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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
真実の輪廻期:奪い取られた初恋を

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第Ω話 デッドエンド・ポイント - Part2


「一般常識のない奴でのう。ここは儂の顔に免じて見逃してくれんか?」


「ったく、仕方ねーなぁ……。別にあたしも仕事増やしてーわけじゃねーし、あんたがケツ持つんだったら……」


「かたじけない」


 頭の中が凍りついているうちに、堅い制服を着たルビーは去っていった。

 ひひひ、と笑い声がある。

 とても懐かしい――泣きたくなるほど懐かしい笑い声が。


「あの不良娘が今や取り締まる側とはのう――面白いもんじゃ、人生というやつは。

 対して、おぬしはさっぱり変わらんの、ラケル。しっかりしておるようで抜けているところといい、要領がいいようで不器用なところといい……」


「…………ぁ…………」


 声が、出ない。

 本物、なの?

 屍体を依り代に作った魔物でもなく――

 魂のない哲学的ゾンビでもなく――

 紛い物の幻でもなく?


「どうした。儂のプリティな顔を忘れたか? ま、90年ぶりじゃからの――森の中に引きこもっておった頃に比べれば、環境も段違いじゃ。多少は顔つきも変わろうというものか。

 ともあれ、場所を移そうぞ、弟子よ。ここは人が多くて敵わんわ」


 服の袖をくいっと引っ張られ、わたしは足を動かす。

 その様は、まるっきり親と子供だった――体格は、わたしのほうが大人なのに。


 トゥーラは近くの公園にわたしを引っ張り込んだ。

 ここにも宴会をしている人がたくさんいたけれど、人気のない東屋(あずまや)を見つけて、その中に腰を下ろす。


「ふう。まったくどこもかしこもお祭り騒ぎで、田舎者には堪えるわ。こんなときで悪かったのう、ラケル。おぬしもこの街には疲れよう」


「あ……えっ、と……」


 ようやく、喉が震えてくれた。

 混乱で渋滞する頭の中をどうにか整理して、ゆっくりと言葉にしていく。


「トゥーラ……なの? わたしの、師匠の……?」


「あん? なんじゃ、本当に顔を忘れとったのか? 薄情な奴じゃな」


「う、ううん。そうじゃ……そうじゃなくて……」


 ……さっき、ルビーはわたしのことを知らない様子だった……。

 だけど、トゥーラはわたしのことを知っている。

 トゥーラは「ひひひ」と唇を歪めて、


「それとも、またぞろ記憶喪失にでもなりおったのか? さっきも様子が変じゃったし――」


「……………………」


 黙り込むわたしを見て、トゥーラは徐々に笑みを消していった。

 つぶらな瞳が、神妙な輝きを帯びる。


「……まさか……マジか?」


「…………え、と……」


「え、ええ~……? 思いっきり知り合いの体で話しかけちゃったんじゃけど~……恥っずかし……」


「だ、大丈夫! 覚えてる! トゥーラのことは覚えてるから!」


 トゥーラはことりと首を傾げ、銀髪を揺らした。


「だったらどうしたんじゃ?」


「なんていうか……記憶は、はっきりしてるの。……でも、どうして自分がここにいるのか……」


「どうしても何も、儂が手紙で呼んだんじゃろうが。この公園を待ち合わせ場所にして。いざ来てみたらおぬしが教え子と揉めておってビビったぞ」


「……手紙……?」


 わたしは荷物の中を今一度漁った。

 宿で調べたときには気付かなかったけど……着替えの下から封筒が出てきた。

 封は破られている。

 中身に目を通してみると、確かにトゥーラとの待ち合わせの旨が記してあった。


「大変じゃったぞ、それを届けるのは。何せおぬしがどこをほっつき歩いておるのかさっぱりわからんかったからのう。ツテを使って探させたんじゃ。権力持っててよかったと初めて思った瞬間じゃったの。ひひひ!」


「…………わたし、知らない…………」


 もう一度言う。

 封は破られていた。

 わたしは、読んだのだ。

 この手紙を読んだのだ。

 そして、この街に――バアリアにやってきた。

 だけど。


「…………こんなの、知らない…………。こんな街、知らない……。バアリアってどこ……? フィアーマ帝国って何……? なんで……? どうなってるの……? なんで…………?」


