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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
真実の輪廻期:奪い取られた初恋を

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第72話 輪廻VS転生 - Part3


 センリ共和国は、ずいぶん前に市民革命が起こって王政が廃された、大陸史上初の民主主義国家だ。

 基本的には昔ながらの封建政治を維持しているラエス、ロウの二国とは違って、積極的な技術革新と中央集権を国として進めている。

 指輪教の影響力は相変わらずだけれど、勇者の末裔である王族はとっくに排斥されていて、全員いずこにいるとも知れなかった。

 となると、邪神封印の要である勇者センリもどこに追いやられたものか……。


「ヒントはあるはず……」


 わたしはラエス王国大使館の窓から、センリ共和国首都イルネシアの夜景を見渡した。


 例えば、勇者ラエスが眠っていたのは精霊術学院の地下だ。

 学院にはラエスの精霊術による殺傷無効化結界があった――後にダイムクルドが精霊励起システムと名付けた技術によって、術者の意思を介さずに精霊術を自動発動させていたのだ。


 この先例を踏まえると……もしかすると、勇者ロウの精霊〈レラジェ〉の力も、ロウ王国王都ブレイディアに影響を及ぼしていたのかもしれない。


〈レラジェ〉が司るのは『戦争』。

 その力は戦いを引き起こすものだ。

 より具体的には、士気のコントロールを可能とするものである。

 一定範囲内の人間を昂揚状態にし、死をも恐れない戦士にする……『鼓舞』の力。


 ロウ王国兵の勇猛果敢さは世界中の知るところだ。

 もしかすると、その秘密は勇者ロウの〈レラジェ〉にあったのだろうか……?


 と、するならば。

 勇者センリの眠る場所にも、その精霊術の影響が出ているかもしれない――


「……あそこ……?」


 わたしは夜景の中に黒々と聳える大きな影に目を留めた。

 世界最大とも言われる大病院――『デル・ドンノ・クリニック』である。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 かつて。

 まだ王国だったセンリを、深刻な流行病が襲った。


 老若男女問わず、誰も彼もを彼岸へと連れ去る不可視の死神。

 あるいは、今の魔王軍と同じくらい怖れられた病は、一説には1000万もの人命を奪ったという。


 人々が絶望の淵に立たされたそのとき、あたかも勇者のごとく立ち上がった一人の医者がいた。

 それが後に『医聖』と称される男、ドクター・デル・ドンノだ。


 彼が流行病の研究に生涯を捧げ、ついには斃れることとなった『医』の聖地――それが世界一の医療技術を誇るデル・ドンノ・クリニックである。


 王政時代の施設は、その多くが機能を変えて建物だけ流用されている。

 中には朽ちるに任せている建物さえあるけど、デル・ドンノ・クリニックは数少ない例外のひとつだった。


 革命政府の厚遇を受け、城のように聳え立つ白亜の壁。

 わたしはその前に立ち、屋上を見上げるのではなく、地面に視線を落とす……。


 デル・ドンノ・クリニックでは、他国の王族ですら隠密裏に治療を受けることがあると言う。

 そのくらいに図抜けた医療技術なのだ。

 他の二国では、医療については各村に住まう知恵者に口伝されてきた経験則的な知識に頼っている状態だ。

 この病院のように、体系的に、理論的に、『人の健康を保ち、あるいは回復させる』ということについて研究し、その恩恵を人民に与えることのできる施設が、そもそも存在しない。

 根本的に『治療』という概念への哲学が違うのである。


 なぜ、センリだけがこれほど先進的な医療設備を成立させ得たのか。

 ドクター・デル・ドンノという英雄のおかげだと言えばそれまでだけれど――『英雄』は引き継げない。

 カリスマは残る。

 考え方は残る。

 知識は残る。

 しかし、技術だけは引き継げない――


 センリの人々が医聖デル・ドンノの後を引き継ぐことができたのは、この土地に秘密があるからじゃないだろうか。


 伝説によれば、勇者センリの精霊は〈マルバス〉。

『疫病』を司る精霊だ。


 わたしは白亜の建物の周囲に注意を向ける……。

 各国のVIPが入院することもある都合上、機密性、警備態勢、どちらもロウ王国の神器殿をすら大きく上回る。

 夜だろうが関係なく、敷地内には軍服の兵士が巡回していた。

 その肩には、長い金属の筒――銃を抱えている。


 あれは確か、ダイムクルドが初期に運用した旧式のものだったと思う。

 今、魔王軍が使っているのとは異なり、一発ずつしか撃つことはできず、命中精度も低い。

 マスケット……とかいったっけ。


 なるほど、技術に貪欲なセンリらしい。

 ダイムクルドの新技術を続々と模倣している最中らしい。

 たった7年で異常な発展を見せたかの天空魔領には、さすがに追いつけていないようだけど――もしダイムクルドが消えてなくなったら、その技術を吸収したセンリが覇権を握るのかもしれない。

