第70話 輪廻VS転生 - Part1
『過去はなかったことにできても、あったことはなかったことにはならない。――絶対にだ』
かつて。
わたしに【因果の先導】を託してくれた老師は、そう言って『因果』というものについて語ってくれた。
人間が何をしようとも、先へ先へと紡がれてゆくもの。
たとえ過去を変えたとしても、決して変わることはないもの。
すべての人間によって刻まれる、世界への足跡。
『――と、小難しいことをくっちゃべりはしたがな。本当に大事なのは、んな世界の構造なんざじゃねぇのさ。
過去はなかったことにできても、あったことはなかったことにはならない。
ラケル。お前さんがもしタイムリープを繰り返すようなことがあれば、この言葉のもう一つの意味を、その身をもって知ることになるだろうぜ』
『それって……?』
『簡単な話さ』
老師は紫煙をくゆらせるキセルを口に咥えたまま、皺だらけの親指で自分の胸を指す。
『ここだよ』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
邪神復活の阻止。
見慣れたセーブポイント――宿屋の寝台で目を覚ましたわたしは、それを目標に設定して行動を開始した。
どうすれば阻止できるのかは、すでにわかっている。
各国に眠る神器の勇者たち――彼らを少女Xから守ればいいのだ。
そのうちの一人、ラエス王国の勇者ラエスは7年前の学院崩壊時に殺されてしまっている。
センリ共和国の勇者センリ、そして名が失われて久しい第四の国の勇者については、まだ居場所がわからない……。
だからわたしは、夢の世界でそうしたように、まずは勇者ロウを守ることから始めることにした。
……夢の世界では、少女Xがジャックにかまけている隙を突いた。
だから横槍を入れてきたのはあの竜騎士だった。
ティーナの言い振りから察すると、あの竜騎士は世界の外側――因果次元でしか存在できないモノだという気がする。
であれば、今回も同じタイミングを狙えば、何の妨害もなく勇者ロウを防護できる可能性は高い。
しかし……最終的にはジャックを救わなければならない以上、彼を少女Xの手に渡した状態で事を進めても、あまり意味がないんじゃないだろうか。
少女Xとの衝突は、どちらにせよ避けられないのだ。
だったら、ジャックを手中に握られている、というこれ以上なく不利な状況に、自ら飛び込む理由はない。
それに、ロウ王国ブレイディアでジャックを連れ去り、少女Xに奪われて、その隙に神器殿へ――という展開は、夢の世界で飽きるほどやった。情報収集の旨味がない。
虎穴に入らずんば虎児を得ず――
今回は、正面から戦ってやる。
そうと決まれば、次に考えるべきは少女Xを誰にするかだ。
アゼレア、ルビーにヘルミーナ。
彼女は繰り返すごとに別の少女に切り替わる。
けれどそれは、直面する問題を解決するのに最適な身体を選んでいるに過ぎない。
コントロールできるはずだ。
わたしの行動に応じて彼女が身体を変えるのなら、誰が少女Xになるのかを、わたしのほうで制御できるはずなのだ。
だとすれば、誰にするのか。
生け贄を選ぶみたいで気は進まないけれど……ここは冷徹に、単純に攻略難度で選びたい。
経験上、少女Xになる確率が一番高いのはアゼレアだ。
戦闘力も高くて、ジャックに近付く機会もある――少女Xにとって最も都合のいい役配置なのだろう。
実際のところ、アゼレアの【黎明の灯火】と戦うのは厄介だ。
特に神器殿地下が戦場になると考えた場合はマズい。
密閉空間で炎なんて使われたら、空気が焼き尽くされてしまう可能性がある――負けはしないにせよ、不利な状況で戦いを挑めば選択肢が絞られてしまうのは必然だ。
選択肢が絞られる。
今のわたしにとって、最も嫌なのがこれである。
何度でも同じ時間をやり直せるわたしにとっては――選びうるすべての選択肢を選べるわたしにとっては、選択肢の数が、すなわち力になるのだから。
「……だったら」
真っ先に、アゼレアから少女Xを追い出す。
アゼレアという選択肢を潰す。
選択肢の潰し合い。
時間を超越した人間同士の、これが前哨戦だ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
アゼレアという選択肢を消去する方法は、幸いわかりきっている。
ロウ王国首都ブレイディアを魔王軍が襲う最中、アゼレアに近付いて世界の果てに転移させる。
この一手によって、今回のアゼレアは少女Xではなく本物になることが確定する。
何の罪もない彼女をわけもわからないまま一人きりにしてしまうことになるわけで……それについては、苦労させてごめんなさいと思うことしかできなかった。
無事に帰ってくることをわたしは知っているけれど、きっとそれは言い訳にはならないだろう……。
アゼレア放逐後の事の推移は、基本的に初めてタイムリープしたときと同じようにした。
ジャックを倒し、エルヴィスたちに受け渡し、ジャックの公開処刑が決まる……。
当のわたしは高度に政治的な存在になって、列強三国の首都を点々とする生活が始まる。
ラエス王国に滞在した際、何度かルビーと顔を合わせたけれど、彼女は本性をおくびにも出さなかった。
……アゼレアが世界の果てに消えた以上、少女Xはルビーになったはずだ。
