第67話 神器殿
「あの女がどうやって時間を遡っているのかはわからねぇ」
とティーナは言った。
「だが、もはやその可能性を排除して考えるわけにはいかねぇだろう。姉ちゃん。タイムリープはあんたの専売特許じゃなかったってこったぜ」
「彼女も【因果の先導】を……?」
「いいや、その判断は早計だな。時間を遡る方法が他にもあんのかもしんねぇし。そもそもあの女は【黎明の灯火】なり【一重の贋界】なり、他の精霊術を使ってただろ。精霊術は一人につき一つ。それがルールだ。それとも【神意の接収】のルーストが二人いるとでも言うつもりかい?」
とにかく、タイムリープの手段についてはまだ考えるな――どうやらそう言いたいようだった。
なんだかはぐらかされているようにも感じるけれど……。
ティーナは眉間に厳しいしわを刻む。
「あの女は姉ちゃんが【因果の先導】の力に覚醒するよりもっと前に、未来と過去を行き来して必勝の状況を作り上げていたんだ。そりゃあちょっとやそっとの時間遡行じゃ太刀打ちできねぇわけだぜ」
「必勝の状況――それってつまり、どう転がっても自分の望む結末にできるように、あらかじめ準備をしてあるってこと……?」
「そういうことだ。何度やっても同じ結末に収束するのは、運命でもなければ宿命でもない――キモいまでに周到な事前準備の賜物さ。勝負ってのは始まる前に9割方決まっているものなんだぜ。姉ちゃん、あんたは実は、極めて不利な状況から戦いを始めちまっていたのさ」
……わたしは、精霊術学院での級位戦を思い出す。
生徒たちが日常的に繰り返していた熾烈な情報戦を思い出す。
本質は、あのときと何も変わってはいないのだ。
戦いに際してから勝とうとするのではない。
勝てる状況を作ってから、必然として勝つ――
「……ちょっと、整理したい」
ようやく、勘所が掴めてきた気がする。
わたしは頭を回転させた。
「向こうの目的――勝利条件は、額面通りに受け取っていいのかな……。つまり――」
「浄化の太陽で人類を滅ぼすか、邪神の復活で人類を滅ぼすか、だな」
わたしはうなずいた。
なぜ人類を滅ぼさなくてはならないのか、という点については、それこそ考えても仕方がないと思う。
たとえどんな理由だったところで、きっとわたしには理解できない……。
「んじゃ、その逆――敗北条件は?」
「……たぶん、二つ」
「ふふん。言ってみな?」
「人類の滅亡を阻止されるか、ジャックが死んでしまうか」
「上出来だぜ」
ティーナはにやりと笑って、妖精サイズの親指をぐっと立てた。
誰かに褒められる、というのが懐かしい感覚で、思わず口元が綻ぶ。
「公開処刑に自殺。あの女はこれまで、ジャックが死にそうになるタイミングでは必ず介入してきた。まあ当たり前っちゃあ当たり前なんだが、それを念頭に置くとわかってくることもある」
「わかってくること?」
「逆にあの女が介入してこなかったタイミングを思い出してみるのさ。例えばエルヴィスたちと戦ったとき。ジャックは敗北一歩手前まで追いつめられたが、あの女は戦いが完全に終わるまで出てこなかった。これはサミジーナが庇いに入るのを知っていたからだろう。一方で、サミジーナが庇いに入ってこないパターンでは、若干早めに介入を始めた」
……そっか。
1周目――サミジーナがジャックを庇ったパターンでは、少女Xが本性を現したのは浄化の太陽炸裂後。
一方、サミジーナがジャックを庇わないパターンでは、エルヴィスがトドメを刺そうとしたタイミングで姿を見せた。放置するとジャックが死んでしまうからだ。
これもまた、彼女が時間を遡っていることの傍証だろう。
「同じ考え方で邪神ルートを思い出せ。ジャックが一人きりで邪神に挑むっつー空前絶後に危険な状況に際し、あの女はどうしてた? ジャックを止めようとしたか?」
「……しなかった。邪神と戦ってもジャックが死なないことを知っていた……? いや――」
邪神が、自分にとって都合の悪いことをしないと知っていた……?
