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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
真実の輪廻期:奪い取られた初恋を

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第69話 チートでハーレムなハッピーエンドへ


「んんっ――――んんんんー?」


 祭壇の間に怪訝そうな声が響いた。

 竜騎士が消え去り、わたしの全身から力が抜けた、その直後。

 ロウと名乗った男が、背筋を伸ばすようにして天井を見上げたのだ。

 彼は首を傾げながら言う。


「この空気感……ここは……もしや、夢幻の巷か?」


 わたしは目を見張った。

 まさか、今、この人。

 ……ここが夢の世界であることを見破った……!?

 ティーナが小気味よさそうに肩を揺らす。


「っひひ! さっすが。タダモノじゃあねぇなぁ、ロウ一世――いや、勇者ロウさんよ」


「……勇、者……」


 その言葉が指すのはたったひとつ――


「邪神を封印した……神器の勇者……」


 遙か昔、異界より与えられた四種の神器をそれぞれ携え、邪神を封印したと言われる4人の勇者。

 この人が?

 確かに、言い知れようのない存在感を感じた。

 普通に立っているだけで注意を惹かれてしまう、ある種の達人だけができる佇まい。


 彼はコキコキと首を鳴らすと、「むっ」とわたしに目を留めた。


「どうやら貴女がこの夢の主のようだな、エルフの美しいお嬢さん」


 男――勇者ロウは野性味のある笑みを浮かべた後、一転して恭しく一礼してみせる。


「おれはロウ。勇者や王などと呼ばれたこともあったが、今はただの寝坊助ジジイよ。はてさて――我が《地盾イージス》の分け身まで持ち出して、この老いぼれに何の用かな」


「あっ……え、ええっと……ティーナ?」


 ティーナに視線で助けを求める。

 わたしはこの妖精少女に言われるまま、彼を起こしただけなのだ。

 ……とはいえ、なぜそうしたのか、まったく察しがついていないわけじゃないけれど。


「わかってんだろ、勇者のオッサン」


 どうやらティーナに礼儀という概念はないみたいだった。

 建国の勇者に対してまさかのオッサン呼ばわり。

 さすがのわたしも焦る。


「ちょ、ちょっと! ティーナ……!」


「ははは! 良い良い! 我が末裔たちはどうか知らんが、おれはしがない下級騎士の生まれよ。何より今は隠居の身。ぞんざいに扱われるもまた一興よ」


 その豪放磊落な態度に、わたしは既視感を覚えた。

 現ロウ王国国王、ヒルデブラント4世――ヘルミーナのお父上のそれと、よく似ていたのだ。

 娘のヘルミーナも礼節はしっかりしていたけれど、王女という割にはフレンドリーな子だった。

 先ほど竜騎士に見せた苛烈な気合いといい、この懐の深い態度といい……この人は本当にヘルミーナたちの先祖なのだなと、このとき、肌身をもって感じた……。


「妖精よ」


 勇者ロウはひとしきり笑い終えると、ティーナの姿を見て表情を引き締める。


「わかっている、というのは、我が愛すべき仲間たちのことか?」


「ああ――あんたほどの男なら、感じ取れるんじゃあねぇの?」


「……ふむ」


 ロウは静かに瞼を閉じた。

 何かの声に耳をそばだてるかのように。

 やがて、


「……逝ったのは、ラエスの奴か……」


 噛み締めるような声音で、勇者は呟いた。


「惜しいことだ……。あれほどできた女もいなかったのに……」


「……やっぱりな。そういうことだぜ、姉ちゃん」