「……ふうむ。何やらややこしそうじゃな」


 トゥーラは難しげに眉根を寄せて、細い腕を緩く組んだ。


「とりあえず、話してみい。おぬしの覚えている限りのことを」


「…………長く……なるかも、しれないけど」


「よい。今日はオフじゃ。時間には余裕がある」


 わたしは、逡巡した末、ぽつぽつと話し始めた。

 わたしが経験したことを。

 この見ず知らずの場所に辿り着くまでの、記憶を。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「――……んん~……んんんん~~~」


 掻い摘んで話し終えると、トゥーラはいっそう難しそうな顔になって、東屋の天井を仰ぎながら唸り始めた。

 わたしはなんだか怖くなって、そっと声をかける。


「や……やっぱり、信じられない……?」


「むむむ……。正直、困惑しておる……。想像しておったことの1万倍くらい壮大な話で……。【因果の先導】か……。確かに、噂くらいは聞いたことがあるが……」


 さすがのトゥーラでも、すぐには呑み込めないらしい。

 わたしだって、逆の立場だったらこうなっただろう。

【因果の先導】を使って時間を何度もやり直し、同じように時間を操る相手と戦っているうちに、まったく知らない異世界のような場所に来てしまった、なんて。


 わたしだったら、真っ先に相手の精神状態を疑うと思う。

 そうしないトゥーラは、まだしも理知的だと言えた。


「うむむ……。軽々に丸呑みすることはできんが……おぬしがこのような大ボラを吹ける人間でないのはよく知っておる。それに、一概にでっち上げとも言いにくい部分もあるしのう……」


「それって?」


「儂の娘の話じゃ。あやつの『夢想現実』を知っておるのは、儂を含むごく限られた人間だけのはずなんじゃ。おぬしが知っておるはずがない」


 ……そっか。

 情報戦において圧倒的に優位に立てるティーナの『夢想現実』……公表するにはあまりに危険な能力だ。


「いつまでも疑っておっても詮無きことか……。とりあえず、おぬしの言うことを全面的に信用することとして、いくつか確認したいことがある」


 木のテーブルに肘をついて、トゥーラは身を乗り出した。


「というのも、他でもない――50年前(・・・・)の話じゃ」


「……50年前……?」


「ラケル――おぬしの記憶にある世界では、邪神は復活せんかったのか?」


 ……え?

 邪神?


「それは、さっき言った通り……邪神が復活したせいで世界が――」


「そっちではない。50年前の話じゃ。おぬしと儂が別れてから、大体40年後」


「え……? 50年前……?」


 わけがわからない。

 その頃なら、わたしはあちこちを放浪している最中……。

 トゥーラは確か、そのくらいの時期に精霊術学院の教師になったんだっけ?


「儂の記憶では――この世界ではな、ラケル」


 トゥーラはいたずらっけのない、真剣な声音で告げた。




「邪神は今から50年前に復活し、そして調伏されたんじゃ」




 …………え?

 邪神が――


 ――もう、倒されてる?




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 トゥーラは語った。

 わたしが知らない世界の歴史を。


「今からおよそ50年前――突如のことじゃった。どんな預言者も予期し得ないタイミングで、何の前触れもなくそやつは現れた。」


「――邪神。」


「おぬしも語った通りの大蜘蛛が、空の真ん中に現れたのじゃ。」


「世界は恐れおののいた。伝説にある通りの終末が、ついにやってきたんじゃと。

 しかし、当時大陸に覇を唱えておった列強三国――かつて邪神を封じた勇者の末裔たちはこれに即応し、古の盟約を引っ張り出した。」


「――『救世合意』――」


「世界が危機に瀕したとき、国際的な利害を無視して協力し合うとする約定が史上初めて発動し、『勇者』が選抜されたんじゃ。」


「勇者の名は、イヴ・フィアーマ。」


「邪神を封じて英雄になったものの、早々に歴史の表舞台から消え去った、第四の勇者(・・・・・)の末裔じゃった――」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「…………だ」


 わたしは愕然と喉奥で呻く。


「第四の勇者の末裔―――?」


「そうじゃ。『フィアーマ』――長らく忘れ去られていたが、それが第四の勇者の名じゃった。勇者フィアーマは他の勇者たちと同じく国を興し、建国の祖となったが、順調に発展して大陸に覇を唱えた他の三国とは異なり、早々に衰退したんじゃ。

