だけじゃない、一角の人間になることを諦めたくなかった。
だから、それ以外のことは全部諦めた。
自分の才能が他者より優れているという幻想――
やればできるのだという言い訳――
全部、捨てた。
自分の不出来を受け入れ、自分にできること、できないこと、持っているもの、足りないもの、自分の中にあるすべてを正確に選り分けた……」
それは――
なんて、恐ろしい決断なんだろう。
自分という存在の可能性を、自ら選別する……。
その過程で、いざとなれば縋れたかもしれない希望を、逃げ道になり得たかもしれない言い訳を、一体いくつ切り捨てたのか……。
最後には何も残らないかもしれないという恐怖と、どれだけ向き合ったのか。
「いいか、ジャック、フィリーネちゃん。
自分に足りないものを知れ。だが、数えるな。
持っているものではなく、足りないものばかりを数えるようになると、あっという間に押し潰されて、壊れてしまう。
有り体に言うと、途方もなく死にたくなる。
それをやってしまったばかりに、俺よりずっと優れた才能を持ちながら学院を去った奴を、俺は何人も知っているよ……。
そいつらはその後、それはそれで、幸せそうにやっているがな。
それでも、一度数えてしまった自分の不足は、決して、自分の中から消えることはないんだ……」
噛み締めるようにそう言う父さんに、ラケルがおずおずと声をかける。
「さすがに、これから入学しようという2人には厳しい話なのでは……」
「入学すれば遅かれ早かれ知ることだ。それに、こうして親に上から目線で語られたところで、すぐには実感なんてできないだろうさ。俺もそうだったからな。
いざそのときが来て、自縄自縛に陥る前に、『そういえばこんな話を聞いたな』と思い出してもらうために、今こうして話しているんだ」
「それに」と続けて、父さんは歯を見せて笑ってみせた。
「ジャックとフィリーネちゃんなら、たとえ壁にぶつかったとしても必ず乗り越えて、途方もつかないところまでいっちまうだろうさ。
何せ俺の息子と、俺の息子が惚れた子だからな」
「ちょっ、父さん!」
いきなり何を言うかあ!!
「ふへへー」と嬉しそうに笑いながら、フィルが腕に抱き着いてきた。
「お前も時と場所を選べ!」
「えー? 他に誰もいない場所だったらいいってこと?」
「だっ……! と、とにかく! は・な・れ・ろ~っ!!」
「い・や~っ!」
必死にフィルを引き剥がそうとする俺を、親たちとラケルが微笑ましそうに笑う。
なんてことだ……。大人たちのいい玩具になってしまった。
最近、精神年齢がどんどん肉体年齢に近付いている気がする。
「じゃあ、ジャック、フィル。わたしは手続きに行ってくるから」
「俺たちも挨拶回りをせねばならん。お前たちは更衣室で着替えてくるといい」
連れてきた使用人から、俺とフィルは自分の着替えを受け取った。
今は格式ばった礼服を着ているが、試験のときはもっと動きやすい服でないといけない。
試験が終わったら学院から制服が支給されるんだが。
「迷わないように気を付けて。地図、その辺にいっぱいあると思うけど」
「わかってるって師匠。心配しなくても迷ったりしないから。そんなに子供扱いしなくても大丈夫だ」
「そう……」
というわけで、ラケルや親たちと別れた。
俺とフィル2人だけになる。
「じーくん」
「なんだ?」
「時と場所を選べばいいんだよね?」
「もうそれはいいから! さっさと行くぞ!」
「え~」
不満そうにするフィルを引きずって、俺は新入生用の更衣室を目指した。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「…………」
「…………」
迷いました。
「じーくん……」
「ま、待てフィル。そんな残念そうな目で見るな」
俺は壁に掛けられた闘術場内の地図を睨みつける。
……わっかんねえ……。
道ごちゃごちゃしすぎだろ。
「たぶんあっちら辺に行けばいいとは思うんだけどな……。どの道がどこに繋がってんだこれ……」
「あっ、そうだ。飛んでっちゃおうよ、じーくんの精霊術で。方向はわかるんでしょ?」
んんー……。
誰かに見られたらだいぶ怒られそうだが。
このまま彷徨ってる間に試験が終わる、ってオチよりはマシ、か……?