「……うん」


 曖昧なティーナの言葉に、わたしはうなずく。

 7年前。

 精霊術学院の地下で、眠ったままに殺傷無効化結界を展開していた女性が、フィル――少女Xに殺された。

 彼女もまた、勇者の一人だったのだ。

 勇者ラエス――《天剣エクスカリバー》を振るった、ラエス王国建国の勇者。


「ロウ……さん」


 様と付ければいいのか迷いながら、わたしは勇者に声をかける。


「ひとつ、訊かせていただいても……いいですか」


「よかろう」


 勇者ロウは鷹揚にうなずいた。


「そのために、このような夢幻の巷を用意してまで、おれを目覚めさせたのだろう? 賢明だ。現実でおれを起こしてしまえば、もはやそれまでだったやもしれぬ」


「あの大蜘蛛は――あの邪神は、どこかで眠っている4人の勇者が全員……殺されると、復活するんですね?」


 7年前。

 少女Xによって勇者ラエスが殺された。


 そして、邪神復活後。

 勇者ロウが眠るこの神器殿に、襲撃の痕跡があった。


 残るは勇者センリと最後の勇者。

 その二人も、邪神復活の際にどこかで殺されていたに違いない。


 証拠とまでは言わないけれど、状況はほぼほぼ合致している。

 きっとこれが、邪神復活の条件だ。


「ふうむ……」


 勇者ロウはわたしの問いを肯定するでも否定するでもなく、髭の生えた顎を撫でさすった。


「4人の勇者……それに邪神、か。おれたち自身が企図したことではあるが、やはり長い時の中で、あの悪霊(・・)についての詳しいことは失われてしまったのだな」


「……悪霊?」


 ティーナが片眉を上げる。


「おい……今、悪霊と言ったか!?」


「ヤツのことを邪神と呼びたくなる気持ちも理解はする。だが、それでは重要なことを見落としてしまう――やはりヤツは、悪霊と呼ぶのが最も相応しい」


 ……悪霊?

 ちょっと待って。

 それじゃあ、まるで――


「かの邪悪を呼び戻さんとする者が、ついに現れたか。ならば語らねばなるまい。君たちが邪神と呼ぶモノの正体を―――」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




『―――― そこまで です ――――』


 グオン! と地面が揺れた。

 いや……いや、違う。

 いま揺れたのは、わたし?

 それとも世界?

 わたしは直感に衝き動かされて天井を見上げた。


「……あ……あ……!」


 そこにある光景に、頭が追いつかない。

 天井の表面が、剥がれていく。

 崩れるとか壊れるとか割れるとかじゃない。

 剥がれていくのだ。

 まるで皮を剥くように。


 世界の表層が――剥がされていく!


 焦げ茶色の岩がべりべりと剥がれ、後に残ったのは世界の骨組み(・・・・・・)だった。

 縦横に走る、単なる黒い線。

 必要最低限、奥行きだけを伝えてくれるそれの遙か上方には、満天の星空が広がっている。


 その真ん中に、亀裂が走った。


 ああ……あれを見るのは何度目か。

 世界の外側から、長大な首がねじ込まれてくる。

 星空を紙のように掻き破って、漆黒の鱗を持つ竜と、三つの顔を持つ騎士が……!


 デカい。

 ついさっきまでこの部屋にいた竜騎士よりも、遙かに。


 その太い四肢のうち、たった1本だけで、街を三つは踏み潰せるだろう。

 もし炎を吐けば、どれほどの国が焼け落ちるか。

 かの大蜘蛛、邪神にも匹敵する圧倒的脅威が、亀裂を大きくしながらこの世界に入り込もうとする……!


「チッ……! 限界か……!」


「そのようだ」


 舌打ちしたティーナに同調しながら、勇者ロウが地面から尖った石を拾う。


 え?