 実際、センリ共和国大統領エヴェリーナ・アンツァネッロは、ルビーと共謀してラエスとロウを平らげようとしていた。


 少女Xが関わっていないのなら、それはただの時代の流れなのだろうから、わたしがとやかく言うことではないけど……。

 ……王都レイナーディアに翻るセンリの旗が、わたしの脳裏に蘇る。

 エルヴィスが晒し首になったという事実は、この世界には、まだ存在しない。

 それでも、残っている。

 ここ(・・)には……残っているのだ。


 ともあれ、調べない理由はない。

 今のわたしに、時間的な制約は存在しないのだ。

 少しでも怪しいと思った場所は、全部調べればいい。


 怪しいとしたら、やはり地下。

 デル・ドンノ・クリニックの地下に勇者センリの祭壇があると考え――わたしは【一重の贋界】で姿を消した。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 院内の案内図には地下への階段がなかったけれど、今さら少しばかり隠された程度で誤魔化されるようなわたしではない。

 元はトゥーラの精霊術【清浄の聖歌】は、元来、音を操る精霊術である。

 音には、物に当たると反射する性質がある――山びこなどがその典型。

 耳には聞こえない音を放ち、その反射具合を感じ取れば、建物の構造をおおよそではあるけど把握することができるのだ。


 案の定、隠し階段があった。

 屍体(したい)安置室に、空っぽなのに中味があることになっているロッカーがひとつあり、それを抜き取ると、梯子のかかった穴が現れる仕組みだった。

 妙に感心してしまう。

 確かにこれなら、知っていなければ見つけられっこない。

 屍体の入っているロッカーを好きこのんで開く人間は稀だからだ。


 いろいろ考えるものだと思いながら、梯子を下りる。

 神器殿のときと同じ暗い地下通路だったけれど、足元の感じが違った。

 こっちの地下通路は、ちゃんと舗装されている……。


 そう思ったとき、両脇の壁に、ぽっ、と火が灯った。

 続いて、闇を奥へ奥へと押し込んでいくように、ぽっ、ぽっ、ぽっ、と順番に火が灯ってゆく……。

 ……導いて、いるのか。

 ざわりと嫌な感触に首筋を撫でられながら、わたしは炎に照らされた地下通路を歩いた……。


「♪ ―――――――― ♪」


 奥へと、進むにつれて。

 ……何か……。

 ……音が……。

 闇の奥から、響いているのに気付く。


 足を一歩進めるごとに、その音は――その声は、はっきりとした形を得る。

 ……いいや、音ではない。

 ……いいや、声ではない。


 それは――歌だった。


 今まで、何百年という人生で聞いた中でも……もっとも、残酷で醜悪な歌だった。




「♪ せっせっせーのよいよいよい ♪」


「♪ 澄ました顔した 生娘気取りが ♪」


「♪ ぶよぶよ太って 泣き喚く ♪」


「♪ ラーラランランランランランラン ♪」


「♪ ラーラランランランランラン ♪」


「♪ ラーラランランランランランラン ♪」


「♪ ランランランランラ…… ♪」




 怨嗟でもなく、憎悪でもなく……ただただ楽しそうに弾む、その歌声。

 どうしたら、こんな歌が歌えるのか。

 込み上げる吐き気を噛み砕く。

 突きつけたつもりか――これがわたしの未来だと。


 ……彼女は、タイムリープをしている。

 その前提を正しいとすれば……彼女は、これから始まるわたしとの戦いを、すでに経験していることになる……。


 なぜならば。

 もし彼女がまだタイムリープをしていないのなら、十中八九わたしが勝つからだ。


 けれど、そうすると彼女はすぐにタイムリープをする。

 歴史を変える。

 敗北という結果を消去する。

 わたしの勝利の記憶を塗り潰す形で。


 こうして記憶が繋がっているというその時点で、わたしには確実に、敗北の未来が待っているのだ。