「ああ。証拠とまではいかねぇが、これは邪神があの女の完全なるコントロール下にあることを示す傍証だぜ。まったくどういう理屈だか」
「ティーナにもわからないの……?」
「現時点では皆目見当がつかねぇな。……でもそれも、邪神の復活そのものを阻止しちまえば関係ねぇ」
「……できるのならそれが最善だけど……」
わたしは顔を曇らせる。
それができたら苦労はしないのだ。
「そんな顔すんなよ、姉ちゃん。綺麗な顔が台無しだぜ」
「だって、どうやって……? 邪神の復活条件もよくわからないのに……」
「それを今から調べるのさ」
ティーナは窓の外に視線を向けた。
まだタイムリープはしていない。
少女Xにジャックを連れ去られて、そのままの状態だ。
部屋の壁には『ご返却ありがとうございます、ヘタレさん♪』という焦げ文字がある。
「たぶん、あの女はあんたがジャックを取り返しに来ると思って身構えてる頃だろう。放っておけばそのうち、魔王化したサミジーナが来てぶつかるだろうな。今がチャンスだぜ。調べてみたい場所があるんだ」
「それって?」
「あの女は周到に証拠を隠滅し、足取りを隠してるようだが、それも完全じゃあねぇ。アタシの目は見逃さなかったぜ。邪神が復活しかかり、戦乱も起きてるって状況で、明らかに浮いて見えた情報がある――時間流への介入の痕跡だ。きっとアレが関係している」
明らかに浮いて見えた情報……?
邪神が復活しかかり、戦乱も起きてる――ってことは、アゼレアやジャックと別れて、ヘルミーナのところを訪れた頃……?
「姉ちゃん」
ティーナは不敵に笑った。
「エルヴィスが処刑されたって話を聞いてから、ロウ王国のヘルミーナを訪ねたとき、衛兵が言ってたよな? 『神器殿で破壊工作があった』ってさ――」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『今は戦時中なんだ。余所者を通すわけにはいかない! ただでさえ神器殿のほうで破壊工作があったばかりだというのに……!!』
確かに、衛兵がそんなことを言っていた。
あのときは『戦時中だしそんなこともあるだろう』と流してしまったけど……。
「あのとき、ロウ王国の敵はセンリ共和国だったわけだが、神器殿なんか壊して何の意味がある? ねぇだろ、何にも。不自然なんだよ」
「神器殿って……四種の神器にまつわる建物だったっけ?」
「そう。ロウ王国の『地の盾』が祀られてる場所だよ」
天の剣、地の盾、陰の弓、陽の杖。
邪神を封印したとされる四種の神器――
「……確かに、復活した邪神と無関係とは思えない」
何せ、直接的に封印に関わっているアイテムだ。
「だろ? 行くしかねぇぜ。今ならあの女もノーマークだ」
連れ去られたジャックを放置することにはすごく後ろ髪を引かれたけれど、これは夢の世界なのだと何とか割り切った。
もう何度目とも知れないロウ王国王都ブレイディアへ。
この周ではジャックの公開処刑が起こっていないから、国王はまだ健在で、ヘルミーナは王女のままのはずだ。
センリ共和国による侵略戦争も起こっていない。
わたしが魔王であるジャックを連れ去ってしまったから、気を抜いていいのか緊張すればいいのかわからない、どっちつかずの空気が漂っていた。
今わたしが人目につくとマズいことになりそう。
変装した上に夜を待ち、わたしは神器殿に向かう。
神器殿は、王城から程近い場所にあった。
夜闇の中に、白亜の偉容が聳え立つ。
高さにして10メートルはありそうな入口の上には、ロウ王家の家紋をかたどったレリーフが、誇らしげに王都を見下ろしていた。
大きい。
もし住居として使えば、軽く三桁は快適に暮らせるだろう。
たかが盾一つのための建物とはとても思えない。
敷地内にはいくつもの篝火が惜しげもなく焚かれ、何人もの兵士たちが油断のない表情で巡回している。
でも、それも神器殿の外側だけの話だ。
どうやら中はいわゆる聖域で、おいそれと入ってはいけないものらしい。
「世界を救うためだ。聖域だって喜んで迎えてくれるだろうぜ」
「都合のいいことを言って……」