 理解が追いつかなかった。

 夢の世界だとわかっているのに、悪夢か何かかと思った。


 勇者ロウは、自分で拾った石を、突如として自らの首に突き刺したのだ。


「な、何をっ……!?」


「あのケダモノが阻もうとしているのは、おれの言葉だろう。ならばおれが消えてしまえば、ひとまず君たちは助かる計算だ――」


 おびただしい鮮血が地面に撒き散る。

 ひゅうひゅうと、口ではなく喉元から息を漏らしながら……それでも勇者は、わたしを見て叫んだ。


「いいか、よく聞け……! 邪神のことを知る者は、現代にも残っている!」


 巨大な瓦礫が、勇者のそばに落ちた。

 それは岩ではない。

 夜空の瓦礫だ。

 様々に輝く星々を中に閉じ込めたまま、ガラスめいて崩れ落ちた夜空。


「たった一つの、とある一族! その一族だけが詳細を伝承すると、おれたちが取り決めた……!!」


 空が崩れていく。

 ガラガラと崩れていく。

 世界そのものが――壊れていく――


「くそっ、やべえ! 目を覚ますぞ姉ちゃん! このままだと――」


「待って! 彼が――」


 砕けた夜空の瓦礫が、雨のように降り注いだ。

 その下には一人の男。

 首から血を流す勇者ロウが、頭上に迫る瓦礫を一顧だにせず叫ぶ。


「その一族の、最新の伝承者を訪ねろ!! 一族の名は―――」


 とっさに伸ばした手は、届かなかった。

 勇者の姿が消える。

 夜空の瓦礫が、上から押し潰した。


 歯を噛み締める暇もない。

 わたしの身体も、黒い影が覆った。

 頭上を見上げれば、美しい星空が視界を覆っていた。

 束の間、見惚れてしまったのは、きっとこんなに近くに空を見たことがないからだろう。


 ほんのしばしの感動の代償に、わたしは夜空の中に呑み込まれた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「――ああっ……!?」


 自分の叫び声で目を覚ます。

 ドキドキとやかましく鳴る心臓を、服の上から掴んだ。

 い……生きてる……。


 辺りに意識を向ければ、あの奇妙なティーナの部屋だった。

 掛け布のかかったテーブルに突っ伏す形で眠っていたらしい。


「……ティーナ……?」


 呼びながら視線を巡らせれば、彼女は窓際に立っていた。

 サイズはすっかり人間のそれ。

 艶やかな花柄の民族衣装を身に纏い、窓の外に目を向けている。

 その表情には……厳しい陰が落ちていた。


「……どうなってんだよ……一体どんな縁があれば、あんなめちゃくちゃが可能になんだよ……」


 わたしが起きたことに気付いてもいないかのように、ティーナは窓の外を睨み続ける。

 低くこぼれた呟きは、わずかに震えを帯びていた。


 一体……何が……?

 巨大な竜騎士に夢の世界は破壊された。

 寸前で脱出することで事なきを得たものの……まだ、終わっていないのか。


 立ち上がるのに、多大な勇気を要した。

 窓の外に目を向ける――たったそれだけのことに、断崖から飛び降りるよりも強烈な抵抗を感じた。


 それでも……わたしは見る。

 ティーナの隣に立ち、窓の外の光景を。

 どこまでも続く本棚が広がっているはずの、その空間を――


「…………なに……これ…………?」


 そこにあったのは、嵐だった。

 本の嵐だった。

 文字通りだ。何の語弊もない。


 嵐で木の葉が暴れ狂うように、無数の本が激しく渦巻いているのだ。


 まるで、泣き叫んでいるように見えた。

 まるで、逃げ惑っているように見えた。

 敵国の襲撃を知った無力な民のように、恐慌のままに狂乱し、我先にと逃げ出す。

 その装丁を、ページを、本来そうあるべきはずではないのに、翼のように使い潰して。


 そうまでして本たちが恐れる『それ』に、気付かないでいることはできなかった。

 あるいは気付かなかったほうが幸せだったのだろう。

 けれど『それ』は、そこにいるだけで、そこに在るだけで、万物の意識を吸い寄せる。

 無軌道に空気を吸い上げる、深い深い風穴のように。


 荒れ狂う本の嵐の中を、1体の竜が泳いでいた。


 一瞬、わたしは自分の目が壊れたのかと思った。

 あれは……一体……どのくらいの距離にある?

 遠近感がわからない。

 耳や肌はまだまだ遠いと言っているのに、目だけはすぐ手前にいると伝えてくるのだ。


 大きすぎる。


 人間の知覚力では測れない巨大さ。

 尺度という概念からはみ出た巨体。

 だから狂う。

 目が、頭が、今まで頼りにしていた認識力のすべてが発狂する。


「っう……あっ……!」


「あんまり見るな、姉ちゃん! 太陽みてぇなもんだ。あんなもん直視したら魂を潰されるぞ……!」


 なんなの……?

