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転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?  作者: 紙城境介
因果の魔王期・第2回:あなたがどれだけ汚れても

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因果の魔王期・第446回


 一体……何度……繰り返したんだろう?



 狂乱した意識の中で……たまに……ふと……数えようとすることがある。



 でも……結局、思い出せなくて……諦めて、正気は再び……魂の底に沈む。



 一体……何度……繰り返したんだろう?



 この問い自体を……何度繰り返したのか……もう、思い出せない。



 どうして……こんなことをしているのかすら……。



 あれ? どうしてだっけ?



 わからない……。



 わからなくても……繰り返す。



 そうする生き物であるかのように……同じ時間を、ぐるぐると……。



「一体、何度繰り返したんだ?」



 切れ切れの正気の中で……自問以外の声が……入ってきた。



「頑張ったな、ラケル。……もう、休んでもいいんだぞ?」



 そうかな……?



 もう、いいのかな……?



 わたし、頑張ったかな……?



「ああ、頑張ったさ。頑張った奴は、その分だけ休むのが義務だろ」



 そっか……。



 義務なんだ……。



 それじゃあ、わたし、休まないと……。



「あっちでみんなが待ってる。一緒に行こう!」



 うん……行く。



 連れていって…………ジャック。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「ししょー!」


 庭の東屋でうとうととしていると、フィルの元気な声がわたしを呼んだ。


「ん……どうしたの、フィル?」


「いいから来てーっ!」


 フィルはわたしの手を握ると、ぐいぐいと引っ張る。

 もう……強引なんだから。

 わたしは仕方なく立ち上がり、フィルに引っ張られていった。


 よく手入れされた庭園を抜けていく。

 この庭園はエルヴィスとガウェインが二人で管理していた。

 ガウェインはあの大柄な体格に似合わず、細々とした作業が性に合うらしい。


 お屋敷の中に入ると、何やら異臭が漂っていた。

 何かが焦げたような……もしかして、火事?