 わたしが勝った時点で、彼女が時間を戻ってやり直し、新たな歴史で上書きしてしまう以上――わたしには、敗北以外の記憶を保持することが許されないのだ。


 だから、これから出会う彼女は、すでに未来を経験している彼女でしか有り得ない。

 もしそうでないとしても、その記憶はすぐに上書きされて消えてしまう。

 わたしは常に、負けるために彼女の前に立つことになるのだ……。


 しかし、それは彼女も同じことだ。

 わたしの覚えていないところで彼女も敗北し、そして勝ったときのことはわたしのタイムリープによって上書きされる。


 お互いに、負けたときのことしか記憶できない。

 それがこの超時間的な戦いのルールなのだ。


 ――ただし。

 すべての敗北を覚え続けるわたしに対して、彼女は直前の1回の敗北しか記憶しないと言う。


「……………………」


 歴史改変合戦の結果は、その過程を直接記憶していなくたって、戦闘の内容に余すことなく現れる。

 だから、覚えておくのは直前の分だけでいい――


 確かにそうだ。

 理屈はわからないけれど、仮にそれを実現できたなら、タイムリーパーにとって唯一の弱点である精神力を疲弊することもない。

 必勝法だ。文句なしの。


 ……しかし。

 わたしは服の胸を強く掴んだ。


 しかし(・・・)―――


 空間が広くなった。

 神殿が、姿を現す。

 72の精霊像。

 見覚えのある大広間だった。


 しかしここでは、居並んだ精霊像がすべて、透明なケースで保護してあった。

 視線を上向ければ、古ぼけた天井は木の梁で補強してあり、何のためのものか、金属の(パイプ)がツタのように張り巡らされている。

 歴史的遺物としてか、それとも別の目的があるのか……センリ共和国は、この地下神殿を保存しているらしい。


 72のケースが並ぶ大広間に足を踏み入れると、瞬間、背後で入口で塞がった。

 明らかに元からあったものではない、頑強な鉄の扉だ。

 わたしがちらりと背後を一瞥したそのとき、前方から声がする。


「――これで、今度は水入りを気にしなくて済みます」


 空間の最奥。

 透明なケースに挟まれた道の果てに、小柄な少女が佇んでいる。


「引き分けは、なくなりました。……さあ、殺し合おうではありませんか? どちらかが、死ぬまで」


「……そんなことを言って」

 わたしは静かに言う。

「あなたにとっては、2回目なんでしょう?」


「本当の1周目でも、きっとあなたはそう言ったでしょうね……?」


 くすくすくす、と空虚な笑い声が流れた。

 今更この程度で、煙に巻かれたりはしない。


「あまり横道に逸れるのはやめましょう」


 継ぎ接ぎめいた笑みを口元に貼り付け、彼女はくにりと首を傾げる。


「変に未来が変わってしまうと、1周分、手間が増えてしまうじゃないですか。それは嫌でしょう……?」


「…………1周分」


「そう――1周分です。当然、わかっておいでですよね? 今回の『1周』は、前のとは重みが違います――何せ今回は、()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んですからね」


 ……【因果の先導】は、好きな時間に遡れるような便利な力じゃない。

 戻れるのはセーブポイントのみ。

 たぶん、いま戻れば、彼女の言う通り――神器殿での戦いからやり直すことになる。


 何十回、何百回というタイムリープを繰り返したあの戦いを。


 ……一度戻るたびに、主観時間にして何年かかるのか。

 この戦いが終わるのに、一体何百年かかるのか。

 想像さえもつかない。

 いいや、想像しようとする、その試みだけで、膨大な時間の圧に魂が軋みを上げる……。


「ここで前と同じように戦えば、あなたの精神年齢は軽く1000歳を超えるでしょうね?