 なんなの、あれは……!?

 今まで遭遇した竜騎士とは次元が違う。

 もし、あの竜がアギトを開けば、あとには塵ひとつ残るまい。

 クジラが小魚をそうするように、世界そのものを一飲みにする!


 怪物。

 そう呼ぶことしかできなかった。


「……冗談じゃねえよ……あれが……あんなものが、あの女の魂の姿だってのかッ!?」


 ティーナが金切り声で叫ぶ。


「世界さえ丸呑みにする妄念の獣――何に触れても傷一つつかず、ただただすべてを捻じ伏せながら進み続ける!

 ふざけるなよ……人間って、あんなモノになれるのかよ……? ただ一人の男を手に入れたいってだけで、あんな怪物になれるのかよッ……!?

 かけた時間が違いすぎる! 積んだ因果が違いすぎる!! 人間の領域なんか、とっくの昔に超えちまってんじゃねえかよッ!?

 あんなもん―――たとえ神でも勝てるもんかッ!!!」


 ガンッ! とティーナの華奢な拳が、窓の横の壁を荒々しく叩いた。

 それでも足りず、彼女は自分の前髪を強く掴む。今にも千切り取ってしまいそうなほど全力で。

 その表情は、苦渋に満ちていた。

 最初に見せていた余裕なんて、もうどこにもない。


「アタシの見立てが甘かったのか……? あの女がバケモンだなんてこと、ちゃんとわかってるつもりだった……。でも、でも―――」


 わたしは息を呑んだ。

 今まで笑みを崩すことさえなかったティーナが。

 その両眼に……涙を滲ませていたのだ。


「――――まさか、ここまでだとは思わなかった…………」


 それは悔恨だった。

 過去にしか目を向けられなくなった人間の涙だった。

 未来に希望を持てなくなった人間の……絶望の雫だった。


「ティーナ……! ティーナ! しっかりして!」


 わたしはその肩を掴み、強く揺さぶる。

 わたしは彼女ほど頭がよくないから、まだわからないのだろう。

 今がどれほど絶望的状況か。

 あの竜がどれほど圧倒的存在か。

 でもその無知にも、今だけは価値がある!


「とにかく逃げないと……!! もう少しで、あの怪物はここまで来る!! そうなったらきっと終わりでしょう!? あとのことは、とりあえず逃げてから考えればいいじゃない!!」


「……そうだな。…………そうだな…………」


 ティーナはしばらく、握り締めた拳を震わせていた。

 その震えには、きっと及びのつかないほどの思考が走っている。

『夢幻賢者』。

 彼女をそう呼ばしめた頭脳の限りをもって……彼女はきっと、葛藤していた。


「…………ふう」


 やがて。

 トゥーラによく似た口から漏れたのは、やけに澄んだ吐息。

 ティーナは顔を上げ、わたしの目を見つめた。

 その口元に滲むのは、いつもの挑発的で不敵な笑みじゃない。

 まるで、家族に向けるそれのような……。

 ……淡く、柔らかな微笑み。


「姉ちゃん。アタシさあ、あんたのこと、ちっちぇえ頃から知ってたんだよ」


 不意に始まった昔話に、わたしは目をしばたいた。


「クソババアから話を聞いててさ。一人っ子だったアタシだけど、あんたのことは、勝手に姉ちゃんみてぇなもんだと思ってた……」


「な……何を言ってるの……? そんな話をしてる場合じゃないでしょ!? 早く……早く逃げないと!」


「わかれよ。死亡フラグおっ立ててんだよ」


 柔らかな笑みが、力強いそれに変わる。


「姉ちゃん。アタシは、あんたのことをずっと前から知ってたよ。だからずっと見守ってた。因果の外から、何年も何年も、飽きるくらいにだぜ?