「こっちこっち!」


 フィルがわたしを引っ張っていったのは厨房だった。

 焦げ臭い匂いも、この中から漂ってきている。

 火の不始末で火事になってしまったのか――と警戒するけれど、中を覗き込むなり、杞憂だったと知れた。


「……何、この惨状」


 わたしは呆然とした。

 厨房の中はしっちゃかめっちゃかになっていた。

 まるで嵐が過ぎ去ったあと――いや、一部は焼け焦げているから、嵐と火事が一緒に来たような有様だ。

 その真ん中で、髪から服までをいろんな食材や調味料で汚した3人の少女が、かしましく騒いでいる。


「なんで言った通りにやらないの!? 私の言った通りにやればできるって言ってるじゃない!」


「えー。だってこっちのほうがおもしれーじゃん」


「料理を面白い面白くないでやっちゃダメって言ってるでしょーっ!?」


「あ、あの……もうそのくらいで……あうう……」


 アゼレアががみがみと小言を繰り返し、ルビーがそれをどこ吹く風と聞き流し、その間でサミジーナが右往左往していた。

 やれやれ。

 どうやらわたしは、仲裁のために呼ばれたらしい。


「よろしく! ししょー!」


 てへぺろと可愛く舌を出しながらフィルが言う。

 この屋敷では年長者だからか、わたしはいつもこんな役回りだ。

 本来は、こういうのは得意ではないんだけど。

 渋々、厨房の中に入って、言い争う二人に割って入る。


「はいはい、そこまで」


「あっ、先生……」


「チッ。先公のお出ましかよ……」


「そこ。ルビー。あからさまに舌打ちしないように」


 話を聞いてみると、どうやらアゼレアが先生になってルビーとサミジーナ、フィルに料理を教えていたらしい。

 ところが、ルビーのほうが教えたことを豪快に無視して好き勝手やり始め、ご覧の有様というわけだ。


「ルビー……あなた、人からものを教わるのが致命的に下手なのは全然治ってないのね……」


 学院時代も、全然わたしの言うこと聞いてくれなかったなあ……。

 アゼレアもおかんむりの表情でうんうんと頷く。


「本当よ。ガウェインさんに差し入れを持っていきたいなんて、珍しく可愛らしいことを言うから教えてあげたのに……」


「なっ……! んなこと言ってねーだろ!?」


「えー? そうだったかしらー?」


 アゼレアがにやにや笑いながらぷふーっと笑ってみせると、ルビーはさらに意固地になって反論を並べ立てた。

 そばにいるサミジーナがまたあわあわし始めるけど、これは別に仲裁しなくてもいいだろう。


「何の騒ぎだ?」


「あっ! じーくん!」


 厨房の入口にひょっこりとジャックが顔を覗かせて、フィルがぱあっと顔を輝かせる。

 ジャックがいるときのフィルの顔は、なんだかこっちまで嬉しくなってきて、わたしは大好きだった。


「あのねー! みんなでお菓子作ってたの! ほら!」


 フィルは、ハリケーンが通った後みたいなテーブルの上で、かろうじて生き残っていたお皿を一つ取り上げて、ジャックの前に差し出した。


「へえ。クッキーか。うまそうじゃん」


「このハート型のがわたしでー、こっちの四角いのがサミちゃんの!」


『サミちゃん』と呼ばれたサミジーナが、びくっと肩を跳ねさせる。


「はは。性格出てるな、形に」


「わたしのはじーくんへの愛がこもってるよ! えへへ~♪」


「じゃあ、その愛を一つ味見させてもらおうか?」


「うん! あ~ん」


「あ~ん」


 フィルが背伸びをして差し出したクッキーを、ジャックは少し腰を屈めて口で受け取った。


「ん~……うん。うまい」


「わたしとどっちがおいしい~?」


「こら」


「あう」


 ジャックから軽くチョップされて、フィルはにへらと笑う。

 ジャックは続いて、四角いほうのクッキーに手を伸ばした。


「んじゃ、サミジーナのほうも味見させてもらおう」


「あっ、あっ……へ、陛下! そのようなものを召し上がられては……!」


「ん? 毒でも入ってるのか?」


「とっ、とんでもありませんっ!」


「じゃあ問題ないな」


 ジャックはひょいと四角いクッキーを口の中に放り込んで、ぼりぼりと賞味する。

 サミジーナは顔を赤くして、緊張の面持ちでその様子を窺っていた。


「い……いかがでしょうか?」


「んん~……」


「あっ……す、すみませんっ! やっぱり陛下のお口には―――」


「ん、いやいやいや。うまいって。ちょっといい感じに表現しようとしたんだが、語彙が足りなかっただけ」


「えっ……? あっ……」


「よかったねー、サミちゃん! 言葉が見つからないくらいおいしかったって!」


「わっ……! ふぃ、フィリーネ様……!」


 年少組の二人が、抱き合って喜びを表現し合う。

 微笑ましい空気が漂ったところで、ジャックが言った。


「ちょうどいいお茶請けもできたみたいだし、みんな集めて食堂でお茶にしようぜ」


 さんせー、と声が重なって、ぞろぞろと厨房を出た。

 アゼレアやルビー、サミジーナは、着替えるためにいったん自分の部屋に戻っていく。

 わたしはジャックの隣に並んで廊下を歩いた。


「ご苦労様、師匠」


「え?」


「またフィルに駆り出されて、アゼレアとルビーの仲裁をさせられてたんだろ?」


「まあ……」


「むーっ。じーくん! それじゃわたしが悪いみたいだよー! わたし、ファインプレイだったんだよ!」


「そうだな。悪い悪い」


「悪いと思ってるなら頭を撫でてくれるべきです!」


「それは謝罪の仕方としてどうなんだ?」


 疑義を呈しながらも、ジャックはフィルの頭を優しく撫で、フィルは幸せそうに笑った。

 いつもの光景を横目にしながら、わたしはふと立ち止まる。

 壁に絵画が掛かっていた。


「……ん? どうした、師匠?」


 ジャックとフィルが、立ち止まって振り返る。


「いえ……こんな絵画、あったかなと思って……」


 肖像画だった。

 銀色の髪の女の子が、バストアップで描かれている。

 歳はわかりにくいけど、身体付きを見るに、14~5歳というところだろうか?

 ジャックはその絵画を見て首を傾げた。


「さあ……。どうだろうなあ。俺、絵画にはあんまり興味ないから。まあ、あったんじゃないか、前から」


「そう……」


 だったら、今、初めて目を留めただけで、これまでも視界の隅には入っていたということなのか……。

 その絵画に描かれた銀髪の女の子に、見覚えがあった気がしたのだ。


 歩き出したジャックとフィルを追いかけて、わたしも絵画の前を離れる。

 その――瞬間だった。




『―――目を覚ませッ!! 馬鹿野郎ッッ!!!』




 激しい怒鳴り声が、わたしの背中を叩いたのだ。

 びっくりして振り返るけれど、後ろには誰もいない……。

 ただ、壁に掛けられた絵画があるだけだった。


「…………?」


 ジャックやフィルには聞こえていないようだった。

 気のせい……?