 ――覚悟はおありですか? 勝ち目のない戦いに、1000年をかける覚悟が」


 わたしは瞼を閉じた。

 魂は軋みを上げている。

 心は嫌だ嫌だと泣き叫んでいる。


 それでも、身体は逃げようとしない。


 胸の奥で、わたしを支えているものがある。

 わたしの背中を、押すものがある。

 だから。


「――ある。だから、ここに来た」


 おそらくは、これから何百回と繰り返すことになる台詞を、わたしは口にした。


「それに」


 己を鼓舞する笑みを口に刻み、わたしは宿敵に告げる。


「勝ち目がないなんて――わたしのほうは、これっぽっちも思ってない」


「……残念です」


 言葉とは矛盾した笑みを、少女Xは満面に広げた。


「あなたが、一体何周目からそう言えなくなるのか――このわたしは、知ることができないんですからね!」


 瞬時、わたしは足を踏み出す。

 刹那、少女Xがナイフを頭上に投げ放つ。


 わたしは【不撓の柱石】を行使し、虚空から金属剣を生み出して右手に握った。

 その鋭い切っ先で少女Xを貫くべく肉迫するが、その前に、投げられたナイフが天井の金属管(パイプ)に突き刺さった。


 プシュッ! とパイプの裂け目から白い煙が噴出する。

 直後。

 右手に握った金属剣――純銀製の剣が黒く染まった。

 案の定、毒……!


 わたしはパイプから噴出した煙を横に飛んで避けながら、少女Xを間合いに捉える。

 剣を振りかぶった。

 首の飛んだ彼女を幻視した。

 けれど、それが現実になる前に、力が抜ける。


「…………っ!?」


 わたしはその場にくずおれて、動けなくなった。

 少女Xの目が嬉しそうにこちらを見下ろす。


「いちいち説明したりはしませんよ? 敗因がわからなければ、何回か回数を稼げるかもしれませんしね?」


 さて、と彼女が言うと、その手の中にナイフが落ちてきた。


「ただ殺し続けるだけでは足りないことは、ようくわかっています。……だから、せいぜい苦しんでくださいね?」


 ナイフの刃には、てらてらと気色の悪い光沢があった。

 ああ、わかっている。

 攻撃的な精霊術を持たないルビーの身体を使う以上、毒こそが最強の攻撃手段だと。


「……ああ――」


 あどけのない唇から、恍惚としたような溜め息がこぼれた。


「――いくら殺してもいい拷問なんて……こんな簡単なことがあっていいんですかねぇええ……??」


「―――んぐっ!」


 わたしの太股に、勢いよくナイフが突き立てられた。

 焼けつくような痛み。そして血。

 こんなものは慣れた。お馴染みだ。何を今更……!

 少女Xの顔を睨みつけると、彼女はますます嬉しそうに笑った。


「ダメですよ……? わたしの顔じゃなくて……自分の身体をちゃんと見なくちゃ……」


 頭を掴まれて、無理やり刺された太股を見せられる。

 と。

 気付いた。

 ようやく気付いた。


 突き立ったナイフを起点として……。

 わたしの肌が、肉が、身体が。

 ……見る見る、ぶくぶく、泡みたいに腫れ上がって……!




 ――ぶよぶよ太って(・・・・・・・) 泣き喚く(・・・・)




「ぁぐ……ぐっ!」


 泣き喚いたり……するものか……!

 お前の思い通りになんて……なるものか……っ!


 痛みが消え、代わりに痺れが全身に広がる。

 それが顔にまで達する前に――わたしは思い切り、自分の舌を噛んだ。


 ぷつりと意識が途切れる。

 死に呑み込まれる。

 そしてすぐに浮上する。


 因果続行。


 セーブポイントで目覚めた。

 ジャックを倒してエルヴィスに引き渡した。

 そして神器殿での戦いを済ませた!

 最速でデル・ドンノ・クリニックの地下へ……!




「♪ せっせっせーのよいよいよい ♪」


「♪ 芋虫みたいに 手足を千切ると ♪」


「♪ おしっこ漏らして 命乞い ♪」




 膝から先が斬り飛ばされた。

 バランスを崩して転倒するや、わたしはすぐに舌を噛み千切ろうとした。

 だけど、わずかに口を開けたその瞬間、ナイフの刃を口腔内に突っ込まれる。

 彼女が間近に顔を近付けて言った。


「おしっこは?」


 自分のでも舐めてろ。

 わたしは口に突っ込まれたナイフを自ら後頭部まで呑み込んだ。




「♪ せっせっせーのよいよいよい ♪」


「♪ な~がいお耳を 集めて繋ぐと ♪」


「♪ 綺麗なちょうちょが ほらできた! ♪」




 彼女は切り取ったわたしの耳を蝶々のように繋げてみせると、描いた絵を両親に見せる子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。