 最初はクソババアのうざってぇ昔話の登場人物くらいに思ってた。あるいは、顔も見たことねぇ生き別れの姉妹みたいにな。

 でも――ずっとあんたのことを見てるうちにさ、好きになっちまったんだよ。

 何のためかもわからない。誰のためかもわからない。だってのに馬鹿みてぇに戦い続けるあんたがさ――最後にはどこに辿り着くのか、見届けたくなっちまったんだよ」


 会ったことのなかった妹は――

 ――まるで姉のように、わたしの肩をぐっと掴むのだ。


「だからさ……幸せになれよ」


 幼い声音に、優しさと強さを等量に混ぜ込んで。


「ここまで付き合ったんだ。ここまで頑張ったんだ! 報われないと嘘だろ? 幸せにならないとか嘘だろうがッ、なあ!!

 だから、辿り着け!!

 あの女に見せられた幻みたいに……誰もが馬鹿みたいに笑ってる、チートでハーレムな世界に、絶対に辿り着けッ!!!」


 窓が砕けた。

 壁が崩れた。

 ティーナの部屋がほどけるように瓦解して、わたしたちは本の嵐の中に放り出された。


「アタシの他にも……それを見たがってる奴が、きっとたくさんいるからさ」


 肩を突き飛ばされる。

 ティーナの温もりが、急速に遠ざかる。

 その直後。


 キュドッ!! と。

 漆黒の閃光が、本の嵐を貫いた。


 出所は、いちいち顔を向けて確認するまでもない。

 巨大な竜が、ついにそのアギトを開けた。

 そして、おそらくは息のひと噴きで、()()()()()()()()()()()()のだ。


 だから必然として、すべては虚無の漆黒に呑み込まれる。

 射線上にいたわたしたちも、等しく容赦なしに。


 本来は、そのはずだった。






「―――てめぇの正体は〔※因果未達により検閲※〕だ」






 ティーナが虚無の閃光に向かって、小さな手をかざしていた。

 もちろん、彼女の手でこの恐るべき攻撃を受け止められるはずもない。

 彼女が何か呟くと同時、その手から薄桃色の障壁が展開したのだ。

 そして虚無の閃光を堰き止めた。

 まるで彼女の言葉が、竜の存在を否定したかのように……!


「てめぇのタイムリープ対策とやら、カラクリは読めてんだよ――〔※因果未達により検閲※〕前の身体にてめぇが残っていない。その謎自体がでけぇ証拠。てめぇは〔※因果未達により検閲※〕、その〔※因果未達により検閲※〕によって用意し、姉ちゃんの行動を予知していたんだッ!!」


 ティーナの言葉のほとんどはノイズ混じり。

 それでも、ちゃんと意味はある。

 その証拠に、彼女の手のひらから広がる障壁が、言葉を重ねるごとに形を変えていった。

 見る見る高く伸びて屋根のように広がるそれは、まるで巨大な花びらだった。

 言葉という名の花弁が機能的に連なり、ひとつの大きな花を咲かせる――


「根拠は二つだ。ひとつ! ()ット()()()()()()()()という事実! ふたつ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――!!」


 ノイズだらけだったティーナの言葉が、なぜだかこのときだけははっきりと聞こえた。

 ケットシー?

 雨?