 わたしは首を傾げながら、今一度絵画に背を向けた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「はい、エルヴィス様。あ~ん♪」


「あ、あ~ん……」


 嬉しそうに指で摘まんだクッキーを差し出すヘルミーナと、恥ずかしそうにそれを口で受けるエルヴィス。

 その甘酸っぱい光景を前にして、ついにルビーがテーブルを叩いた。


「そこの王族夫婦ーっ!! 人前でイチャつくんじゃねーっ!!」


「あら、ルビーさん。僻みは見苦しくてよ?」


「見苦しいのはおめーらだドアホ!」


「でしたら、あちらはどうなのかしら?」


 食堂の真ん中に置かれた大きな長方形のテーブル――そのお誕生日席をヘルミーナが指差す。

 そこはジャックの指定席で、同時にフィルの指定席でもあった。

 なぜかと言うと……そう、ちょうど今のように、フィルがジャックの膝の上に座るからだ。


「はい、じーくん。あ~ん」


「いや、ちょっとさすがに口の中の水分が……もがもが」


「おいしい?」


「……んぐ。……んまい」


 その近くではサミジーナがそわそわと挙動不審にしていて、アゼレアが「自分の席に座りなさいよ、フィル!」と小言を言っていて、ビニーがなぜか双子の兄のベニーに頭を叩かれていた。何を考えていたんだろう。

 ともあれ、ジャックは今日もモテモテだ。


「んがーっ!! なんじゃあこれはーっ!! 茶だと聞いて来てみれば酒がないではないか、酒が!!」


 と、わたしの隣でトゥーラが駄々をこねる――こねるのだが、その手は次々とクッキーを摘まんでいた。


「お茶だって聞いたのになんでお酒があると思ったの」


「儂にとっては、酒も茶も大して変わらんわい。ひひひ!」


「昼間っからお酒なんて呑んだら、またクライヴさんに叱られるよ」


「まったく。あやつめ、一人で勝手に耄碌しおってからに。酒は昼間に呑むもんじゃろうが!」


 そうは言いつつ、夫であるクライヴさんの言うことならば、なんだかんだ聞き入れてしまうのだ、トゥーラは。

 わたしと二人で暮らしていた頃は、わたしの言うことなんてほとんど聞いてくれなかったのに、恋は人を変えるものだと驚くばかりである。


「それより、ラケル。おぬしはあっちに混ざらんでもよいのか?」


「え?」


 トゥーラはにたりと意地の悪い笑みを浮かべて、くいっとジャックたちのほうに顎をしゃくってみせた。


「下は10歳、上は18か。ひひひひ! ずいぶん若い女ばかり引っ掛けたものじゃ。肩身が狭いのう、ラケル?」


「……わたしは、別に」


 歳のことなんて気にしたことはない――というか、そもそも、自分の歳なんて数えたことがなかった。

 三桁にもなるといっそうどうでもよくなって、もう100歳なのか200歳なのかも曖昧だ。


「まあ、おぬしも見た目はまだ18そこそこじゃ。身体を使えい、身体を! 特にその、服の下に隠した巨乳をな!」


「ひゃっ……!?」


 突然むにゅっと胸を掴まれてビックリする。

 慌てて逃げながら胸を隠し、ふとジャックのほうを見た。

 すると、ジャックがさっと目を逸らすのが見えた。


「……じーくん、見てた」

「……陛下、見てました」

「……ジャック、見てたわね」


「い、いやいやいや! 見てない! 見てないぞ!?」


「言っとくけどねっ! 私だって、先生に負けないくらいあるのよっ!?」


「あーっ! アゼレアずるい! わたしとサミちゃんがまだちっちゃいからってここぞとばかりに!」


「ふっ……第二次性徴を迎えてから出直すことね、お子ちゃまども」


「むーっ……! 行くよサミちゃんっ! 合体攻撃だーっ!!」


「えっ!? は、はいっ!!」


 ジャックを中心に、女の子たちがきゃいきゃいと騒ぎ始める。

 いつも通りの、見慣れた日常。

 こんな日々が、永遠に続けばいい。

 わたしは誰ともなく、心の中でそう願った―――




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「……あれ?」


 寝る前に用を足して、寝室に戻ろうと夜の廊下を歩いていると、わたしは違和感に気付く。


「……あの絵がない……」


 昼に見た、銀髪の女の子の肖像画。

 あの絵が飾られていたはずの壁が、空白になっていた。

 額がかけられていたような跡すら見つからない。

 最初から何もなかったかのように、完全に消失していた……。

 ……場所を、覚え間違えているんだろうか?