ひひひっ、と悪戯っぽく笑うティーナと一緒に、【一重の贋界】で身を隠して警備をすり抜ける。
……これで潜入できるってことは、ルビーも――ルビーになった少女Xも潜入できるということだ。
入口の分厚い鉄扉には、当然ながら厳重な施錠がされていた。
外壁に沿って回っていき、窓を見つける。
視線さえ通るならこちらのものだ。
【絶跡の虚穴】を使って壁を無視し、部屋の中に移動した。
「なあ。【絶跡の虚穴】ってさ、移動できる場所に制限とかあるわけ?」
「これはわたしの場合だけど……基本的には目の届く範囲。それ以外に移動したいときは、あらかじめマーキングをしておかないといけない」
「え? マーキング? 野ションでもすんの?」
「……人を犬みたいに言わないで。【絶跡の虚穴】は、離れた場所同士を瞬時に繋げる『穴』を空間に作ってしまう精霊術なんだけど、その出口になる種みたいなものを、あらかじめ空間そのものに設置しておく……ような感じ。その場所をイメージすると『穴』が繋がってくれる」
「ふうん。つまり、一度行った場所じゃないと瞬間移動はできねぇのか」
「うん。そうじゃなかったら、ジャックのところに乗り込むのはもっと簡単だった」
ジャックがダイムクルドを空中に飛ばしてしまったのは、【絶跡の虚穴】対策もあると思う。
マーキングは空間座標に対して設置するものなので、常に移動しておけば【絶跡の虚穴】で一足飛びに侵入することはほぼ不可能になるのだ。
「なあ。それってもしかしてさあ……」
ティーナは何か言いかけて、「いや」とすぐにかぶりを振った。
「そのときになって試しゃあいい話か。今はこっちに集中しようぜ」
「……?」
気になったけれど、確かに悠長に雑談している場合じゃない。
神器殿の中は真っ暗で、まるで洞窟のようだった。
ひんやりとした空気と張り詰めるような静寂が立ち込めるばかりで、人の気配は感じない。
やはり、中に警備はいないらしい。
「スピード重視で良さそうだぜ。まあもしなんかミスったらやり直せばいいしな。はは!」
「その思考、なんとなく嫌なんだけど……」
失敗したらやり直せばいい、なんて考えていると、やることなすこと軽くなってしまう気がする……。
【黎明の灯火】の炎をカンテラ代わりにして、暗闇の廊下を奥へと進んだ。
カツーン……カツーン……と長く反響する足音をしばらく聞いていると、前方に淡い光が見えてくる。
「着いたみたいだぜ」
光の中に、足を踏み入れた。
瞬間――わたしは自然と、天井を仰いでいた。
建物の中とは思えない、広大な空間。
六角形の壁がまっすぐに上に伸び、ドーム状に張られたステンドグラスを支えている。
空間を満たす淡い光は、極彩色のガラスに彩られた月光だ。
凜と降り注ぐ光に、身体が浄化されていくような気がした。
光に満ちた空間の中央に、ひとつの台座がある。
その上には、鏡のように光り輝く盾があった。
大の男をすっぽり覆い隠してしまうくらいの大盾だ。
わたしは台座に近付いて、その盾をしげしげと見る。
銀? いえ、何かの宝石……?
ステンドグラスの光を煌びやかに反射するそれは、一見では何でできているのかよくわからない。
たとえ素材が何だとしても、これほどの大きさ、重量は如何ばかりになるか。
普通の人間だと、二人がかりでも持ち上げられないんじゃないか。
何を被せられているわけでもないのに、傷一つなく、埃一つ被らず……『地の盾』は、まさに夜空にぽつんと輝く月のように、静謐に佇んでいた。
「……これが、地の盾……」
「いやいや。違げぇから」
「えっ!?」
わたしが驚いて振り向くと、ティーナはけらけら笑った。
「本物がこんなに堂々と飾ってあるもんかよ。こういうのはレプリカだって相場が決まってるぜ。おそらく、重要なのはもっと奥にある……」
妖精状態のティーナが、『地の盾』の台座の周りをぐるぐると飛び回る。
「うーん」とか「ここか?」なんて言いながら、台座をあちこちから見回した末に、
「おっ。みっけ」
台座の裏側。膝くらいの高さの位置を、小さな手でぐぐっと押した。
ズズッと凹む。
スイッチ……!?