センリ共和国に取り入り、公開処刑に乗じてエルヴィスとヘルミーナのお父さんたちを殺害する準備を進めているはず。
けれど、そんな雰囲気は欠片も出さずに、彼女はエルヴィスやガウェイン、ヘルミーナと、まるで級友のように話している……。
向こうも、気付いているはずだ。
ティーナの推理通り、彼女も時間を遡り、未来のわたしの行動を知っているのなら。
わたしが気付いているということに、気付いているはずだ――
ほどなく、ロウ王国に滞在する期間がやってきた。
ここが好機。
夜を待ち、神器殿へと向かった。
神器殿地下最奥。
勇者ロウが眠る祭壇の間に向かい、精霊〈オロバス〉の力によって殺傷無効化結界を張る。
かつての少女Xが、あれほどの事件を起こしてまで解除しなければならなかったものだ――それできっと、ロウを殺すことはできなくなる。
邪神の復活を阻止することができるのだ。
祭壇の間に辿り着いたのは、あくまで夢の世界でのこと。
【絶跡の虚穴】のマーキングはできていない――再び自分の足で、あの部屋に辿り着かなければならない。
わたしは造作もなく警備を潜り抜け、神器殿の中に忍び込むと、足早に『地の盾』のレプリカ――分け身がある空間に到達する。
道順も同じなら、『地の盾』の台座に隠されたスイッチの位置も同じ。
ズズズ、と横にズレていく台座を見ながら、わたしは思わず苦笑いをする。
【夢幻の旅人】による現実を模した夢――ティーナが言うところの『夢想現実』は、本当にとんでもない力だ。
少女Xが反則だと詰ったのにも共感してしまう――こんな力があったら、情報戦なんてこれっぽっちも成り立たない。
裏を返せば、これほどの反則的能力をもってしなければ、彼女には太刀打ちできないのだ。
ティーナが命を――いいや、存在そのものをかけて託してくれたものを、無駄にするわけにはいかない……。
台座の下から現れた階段から地下神殿へ。
今回は勇者を目覚めさせるわけじゃないから、『地の盾』の分け身を持っていく必要はない。
誇りっぽく薄暗い地下通路を歩き、精霊像の建ち並んだ大広間に出る。
監視されているような気持ちになりながら、72の像の間を足早に抜けようとして――
――中ほどで、ピタリと足を止めた。
視線を、前方にある観音開きの鉄扉に送る。
いや……正確には、その手前の空間。
「……いるでしょう」
尖らせた声を、一見虚空でしかないそこに送る。
すると――
……くすくすくす……。
密やかな笑い声が、背筋をざわりを撫でた。
忘れない。
忘れるものか。
何度、この笑い声に歯を食い縛ったか。
何度、この笑い声に大切な人たちを蹂躙されたか。
「さすが……と、言えばいいですか、先生?」
観音開きの手前の空間が、くるんと裏返った。
まるでカードが表返るかのように、一人の少女が姿を現す……。
猫の耳と尻尾を持つ、小柄な少女。
ルビー・バーグソン。
――の姿を奪った、少女X。
「驚きましたよ。まさかいきなりここに来るなんてね……。アゼレアを飛ばしたときに察しましたが、あなた、やっぱりタイムリーパーですね?」
「答える必要はない。邪神は……復活させない」
「答えているようなものじゃないですか。やれやれ……。どうやって知ったんですか? この先に邪神の封印の要があると」
「……………………」
やはり……物質世界にいる彼女は、因果次元でのことを覚えていない。
竜騎士となって因果図書館を破壊し、鎖に縛られたジャックの前で宣戦を布告し合った彼女は、物質世界での実働を担う彼女とは別物なのだろうか。
それとも……そう、わたしの耳にティーナの推理が聞こえなかったように、『因果未達による検閲』で覚えていないだけ……?
少女Xがタイムリープをしているのは間違いない、とティーナは言った。
だとしても、それはわたしの【因果の先導】とは根本的に質の異なるものらしい。
わたしは何回時間を遡っても記憶の連続性を保っているけれど――彼女のほうは、何をどこまで覚えているのだろう?
「困るんですよねえ……」
かくん、と。
少女Xは首の据わっていない赤ん坊のように首を傾げる。
「きっとあなたはご存じなんでしょうけれど、ここに手を入れるのはもっと後の予定なんですよ――帰っていただけます?」
「無理な相談よ」
「でしょうね。そうでしょうとも。つまりここは、こういうことですね?」
不可視のポケットから取り出したかのように、少女Xの両手にナイフが現れた。
本来、鋭く光を反射するはずの白刃は、けれどぬらぬらと粘着質な輝きを帯びている……。
たぶん、毒だ。
「……ルビーの身体で、わたしに勝てるとでも?」
少女Xはルビーの顔で薄く笑った。
「逆に訊きたいですね。すべての精霊術を扱える程度の能力で、わたしに勝てるとでも?」
その言葉がハッタリではないと、わたしは知っている。
実際、わたしは、これほど強力な能力に恵まれていながら――未だ、一度として、彼女の上を行ったことがないのだから。
戦いはすでに、精霊術の強弱や相性で決まるような、低次元な領域を脱している。
これは、因果を巡る戦いだ。
運命をより手繰り寄せたほうが、勝つ。
「さて、手早く始めましょうか――どうせ何度もやるんですからね」
「ええ。……初めて、あなたと意見が合った」
――1回目。
心の中で呟いて、わたしは長い戦闘を開始した。