「―――ん、ラケル?」


 声に振り返ると、寝間着姿のジャックが、すたすたと廊下を歩いてきた。


「どうしたんだ、こんな夜更けに」


「あ……別に。寝支度を整えていただけだから……」


 用を足しに行っていたと素直に答えるのが何だか恥ずかしくて、わたしは濁すような答えをする。

 ジャックも「ふうん」と適当に流して、なぜか視線を泳がせた。


「あー……それじゃあ、さ。……ちょっと、話せないか?」


「……え?」


 わたしはジャックの顔を見る。


「……何か、大切なこと?」


「いや……別に、そういうわけじゃないんだけど……」


 ジャックの口振りは、どうにも歯切れが悪かった。

 目をあちこちに泳がせていたかと思うと……急に、ピタリと、わたしの瞳に焦点が定まる。


「……ただ、二人きりで話したいっていうんじゃ、ダメか?」


 ドクンと、音が聞こえてくるくらい、心臓が強く跳ねた。

 ……あ、れ。

 ジャックの顔が、急に見れなくなった。

 さっきまでは、大丈夫だったのに。


「……どうした? どこか具合が悪いのか?」


「あ、いや……だ、大丈夫。大丈夫だから」


 落ち着け。

 ジャックはせっかく会ったんだから雑談でもしようと誘ってくれているだけだ。


「……ええ、うん、そうね。せっかくだし、少しだけ……」


「ん。じゃあ、とりあえず俺の部屋でいいか? 立ち話も何だし、外は冷えるからな」


 歩き出したジャックについていきながら、なぜかわたしの心臓は、全力疾走をした直後のように早鐘を打っていた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 窓から射し込むほのかな月明かりと、ベッドのサイドテーブルに置かれたランプの灯火の中で、わたしたちは他愛のない会話をした。

 今日、フィルがどんな騒ぎを起こしたかとか。

 エルヴィスやガウェインが庭で育てている花がどんな調子かとか。

 トゥーラがクライヴさんの膝枕で猫みたいに昼寝をしていたとか……。


 そんな取るに足らない話をしているうちに、ベッドに腰掛けたジャックとの距離が徐々に縮まっていることに、もちろんわたしは気付いていたけれど、わたしから距離を離そうとはしなかった。