「――エルフの耳って、工作のし甲斐がありますよね?」


「…………死ね、××××…………ッ!!」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ……何年という月日を……。

 ……何十回と、乗り越えて。

 わたしは……幾度も、幾度も。

 拷問じみた結末しか待っていない場所へ……辿り着く。


「…………あなた、これ……何回目ですか?」


「……………………」


 戦闘開始前、怪訝そうな表情で訊いてきた彼女を、わたしは無言で睨みつける。


「戦闘時間、戦闘内容。これらから計算するに、あなたの主観ではもう三桁近い年数が経過しているはず――その間、わたしはあの手この手であなたを拷問したはずです。たった一度でも気が狂うほどの痛み、苦しみ。それを何十回と味わっておきながら……」


 わたしは無言で睨みつける。


「……その目。その目です。その目、その目、その目……! ああ、気持ち悪いッ!!」


 少女の足が、苛立たしげに地団駄を踏んだ。

 瞬間、天井に張り巡るパイプがあちこちで破裂する。


 生物を内側から破壊する細菌兵器が、あっという間に広大な空間を満たしていった。

 わたしが死ぬまで10秒もない。

 けれど、この攻撃は24周前に攻略済みだった。


「あなたには勝算がない……!! 1周分覚えていればいいわたしと、無限の記憶すべてを背負うあなた!! どちらの精神が先に潰れるかなんて火を見るよりも明らかでしょおッ!? さっさと消えてよとっとと消えてよ早く消えろよ早く早く早くッ!! 消えろ、消えろ消えろ、消えろおッ……!!」


「だったら悠然と構えてなさいよ」


 わたしは鉄扇を振るい、撒き散った細菌を彼女のほうへ飛ばした。

 彼女は【一重の贋界】で隠れ、これを躱す。


「……ティーナの言っていたことがよくわかった」


 わたしは警戒するでもなく、姿の見えない相手に言った。


「あなたは誰かと真正面から向き合ったことがない。同じステージに立ってぶつかったことがない。手を回し、仕掛けを施し、策を張り巡らせ――絶対に大丈夫だと思えてから事に及ぶ」


 少女Xは左後ろに出現した。

 わたしはそれを知っていた。

 視線よりも早く左手を伸ばし、攻撃態勢に入った彼女の首を掴んだ。


「ぅがッ……!!」


「それは、自分の弱さを自覚した人間の立ち回り方。……本当に、よくわかった。あなたは弱い。あなたがもてあそんできた誰よりも……貧弱」


 ぎりりと、手に力を込める。

 爪が首に食い込んで、つつっと赤い血を流した。

 彼女の血が赤いことが、なぜだかおかしく思えてしまう。


「どちらの精神が先に潰れるかは火を見るより明らか――さっき、そう言ったでしょ、卑怯者」


 彼女は声も出せずに、無様にじたばたと藻掻く。


「その通り。心から同意する。火を見るより明らかよ――自分のしたことを覚えておけもしない臆病者と、数百年分の想いを背負ってここにいるわたし! どちらが強いかなんて、そんなことはッ!!!」


 過去をなかったことにできても、あったことをなかったことにはできない。


 なぜならば、どれだけ過去を変えたところで、心には積み重なるからだ。


 この胸の奥には、あったこと(・・・・・)のすべてが、澱のように積み重なっているからだ。


 エルヴィスたちの戦いも。

 サミジーナの献身も。

 想いを叶えたヘルミーナも。

 好きにやれと言ってくれた教え子たちも。

 ジャックを受け入れたアゼレアも!

 わたしの幸せを願ってくれたティーナも!


 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。

 全部全部全部、この胸の中だけに積み重ねて―――!!



 わたしは、ここにいるのだ。


 想いと、世界と、時間の屍の上に、わたしは立っているのだ。



 ならばどうして、今さら膝を屈することができる?