 今となっては、それは故意の衰退であったことがわかっておる――勇者フィアーマの一族はとある理由から身を潜める必要性に駆られたのじゃ」


「とある理由……?」


「邪神の封印」


 わたしは息を呑み、トゥーラの言葉に耳をそばだてた。


「詳細は公表されておらぬが、フィアーマの一族は邪神の封印について極めて重要な役目を担っていたとされておる。それを全うするためには、王家として表舞台に立ち続けるわけにはいかなかったんじゃ」


 第四の勇者フィアーマ。

 フィアーマの一族。

 わたしの脳裏に真っ先に蘇ったのは、夢の世界で勇者ロウが今際の際に叫んだ言葉だった。




 ――いいか、よく聞け……! 邪神のことを知る者は、現代にも残っている!


 ――たった一つの、とある一族! その一族だけが詳細を伝承すると、おれたちが取り決めた……!




 その一族の名を叫ぶ前に、彼は瓦礫の中に消えた……。

 もしかすると、フィアーマの一族こそが、彼の言っていた……?


「……っ」


 フィアーマ。

 フィアーマの一族。

 トゥーラが言うその言葉を反芻するごとに、頭の奥がずくりと疼くような感じがした。


 どこかで、聞いたことがある。


 この世界に来る以前に、確かに、どこかで。

 あれは、いつ、どこでのことだっけ……。

 とても重要なことのように思えるのに……積み重ねた膨大な記憶が邪魔をして、すぐには出てこない……。

 

「よいか、続けるぞ? イヴ・フィアーマが勇者に選ばれ、彼女を含む4人の人間に、『四種の神器』が与えられたのじゃ――」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「『四種の神器』――異界よりもたらされたとされる四つの武器。それだけが邪神を倒しうる唯一の希望じゃった。

 何せあの虫けらめ、()()()()()()()

 かといって、ただの剣や槍を突き立てたところで倒せるものでもない――異界由来の力に頼るしかなかったのも当然と言えよう。」


「かくして、戦争が始まった。」


「人間と邪神の戦争。『邪神戦争』と今は呼ぶ。森から出てきたばかりの儂も、成り行きで参加することになってのう――

 酷いもんじゃったぞ。何せあの大蜘蛛めは空からやってくる。人間が何百年もかけて洗練させた兵法は、人間同士の、それも地上での戦いを想定したものじゃ。真上から攻めてくる大蜘蛛相手には屁の役にも立たん。

 だというのに頭の固い貴族どもがそれに固執し、罪もない兵たちがゴミのように――否、エサのように死んだ。」


「気分が悪いから詳しくは説明せんがな、邪神に――正確にはそれがばら撒いた子蜘蛛どもに――やられた奴らの死に様と言ったら、とてもこの世のものとは思えんかった。

 当然、士気は低下する。戦力は落ちる。だから被害が広がる。

 調伏がもう少し遅ければ、ラケル、おぬしが体験したように、人類は滅んでおったじゃろう。」


「しかし、勝った。」


「人類は、勇者は勝利した――邪神が地表に到達するその前に、これを調伏することに成功した。」


「『調伏』じゃ。『封印』でも『討伐』でもない――そうなってから初めて、人々は邪神と呼んでいたものの正体を知らされたのじゃ。」


「思えば、ヒントはあった。なぜ邪神には精霊術が効かないのか――正体を知ってしまえば、それも当然のことじゃったんじゃ。」


「精霊術は儂らに宿る精霊の力。そして72柱存在するとされる精霊には序列があり、すなわちたった一つの頂点がある。」


「そうじゃ。」


「儂の〈フェネクス〉が音を司るように、『それ』は精霊を司るモノじゃった。ゆえに精霊の力は効かぬ。民が王に対して権力を振るえぬように。」




「――精霊序列エレメンタル・カースト第1位、〈授かりし神権のバアル〉。」




「それが、邪神と呼ばれていたモノの真の名じゃった」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「……は……?」


 一瞬、頭が理解を拒絶した。

 ちょっと。

 ……ちょっと、待って。


「……〈バアル〉……? 〈バアル〉が、あの邪神の正体だっていうの……!?」


「当時の儂らもそんな風な反応をしたのう。懐かしい。じゃが、それが事実じゃ――太古の昔、世界が精霊王の手を離れ、人と精霊のみの力によって歩き出した頃。精霊たちの長であったはずの〈バアル〉は、何らかの原因から悪しきモノに堕した。悪に堕ちた精霊。言うなれば、それは―――」


 トゥーラが口にした言葉と。

 記憶にある勇者ロウの言葉が。

 そのとき、重なった。


「―――悪霊(・・)


 ああ。

 ああああ、ああああああああ……!!