 まず最初に、シーツに突いた手の指が絡み、次に腕と肩とがぶつかる。

 ジャックの手が反対側の肩に回されると、至極自然な流れで、わたしはベッドの上に押し倒された。


 ジャックの目が、じっとわたしの顔を見つめている。

 少しだけ荒い息が聞こえたかと思うと、それはわたしの息だった。


 ジャックの手が、わたしの肩からそっと滑って……胸のほうに、移動する。

 細く、長く、けれど少しだけごつごつとした指が、まるで割れ物を触るみたいにして胸に触れると、その瞬間、全身に電撃みたいな感覚が走った。


「んっ……」


 わたしはピクリと身体を跳ねさせて、ジャックの顔から目を逸らす。

 ジャックは慌てた感じで手を引っ込めた。


「……嫌、か?」


 わたしは、考える前に首を横に振っていた。


「嫌……じゃ、ない、けど」


 口元を隠すようにして手を置きながら、サイドテーブルのほうを向いたまま言う。


「……アゼレアや、フィルに……悪い」


「なんだ……そんなことか」


 ジャックは安心したように軽く笑って、顔をゆっくりと近付けてきた。

 吐息と吐息が、ぶつかる……。


「あいつらのことはいいんだよ、ラケル……。俺は、お前を愛したいんだ」


 その言葉を聞いた瞬間――わたしの目に、涙が浮いた。

 徐々に近付いてくるジャックの顔が、ぐにゃりと滲んでいく。


 こんな日々が、永遠に続けばいいと思った。

 それだけがわたしの望みだった。

 地位も、名声も、贅沢も、他のものは何もいらない。

 ただ、平穏だけがあればよかった。

 わたしの知る誰もが笑って暮らせる、平穏な日常さえあればよかった。


 そのはず。

 そのはずだったのに。


 わたしの口は―――それを、壊してしまう。




「――――ジャックは、そんなこと、言わない」




 震えた声で言った途端、近付きつつあったジャックの顔が、止まる。


「アゼレアを、ましてやフィルのことを軽んじるようなこと……本物のジャックなら、絶対に、言わない」


 溢れた涙が、つうっとこめかみのほうに伝った。

 間近にあるジャックの顔は―――困ったように、苦笑していた。


「…………そっか」


 諦めたように呟いて、彼はわたしの上から身を引く。


「たった、一言――これさえ見て見ぬ振りをすれば、望んだものを何もかも手に入れられたのに。……お前は、飽くまで戦うって言うんだな、ラケル」


「ええ。……あなたが、戦っている姿を見たから」


 わたしは身体を起こしながら言った。


「あなたが、絶望したままでさえ、戦い続ける姿を見たから――わたしも、戦うの。たとえ、勝利にはならなくても。たとえ、未来がどこにもなくても。あなたを……守るために」


「言っておくけど、お前はもう、ほとんど狂気に支配されている。意地を張ったって、あと何回か繰り返せばおしまいだ。この世界は、あるいは、あいつが用意した初めての慈悲かもしれないんだ」


「筋金入りね。……初めて人に見せた慈悲が、敵を閉じ込めておく檻だなんて」


 わたしの『戦い』に、あの少女が勘付いたのだ。

 前回の記憶なんて引き継いでいないのに……わたしが、勝利など目指さないまま、ひたすら妨害だけを続けていることに、ちょうど444回目で勘付かれた。

 だから、わたしから戦意そのものをなくそうとしたのだ。

 徹頭徹尾、蹂躙ばかりを繰り返していたあの少女が――今回ばかりは、下手に出て。


「でも……楽しかった」


 わたしは天井を仰いで、幻想の日々を反芻した。


「紛い物だって……ただの夢だってわかってても、楽しかった……。みんな笑っていて……みんな幸せで……ああ、こんな世界を目指していたんだって、久しぶりに思い出した」


「でも、出ていくんだろう?」


「ええ、出ていくの」


「夢に浸っていたいとは、思わないのか?」


「思う。……思うけど」


 わたしはベッドを降りて、窓の外を見る。

 満天の星空が、どこどこまでも広がっていた。


「……ねえ、ジャック」


「なんだ?」


「わたしの胸、見てた?」


「見てたよ。……自覚ないかもしれないけど、お前の身体、すっげえエロいんだぞ」


 くすくすと笑って、わたしは振り向く。


「それを聞けただけでも、充分」


 聞けなかったことを聞けた。

 聞けるはずのなかったことを聞くことができた。


 ああ――それだけでも、充分すぎる奇跡だ。




 みんなと暮らした屋敷が崩れた。


 みんなと過ごした庭園が潰れた。




 瓦礫の海と化した世界で、わたしは空を仰ぐ。

 星空に、亀裂が走っていた。

 その割れ目から、ドラゴンが顔を覗かせる。


 ワイバーンなんか比較にならない、山みたいな大きさのドラゴンに、顔が三つもある異形の騎士が跨っていた。

 どうやら彼女は、意地でもわたしを逃がさないつもりらしい。

 またわたしやわたしの知る人たちを痛めつけて、『この世界にいるほうがいいだろう』と迫る気だ。


 そんなことをしたって、もうわたしの戦意が尽きることはない。

 胸の中で燃えるのは、あなたがくれた炎だ。

 潰えかけていたわたしの魂が、この世界のおかげで息を吹き返したのだ。


 魂が燃え尽きる瞬間まで、わたしが負けを認めることはない。

 せいぜい虚しい勝利を勝ち誇れ。

 そのとき、あなたの顔に笑みはない。


 異形の竜騎士が、咆哮を放って世界を震わせた。

 ガラスが割れるように、空がガラガラと崩れてゆく。


 さあ、戦いを続けよう。

 決して勝つことはない――けれど、決して負けることもない戦いを。


 巨大なドラゴンが、勢いよく炎を噴き出す。

 炎は夜空さえも赤く染め上げ、優しい世界を焼き尽くした。

 それに呑み込まれる寸前、わたしは念じる。



 ――――因果、続行。





TO BE CONTINUED TO

因果の魔王期・第447――――――――――


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