驚く間もなく、台座が石臼のような音を立て始めた。
ゆっくりと横にスライドしているのだ。
台座が移動した後には、黒々とした穴が――いいや、地下へと続く階段が姿を現した。
「……隠し階段……?」
「ヒュウ。いかにもじゃねぇの」
ダミーの『地の盾』の下に隠された階段。
地下……。
わたしの脳裏に浮かぶのは、もちろん、精霊術学院の地下に広がっていた神殿だった。
「行くぜ、姉ちゃん」
わたしはうなずいて、地下への階段を慎重に降りる。
階段は長かった。
5分ほども降り続けて、ようやく一番下に来る。
整備と掃除の行き届いた地上の神器殿とは違い、地下はボロボロの石壁が剥き出しで、埃も舞い放題だった。
今にも崩れてしまいそう。
実際、壁に軽く手を触れると、ぼろりと表面が剥がれてしまった。
一体、何年前に作られたものなのか……。
道はまっすぐだった。
【黎明の灯火】の明かりを頼りに進んでいくと、程なく大きな空間に出る。
初めて来た場所だ。
そのはずなのに、強い既視感があった。
ここによく似た場所を、わたしは知っている。
奥に長い大空間には、72体の石像が並んでいた。
「へっ。案の定だな――学院の地下神殿と同じじゃねぇの」
右に36。
左に36。
合計72の台座に、異種様々な異形の石像。
それらはすべて、精霊をかたどったものだ。
わたし自身、そう何度も足を運んだことはない。
結界室の場所を教えてもらうときに、一度見たことがあるだけだ。
けれど確かに、同じ場所があった。
精霊術学院の地下にも、こういう風な、精霊像が並んだ部屋があった――
「ふふん。学院の地下にあったやつは、崩れて埋まっちまったんだよな、確か」
「……ええ。7年前の戦いで」
「んじゃ、完全に同じデザインなのかどうか、今となっては証明不可能ってわけだ。ま、ここまで似てりゃあいちいち証明するまでもねぇけどさ」
わたしは精霊像の間を歩いていく。
精霊像は全部内側を向いているから、なんだか見張られているようで落ち着かない。
一方、ティーナは遠慮なしに、あっちこっちを飛び回っていた。
「……姉ちゃんのライブラリにねぇのは、46位〈ビフロンス〉、36位〈アスモデウス〉、そんで1位の〈バアル〉だけだったっけ?」
「うん。それが?」
「いや。その三つがいっとう変な姿だと思ってよ。入口から見て右手前が72位だとすると、これが46位――〈正体不明のビフロンス〉だろ? ただの岩じゃん」
確かに……。
〈ビフロンス〉の位置にある彫像は、雫のような形をした一枚岩だった。
「んで、これが36位〈忌まわしき唇のアスモデウス〉。美少女フィギュアかよ」
ふぃぎゅあ……というのはよくわからないけれど、〈アスモデウス〉は扇情的な格好をした少女の姿をしている。
たぶん娼婦のイメージだと思う。
〈アスモデウス〉は精霊の中でも『色欲』を司り、人間を堕落に導くとされているのだ。
「極めつけがこれ。第1位〈バアル〉……」
入口から見て左側に建ち並ぶもののうち、一番奥に置かれた台座。
配置的には、序列1位の〈バアル〉があるべき場所。
そこには、何もなかった。
台座の上は、ただの空白だった。
けれど、それもうなずける話だ。
「〈バアル〉は精霊たちの長で、最も畏れ多い精霊だとされているから……」
「その姿を描写することは不敬に当たる、だろ。偶像を作るのなんかもってのほかだ。だから正式名称も誰も知らない……」
ティーナは空白の台座を見て、皮肉げに唇を曲げた。
「……匂うねぇ」
「え?」
「いんや。なんでもねぇ。先を急ごうぜ」
ティーナはひらりと奥へと飛んでいってしまう。
……あまり思わせぶりな言動をしないでほしい。
それとも、因果への過剰干渉というやつを避けているのだろうか。
結局、本当に大事なことは自分自身で考えなければならないということか……。
ティーナを追って、精霊像の部屋の奥に進む。
観音開きの扉を抜けると、また暗い廊下だった。
さっきよりは道幅が広く、4人並んで歩けるくらいの余裕がある。
「姉ちゃんは学院の地下神殿に入ったことがあるんだろ? どうだ、似てるか?」
「似たような感じ……だと思う。暗い廊下がずっと続いて……」
「ったく、あのクソババア。学院の地下にこんなもんがあるって、アタシに黙ってやがったな。食えねぇ奴だぜ」