「仕方ないか……」
「決まりっ! ほら、あそこ窓開いてるよ。れっつごーっ!!」
飛びついてくるフィル。大義名分獲得って感じか。
闘術場と一言で言うが、実際には内部で第一闘術場、第二闘術場といくつもの建物に分かれていて、その合間には中庭がある。
俺たちの目の前にも中庭があり、その向こう側の建物の2階に、開きっぱなしの窓があった。
地図を見る限り、特に何にもない部屋だと思う。
あそこまで行ければ、あとは何とかなりそうだ。
「しっかり掴まってろよ」
「うん!」
フィルを抱え、俺は【巣立ちの透翼】を使ってその窓までジャンプした。
窓枠に足を乗せ――
「えっ?」
「「えっ?」」
そこで、揃って目を丸くする。
俺と、フィルと――部屋の中にいた、下着姿の女の子が。
……えーと。
とりあえず、部屋の中で着替えていたらしき赤髪の女の子は、俺たちと同じくらいの歳だった。
つまりストライクゾーン外。
フィルの裸でだって別に興奮したりはしないクールガイ、俺なのだ。
命拾いしたな。
「――――っきゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」
などと言っている場合ではなかった。
赤髪の女の子が超音波みたいな悲鳴を炸裂させ――
同時、俺たちの鼻先に真っ赤な火球が迫ってきた!
「どうわっ!?」
「ひゃーっ!!」
俺たちもまた悲鳴を上げ、窓枠から落っこちる。
「あっ、ごめんなさい!」
直後、そんな声が聞こえて、さっきの赤髪の女の子が、カーテンで身体を隠しながら窓から顔を出した。
「大丈――」
当然ながら、大丈夫である。
俺たちは窓のすぐ下で、ふわふわと宙に浮いていた。
しかし、そのせいか。
まあそのせいなんだろうな。
俺は、その女の子と、ばっちり目が合ってしまった。
「あー……」
苦笑という表情がこれほど合う状況もない。
沈黙には耐えられず、かといって何を言えばいいのかわからなくて、俺はつい、言わなくてもいいことを口走った。
「その歳でブラジャーとか必要なの?」
女の子の顔が、一気に髪と同じ色に染まる。
そして、当然の帰結として、再び悲鳴と紅蓮の炎が炸裂したのだった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「そりゃあ窓を開けっ放しにして着替えていた私も悪いけど! それは認めるけどもよ!? 精霊術を使ってまで窓から入ってくるあなたたちも常識がないんじゃない!?」
火事になる寸前で自分の護衛に取り押さえられた赤髪の女の子は、きちんと服を着たあと、俺とフィルに向かってぷりぷり怒り始めた。
「普通の真っ当な神経をしていたらよ!? 2階の窓に飛び込むなんてこと、考えもしないんじゃないかしら! 窓を開けていたのは私の落ち度だけれど! 落ち度だけれどもね!」
めっちゃ自分の非認めるじゃんこの子。怒ってるのに。
それはさておき、こっちにだって言い分はある。
「何もない部屋だと思ったんだよ。ここは更衣室じゃないだろ? どうしてこんなとこで着替えてるんだ?」
「だって、そんなの、当然じゃない!」
「いや何が」
「他人と同じ部屋で着替えるなんて、有り得ないわ!」
はー……。
そうですか。
「だから使ってないお部屋を借りて、扉に見張りを立たせていたのに! まさか窓から入ってこられるなんて! 盲点だったわ。今度からは気をつけなくちゃ!」
素直に反省できる子だった。
考え方は完璧にわがままお嬢様なのに。
「えーと……とりあえず、着替え中に窓から入ってごめん」
「ごめんなさーい!」
フィルがまるで謝る気のないノリで言ったが、なんと女の子は鷹揚に頷いた。
「今回は許してあげるわ。私にも手抜かりがあったのだし」
めっちゃ自分の非認めるなあ……。
女の子は特徴的な赤髪を右手でファサッ……と払い、どこか高圧的に胸を張った。
「申し遅れたわね。私はオースティン侯爵家の次女、アゼレア・オースティン。あなたたちも見たところ新入生のようだけれど?」
「ああ、俺はジャック・リーバー。リーバー伯爵家の嫡男だ」
「リーバー伯爵? ああ……そういえば、ダイムクルドとかいう田舎の領主がそんな名前だったわね」
おっ、喧嘩か?
「いいわよね、田舎って。緑に溢れていて。ダイムクルドは治政も安定したいい土地だと聞くわ。いいお父様をお持ちね」
褒められていた。
「で、そちらは妹さんかしら?」
と、女の子――アゼレアがフィルに目を向けると、フィルはぎゅっと俺に抱き着いた。
「フィリーネ・ポスフォードです! じーくんのお嫁さんです!」
「は?」
「え?」
なに宣言してんのこの子。
「え……えーっと……」
ほらアゼレアさん困ってるでしょ!