 これはダメだと否定してきたものに対して、どうやって顔向けするのだ。


 破滅に向かう思考かもしれない。

 費やしたお金が無駄になるからと引っ込みがつかなくなるギャンブラーと似たようなものかもしれない。


 それでも、これは力だ。

 己を、心を、魂を押し潰す重荷なんかじゃない。

 前へ前へと足を急き立てる、力なのだ。


 この力が、彼女にはない。

 自分の所業を背負うことを疎んだ彼女には。


「―――せいぜい、苦しみなさい」


 わたしを見る、彼女の瞳に。

 そのとき、確かに――恐怖が浮かんだ。


「地獄の業火の、前借りよ」






 青い炎が、少女Xの全身を覆った。






「――――ぁ――――ッ!! ―――ぅ、あぁあ!! ぐッ、――ぁあ!! あぁああぁぁぁ!!! ぁあぁあぁぁぁああああああああああああああああああああああ――――ッッッ!!!!」


 絶叫が迸る。

 青い火達磨になり、真っ黒なシルエットと化した少女が、悶え苦しみながら地面を転がった。


 手が宙を掻く。

 何かに助けを求めようとする。

 それでも、その手は何も掴まない。

 彼女の手の先には何もない。


 当たり前だ。

 彼女は自分以外の誰にも、何も与えなかった。

 何もかもを奪ってきた。

 奪うことしかしない人間に、手を差し伸べる人間はいない。

 いていいはずがない。

 それが道理だ。

 それが宿業だ。


 それが因果だ!


 ――足りるものか。

 この程度の苦しみで、足りるものか。

 この女が今までしたことに比べれば、こんな程度で……!!


「―――ぅう」


 濁った声がした。


「……ぅ、ゥウゥゥ―――ゥゥゥウウゥウウウウウウウッ……!!」


「…………!?」


 一瞬、どこから聞こえたのかわからなかった。

 獣のような、唸り声。

 世界の奥深くから込み上げてくるようなそれが――青く燃え上がる少女が発したものだと、すぐにはわからなかった。




 青い炎が、立ち上がる。


 黒いシルエットが、立ち上がる。


 少女Xが――燃え上がるままに、立ち上がる。




 青い炎の内側で、一対の眼光が輝いていた。

 どろどろとした、幽鬼のような――一対の双眸が、わたしを見据えていた。


「――――……たかが……たかが、数百年が……どうしたァ…………!! そのテイド、で、イバる、なあぁあッ……!!! わたし、がっ……このジョウキョウ、を、作るのにっ…………イッタイ、なんぜん、ね――――」


 わたしは、自然と後ずさる……。

 肌が、肉が、骨が――あるいは魂が。

 自分の何もかもが燃えても倒れない、その姿に。


 身体が、震える。

 心が、震える。

 魂が、震える。


 畏怖と恐怖に、震え上がる。


「そうテイ、ずみ――――このくらいの、コト――――まダ……まダ、プランC(・・・・)、が――――ァァアァアアアアッ!!!」


 火達磨の少女が、獣のように咆哮したその瞬間、地下空間に衝撃が走った。

 ズォン!! という轟音。

 爆発の音!


 壁や天井に、瞬く間に亀裂が走った。

 崩れる。

 まるで積み木のように。

 この空間が、地上の病院ごと!


「くっ―――あっ!?」


 爆発に気を取られた、一瞬の隙だった。

 コンマ数秒に満たないその間に、火達磨の少女に抱きつかれていた。


「――――フフ」


 燃え上がった彼女には、もはや肌も肉もない。

 闇を人の形の鋳型に流し込んだかのような、漆黒の影でしかない。


 それでも、わたしは見る。

 少女の唇が……三日月のように、吊り上がるのを。


「あなタ、の、すうひゃくねん――――コレで、おじゃん」


 火達磨に抱きつかれ、熱いと感じるべきはずなのに。

 それを塗り潰すほどの冷感に、魂を掴まれた。


 何かが、始まろうとしている。


 何か――

 今までで、一番――

 おぞましいことが――


「サヨウ、ナラ」


 引き裂くような笑みの形が、わたしの心の底に刻印される。




「もう、アナタには――何も、のこらナイ」




 天井が瓦解した。

 降り注いだ瓦礫に、視界のすべてが埋め尽くされた。


 わたしは、火達磨の少女もろとも、崩れた天井に押し潰された。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 死の淵から浮上する、慣れ親しんだ感覚……。

 目の前を過ぎっていく走馬燈にも、慣れたものだった。


 人里離れた森での、トゥーラとの二人暮らし。

 当て所のない90年の放浪。

 ジャックやフィルとの出会い。

 精霊術学院での教師としての日々。

 魔王ジャックを倒すための旅。

 時間を超え、理想の結末を求めた戦い。

 夢の世界での、ティーナとの探索行……。


 わたしが経験した、印象深いことのすべて。

 ラケルという人間の、歴史を形成するすべて。




 それが。


 なぜか、今回だけ。


 どんどん、遠ざかっていく。




 ――待って。

 待ってよ。

 どうして、置いていくの……?