 頭に舞い散った疑問符が解決される前に、わたしの身体は本の嵐に攫われる。


「ティーナ! ティーナぁ――――っ!!!」


 ごうごうと吹きすさぶ嵐に、わたしの声は掻き消された。


 ただ、大きく咲いた花だけを見た。

 ただ、誇り高く広がる花弁だけを見た。


 どうしてか、見ているだけでわかる。

 あの花はなんなのか。ティーナが何をしているのか。


 あれは盾にして剣だ。

 真実を司る精霊〈揺蕩う夢のウァサゴ〉のルースト、ティーナ・クリーズが振るうただひとつの武器だ。


 すなわち――夢と幻から紡ぎ出される、たったひとつの真実。


 今はそれだけが、あの怪物に対抗できる。

 自分の手管を解明されまいとするあの竜にとって、その目的を奪われることが何よりものダメージ。

 だから、あの竜を倒したければ、幾重もの硬い鱗に守られた少女Xの秘密を、暴き出さなければならない。

 思考を積み重ねて鍛え上げた、推理という名の剣だけが有効なのだ。


 だけど、わたしにそれはない。

 きっと、ティーナだってまだ持っていない。


 なのに、彼女は戦うことを選んだ。

 ハリボテの剣で……少しでも時間を稼ぐために。


『――――はは! はははは! はははははははははははははははは――――ッ!!!』


 響き渡るのは女の哄笑。

 嘲りと侮蔑と高揚に満ちた、勝ち鬨の哄笑。


『薄弱! 薄弱ッ、薄弱薄弱薄弱―――ッッ!!! 何が推理だ、偉そうに!! そんな弱々しい根拠で、わたしの恋路を阻めるものですかッ!!!』


 わたしの喉元に、嗚咽がせり上がった。

 やめて……。

 こんなの、もう見たくない。

 やめてよ、ティーナ……!

 あなたもトゥーラと同じように、わたしを置いていくの……!?


 大きく開いた薄桃色の花に、亀裂が走る。

 わたしには、その花がティーナ自身に見えた。

 全身を血だらけにしたティーナが、それでも不敵な笑みを刻んで竜を睨み上げる姿が目に浮かんだ。


 その姿が、あのときの光景に重なる……。

 身体を一直線に串刺しにされたまま衆目に晒された、トゥーラの死体に重なる……。


 わたしは。

 わたしは……また、何もできないの……!?

 何年経っても、どれだけ強くなっても守られてばかりで……!

 嫌だ。

 そんなのもう嫌だ!

 わたしは、あなたのお姉ちゃんなんでしょう!?

 だったら、だったら―――!!


 ひび割れた花に向かって、わたしは泳ぎだした。

 猛然と荒れ狂う本を掻き分け、溺れるように、すがる藁を探すように。

 だって、もう嫌なの。

 もう一人になるのは嫌なの!

 置いていかないで、ティーナ……ティーナ―――!!