 だからだったんだ。

 だから彼は、『邪神』よりも『悪霊』という呼び方のほうが相応しいと……!!


「だから勇者イヴ・フィアーマは、封印でも討伐でもなく調伏という手段を選んだんじゃ。悪に堕した精霊〈バアル〉を正しき道に引っ張り戻し、人間への恵みとなる存在とするために」


「そんなの……一体どうやって……」


「わからん。なんかいつの間にかできとった、というのが儂含む大半の人間の感想じゃなあ。

 とにかく、厳然たる事実があった。イヴ・フィアーマによって邪神バアルは調伏され、正しき精霊となってその身に宿った、という事実がな。

 あとは、至極自然な流れじゃった……。

 そこまでやってみせた英雄を、厳しい戦いを生き残った人間が神聖視せんはずがない。そうじゃろう?」


 わたしは思い出す。

 宿の従業員から聞いた、この場所の――この国の名前を。


「邪神戦争によって、三国の国力は疲弊していた。救世合意による協力態勢を解けば、その瞬間、瓦解してしまいかねないほどに。

 だから、選択肢はひとつじゃったんじゃ。神にも等しい所業を成してみせた勇者、イヴ・フィアーマを旗印に、三国をひとつに統合すること――

 そして、この国が生まれた。

『神聖フィアーマ帝国』がな――」


 ラエス、ロウ、センリ。

 勇者を祖とする三つの国が、長らく身を潜めていた第四の勇者の末裔を中心として手を結び合った。


 その産物が、この国。

 神聖フィアーマ帝国。


「……ううむ。なるほどのう」


 この世界の歴史を語り終えたトゥーラは、なぜかわたしが感想を言う前に、自分で納得の声をあげた。


「こうして改めて振り返ってみると、少々できすぎ(・・・・)じゃな――神話の物語のようじゃ。この身で経験したことじゃから、今までさほどおかしく思わなんだが――どうにも作為の匂いがある」


「作為の匂い……? 誰かが仕組んだってこと……?」


「誰か、というか」


 トゥーラは皮肉げに片頬を吊り上げ、小さな肩を軽く竦めた。


「おぬしが言った、少女Xとやらじゃろう? それ以外に考えられるか?」


「あ――」


 わたしの記憶にある世界では、50年前に邪神の復活なんて起こらなかった。

 しかし、この世界では起こっている。

 歴史が改変された――そうとしか考えられない。


 だけどわたしは、50年も前にタイムリープすることはできない。

 だとしたら、犯人は一人だけ――


「…………あ、ああ…………!!」


 50年前。

 50年も前に、彼女はタイムリープしたのだ。

 そして、歴史を変えた。

 駒を並べたチェス盤を、テーブルごと引っ繰り返すように!


「…………あ、ぅ……ああ、あああ…………!!」


 こんなの。

 こんなのって。


 わたしは――何を自惚れていたんだ。

 たかだか数ヶ月、時間を遡れる程度のことで、どうして彼女と戦えているなんて思っていたんだ!


 わたしは、彼女の手のひらの上で踊っていたんだ。

 彼女はその気になったら、いつでもこの手を打つことができた。

 わたしの過去改変なんてロウソクに集る蛾のように無視して、世界を丸ごと引っ繰り返すことができた。


 わたしがちまちま積み重ねた記憶を、情報を、技術を!

 何もかも、白紙にすることができたんだ……!!


「…………ぁ、ぅ……ぅう…………!!」


 か細く喉の奥で呻きながら……わたしはいつしか、涙をこぼしていた。

 何十年。

 何百年。

 気の遠くなるような時間を、戦い続けた。


 でも、それは無駄だった。

 彼女にとっては些末なことに過ぎなかった。




 こんなの―――どうやって勝てばいいの?




 気付くと、トゥーラの細い腕が、わたしの肩を優しく抱いていた。

 わたしは、彼女の小さな胸に顔を押しつけて、子供のように泣きじゃくった……。



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― 新着の感想 ―
伏線を張るのが上手すぎる
[一言] それはないよ・゜・(*ノДノ)・゜・‬
[一言] そんなんありかよ…
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