 わたしは、あなたたちのために、戦っているのに……。


 どれだけ叫んでも止まらない。

 わたしの経験のすべてが、人生のすべてが。

 地平線の向こうに遠ざかり……彼方に霞んで、消える。


 それから、ようやくだった。

 わたしの瞼を、光が刺した。


 ……もう、遅いよ。


 と。

 わたしの魂の奥で、拗ねるような声がした。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ゆっくりと、瞼を開ける……。

 最初に見えた天井が、いつもとは違った。

 安い宿屋の、見るからに薄そうな天井じゃない。

 もっと上等な……雨漏りなんて万が一にもしそうもない……。


「――えっ?」


 急速に意識がはっきりして、わたしは飛び起きた。

 ……見覚えのない、部屋だった。

 瀟洒な調度品と絨毯……。

 ベッドはお城のそれのように柔らかく、シーツは染み一つない純白。


 天井を見上げると、朝だというのに灯りがあった。

 シャンデリア……ではない。

 ランタンのようなものが吊り下がって、ぼんやりとした光を放っている。


「…………ここ……どこ…………?」


 ぞわぞわと、冷たい感覚が背筋をせり上がった。

 知らない。

 知らない。

 知らない。

 目に入るもの、全部。


 何もかも、知らない。


 何度も何度も時間を遡り……世界丸ごと見飽きてすらいたはずのわたしが……何一つ、知らない。


 ――パン、パンパン!


 突然、何かが弾けるような音がして、びくりと肩が跳ねた。

 ……外から?

 わたしは恐る恐る、柔らかいベッドから足を下ろすと、質のいいカーテンを開けた……。


 ガラスの嵌まった窓があった。

 それ自体にも驚いたけれど、もっと驚いたのは、窓の外に広がった光景だった。


 ――首を上向けても屋根が見えないほどの高層建築。

 ――小さな煙突から煙を吐きながら走る馬のない馬車。

 ――まるでドレスのような複雑な装飾の服を当たり前のように着ている無数の通行人。


「ご成婚おめでとうございまーす!!」

「皇女殿下のご成婚に、かんぱーいっ!!」


 パンパン、という炸裂音がまた鳴った。

 音の方角に目をやれば、空に光の花が咲いていた。

 花火だ。

 そのすぐ下には、見たこともない白亜の城が、堂々と聳え立っている。


「…………どこ…………?」


 わたしは、震える唇で声をこぼした。


「……ここ、どこ……? どこなの……? どこ……? どこっ……!?」


 まるで、親とはぐれた迷子のように、わたしは繰り返す。

 わからないのだ。

 本当にわからないのだ。


 世界中を旅したはずだった。

 行ったことのない街なんて、ほとんどないはずだった。

 ましてや、こんなに大きな街!

 ラエスの王都やロウの王都、センリの首都よりもさらにさらに栄えたこんな街、知らないはずがないのに!


 わたしは知らない。

 こんな街――世界のどこにもありはしなかった。


 そのとき。

 コンコン――と、扉をノックする音がした。


「――もし。チェックアウトの時間でございます。お客様、ご在室でしょうか?」


 わたしは激しく振り返る。

 焦燥が全身に満ちていた。

 それに急かされるまま、わたしは部屋の扉に飛びついて、けたたましく開いた。


 扉の向こうには、帽子を被った男がいた。

 儀仗兵のような、礼服めいた衣装をまとっている。

 男は飛び出してきたわたしに驚いた様子を見せて、


「ご、ご在室でしたか。こちら、あと10分でチェックアウトとなっておりまして――」


「ここはどこなのっ!? わたしはどこに連れてこられたの!?」


 わたしは勢い込んで叫んだ。

 帽子の男は目を白黒させる。


「な、何を仰いますやら……」


 丸っきり困惑した声で、男は言った。


「ここはホテル・グランドセンズ――()()()()()()()()()首都バアリアに在する、一介の宿でございます。……失礼ですが、お客様、昨夜お酒をお召しになりましたか?」


 それは。

 わたしの知る世界には存在しない国名だった。


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