「―――進めッ!!」




 鋭い声が、縋るようなわたしの逆走を咎めた。




「アタシは、ずっと見てるからさ――声はなくても、姿はなくても、姉ちゃんをずっと見守ってるから!!」




 花が、亀裂に覆われる。

 彼女の剣が、盾が、無残にひび割れる。




「だから進めッ!! その先に、完全無欠のハッピーエンドがきっとある―――!!」




 竜が咆哮した。

 それはきっと勝ち鬨だった。


 亀裂に覆われた花が、儚く砕け散る。

 本の嵐が激しさを増し、わたしの身体を押し戻す。


 かつて大輪の花だった光が、血のように舞い散った。

 わたしの目から散った涙と、降り注いだ赤い光とが、束の間、互いに混じり合った。


 声がする。

 わたしに、そして他の誰かに。

 すべてを託す――声が。






「――――後は(・・)任せた(・・・)――――!!」






 手を伸ばして握った光は、指の隙間からこぼれ落ちた。

 小さな光の粒が溶けて消えるのに、ほんの1秒もかからなかった。


 それを静かに見届けることすら許されない。

 全身を圧搾されるような存在感。

 たった1ミリ、距離が近付くだけで魂が悲鳴を上げる。

 巨竜の双眸が、本の嵐を貫いてわたしを捉えた。


 感じる。

 見るまでもなく感じる。

 巨竜が通ったそばから、この『因果図書館』が崩れ落ちているのを。

 ティーナが見ていた世界を。

 ティーナの存在の痕跡を。

 まるで虫の巣を蹴飛ばすかのように、あの少女が蹂躙しているのを。


「…………絶、対、に」


 わたしは握った手を額に当てた。

 もうそこには何もない。

 蛍ほどの光も残ってはいない。

 それでも……それでも。

 彼女はそこにいると、そう信じて――わたしは誓いを立てる。


「辿り着く、から……! あなたが笑顔になれるような、誰もが笑顔になれるような、最っ高の世界に、絶対に、辿り着くから―――っ!!」


 わたしは、砕け散った花に背を向けた。

 竜が迫る。

 崩壊が迫る。

 怒声めいた咆哮が轟き、本棚のトンネルが一層崩れ落ちた。


 荒れ狂う本の嵐は、けれどわたしにだけは道を譲ってくれる。

 進め、と。

 そう叫んだ彼女のように。


 だから、わたしは進んだ。

 背中に追いすがる竜を振り切り、光に満ちた彼方へと。


 因果を繋いだ果ての果てに、必ず幸せな世界があると信じて。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆


◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ――そしてわたしは、ここに戻ってきた。


 上も下も、果ても限りもない星空の世界。

 その中にぽつんと、4本の鎖に縛られたジャックの姿がある。


 彼を間に挟んで、一人の少女が正面に立っていた。

 顔つきも、どころか髪型、体型さえもわからない。

 ただ『少女』としか言えない少女が、わたしと対峙していた。


「……飽くまで、戦うと言うんですね?」


 珍しく平静な様子で彼女は問う。


「それが地獄への道だと、わかっていて決めたんですね?」


 わたしはおかしくなって、唇を歪めた。


「……まさか、わたしを心配してる?」


 彼女もまた唇を歪めて、華奢な肩を竦める。


「それこそまさか。戦意を挫こうと思っただけです」


 この少女とは決して相容れない。

 だからこそだろう。

 今だけは、彼女の態度に小気味よさを感じて、わたしは笑みを漏らした。


「……ふふっ」


「くすくすくす……」


「ふふふっふふふふふふ!」


「くすくすくすくすくす!」


 わたしたちは互いに笑い合う。

 一人の少年を中心に、笑みという名の火花をぶつけ合う。


 さあ、仕切り直しだ。

 ようやくルールの説明が終わった。

 ようやく対戦者が盤に並んだ。


 今こそ始めよう。


 世界を奪い合う戦いを。

 因果を競い合う戦いを。


 わたしは改めて宣戦する。

 おそらくは遥かな因果によって定められた、その不倶戴天の宿敵に。

 正面からまっすぐに、指を突きつけて。




「ジャックは―――あなたには渡さないッ!!」




 対して彼女は、細い両腕を左右に広げた。

 まるで歓迎するかのように。

 まるで余裕を見せつけるかのように。

 わたしの宣戦を受け入れて――言葉でもって迎え撃つ!




「ご自由にどうぞ? できるものならね―――!!」




 ジャックの五体を、4本の鎖が縛っている。

 首、右腕、左腕、そして左足。

 そのすべてが砕け散ったとき、彼女は地に這いつくばるだろう。

 そのすべてが砕け散ったとき、わたしは勝利の名乗りを上げるだろう。


 わたしは少女に背を向けた。

 再び世界に戻るため。

 再び時を戻すため。

 そして、再び幸福への道を歩み出すために。






[首の鎖]――――[???]

[右腕の鎖]―――[???]

[左腕の鎖]―――[???]

[右足の鎖]―――[【因果の先導】の覚醒]

[左足の鎖]―――[???]

修正報告(2018/11/24)


「てめぇのタイムリープ対策とやら、カラクリは読めてんだよ――〔※因果未達により検閲※〕前の身体にもてめぇが残ってい"る"。その謎自体がでけぇ証拠。てめぇは〔※因果未達により検閲※〕、その〔※因果未達により検閲※〕によって用意し、姉ちゃんの行動を予知していたんだッ!!」



「てめぇのタイムリープ対策とやら、カラクリは読めてんだよ――〔※因果未達により検閲※〕前の身体にてめぇが残ってい"ない"。その謎自体がでけぇ証拠。てめぇは〔※因果未達により検閲※〕、その〔※因果未達により検閲※〕によって用意し、姉ちゃんの行動を予知していたんだッ!!」

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