へん、と拗ねたように鼻を鳴らし、ティーナは唇を尖らせた。
トゥーラはいつも余裕を持った振る舞いをしていた気がするけれど、娘のティーナはほとんどその逆だ。
衒わず、隠さず、ありのままの自分で振る舞う。
態度や表情を誤魔化そうとしない。
いや、その必要を感じていないのか。
だから、鈍感なわたしにも読み取れた。
ティーナの表情に一瞬だけ過ぎった、黒い影を……。
「……あなたは、どうしてゲダツしたの?」
世間話のトーンを装って繰り出した質問に、ティーナは眉を上げる。
「あー? なんだよ、いきなり」
「そのゲダツっていうのをしたら、誰にも会えなくなるんでしょう? ……トゥーラとは、仲が悪かったの?」
「はッ! 悪いなんてもんじゃなかったぜ」
ティーナは憤然と鼻息を噴き、石造りの天井を見上げた。
「そもそも会話自体、数えるほどしかしなかったっつの。アタシは好きなようにやってたし、あのババアも好きなようにやってた。お互い、それでよかったんだ。親子らしく仲良しこよしなんてのは、性に合わなかった」
「クライヴさんは?」
「オヤジは……まあ、フツーのオヤジだったぜ。……ああ、いや、あのロリロリババアを孕ませた勇気だけはフツーじゃねぇな」
ひひひっ、という下世話な笑い声が、暗い廊下に流れる。
わたしは半眼で妖精サイズの少女を流し見た。
「……実の親のそういう話、平気なの……?」
「オヤジは子供に惚気るタイプだったからなぁ。真っ最中に遭遇したことだってあるしな。あのときのババアの顔は見物だった。そこら辺の小娘みてぇに真っ赤になっててさぁ、指差して爆笑してやったぜ」
「えっ……」
あ、あのトゥーラが、普通の女の子みたいに……?
……本当に、恋というのは人を変えるものらしい。
「あのときのオヤジの泰然自若っぷりは、いま考えてみるとすごかったな。普通、子供にそういうとこ見られたら気まずくなるじゃん? なのにオヤジの奴、ババアが恥ずかしがってるのを見て――」
「ちょ、ちょっと待って……! これ以上はわたしが気まずくなるから……!」
「ひひひひ! 実はうぶなところも師匠譲りみてぇだなぁ、姉ちゃん?」
ティーナが明け透けすぎるの!
彼女はからかうようにひとしきり笑うと、ふっと遠い視線を天井に向ける。
それは、遙かな過去を覗いている目。
懐かしむような……あるいは――
「……実は、解脱する前、ババアも誘ったんだよ」
しばらくの沈黙の後、ぽつりと呟きが落ちた。
「寿命だけはクソなげぇあいつなら、アタシみたいに即身成仏することもできるはずだった。そしたら煩わしい仕事もしなくて済むぜって。そしたら……」
「そしたら?」
「……『こっちのほうが面白いからいい』ってよ」
――ああ。それは――
「――すごく、トゥーラらしい……」
悪戯っぽい笑みが目に浮かぶ。
何百年という寿命を、それでも面白おかしく、自由気ままに生きる――時には、楽になれる選択肢さえ自ら捨てて。
「どこがおもしれぇんだよ、って、あのときは思ったんだけどなぁ」
ティーナの口の端に、ふっと自嘲めいた笑みが滲んだ。
「……今は少しだけ、わかるかもしんねぇ」
「どうして……?」
「そりゃあ――」
ティーナの目がわたしに向いた、そのときだった。
大きな揺れが地下空間を襲った。
わたしはよろめいて壁に手をつく。
天井からぱらぱらと埃が落ち、古い石壁が歪んで亀裂を大きくした。
「な、なに……!?」
「地震……? いや、この時間に地震が起こったことなんて―――!!」
ティーナの言葉に、割り込むかのように。
バリバリバリッ、と亀裂が走る。
床にではない。
壁にではない。
天井にではない。
目の前の、空間そのものに。
「……おい……嘘だろ……?」
これまで、何があろうと冷静沈着でいたティーナが……このとき、初めて、愕然と口を開けた。
引き裂かれた空間の向こうから、アギトが這い出てくる。
続いて首。
続いて胴体。
続いて翼。
それらはすべて、漆黒の鱗に覆われていた――
「み……見つかった……っ!!?」
亀裂を中心として、さらなる亀裂が放射状に走る。
空間は、ガラスのように割れ砕け。
破滅的な乱入者が、ついにその全貌を現した。
それは騎士。
黒い竜に跨がった、竜騎士。
――三つの顔を持つ、悪魔のような騎士。
どこからともなく悪魔が笑う。
『――よう、やく、見つけた……♪』