「許嫁……ということかしら?」
「違います! お嫁さんです!」
頑として譲らないフィルは、俺に抱き着いたまま、縄張りを争っている野良猫みたいな目でアゼレアを睨んでいる。
「お前、なに警戒してんだ」
「あのコは敵なのです。匂いでわかるのです。オンナのカンなのです」
女の勘っていうか、野生の勘って感じだけどな、パッと見。
「ええと……お、お付き合いをなされているということかしら?」
フィルの突拍子のない行動を、アゼレアは精一杯斟酌しようとしてくれていた。いい子だ……。
「そーです! じーくんはわたしので、わたしはじーくんのなのです! なのでイロイロとやることもやっているのです!」
「ヤッ……!?」
アゼレアの顔が真っ赤に染まる。
……意味わかったの? お嬢様。
「い、イロイロって……そんな、まさか……まだ子供ですし……そんな大したことは……」
「ときどきチューをします!」
「チュッ……!?!?」
はいフィリーネさんちょっと黙りましょうねー。
俺はフィルの口を手で塞いだ。
「もがもがもがー!!」
「フィルお前今日飛ばしすぎ」
旦那様ぜんぜんついていけてません。
「あ、ああっ……! いやらしい……! いやらしいわ……! あんな風に強引に……! きっといつもは手じゃなくて口で……!!」
もう全体的についていけねえよマセガキども。
フィルの口とアゼレアの脳内が多少なりとも治まるまで、少々の時間を要した。
「……お見苦しいところをお見せしたわね」
まだ少し赤い顔で、アゼレアは咳払いをして空気のリセットを試みる。
「突っ込んだことを訊いてしまった私も悪いけれど、あなたたちもあなたたちだわ! ダメよ! まだ子供なのにチ……なんて! 不潔だわ!」
「もうなんかすいません」
「どんな教育を受けてるのかしら! あなたたち、どなたの門下なの?」
「どなたの……ってのは、師匠が誰かってことか?」
「そうよ。ちなみに私はかつての大戦で『炎神』と称された英雄、ブレンダン・マスグレイヴ様が開かれた炎神天照流の門下生よ!」
聞いてもいないのにすごく得意げに説明してくれたアゼレアには悪いが、残念ながらこちとら世事には明るくないので、そんなカッコよさげな名前の流派があること自体知らなかった。
ブレンダン・マスグレイヴって名前は、チラッと聞いたことあるかな?
ってことは、本当に伝統ある一門の門下生らしい。
俺はフィルと顔を見合わせる。
まあ師匠の名前が知りたいって言うなら、言うけど。
別に口止めをされてるわけでもないし。
「俺の師匠は、ラケルっていう名前だ。こっちのフィルも同じ」
「ラケル?」
アゼレアは首を傾げた。
「そんな術師、聞いたこともないわね。どこの野良術師かしら」
「一応精霊術師ギルドには登録してるって言ってたけどな。あんまり寄りついてないみたいだけど」
「ふうん。じゃああなたたち、そのラケルとかいう術師に精霊術を教わって、他の先生に名義だけ貸してもらって入学したってわけかしら。否定はしないけれど、後悔するわよ? 実力も伴わないでこの学院に入学すると」
物言いこそ挑発的だが、俺の耳には、それは真摯な忠告に聞こえた。
だがフィルはぶーっとむくれている。鎮まりたまえ。
「この学院には国中から有望な精霊術師の卵が集まってくる。それは決して『人よりちょっと上手い』程度のレベルじゃあないわ。
知ってるかしら? 巷を騒がせていた『真紅の猫』って盗賊団が、たった2人の子供に壊滅させられたって話。その子たちも、今年スカウトされて入学するって話よ?
どんな子たちなのかしら。ぜひ一度会ってお話ししてみたいわ!」
「それ――」とあっさりバラしかけたフィルの口を再び塞いだ。
なんだかめんどくさくなりそうなので黙っておくが吉。
「それに……」
アゼレアの声のトーンが不意に下がり、表情も少しばかり真剣なものになった。
「今年は、あの『天才王子』がついに入学するらしいしね……」
「『天才王子』……?」
首を傾げると、アゼレアは驚いた顔をした。
「あなた、知らないの? 王族始まって以来の神童と言われる、この国の第三王子よ! すでに精霊術師として、実戦で多くの戦果を挙げているらしいわ」
王族始まって以来の神童……そんな奴がいるのか。
ダイムクルドって、結構王都から離れてるから、あんまりそういう情報は入ってこないんだよなあ……。
それでなくとも、ラケルの修行についていくのに精一杯だったし。
「ふふ……腕が鳴るわね。相応しい競争相手がいてこそ、私の才能が光り輝くというものだわ」
ずいぶんと自信過剰なお嬢様らしい。
一人で勝手に闘志を燃やしていた。
「ま、あなたたちもせいぜい頑張りなさい。これも縁だし、せめて6級には合格できるよう祈っていてあげるわ。ただ、怪我だけはしないように気を付けてね! それじゃあ御機嫌よう!」
高圧的なんだか優しいんだかよくわからない台詞を置いて、アゼレア・オースティンは護衛と共に去っていった。
結局、あいつ、ほとんど一人で喋ってたな……。
アゼレアの派手な赤髪が見えなくなってから、ようやくフィルがコメントを発する。
「自分勝手な子!」
俺はそれを無言で流した。
……同族嫌悪ってやつですかね。




